封じられた夏(2)
その日は夕方まで四人で川へ行き、魚を追いかけたり、水切りをして遊んだりして過ごした。川の水は澄んで冷たく、岩陰には小さな魚が群れをなしていた。詩織は最初、川に入るのをためらっていたが、啓太に促されて裸足になり、石の感触に驚きながらも楽しそうに笑っていた。
夕方になり、祖母が出してくれた茹でたてのとうもろこしと冷えたスイカを、四人は縁側に腰かけて頬張った。ひとしきり遊んだ後の甘い果汁は、火照った身体に染みるように感じられた。
「詩織って、引っ越してきたばかりなんだっけ?」と直哉が尋ねる。
「うん。春の終わり頃かな。それまで東京に住んでたの」
「えっ、都会っ子?」
「まあ、そんな感じ。でも、こっちの空気の方が好きかも。夜、静かだし、星もちゃんと見えるし」
啓太が補足する。「詩織の親、警察官なんだよ。こっちの駐在所に転勤で来たんだって」
「へえ……」直哉が驚いたように詩織を見た。
「私が警察ってわけじゃないけどね」と詩織は少し照れたように笑った。
その時、啓太がふと声のトーンを落とした。
「なあ……山本ん家って、まだあるのかな?」
空気がすっと冷えた気がした。
詩織が小声で言う。「あれ、本当にあるんだよ。門に縄があって、札が下がってる。“骨”って書いてあった気がする」
「お前、行ったの?」と啓太が驚いたように身を乗り出した。
「うん……引っ越してきて間もない頃、クラスメイトの佐和ちゃんと芽衣ちゃんと一緒に、昼間に門の前まで行ったんだ。あのときは、何も知らなかったから……普通に遊び感覚で。怖かったよ、あとから話を聞いて……」
その晩、花火が終わって縁側でスイカを食べながら、四人はこっそり相談していた。祖父母は家の中でテレビを見ていて、蝉の声は静まり、代わりに田んぼのカエルや鈴虫の鳴き声が山にこだましていた。
「……で、結局どうする? あの家、行くの?」
啓太が低い声で切り出した。詩織はスイカの種を指先で弾きながら、小さくため息をついた。
「さすがに今夜はやめたほうがいいでしょ。抜け出したら絶対バレるよ。おばさんたち、けっこう早く寝るって言ってたし、いないと気づかれやすい」
直哉も頷いた。「夜に出るのは無理があるな。しかも、あそこって街灯ないし……真っ暗だぞ」
悠斗は黙ったまま、蚊取り線香をじっと見つめていた。火がゆっくりと渦を描いて進んでいく。
「じゃあ、明日の夕方にしようよ」詩織が提案した。「暗くなる前なら、虫探しとか言えば外に出られるし」
「ちょっとズルいけど……みんな、本当は怖いんだよね」
その言葉に、一瞬だけ沈黙が落ちた。誰も口には出さないが、それぞれがなんとなく、「夜になる前に行きたい」と感じていたのだ。
「……陽が落ちる前に入って、ちょっと見てすぐ帰ろう」
直哉がまとめるように言った。
「そうだな。日が落ちると、帰り道がマジでヤバそうだし」
「うん……」悠斗も、小さくうなずいた。「明るいうちに、なら……行けるかも」
翌日は夏祭りの準備で村中が活気づいていた。公民館の前では紅白の幕が張られ、竹灯籠が並べられ、青年団が太鼓の練習を始めていた。湧名地区の小学校には全学年合わせて60人ほどの児童がいる。高齢化が進んでいる中では、子どもが多い方だと祖父が話していた。まだ明るいうちから、祭りの空気が村を包み込みはじめていた。
啓太が「夜は太鼓叩く係なんだよ」と得意げに言うと、詩織は「見るの楽しみにしてる」と笑った。
昼には皆でそうめんを囲み、冷たい汁にミョウガと大葉が浮かび、氷の入ったガラス鉢からつるりと喉を通る。おばあちゃん特製の胡麻だれも好評で、皆箸が止まらなかった。
昼下がりには畳の上でうたた寝をした。風鈴の音と扇風機の風が混じり合う中、短いまどろみが心地よく流れていった。
けれど、心のどこかでは、夕方に向けて時間が近づいていることを、誰もが意識していた。
午後三時半。四人はそれぞれに懐中電灯やスマホ、虫除けスプレーなどを用意しはじめる。詩織は胸ポケットに御守りを入れ、悠斗は祖父の仏間から借りた数珠を手にしていた。
「行ってくるね」と祖母に声をかけると、「日が暮れる前には戻るんだよ」と優しく微笑まれた。
祖父の「変な場所には行くなよ」という言葉に背中を押されるように、四人は“山本ん家”へ向かった。
空はまだ明るかったが、山の陰が田んぼの端に落ち始めていた。四人はゆっくりと、言葉少なに村の外れへと歩き出した。誰も口には出さなかったが、全員の足取りは、少しだけ速かった。
村の中心を外れて少し歩くと、舗装の切れた細道に出る。そこからは、田んぼの間を縫うようにして伸びるあぜ道を進んでいく。稲が風に揺れて、青い波のようにさざめいていた。
道の両側には用水路が流れ、ところどころでカエルの跳ねる音がした。日差しはまだあるが、山の影がじわじわと伸びてきて、あたりの空気が静かになっていくのを感じた。