共同体験としての桃鉄
私は先輩たちとのゲームセッションの中で一つの疑問を持っていた。それは「共同体験」という言葉の真意だ。言葉の表面だけをなぞっていれば、それは何か共通の目標や価値観、体験を共有する集団のことを指しているように思える。
だが、私と先輩たちとの間には、明らかにその共通のベクトルが存在していなかった。桃鉄のゲームボードの上で、私は先輩たちと同じ道を歩んでいるようで、実際には全く異なるパスを進んでいるように感じていた。
先輩たちがゲームに勝利を求め、そこから得られる達成感や優越感を享受する一方で、私の目的はそこにはなかった。勝ち負けの結果よりも、ゲームを通じて先輩たちとの関係をどう築いていくか、それが私の主眼であった。
ゲームの結果が全てではない、そう思っていた私にとって、先輩たちとの「共同体験」とは、勝利を共に喜ぶことではなく、ゲームを通じたコミュニケーション、そこで築かれる人間関係そのものであった。それが私にとっての「桃鉄」という共同体験の真の価値だと、私は信じていた。
だが、その信念は一層の孤立をもたらしていた。先輩たちは勝利を目指し、戦術を練り、戦略を展開する。一方、私の心は他の場所にあった。そんな状況で「共同体験」などという言葉が、皮肉にも私を苦しめる。
桃鉄のボードゲームの上では、私たちが同じ土俵に立っているように見えても、心の中では私一人が異なる道を歩む孤独を感じていた。先輩たちがゴールを目指し、財産を増やし、勝利をつかむ。それとは対照的に、私は先輩たちとの関係、その繋がりを最優先に考え、ゲームはその手段でしかなかった。
「共同体験」とは、本来、一つの目標に向かって努力し、喜びも苦しみも共有するもの。だが、私にとっての共同体験は、勝利とは異なる何か、先輩たちとの絆を築く過程そのものだった。私はそれを何よりも大切にしていたが、だからといって先輩たちとの間に溝がなかったわけではない。
その溝を埋めるため、私は自分自身を犠牲にしてでも、その「共同体験」を構築しようと努力していた。しかし、その努力は時として空回りし、結果として先輩たちとの間にさらなる距離を生むこともあった。それでも、私はあえてその道を選び、先輩たちとの間に築かれるであろう、未来の信頼関係の礎を、一石一石、積み上げていくことを選んだ。




