ローレライの歌い手
「なんだ、マリさんじゃないか……観光しに行ったんじゃなかったの?」
蒼太がバツの悪い顔をした。
和鷹マリはスタッフジャケットにスカートの姿から着替え、白いシャツにデニム、日焼け除けにつばの広い帽子という、カジュアルな姿になっていた。
「スマホの旅情報で、真樽子に『ローレライ』って、シャレた店があるって知ったから来たのよ」
白魚のような細い指が、倉庫街の切れ目にある端っこに、こぎれいな展望カフェテラスが海へ突き出して立っているのが見えた。
看板にローレライとある。
「二階から展望できる席に座って、なんとなく下を見たら、子ども達がイジメにあっているみたいだから、ちょっと言ってやろうと思ってやってきたの……そしたら、先に蒼太くんがいるじゃない……」
高校生は少しほおを赤らめ、
「なんだ、見ていたのか……人が悪いなあ……どの辺から?」
「俺は拓哉の親戚のお兄ちゃんだって……くぅ~~…カッコ良かったわよ」
美人リポーターがウィンクするが、どこかからかっている。
「たはあぁぁ……ヤなトコ、ヤな人に見られちゃったなあ……」
「ヤな人ってのは何よ!!」
和鷹マリが怒った表情になる。
「いえ、なんでも……」
女はまたにんまりと表情をくずし、
「それより、いいとこあるじゃない……ロケバスでは冷めた子だと思ったけど、正義感あふれる熱い男の子じゃないの」
「うわあぁぁ……恥ずかしいなあ、もう……そんなんじゃねえよ……ただ、拓哉を見ていたら、昔の俺を思いだしちまってね……」
蒼太がすねた顔をしながら、きっぱりと真摯にいい、和鷹マリははっとした。
「そっかぁ……」
きっと、この普通に見える高校生にも、今までに色々と抱えた問題や悩みがあったのだろう。
「ところでさ……蒼太くんて、ロケバスでは『ぼく』って、いっていたけど、普段は『俺』っていうのね」
「ああ……まあ、大人たちの前の外面と、日常生活の内面では、誰だって、これくらいの使い分けはするよ……もっとも、外面のエキスパートには敵いませんがねえ」
「なによ……私のことぉ? まあ、外面の使い分けには自信あるけどね……」
「それより、店で注文しようとしてたんじゃない?」
「あっ……そうだったわ!!」
和鷹マリは蒼太の右腕をつかんでカフェテラス『ローレライ』へ向かった。
「ちょっ、ちょっと……なんで腕をつかむの?」
「いいもの見せてもらったから、お姉さんがご褒美におごってあげるわよ」
「おごるって、何を?」
「神奈川のソウルフード・焼売よ……神奈川に来たからには焼売を食べないと」
「焼売はハマの中華街でしょ……真樽子のカフェに焼売なんてあんの?」
「ここのプチカフェランチにはあるのよ……ネットで美味しいと噂の手作り焼売よ……高校生なんらロケ弁だけじゃ、足りないでしょ」
「まあ……育ち盛りなんで……」
なんだかんだいって、蒼太はマリとカフェ『ローレライ』の二階の席についていた。
展望テラスには昼過ぎで込んでいないが、それでもカップルや主婦友達、休憩中と思えるサラリーマンなどがいた。
窓からは相模湾の広大な大海原が見え、あちこちに船やヨットが見え、空にはカモメが飛んでいる。
「ねえ、シャレた店でしょ」
「まあ……女子って、こういうこじゃれたトコ好きだよねえ……」
カフェの中央には、チューリップハットに髪の長い女性ギターの弾き語りをしている。
サングラスをかけていて表情はよくわからない。
「……夜空にたなびく青白い流星……天上では綺麗とほめられても……地球に落ちればただの石ころ……昔は輝いていたと屑星が周りの小石につぶやくが……誰も耳を傾けない……失われた愛が欲しいだけなのに……」
唄の歌詞は失恋の悲しさを訴えるものだ……だがそれは、長引く景気の停滞、あいつぐ物価の上昇、生活が苦しい庶民の嘆き、時代の重い空気を代弁してくれるような、物悲しいブルースであった。
暗い曲だが、後半は不思議と希望が湧くフレーズが流れて、心地が良くなる。
カフェの客たちも飲み物や料理を楽しみながら、唄に聞きほれていた。
しみじみと聞き入りながら、蒼太とマリは食後のサービスである紅茶を飲む。
「もしかしたらあの弾き語りさんは、のちのち有名になるかもねえ……」
「俺も唄はドのつく素人だけど、そう思わせるものがあるよ……」
「神奈川県には有名になったアーティストが多いのよぉ……ゆずや、いきものがたりだって、もとは地元の路上ライブから有名になったし、ザザンの桑田にCrystais Kay、ZARDの坂井泉水、ももクロの佐々木彩夏、高城れに、まだまだいるわ……」
「はあ……マリさんって、意外とミーハーなところあったんだねえ……その人たちと、テレビ局で会えた?」
「たまに廊下ですれ違うくらいよ……お堅い報道部だったからねえ……BSに移動するとロケばかりだし……」
おしゃべりをしていると、店員が名物だという真樽子焼売をもってきた。
「あっ……きたきた……ゴチになります!!」
「おあがんなさい……私もいただきます」
洒落た皿に並べられた焼売は湯気をあげていた。 焼売は「焼く」と書くが、絶妙な蒸し加減でもあった。
