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「ようこそ、ホームランパーティーへ!」

 なずなのドアを開けるなり、ミューズの大声とそれをかき消すぐらいの破裂音に見舞われた。頭からイタズラっ子みたいな紙屑と火薬の匂いが降ってくる。まとわりつく紙屑を払い、頭を振った。耳元で紙のこすれる音がする。

「ホームランパーティー?」

「なんでもいいんだけどね。どうせなら、ただご飯を食べるだけじゃなくてパーティーにしちゃった方が楽しいじゃん?」

「そういうこと」

 もう一発、駆け寄るゴマ君によってクラッカーが鳴らされた。ミューズにまで色紙が飛んで、ミューズがすかさず投げ返した。

「ゴマオ! あとで掃除しとくんだよ!」

 お母さんの鋭い声。手は大皿二枚で塞がりながらも、危うげなくゴマ君に視線を向けた。

「そりゃ掃除はするけど、僕だけ名指しはひどいって」

 初めて見る夜のなずなは、木の色の壁も相まってやっぱり薄暗かった。陽が入らずに店内の照明だけだと、ランプに灯したような温かい色の光に包まれる。その光の向こうで、壁に見慣れない装飾がされていることに気づいた。エメラルドグリーン色の、大きな真珠みたいな真ん丸が並び、横に波型の列をなしていた。

「パーティだからね。せっかくだから飾り付けしないと」

 ゴマ君が胸を張る。ミューズがすぐさま

「風船足りないじゃん」

 と指を指した。確かに、見えている範囲だけ飾り付けるにしてもあと三メートル分は足りない。

「大丈夫だよ、足りないなら間隔を空ければいんだし」

 ゴマ君は最後尾の風船を壁の端に着け、空白の三メートルを埋めるよう手前の風船からずらし始めた。

「等間隔にしないとカッコ悪いからね。要は風船の数で壁の全長を割ればいいんだから……」

 口から作戦を漏らしながら、ゴマ君はああでもないこうでもないと風船を動かす。手伝おうと風船に手を伸ばした私を、ミューズが止めた。

「ね、それよりさ」

 ミューズが向いた先を見て、その意図を理解した。私は頷き同意する。後をついて歩き始めると、カウンターの奥からお父さんが出てきた。お母さん同様、両手に大皿を持っている。

「月人は間に合うかな?」

「さっき仕事が終わって、あと二十分ぐらいしたら着くって」

「よし、タイミングばっちりだ」

 ミューズの返事を満足そうに聞き、お父さんはまたカウンターの奥へ戻っていった。舞台裏を覗く行為な気がして、私はできるだけ並ぶお皿の中身を見ないようにした。

 あと二十分。ミューズを見ると、余裕ありと言いたげに笑みを浮かべた。ま、いけるでしょ、と軽やかな声が聞こえる気がする。

 私たちは、あの黒板と対峙した。縦向きに置かれていたそれを、横向きに置き換える。この方が、広く空間を使える。構図を練る時間も惜しかった。打ち合わせることもないまま、チョークを手に取り線を入れた。私が顔を描き始めると、ミューズはその周りを彩るように小物を描き入れていく。視界の端で、馴染みのある品々が形を現す。コーヒーカップ、五体の人形、バットとボール、お皿に入った生チョコレート。ミューズの配置は絶妙だった。私がどこに誰を描くつもりか知っているように、重ならない位置に所せましと絵を並べていく。一つ一つの絵が可愛らしいだけでなく、それらが連なってお花畑を作っているように見えた。

 私は、ミューズが空けてくれていたスペースに顔を描き続ける。始めはお父さん。顔の大半が髭で覆われていて、絵にするとふかふかの羊みたい。次はお母さん。餌を取り上げられたボス猫のような目。不機嫌そうで、でも口元は笑っている。その目が見据える先に、ゴマ君を描いた。冷や汗をかいてお母さんから逃げようとしている。茶色い髪を跳ねさせて振り返る様は、トムとジェリーが逆転したみたいだ。次に月人。月人は隣の大騒ぎに気づきもせず、澄まし顔で髪を梳いている。実際に月人が髪を触っているのは見たことがないけど、顔から上であの華奢な思考回路を描こうとするとこんな構図になった。最後にミューズ。右下の広いスペースに描こうとすると、ミューズから声がかかった。

