凶刃
倉庫と倉庫のせまい隙間の暗がりから、包丁を持った若い男が出てきた。
「きさまぁぁ……ぼくのマリ様とお手々つないでデートなんかしやがってぇぇ!!」
目が血走り、憑き物に取り憑かれたように危ない表情をしていた。
「あんたは盗撮魔の月間塔次郎!?」
蒼太は包丁を持った相手に左腕を前にかかげ、右腕を腰までひいて、油断なく合間をとっていた。
「おいおい……逆上して逆恨みとは、こちとら迷惑千万だぜ」
「だまれぇ……」
「勝手に盗撮し、好きな女が誰かとイチャついてると誤解し、嫉妬で頭に血が昇ったか……包丁もって襲いかかるとは逆恨みだぜ……」
「うぅ……」
「ちっとは女性への口説き方ってものを知らねえのか?」
「うるさぁぁぁぁぁい!!」
ストーカーが包丁を突きだす。
蒼太は半身に回転して切っ先をさけ、手刀で月間の右手首をうった。
悲鳴をあげて包丁が落ちて、蒼太は爪先で包丁を遠くへ蹴った。
そして、右手をつかみ、逆ねじをくらわせ、倉庫の壁にドンっと押し付けた。
「いたたたたた……骨が折れるぅぅぅ!!」
痛みですっかり戦意が喪失し、青ざめて悲鳴をあげるストーカー。
「これを見な……」
蒼太が詰襟の中のボタンを押すと、金ボタンの一つから立体スクリーンが投影された。
さきほどの月間が包丁で突きかかってくるシーンだ。
学生服に見えるEスーツに内蔵された隠しカメラで現場を撮影していたのだ。
「なんなのその制服!? 最近はそんな機能がついてるの!?」
唖然とするマリにかまわず、
「これで正当防衛のお墨付きだ。たとえ、お前を殴り殺してもこちらは無罪よ」
「そんなぁ……」
憑き物が落ちた月間塔次郎は哀れなものだった。
「俺に凶器を向けた奴をゆるさない……だが、俺は慈悲深い……半殺しで勘弁してやる」
「ひいいいいい……」
「……ちょっと……やりすぎよ、蒼太くん……」
「和鷹さんは優しすぎるな……おい、月間、和鷹さんに免じてお前に更生のチャンスをやろう」
「へ? ……チャンス?」
「盗撮だのストーカーだのから足を洗い、これからは心を入れ替えて、真っ当に生きる事を誓うか?」
月間塔次郎は激しく首をたてにふり、
「誓います、誓います……蒼太くん……いや、蒼太さま」
「よし……俺は慈悲深い男だ……執行猶予をやろう」
蒼太は月間のポケットから携帯電話を抜きだし、彼の番号を知り、居場所を連絡するアプリをつかった。
「これでお前はどこに逃げても位置がわかるぜ」
「そんな……プライベートの侵害だ!!」
「たまにゃあ、自分がストーカーされる気分を味わいな……」
「はいぃぃぃ……その通りでございますぅぅ……」
「また悪事を働いたらコテンパンにして警察に突き出すぜ……お前みたいな生っちろいのは、ムショのゴツいのが可愛がってくれるかもよ?」
「いやあああああああああっ!? それだけは堪忍してぇぇ……警察は勘弁してくださぁぁい!!」
「じゃあ、ついでに聞くが、ここへは何で来た……車か、電車か?」
「車で来ましたぁぁ……あっちの駐車場に置いてますぅぅ……」
駐車場に案内させると、グレイのヒョンデ・スターリアがあった。
ハイエースのようなプレーンなデザインだ。
「いい車に乗っているな……ちょうどいい……」
蒼太がニヤリと笑った
海猫岬は真樽子漁港より西側にあり、丘陵地帯を越え、うっそうと茂った森の中にある曲がりくねった山道を一台の車が走っていた。
運転席に月間塔次郎、助手席に海雲寺蒼太、後部座席に和鷹マリだ。
「だけど……まさか、月間の車で墨江博士の屋敷へ行く事になるとはねえ……考えもしなかったわぁ……」
「俺もだよ、マリさん」
和鷹マリは己の運命の変転に戸惑いつつも、どこか胸が昂揚するのを感じていた。
危ないストーカーの運転だが、その横の席には正義感があり、やけに強い、頼もしいボディガードが前に座って、月間ににらみを利かせているから安心だ。
ボディガードは車内を見回した。
「……しっかし、ストーカーのくせに高い車に乗っているなあ……ヒョンデ・スターリアとは」
前面に広大なガラスエリアがあり、角は丸みがあり、内装は未来的で洗練されたデザインだった。
日本車は性能や品質は世界に誇るレベルだが、こと内装デザインに関しては韓国製に軍配があがるかもしれない。
「たしかにシンプルな外見なのに、中はSF映画のコックピットみたいなデザインねえ……」
「いやあ……それほどでもぉ……」
月間がにやけて、頭をかく。
「お前じゃなくて、車をほめたんだ!」
「あっ、さいで……」
「ところで、月間ぁ、知り合いにハッカーがいるだろう」
「え……なぜ……それを……」
「テレビ局のコンピューターはテロに悪用されないよう、政府なみに厳重なセーフティがかけられている……なのにどうやって、和鷹マリさんのスケジュールを調べ出した?」
これを聞いて、和鷹マリは己が迂闊であったと思い知らされる。
彼女のスケジュールを知られたと言う事は、内部に情報を漏らした奴がいるか、テレビ局のコンピューターをハッキングしたという事なのだ。
