第1話 アムルラビットの真紅の爪付きの肉球(4)
「ユメリア氏、聞いたぞ、例の肉球だが、保管中に爪が根元から剥がれたらしいな!」
二日後、開館した博物館の事務室に、プラムが血相変えて飛び込んできた。ユメリアは、冷めた目で彼女を迎え入れた。リオナとクローゼは、机の上で、打ち合わせ通り黙りこくっていた。
「ああ。何がレアアイテムだよ。ただ、奇形の骨が一本飛び出していただけの代物じゃないか」
「そ、そんな馬鹿な」
「それに、風化に滅法弱いときた。研究所みたいな清潔な場ならともかく、この博物館や街の市場みたいな雑多な空気の場では、あっさり普通の肉球に逆戻りだ。レアアイテムの定義を知らないわけじゃないだろう」
「あ、ああ……」
「研究所まで保つのはいいけど、そこを出た途端もとの肉球に逆戻りじゃ、市場じゃ値段はつかないぞ。レアアイテムの価格の高騰や暴落による経済の混乱を予防するのも、この博物館の務めだ。売った後姿が変わる可能性のある、そんな危ない橋のようなアイテムを、私、そしてこのレアアイテム博物館はレアアイテムとして認めないからな」
事前に決めておいた台詞を、ユメリアはプラムにすらすらと言い放ってみせた。う、と彼女はたじろいだ。
「しかしだな、研究所にあった段階では間違いなくこれは該当すると思ったのだが……」
「それならむしろ感謝しろ。展示期間がほんの一、二時間だけだったから、まだ碌に人の目には触れてない。研究所の赤っ恥案件を、一つ防いでやったんだからな」
プラムは、ユメリアの言葉に肩を落とした。
「ユメリア氏、相変わらず辛辣だな……確かに、それが本当なら、我々研究員一同、もう一度初心に返って業務を見直さなきゃいけないだろうな……」
そのプラムの姿をみて、ユメリアがにぃ、と笑った。
「そうそう。物わかりがいいな。さすが仕事が出来る人間は、反省も早い。なあに、これに懲りず、また何かあったらレアアイテムを持ってくればいいさ」
「ああ、そうさせてもらうよ。それじゃあ、アムルラビットの件は、その結論で研究所に持って帰るようにしよう」
「そうそう、そうしてくれ」
ユメリアが勝利宣言の如く言い切った。だが、最期に研究員の、当然の反撃が待っていた。
「それで、その肉球と、落ちた爪は今どこに?」
プラムの発言に、事務室の中が一瞬静まりかえった。プラムは室内に漂ったその不穏な空気に、ん?と眉を寄せた。
「おいユメリア氏、聞こえないのか。肉球と爪は、どこにあるんだ」
「え、えーとあれね、バケットが運んでいるとき、烏がやってきて、咥えてっちゃったよ。いやあ、烏は光り物だけじゃなく、可愛いものも集める習性があるんだなあ」
ユメリアの空々しい言葉に、顔を伏せたクローゼから、やはり苦しい……との声が漏れたのをリオナは聞き逃さなかった。
「烏が持ち去った? あのバケットがそんな失態を犯すか?」
「いやあ、バケットも意気消沈していたからなあ。まあ、あれは結果ただの肉球だったんだから、いいじゃないか。前途有望な君は、これからもどんどんやってくるであろう新しい素材のほうに力を入れタマエ! はは、あはははは」
その後、当時の状況を詳しく知ろうとユメリアにあれこれと追及していたプラムだったが、結局は仕事の時間が来てしまったため訝しむ目つきをしながら博物館から去って行くことになり、その後ろ姿を見送ったユメリアが、ふうーと一息ついたことで開館直後のこの騒動は一旦終結をみることになった。
「いやー、なんとか凌ぎ切れたな」
「いや、どうでしょう……プラムさん、最期までめっちゃ疑ってましたけど……」
「よーしバケット、出てきていいぞ」
そう言ったユメリアの足下から、やや白衣をよごしたバケットがぬっと現れた。
「ねえ館長、私べつに隠れなくてもよかったんじゃない?」
ぱたぱたと服に付いた埃をはたきながら、バケットが不満を口にする。
「なに言ってるんだよ。自覚ないな。お前は、顔に出すぎるんだよ。あの肉球を還した時みたいな顔をされても、困るじゃんか」
「う、それは、たしかに……今でも無念だけど」
バケットが反論できずに言葉に詰まった。