「待って、そこは空けておいて。描くならここが空いてるよ」

 指されたのは、てっきりミューズが続きを描くのだと思っていた空間だった。確かに、言われてみれば一人描きこめそうなサイズになっている。言われた通り、そこにミューズの顔を描く。ここはもう、ミューズの目鼻立ちそのままに描けば正統な美人ができた。なにせこの店の看板娘と言っていい存在なのだから、満面の笑顔で描く。ミューズらしい、大きく口を開けて笑う姿ができた。周囲の人も、一緒に笑ってしまう力をもつ顔。私たちはほとんど息をするのも忘れて、作業にのめり込んでいた。心地よい疲労と感覚で分かる。そろそろ、二十分経つはずだ。

「おかえり月人くん!」

 クラッカーの音と続くお母さんの怒声で、月人の帰りを知る。私たちは顔を見合わせ、絵が見えないよう黒板をひっくり返した。ミューズが持ち上げ、カウンターの方へ運んでいく。

「なんだかずいぶん凝ってるね」

 一人冷静に店内を見渡した。さっき描いたばかりの、イラストのすまし顔が現実になったみたいで可笑しい。

「はい、これを着けて」

 着けてと言いつつ、ゴマ君は月人の背後に周り勝手に白いたすきのようなものを首にかけた。肩から斜めに、金色で縁取られた『本日の主役』の文字が光る。

「これはちょっと、センスが古くないですか?」

 月人が苦笑いで、私に同意を求める。ひとまず私は頷いておいた。

「そんなことないでしょ。はい、お母さんはこれ。あやちゃんはこれ」

「どっから持ってきたんだ、これは」

 タンバリンを手渡され、呆れるお母さんを笑っていたら、私は私で肩から何かを通された。嫌な予感がしてお腹を見ると、やっぱり『本日の主役』が光っていた。

「いらない」

「そう言わないで。せっかく二枚入ってたんだから、使っちゃおうよ」

 ゴマ君は私の返事を待たず、月人をテレビがある下あたりに案内した。

 すでにその正面のテーブルは四個くっつけられていて、大皿がいくつも並んでいる。ちらし寿司や唐揚げ、トマトやアスパラや肉をつまようじで一串にしたもの、輪切りのゆで卵がきれいに並んだサラダなど、家庭のパーティの範囲を超えた華やかな料理が並ぶ。

 その周りに六席椅子が用意され、ゴマ君がお父さんとお母さんを座らせた。月人のいる側がステージかのようにコの字に並べられた椅子に私が案内され、その隣にミューズを座らせようとしたらしいゴマ君が首を傾げる。

「ミューズちゃん? 何してるの、みんな揃ったよ」

「ちょっとだけ待って」

 不思議そうに一人一人を見回すゴマ君と目が合う。私もゴマ君と同じように首を傾げたところで、カウンター裏からバタバタと足音を鳴らしてミューズが帰ってきた。

「ごめん、お待たせしました」

 私の隣に座った時には、早くもタンバリンは隅に追いやられていた。

「じゃあ料理が冷めないうちに。月人くんから乾杯の言葉をどうぞ」

 ゴマ君が手を叩き、つられて私たちも拍手をした。隣のお母さんが、問答無用で私のグラスにビールを注ぐ。姉が酔って床にへばりつく姿が浮かんで、私もああなるかもしれないのか、と乾いた笑いが出た。甘んじて、お母さんのお酌を受けることにする。

 いつの間にやら、月人を含む全員の手にビールが注がれていた。月人の咳払いとともに、再び全員が月人に目を向けた。

「急に言われて何がなんだかだけど、ええと。こういう機会をもつことができるとは思っていなかったので、嬉しい、です」

 本当に急だったらしく、月人は片言のように言葉を途切れさせる。何を伝えるべきか、手探りの様子のまま続けた。

「あんまりマジメな感じになってもいけないかな。だから、サラッと言うよ。みんなの前でホームランを見せることができて、本当によかった。みんな、ありがとう!」

 乾杯にもっていこうと声を張り、月人がグラスを高々と掲げた。呼応して、誰もがグラスを掲げようとしたときだった。

「はい、乾杯は待って!」

 ゴマ君が月人の前に進み出て、制止を呼び掛けた。

「ゴマオ、なんのつもりだ」

 眉をひそめるお母さんの口には、すでに白い泡がついている。

「ミューズちゃん、あやちゃん、僕たちは嘘をついてるよね」

 お父さんとお母さんの視線を受け、私とミューズは必死で首を振った。なんのことやら分からないけど、妙な誤解をされてはたまらない。

「僕たちは、月人くんのホームランを見てない、そうでしょ」

 お父さんとお母さんの視線に、月人の視線まで加わり私たちは逃げ場を失う。ミューズまで慌てて、声が裏返っているのが余計に三人の不審を誘った。確かにホームランの瞬間は見ていなかったけど、立ち会ったのは事実だ。こんな指摘のされ方をするような悪行ではないはず、と言い返したいがどこから説明したものか、言葉が出てこない。ただただ恨めしい顔で、ゴマ君の奇行を非難した。

