気配りと戦略の狭間で
この桃鉄は毎日仕事終わりの21:00~25:00という時間に繰り広げられた。
仕事で疲れ切った体に鞭打つようにプレイする。
桃鉄の世界は、予測不可能な出来事が溢れている。特に先輩とのセッションは、その不可計の要素が何倍にも増して感じられた。その一方で、ゲームにおける私の役割もまた、一層その重みを増していった。
理由をつけて、リスクとリターンの均衡を崩す動きを意図的にする。戦略的には無意味に思えるその行動だが、これには先輩を気持ちよくさせ、その機嫌をとるという大義がある。
「今、カード取に行くのはリスクだな」と思いつつも、わざわざ先輩のボンビーと擦り合いになるような行動をとる。これは、先輩との距離を縮め、信頼関係を築く為の一環だ。
しかし、内心で思う。戦略とは何だろうか。このゲームの中で、それはもはや形骸化しているのではないだろうか。それとも、先輩との人間関係を築くための新たな「戦略」がここには存在するのだろうか。その答えは、ボードの先にあるのか、それとも、もっと遠く、現実の先に存在するのだろうか。
先輩との桃鉄のセッションは、外見上は接戦を演出しているものの、実際は私が手の内を見せず、先輩の機嫌をうかがう展開が多かった。ゲームの戦略と、先輩の心の中で揺れ動く感情、この二つの間で葛藤する日々が続いていた。
ゴールが目前に迫った瞬間、通常ならば最速でゴールを目指すはずの場面でも、ふと「ホールインワンが起こるかもしれない」と、わざと遠ざかるような行動をとる。本来ならばリスクを避けるための戦略を採るべき状況で、あえてリスクを取りに行く。
内心では「本当にこの行動でいいのか」と自問自答を繰り返していた。しかし、先輩の声を聞くと、その全てが水の泡となる。戦略とは何だったのか、勝利とは何だったのか、その意味すら曖昧になっていく。
そのたびに、自己の価値観と戦略が崩壊し、再構築されていく。もはや、桃鉄はただのゲームではなく、先輩との関係を維持し、未来の自身を保つための一つの手段となっていた。
それでも、ゲームの中で先輩との距離を縮め、その心を探ることは、機嫌を取るテクニックとしては有効だった。勝つことを諦め、先輩の笑顔や喜ぶ声を聞くために、私は自らのプライドと戦略を捧げる。その中で、自己の存在と価値、そして先輩との微妙な距離感に、改めて気づかされるのだった。