君という名の研究課題 2
突然、意味不明な言葉を突き付けられたメルは、目をぱちくりさせながら聞き返す。
「な……何の点数ですか?」
「今のセリフだ。まだ端々に恥じらいと遠慮が見られる。事実に基づいた内容に訂正すべきだ」
「え?!」
「俺は、単なる『好きな人』なのか?」
顔をぐっと近付け、尋ねる。
質問の意図を理解したのか、メルは目を見開いて狼狽える。
「そっ、それは……」
「今はもう、違うだろう?」
「……い、今は……」
「今は?」
「……私の……婚約者、様?」
「違うな」
「え?」
「『愛する旦那様』だ」
「くっ……」
「それから?」
「へっ?」
「俺にくっつきたいのは、『たまに』なのか?」
「……ジンさんて、ほんっとうに意地悪ですね」
「だが、そんなところも?」
「…………好きですけどっ!」
「ふふ。なら、最初からちゃんと言い直してくれないか? 上手に言えたら……」
くすっ……と、意地悪に笑って、
「俺が、離れて眠っていた理由を……君に教える」
掬い取ったメルの髪に、口付けをした。
メルは、悔しさと恥ずかしさが入り混じったような顔で、しばらく言葉を探すと、
「……わ、私は……」
意を決したように、口を開き……
「……あ、愛する旦那様と……もっとくっつきたいって……毎日、思っていました……っ」
そう、振り絞るように言った。
その、羞恥に震える声に。
赤く染まった頬に。
潤んだ瞳に。
ジンは、愛しさと欲望を堪らなく刺激され、
「ん……百二十点満点だ」
背筋に甘い痺れを感じながら、囁いた。
そして、
「頑張った君に、特別に教えてあげよう。俺が毎晩、何を考えて君の隣で眠っていたのか……」
メルの唇を、親指でつぅっとなぞりながら――
「――君を抱きたい。一番近くで、君を感じたい……そんな欲望で、頭の中がいっぱいだったよ」
ありのままの胸の内を、吐露した。
メルの瞳が、驚いたように見開かれる。
「……君の温もりに触れ、瞳を見つめるだけで、俺は……君との情交のことで、頭がいっぱいになる。だから、離れて眠っていた。俺の一方的な欲望のせいで、君を傷付けたくはなかったから」
言いながら、ジンは自分の言葉に苦笑する。
勝手に欲情して、勝手に掟を定めて……その結果、メルに寂しい思いをさせて。
我ながら、あまりに独りよがりだった。
「決して、君と触れ合うのが嫌で距離を置いていたわけではない。むしろ、その逆だ。不安にさせるつもりはなかった。本当にすまない」
それから、ジンは優しく彼女の髪を撫で、
「君が望むなら、眠るまで側にいる。俺だって、本当は一秒でも長く君を抱き締めていたい。欲望を押し付けるようなことは決してしないから、安心してくれ」
言い聞かせるように、言った。
そう。簡単な話だ。
自分が、欲望を抑え込めばいいだけのこと。
抱き締めながら眠ることでメルが満たされるなら、こんな邪な気持ち、いくらでも飼い慣らしてやる。
……と、決意を新たにするジンだったが……
それに対し、メルが返したのは、
「……ジンさんのばか」
という、ぼそっとした呟きだった。
聞いた瞬間、ジンは……あまりのショックに、気絶しそうになる。
(き、嫌われた……? 無理もない、紳士を自称する男の脳内が情欲に塗れていることを知ったら、幻滅するに決まっている……)
しかし、そんなジンの絶望をよそに……
メルは、恥ずかしそうに目を逸らし、
「私が抱き付いたのは、その…………いちおう、お誘いのつもりだったんですけど……っ」
頬を染めながら、そんなことを口にした。
刹那、ジンの思考は……
キャパシティオーバーにより、爆発四散した。
「お……お誘、い……?」
「そうですよっ。だってジンさん、ぜんぜん触れてくれないから……!」
「し、しかし、あまり求めてはメルの負担になると思って……」
「誰も負担になるなんて言ってません!」
「では、メルも、その……したいと、思ってくれていたのか?」