「ついでに言うならお父さんとお母さんもだ、月人くんのせっかくの晴れ舞台を見ていない。なのに乾杯だなんて、呑気なことを言っていていいんでしょうか」

「確かにホームランは見ていないけど、今はその話の必要はないんじゃないか」

 お父さんが助け船を出してくれた。こともあろうに、ゴマ君はお父さんの優しい促しを真っ向から否定する。

「ダメです。乾杯は、これを見てからでないと」

 これ、と掲げたのは紙袋に入れられた四角だった。見覚えのある大きさと話の流れから、私は推測を口にする。

「DVD?」

「そう! これこそ世界でただひとつ、月人くんがかっ飛ばしたホームランの瞬間が収められた一枚なんです!」

 誰もが顔を上げた。あり得ないという疑いと、もしかしたらという期待が渦を巻く。

「テレビでもやってなかったじゃん。どっから手に入れたのよ」

 興奮気味のミューズを前に、勝ち誇ったようにゴマ君は両手の拳を握り天を仰いだ。

「今日のために、トラトラトリオに譲ってもらいました!」

「マジ!」

 私もミューズみたいに叫びたかった。初めて人前で大きな声を出してみたいと思うほど、想像の外だった。ゴマ君がつけた変なあだ名の、あの三人組。

「どうやったの。お金でも積んだ?」

「いいや。聞いたら普通にくれたよ。コピーだけど」

「へえ。あの三人、動画を撮ってたんだ」

 今度は月人が感心したように声を出す。

「そうなんだよ月人くん。あの日、あの三人も球場に来てたんだ」

「うん、来てたのは知ってるよ。声がよく聞こえたから」

 月人が頷く。これは、あの三人が聞いたら卒倒してしまうかもしれない。

「ゴマオ! もったいつけるんじゃないよ。それは乾杯が終わってからでいいだろう」

 お母さんのヤジを喰らい、ゴマ君が慌てて月人に手で先を促す。

「まったく、もっと僕を褒めてくれてもいいじゃない」

「まあ、後でゆっくり映像を見ましょう。ありがとうございます」

 月人は小さく頭を下げ、再度ビールを掲げた。

「では、楽しみも増えたことですし、今度こそ乾杯」

「ちょっと待って!」

「どうしたの、ミューズちゃんまで」

 自分を棚に上げ、ゴマ君がおいおいと異議を唱える。

「ごめん、後にしようと思ってたんだけど、お酒でワケ分からなくなる前の方がいい気がしてきて」

 ミューズの視線の先に、椅子に根でも張ったようなふんぞり返り方のお母さんがいる。ミューズの制止が間に合わなかったのか、すでにビールの半分は消えていた。

「長くはかかんないから」

 カウンターの方へ向かうミューズを、小走りで追いかけた。何だろうと顔を見合わせるみんなと違い、私だけ急激なのどの渇きがせり上がる。勢いで描いてしまったけど、反応を目の当たりにする段になって怖くなってきた。