口の中にいれると、もっちりとした食感で歯ごたえ充分だ。
皮に包まれたたっぷりの黒豚のひき肉が入っていて、とってもジューシーだった。
もう一つを口に入れると、こちらはプリップリッのエビが入っていた。
「うはぁぁ……うまかったぁ……マリさんありがとね」
「いえいえ、どういたしまして」
「焼売っていえば、横浜の崎陽軒か博雅亭と思っていたけど、真樽子焼売もいけますねえ……」
「きっと、もっと有名になるわよ……」
和鷹マリがなんとなく外の風景を見た。
あの倉庫街の一画で、蒼太のいい所を見たのだ。
「……そういえば、あの拓哉って子と話していたけど、蒼太くんの名字って、カイウンジっていうのね……どこかで聞いたことがあるような……」
「気のせいじゃない? よくある名字だよ……和鷹のほうが珍しい名字だよ」
「いやいや……どっちもどっちかもね……私は観光ガイド見ながら真樽子を見て回るけど、あなたもどう?」
「あいにく、こっちは仕事で忙しい身でしてね……」
「仕事? 学校じゃなくて? そういや、学校はどうしたの?」
「今日は創立記念日なんで……ある人に会いに神奈川に来たんだ……そろそろ、海猫岬へ行かなきゃ」
「海猫岬って、あれ?」
和鷹マリが窓ガラスから見える漁港からさらに西側に見える方角……丘陵を越え、山を越え、海にナイフの切っ先のように突き出した岬に視線を送る。
晴れていたのに、東側の山の方に鉛色の雲が広がっているのが見えた。
一雨きそうな塩梅の雲だ。
「そ……海猫岬に突端に屋敷のある墨江さんとこ……」
「ふ~~ん……そう……ええっ!?」
和鷹が仰天して蒼太につめよった。
「墨江って……まさか、海洋考古学者の墨江潮五郎博士じゃないでしょうねえ!」
「ええ……そうですよ……父の恩師なので、ちょいとあいさつに……」
女子アナは椅子から立ち上がり、高校生の右手をはっしとつかんだ。
「私も連れていって!」
「ええっ……なんで!?」
「海底遺跡のことで聞きたいことがあるし、できれば取材したいと思っていたのよ」
「でもさっき、オカルトには興味がないって……」
「海底遺跡の秘密は一般ニュースでも話題になるわ……スクープを取れば、局でも私の存在をほっとうかないわ」
「でも、例のあれで干されているんじゃ……」
「テレビ局はねえ、視聴率が正義なのよ……『ホワット!?㊙ミステリー』ってインチキ番組だって、私が画面に出た時の視聴率がいいから、牟田口さんも私を優遇してくれるのよ」
「へえぇ……でもスポンサーがどうとか……」
「政治屋や大手スポンサーがあたしをクビにしたり、脅しをかけたりしないのは、有名人の私が事件になったら、当然、捜査の手が回るからよ……スネに傷持つ後ろ暗い奴ほど、臆病なほど慎重なのよ」
「へえぇぇ……そんなものですかぁ……それにしても、お姉さん、大した度胸だなあ……末は都知事か大臣か、ってとこだね」
「あいにく今のところ、都知事に興味はないわ……で、墨江博士に取材したいってアポを取りたいんだけど、電話番号教えて」
「いや……墨江博士は例の海洋牧場爆発事件とかで、すっかり人嫌いになっちゃって、家電も携帯電話もとってないんだ……連絡は手紙しかない」
「この時代に、なんてアナクロ!!」
和鷹が右の手の平を顔にあてて天を仰いだ。
「じゃあ、これから家に行って、アポ取らせて……さっそく案内して」
入ってきたときと同様、和鷹マリは蒼太の右手をひっぱって、会計をすませ、カフェテラス『ローレライ』を出た。
「いや、ダメですよ……取材に応じないと思います……メディア嫌いになっちゃったし……おれの話、聞いていました?」
渋る蒼太に対し、美人リポーターは彼の右手をにぎり、さすりさすりした。
さしもの蒼太も、麗貌の女性に見つめられ、頬が上気してくる。
「なら、墨江博士の家までタクシー代は私持ちでどう?」
「えっ!? ホント!!! ……いや、そういう問題じゃなくて……」
「それにしても、墨江博士が海猫岬の突端にある屋敷に住んでいるとは知らなかったわ」
「ええ……海底遺跡の碑文が発見されて、研究が長丁場になると踏んで、貸家を借りたそうです」
「急に私がいっても、会ってくれるかしら?」
「それは任せてください、墨江博士とはぼくの父と家族ぐるみの付き合いでしたらか、大船に乗った気でいてくださいよ!」
「わおっ!! 頼もしい!」
ロケバスでの不機嫌、気だるげな態度とうって変って陽気になった女子アナ。
蒼太ははっと我に返り、
「しまったぁぁ……」
両手で頭を抱えて沈み込んだ。
「ハニートラップに引っかかると、俺もまだまだだな……」
「なに落ち込んでいるの……善は急げよ……タクシーはどこ?」
和鷹が蒼太の右手を引っ張って、埠頭のコンクリ道から、倉庫の間を通って中央通りに出ようとした。
そのとき、海雲寺蒼太は和鷹マリの手をふりきり、彼女をドンと前に突き、自分は後ろに下がった。
「いた……なによ!?」
和鷹マリが不機嫌に振り返ると、高校生がいた空間に、倉庫の狭い隙間からキラリと光る刃物がつき出されるのが見えた。
「きゃああああっ!?」