表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

14

 ひと昔前までは、顔の見えない場所にいる相手の気持ちを知るために大変な努力を要しただろう。目当ての相手が出るとは限らない家の電話を頼るのか、手紙でもしたためて悶々とするか。それが打って変わって、手のひらの中で全て成り立つのが現代、のはずだ。

 ではいまだに、ミューズもゴマ君も月人も、誰一人どうなったのかを知らずに一週間も手をこまねいている私はなんなのだろう。私の手の中にあるスマホは、どうでもいい世間の声を無限に集めるのに必要な情報は何ひとつ仕入れてくれない。

 いっそ、手紙の時代の方がよかったのかもしれない。指先ひとつでできるはずの行為だからこそ、私は弁明のしようがない。つまり、一週間経過しても何の連絡も情報もなく、孤立無援のような状態に追いやられているのは紛れもなく私自身が悪い。頭では分かっている。あんな誰も望んでいないタイミングで、重大な秘密が公にされた後だ。月人やミューズは落ち込んでいても不思議ではないし、ゴマ君はあの荒れようだったうえに、そもそも私の連絡先を知らない。その後の状況を知る手がかりがまるでないがために、ああでもないこうでもないと想像しては、ただひたすらに不安ばかりが募っていった。

 姉に相談をしたのは三日ほど前だ。本当は相談するつもりはなかった。相談すれば、私があの場で何もできなかったことを窘められると思った。あるいは、その前に私が月人の前から逃げ出したことをぶり返して、さらにお互いが苛立つ結果になる気がして避けていた。

 でもそれも、姉から月人と会ったのか尋ねられ、説明をしているうちに結局一部始終を話していた。話しているうちに、姉から窘められることなど些細な問題な気がした。

 姉は窘めなかった。代わりに

「そうやってあんたが不安になってても、誰も得しないでしょ」

 と涼し気に言ってコーヒーを飲んでいた。

 あの日の永島さんという広報を交えたやりとりと、姉から言われた言葉とが頭の中で延々繰り返された今日、私は立ち上がった。部屋のパソコンデスクから離れ、出かけるために服を着替える。最低限に身なりを整え、鏡を覗き込む。もう、何もしないでいるのは限界だった。知らずにいる不安が大きくなりすぎて、知る怖さを随分前に飛び越えていた。

 心の中で姉へ言い返す。不安だって、役に立つことがあるよ。スマホとポケットティッシュとリップクリームと手帳を掴み、バッグに放り込んだ。なずなへ向かうことしか考えられなかった。自分の目で確かめたいと思った。ミューズに呼び出され、不安いっぱいでなずなの前に立った時のことが頭をよぎる。

 自分でも不思議だった。ミューズという知り合いの実家の店とはいえ、私にとっては数回行っただけの喫茶店だ。それが、なぜか特別な存在に感じている。どうか壊れないでと、切実に願っている。なずなの黒板に絵を描きたいと思った時もそうだった。どうやってあんな大それたことを思いついたのだろう。

 私はなずなのカウンター席についた。目の前には主にお父さんが水仕事をするスペースがあるから、自然とお父さんの定位置のようになっていた。もっとも、私が見てきた限りだとそこにお父さんがいるからといって会話をしているお客さんは多くはなかった。カウンター席が埋まる優先順位はテーブル席の次で、他の席に座り損ねた一人客が新聞を読んでいる印象が強い。

「この間は、変な話に巻き込んでしまったね。あっちの広い席が空いているけど、ここでいいの?」

 お父さんは意外そうに尋ねた。私が頷くと、小さくヒゲを揺らして笑顔を見せた。私自身、この席に座ったからといってどうするのか考えがあるわけでもない。ただ、言葉を伝えられない私にとって、できる限りの意思表示でもあった。その後、お変わりはありませんか? 学生のミューズはともかくお母さんまで姿が見えないのは、たまたま不在にしているから? 

 心の声を差し置いて、私はメニュー表からブレンドコーヒーを指す。できるだけお父さんの目を見て、横柄な印象にならないよう努力した。

 コーヒーが運ばれ、考えてみれば久しぶりに一人で味わっていた。誰かといるときと違い、なかなか冷めないコーヒーをすすっては、私の求める何かが無いか店内に気を巡らせる。なずなの店内はお母さんとゴマ君がいない以外は変わらなくて、何も知らなければ疑問にも思わなかっただろう。でも私は、一週間前のことを知ってしまっている。わずかな店内のレイアウトの違いさえ意味深に見えるほど、過敏に情報を集めていた。

 お父さんは以前と変わりがないように見えた。落ち着いていて、だからこそ私からすれば情報が無くて焦る。あれからみんなはどうしているのか、無性に知りたい。

 話しかけてしまおうか、自然とそんな考えが浮かぶ。先週、電車の中で車掌さんと話せたことを思い出す。そうだ、あれと同じように、声を出して話してしまえばいい。

 今だってきっとできるのだ。自信とともに、あの時と同じ妙な焦りが湧いてくる。喋って、本当にいいのだろうか。何かをずっと怖がっていたはずじゃないのか。何を怖がっていたんだっけ。恐れるものの正体が分からないことが、新たな恐れを生む。話せばもう後戻りできない。何から何に戻れないのかも分からないのに、ただ怖くて踏み出せない。

 コーヒーカップを口につけると、中身が無くなっていた。店に来てから、ほんの十五分かそこらだろうか。もう一度、お父さんに話しかけるか考えてから、やっぱり私は店を出た。お母さんもミューズも月人もゴマ君も。結局顔すら見ていないことに後ろ髪を引かれても、他に選択肢が思い浮かばなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