 黒板は二人で持つにはやや余るぐらいだったけど、私たちは大事に両手を添えて運んだ。何かが擦れるだけで、チョーク画は容易く台無しになってしまう。

 まだ絵が見えないよう裏向きにして月人の横に並んだ。

 乾杯を待たせていることもあって、ミューズはすぐ私に合図する。

「いくよ」

 ひっくり返し、絵が月人たちの前にお披露目された。ミューズが

「私とあやで描いたのよ」

 と誇らしげに言う。私は急に名前で呼ばれたことに驚いたけど、すぐに嬉しさの方がこみ上げた。

「これは、すごい」

 間近で見た月人がため息に似た声を漏らす。どれどれ、とゴマ君、お父さん、お母さんと順に立ち上がって絵を囲んだ。

「ゴマオが似てるな、特に」

「お母さんこそそっくりですよ。どら猫みたいで」

「なんだって?」

 ゴマ君をお母さんが睨みつけ、私の方が妙な緊張を覚える。幸い二人はすぐに絵の細部にも注目を移し、ミューズが描いた鮮やかなグッズたちを称賛した。

「あやちゃんもすごく雰囲気が出てていいね」

 月人の言葉は、何かの勘違いだと思った。ミューズの顔あたりと私を勘違いしたのだろう、と。でもどうやらそれは違うらしい。

「本当だね。よく描けてるじゃないか」

 お母さんが目を細める。覚えのない話題に戸惑っていると、ミューズが何か目配せを送ってきた。私は手を離し、正面に回って絵を見てみる。

 絵の右下、ミューズが空けておくよう言ったスペースに、女の子の絵が描かれている。首から上と手だけだけど、その手はウェイトレスがお皿を持つように、この絵自体を支える姿にも見て取れた。それがどうやら私らしいことに、ようやく気が付いた。

「いつの間に」

「裏で、大急ぎで描いた」

 屈託なく、ミューズは親指を立てて見せた。

「なんだかあやちゃんのお店みたいだね」

 ゴマ君が微笑む。

「ほら、本日のもう一人の主役みたいだし、ちょうどいいでしょ?」

 一斉に私のたすきに注目が向き、恥ずかしさが押し寄せる。たすきを外そうとした手は、まあまあ、と素早くゴマ君に止められた。タイミングを決めていたかのように、私たちは言葉を止めた。賑やかな時間を楽しみながら、本当は大切な人が足りないことに気づいていた。ゆっくり、割れ物に手を添えるように様子を窺う。

 一人席に戻っていたお父さんが、メガネを外し、肩を震わせている。何度も手で目元をぬぐい、表情を隠すよう顔を下に向けていた。

 ふっ、とミューズが薄く笑う。

「どうしたの? 私の絵が上手すぎて感動した?」

 冗談で言ったのだろうけど、お父さんは噛みしめるように頷いた。何度も頷き、声を絞り出した。

「こんな日がくるんだなあ」

 私たちは黙って、その感慨に聞き入った。もっと聞いていたかったけど、気を遣ったのかお父さんは大きく首を振り、どうにか感情を立て直そうとする。次に顔を上げたときには、目こそ赤いもののいつものお父さんの顔だった。

「それにしても、申し訳ない」

「何が?」

 ミューズが首をすくめて尋ねる。

「せっかく描いてくれたのに、こんな黒板じゃすぐに消えてしまうだろう」

 お父さんが黒板に向けて目を凝らすと、また涙が浮いたようで目元に手を当てた。

「なんだ、そんなこと」

 ミューズは心底気の抜けた声で言った。安心して、と言い聞かせるように拳を胸に当てる。

「また描くから大丈夫だよ。ね?」

 ミューズの視線に、もちろん、と意をこめて頷いた。頷いたあとで「あ」と声が出た。危うく忘れるところだったけど、寸でのところで喋るという行為を思い出す。

「もちろん、何度でも描くから大丈夫です」

 お父さんが微笑み、髭の奥からありがとう、と掠れた声が聞こえた。

「さあもういいだろう、乾杯だよ」

「ああ、忘れてた」

 月人が呑気に口を開ける。

「まったく、ゴマオが乾杯を止めるからこうなるんだ。飯が冷めるだろう」

「僕のせいですか?」

「月人、今度が本番だからちゃんと決めてよ」

 耐えきれなくなったように、それぞれが思い思いの言葉を口にしながら席へ戻る。ゴマ君がお父さんの肩を叩き、何やら労った。お母さんはとうとうビールを飲み干し、私はミューズがたすきをより固く結ぼうとするので、なんとか逃れようと体をよじっていた。

「あー、なんだか誰ももう聞いていないようですけど、今日は楽しみましょう。乾杯!」

「カンパーイ!」

 ちゃっかり耳だけは全員月人に注目していたようで、練習していたみたいに声がそろった。私がビールに手を向けた隙を狙って、ミューズがたすきの端を堅結びにしてしまう。項垂れる私を見て、月人が笑った。あとで月人も同じ目に合わせてやろうと思う。

 笑い声やら、ぶり返してきたすすり泣きやら、いろいろと混ぜこぜになった景色を見て思う。

 この光景を守りたいと思って良かった、と。

 次は何を描こう。まだ、球場中が月人の打球に心を奪われたあの瞬間を描くことだってできていないのに。描きたいものがたくさんあって困る。

「ねえ」

 私の声に、ミューズが振り向く。幸せたっぷりの、満ち足りた顔。

「なんでもない」

 なにそれ、とミューズが首を傾げてから吹き出す。つられて私も笑った。お腹を押さえて、ミューズみたいに大きな口を開けて笑った。


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