昨日、休館日を使い、この四人で、アムルラビットの真紅の爪入りの肉球を持ち、再度アムルの森へ向かった。再び出てくる、と言う確証はなかった。だが、例の場所で根気よく待っていると、独り立ちしたばかりの個体と思われるアムルラビットが、ひょこっと姿を現した。そのアムルラビットは、バケットが抱えた肉球を、じっとみつめて動かなかった。間違いない、と判断した一行は、その爪を、そのアムルラビットの前にそっと置いた。そのアムルラビットは、何かを確かめるように、その爪に触れ、匂いをかぎ、その周囲を回ってみたりしていた。そしてひょいとその大きな肉球を、それよりもやや小さい自らの肉球で掴み、茂みの奥へと消えていった。ユメリアはリオナと目を合わせたあと満足そうに頷き、クローゼは瞳に涙を浮かべてバイバイ、と手を振り、バケットはクローゼとは恐らく違う意味での涙で顔を歪めながら、そのアムルラビットの消えた方向を見送ったのだった。
「さようなら……さようなら、私のレアアイテム……嗚呼、つかの間の真紅の輝きよ……」
宙をうつろな目で見つめながら、バケットがぶつぶつ呟いている。
「しかし、よく決断したな。あのアイテムを手放すなんて」
リオナの問いに、若干照れくさそうにユメリアが答えた。
「別に、情が移っただけ、ってわけじゃないよ? この博物館の設立目的は、レアアイテムの所蔵数を増やすことじゃないからね」
「レアアイテムと、そのレアアイテムを通して、我が国で人、動物と共に存在するモンスターへの理解を深める、ですね!」
「そうだ、クローゼ。そして、それにより自己防衛の術を学び、また余計なモンスターの殺生を予防し、三者がより良い形で共生できる理想の国作りへの橋渡しの一つとする……」
ふう、と一息いれ、声をやや落としてユメリアは続けた。
「モンスターの殺戮の助長なんて、父さんの望んだことじゃないからね。あんな入手条件のアイテムなんて、展示しないほうがいいんだ」
「ああ、でも、あの爪の色が、光沢の艶が頭から離れない~」
悶々としているバケットにクローゼが後ろから近づき、ぽんと両肩をたたいた。
「大丈夫! 今日はそんなバケが元気になる、とびきりの情報があるんだよ!」
「え、情報? クロ、なにそれ」
「んふふ~」
「おい、クローゼ、まさか……」
ユメリアが、あだ名で呼び合う二人の意味深な会話を受けて表情を不安そうにした。
「今日仕事終わり、ユメ館長がご馳走してくれるって! ぱーっと、今日は久しぶりに思い切り飲み明かせるよ!」
「うお、マジか、館長! でも、どうして?」
「ちょっ、クローゼ、それはお前だけだって――」
焦るユメリアに、クローゼが再度ふふん、と何かを含めたような笑みを見せた。それを受け、う、とユメリアはたじろいだ。
「いいじゃないですか。どうせなら、皆で、ぱーっと行きましょうよ。閉館後、ネネアさんも入れて、時間が合えばリオナさんも勿論、一緒に、ね」
「いや、でもな……」
「もう、そんなケチなこと言わないでくださいよ。ユメ館長、いつも言ってるじゃないですか。オ・ト・ナ、なんだから、一回の宴会くらい、たいしたことありませんよね?」
ルクが現れたとき、ユメリアは部下を盾に、自分の事をとっさに子供だと言って難を逃れようとした。それをクローゼは若干根に持っていて、謝罪と周囲への緘口令の意味合いとして、いっときの散財をやむなくされた、ということらしい。
「よし、俄然やる気が出てきたぞ! よっしゃ、クロ! 夜のために、さくっと仕事終わらせよう! 私の仕事も手伝ってね!」
「もっちろーん! 今日は、そのために来たんだから!」
同期二人が盛り上がっているなか、ユメリアは一人、ぐぬぬ、と唇を噛みしめている。
リオナは、そんな事務室の様子を見届けた後、室外に出た。
今日も、博物館内の警備の仕事がある。
事務所を出てすぐ目の前の手すりからは、館の中央棟を一望できる。階下からは、ネネアが開館の準備をしている様子が伝わってくる。
「はあー。まあ、いっか。リオナちゃんと久しぶりに一緒にご飯いけると考えれば」
とぼとぼと背後にやってきたユメリアが、リオナの横に立った。そのまま二人して、ネネアの働く姿、そして展示されているレアアイテムの数々を眺めていた。
「……思い出しちゃった?」
ユメリアの問いに、リオナは無言で答えた。
心が、掻き回される。
あの冒険者の周りに重ねられた、アムルラビットの亡きがら達。死体の山。
村。叫び声。自分の背中を突き飛ばす、母――
頭の中を黒いものが支配する前に、ユメリアが言った。