「そうですってば! もう、恥ずかしいからあんまり言わせないでください!」
ばふっ、と毛布を被り、顔を隠すメル。
ジンは、すっかり混乱していた。
まさかあの抱き付く行為が、メルからの誘惑だったとは……
狼狽しつつも、ジンは毛布をそっと捲り、「メル」と優しく声をかける。
覗き込んだ彼女の顔は……耳まで真っ赤になっていた。
目を逸らし、唇を尖らせながら、メルは拗ねたように呟く。
「……私のことを大切にしてくださるのは、すごく嬉しいです。けど……嫌がっているだなんて、決めつけないでください。私だって、もっと……一番近くで、ジンさんを感じたいんです」
その言葉と表情に、ジンの胸がギュッと締め付けられる。
嬉しくて、切なくて……愛しさに跳ねる鼓動を押さえながら、ジンは猛省する。
メルの言う通り、彼女の気持ちを決めつけていた。
こんな行為、彼女は望んでいないだろうと……自分だけが求めているに違いないと、思い込んでいた。
いつもそうだ。
メルのことを想えば想う程、愛したい気持ちと傷付けたくない気持ちが天秤のように揺れ、空回ってしまう。
メルに恋をしてから……こんなにも不器用で、臆病な人間になってしまった。
しかし、このままではいけない。
今後、どうすればこのようなすれ違いを回避することができるだろう?
ジンは、考えた。
優秀な頭脳をフル回転させ、考えた。
そうして、導き出された方法は……
子供でもわかるくらいに安直で、シンプルなものだった。
「……どうやら俺たちは、この件について、もっと対話をする必要がありそうだ」
ジンが、真剣な声音で言う。
毛布から恥ずかしそうに顔を出しながら、メルが「え?」と聞き返すと……
「今後、この件でいらぬ誤解を生まぬよう、互いの気持ちを明確にしよう。まずは、行為の頻度について確認だ。俺は毎日したい。メルはどうだ?」
なんて、赤裸々すぎる問いを投げかけるので……
メルは顔から、ぼんっと湯気を噴き出す。
「なっ……なんてこと聞いてくるんですか!」
「聞かなければわからないからだ。これ以上、俺の勝手な思い込みで君を不安にさせたくない。それで、どうなんだ?」
「う……そ、それは……」
「それから、行為の内容についても聞きたい。今の流れに不満はあるか? 前戯の長さに問題は? 好きなシチュエーションがあれば遠慮なく言ってくれ」
「そっ、そんなこと、答えられるわけないでしょう?!」
「そうか。確かに、あらためて聞かれると答え難いものかもしれない。なら……」
――バサッ。
……と、ジンは毛布を取り払い、メルをベッドへ組み敷くと、
「今から、実践する。何が良くて何が駄目か、一つずつ教えてくれ。今後の参考にする」
「はぁ?!!」
抗議しようと開かれたメルの口を、ジンはすぐにキスで塞ぐ。
それは、有無を言わせない、甘い甘いキスで……
メルの瞳と思考が、とろんと溶けてゆく。
「……っは……」
「……今のキスはどうだった? 長かったか? それとも……足りなかったか?」
唇が、またすぐに触れてしまいそうな距離で、ジンが尋ねる。
メルは、僅かに残った思考で、最後の抵抗を試みる。
「そ、そんなの……言えるわけ……」
「メル……俺は君を、一生離すつもりはない」
低く、熱を帯びた声。
戸惑うメルの頬に、ジンはそっと手を添える。
「この先、死ぬまで、俺が抱くのは君だけ。君が抱かれるのも、俺だけだ。だから、蟠りは少しでもなくしておきたい。教えてくれ。君は、何が心地よくて……どんなことに、幸福を覚える?」
知りたい。
愛しているから。離れたくないから。
その想いが、瞳から伝わって……
メルは、きゅっと唇を噛み締める。
「……ずるいです、ジンさん。そんな風に言われたら、私……素直になるしか、なくなっちゃう」
恥じらいに潤む、赤い瞳。
降参したように呟くメルに、ジンは、愛しさのあまり口元を綻ばせ、
「それは何よりだ。素直になった君の嬌声を……俺にだけ、聞かせてくれ」
そう言って、もう一度、甘いキスを落とした――