「いや……知り合いじゃないですよぉ……ぼくがテレビ局のメインコンピューターにハッキングして調べたんですぅ」
「なんだとぉ……ストーカーのくせにたいした腕だな……ハッキングが仕事か?」
「いえ、普段はサラリーマンでして、有給をとって和鷹マリさんの追っかけをしに来ました」
「ちょっとぉ!! 有給とって、私の盗撮するんじゃないわよ!!!」
後部座席でにらみつける女子アナ。
「マリさんのいう通りだ……お前のふだんの職業はなんだ?」
「ゲーム会社のプログラマーをしてますんで、はい」
「ほう……なんてエロゲー会社だ?」
「ゼナクスの第三開発部です」
「ぶっ!? ファミリー向けの大手ゲーム会社じゃねえか!?」
「えへ……」
「えへ、じゃねえ……だから、高級車に乗っているのか……チッキショウ、健全な会社に不健全なお前がいることは間違っている……会社に盗撮ストーカーだとちくってやる!」
「いやあ……やめてぇぇ……」
「まあ、それは冗談だ……それよりも、お前のハッカーとしての腕を買ってやろう」
「えっ!?」
「いま、俺の仕事先のコンピューターに侵入した奴がいるみたいでなあ……あとで本社に紹介するから、ハッキングした奴を調べて欲しい」
「はあ……蒼太さまの勤め先というと?」
「まあ、名前は言えないが、マニズの下部組織だ」
これには月間も和鷹もぎょっとして、蒼太を見た。
「マニズって、日本一の巨大産業グループといわれているマニズ財団のことですかぁ!?」
「ああ、そうだ……ヤバい仕事かもしれないから、報酬は弾むと思うぞ」
「あっ、報酬はありがたいですけど……ヤバいんですかぁ!?」
「おう、テロリストに情報を流したと思われるハッカーを捕まえたい」
「激ヤバじゃないですか!?」
「テレビ局にハッキングしたお前もかなりヤバって……」
「そうでしたぁ……」
後ろの和鷹マリが助手席に座る蒼太の肩をつかんでゆさぶった。
「ちょっと、ちょっと……蒼太くんって、マニズ財団で働いているの? テロリストにハッカーって、いったい何なのよぉ!?」
「あっ……マリさん、今のことは聞かなかったことにしてください」
「できるかぁぁぁ!! 気になるわよぉ!? 蒼太くん、あなたの正体を教えてよ!!」
「ただの学生で、マニズの使い走りのバイトだよ」
まさか全国放送の女子アナに自分は秘密組織のエージェントだとはいえない。
「バイトですってぇ?」
マリがジト目で蒼太をにらむ。
「……第一、ハッカーって犯罪者でしょ……そいつを雇うってわけぇ? 考えられないわよ」
「ああ……けど、アメリカのCIAやペンタゴンは侵入したハッカーを捕まえても、刑務所に送らずに、そのままハッカー対策の専門家として雇うことがあるんだぜ」
「それはアメリカらしい合理主義、実力主義ね……でも日本の慣習ではありえないわよ」
「まあね……でも、命懸けの任務を行う機関では、学歴や経歴よりも、実力者が重要となる組織もあるのさ」
「だから、なんなのよ、その機関って!! 教えてよぉ!!! まさか、内閣情報調査室か公安警察、または防衛隊情報部のスパイ? ……でも、蒼太くんはまだ高校生だし……ありえないわ!」
「そう……ありえないよ」
「じゃあ、何なのよぉ!!」
「まいったなあ……あっ、あそこに大きな神社が!!」
「また、ごまかしてぇ……」
左手の森の中に大きな神宮が見えた。
真樽子市でもっとも大きな恵比寿神社だ。
「墨江博士のとこに行くからには、エビス様を知っていないと話にならないよ」
「えっ!? なんで?」
急に話題を変えられて戸惑うが、墨江博士の心象をよくするため、耳を傾ける。
「マリさん、エビス様って何の神様か、知っている?」
「……七福神のひとりで福の神でしょ。商売繁盛のため、お店に飾っている人も多いわ……誰でも知っているわよ」
「福の神だけど、もともとは漁業の神様でもあるんだよ」
「えっ!? そなの?」
「ほら、エビス様の姿を思い出してよ」
「えっと……太ったオジサンが背中に大きな袋をせおって、釣り竿と鯛を持っていたわねえ……」
「それが漁業の神様である象徴さ……漁師は大漁旗の図柄としてもエビス様を使っているよ」
「ふ~~ん……でも、それがなんなの?」
「いやいや……重要なことですよ……」
苦虫をかみつぶしたような表情となったマリが前を見ると、山道に白い霧がかかってきた。
「あら、霧が出てきたわねぇ……」
「月間、スピードを落とせ、路面も濡れて滑りやすいから気をつけろよ」
「了解です」
月間はヘッドライトをロービームにしてつけ、フォグランプとリアフォグランプを点灯し、中央の白線を目印に、スピードを落として車をすすめた。
肉眼で見通せる距離が1km未満が霧だが、浮遊水滴が急激に多くなり、たちまち100m先も見えない濃霧となってしまった。
「えっ……なんで急に!?」
そのとき、濃霧の中に、急に白い服を着た人影が横切った。
このままでは車に激突してしまう。
「あぶねえっ!!」