「いいんだよ、リオナちゃん」
なにがだ、という視線を投げかけると、ユメリアは、こちらに向き直して両手を広げた。
「過去を思い出して泣きたくなったら、私の胸を使っても。ほれほれ」
その唐突な提案と、ほら、としきりに催促するその仕草があまりに可笑しくて、リオナの心の波が和らいでいった。
出会った頃から、そうだった。
彼女の、自分より身長でも年齢でも上回る相手に対し、大きく見せようとする精一杯の仕草や言動。
照れ隠しのための、リオナへの「ちゃん」付け。
博物館の館長という立場になり、その責任が肩に覆い被さってきたあとも、それは変わらない。どこかで、無理しているかもしれない。だが、それをサポートするのが自分の役目であると、リオナは自覚していた。
娘を頼む、と今際の際に告げたユメリアの父、ブラットン=デニツァードに言われたからではない。
出会った頃の幼い彼女の所作ひとつひとつに、どれだけリオナの滅びかけていた心が救われたか。
ユメリアと、この博物館を護る。それが自分の今の生きる意義そのものだと、リオナは堅く思い定めていた。
「ほらほらー」
そう言って手を広げて身体をくねくねさせている博物館の長に、リオナは近づいた。
それが、ユメリアの虚をついたらしい。てっきりリオナがいつものようにスルーして仕事に就くと思っていたのだろう。え、と目を丸くした彼女は、身体を一瞬硬直させた。
「え。ちょっ、待っ」
だが彼女の動揺にもリオナは構わず、さらに近づいた。固まったままの彼女の両手の間に自分の身体を滑り込ませ、上から彼女を見下ろす。
息がかかる距離まで近づかれたユメリアは、その姿勢のまま、恥ずかしさと動揺と困惑の入り混じったような真っ赤な顔をし、リオナを見上げていた。
「あ、あの、リオナちゃん……ここは、その、事務所の前だし、だれか出てきたら見られちゃうし……」
「そうだな」
「だから、その……まずいっていうか、あの、それにまだ心の準備が……」
「俺は構わないがな」
そう言い放つと同時にリオナは腕を彼女の視界に入るように少し動かした。それをみたユメリアは一瞬びくっとし、なにかを覚悟したかのように強く眼を閉じた。
彼女の肩に手を置く。リオナの目の前にある、わずかに震えているユメリアの紅潮した顔――が、くるりとリオナと同じ方向を向いた。
「え」
呆けた声が、彼女の後頭部越しから聞こえた。リオナは、向きを一八〇度返させたために交差した自らの手を、ユメリアの両肩におき直し、そのまま前に押しやった。
「開館だ。仕事にいくぞ」
「――!!!」
半分こちらをむいた彼女から、大きく目を見開き、口をぱくぱくさせた表情がうかがえる。そのまま問答無用に一緒に歩かされたユメリアだったが、階段そばまでやってきたところで、やや落ち着いた調子で口を開いた。
「雇い主を、おちょくって……リオナちゃん、覚えときなよ」
「ああ。よーく覚えておくさ」
直後、弾かれたように、ユメリアがリオナの手から逃れた。
「よし、じゃあ早速ひとつ言い渡しちゃおうかな」
その顔からは、先ほどまでの余韻は消えて、いつもの威丈高な彼女のそれにもどったように見えた。
「あのさ、この間の夜の騒動のときにも言ったけど……」
階下から、賑やかな音が伝わってきた。どうやら、開館となり、朝一番の来館客が入ってきたようだ。館内全体が一気に生命力を吹き込まれたような空気となった中、ユメリアは切実な響きをもった声で訴えてきた。
「当たり前だけど、私一人だけには、このレアアイテム博物館を守れる力はないんだ。だから、みんなの……リオナちゃんたちの力が必要なんだ。だから、また、今回のようにまた色々と問題が起きたら……」
リオナは、黙って、目の前の少女の言葉を、真っ直ぐと、目を逸らさずに受け止めていた。
「また、あなたのその力を頼っちゃうけど、いいかな……」
「ああ」
リオナは間髪入れずに答えた。
「俺は、この博物館の警備兵だぞ。俺にとって、雇い主親子の命令は、絶対だからな」
第1話 終
第1話はこれで終わりです。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第2話をほぼ書き終わりましたので、読み直したあと、近日中に更新予定です。
2話は複数の敵と戦ったり、職場トラブルが勃発したりとなんかイロイロあります。