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第1話 アムルラビットの真紅の爪付きの肉球(3)

「いやー、さすがに普通のとちがって怪物馬車だと早いなー」

 アムルの森の入り口に降り立ったユメリアの快哉に、仕事の相棒を怪物と称された業者がじろりと目を向けた。その視線に気付いたクローゼが、慌てて仕事内容を注文する。

「あ、あの、完全な日の入りまでには戻ってきますから、ここで待っててくださいね。こ、これが前金です!」

 頭を下げ料金を払う部下など目に入っていない様子で、ユメリアは肩で風を切るように森の中へ進んでいく。リオナは、ゆっくりとそれに付いていった。

「それでさ、気配はある?」

 数歩進んだところで、ユメリアが振り返り聞いてきた。

「日暮れまであと数時間というところか。普通の冒険者なら、帰りの時間も考慮して、そろそろ引き揚げようかというところだが……」

 リオナは、周囲に目を配った。

 まもなく訪れる夜の闇を予感させる、翳りを帯びた濃い緑の木々。遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声。かすかな風に揺れる葉のゆらめきと音。幾多の冒険者をはじめとする過去の訪問者が踏みならした獣道に、その上を這う小さな虫たち。

 何かが始まると予感したのか、ユメリアと追いついてきたクローゼも押し黙っている。

 直後、リオナの感覚に、引っかかるものがあった。

「居るな。一つ、ここから北東の位置だ。異様な気配がある」

 おお、とクローゼが感嘆の声をあげる。

「よし、ここまで来たなら、是非とも遭遇したいな。とっとと行くか」

 ユメリアが、そこまでの距離も聞かず、足早に動き出した。

 リオナが察知した方向は、森の深部だった。もれなく、闇に覆われ、視界も完全に遮られるような場所だろう。慌てるように、クローゼがユメリアの背後に縋りながら問いただす。

「あの、ユメ館長。そもそも何故アムルの森まで来たのか教えてくれませんか?」

「行けば分かるよ。なあ、リオナちゃん?」

 こちらを向いたユメリアの表情は、少し意味ありげに見えたが、リオナは黙って頷くだけだった。

 

「あ、牙コウモリだ!」

 クローゼが発見したのは、アムルの森ならずとも、シェルナ近郊の森林には割と多く棲息する夜行性のモンスターだった。通常のコウモリより大柄で、その牙による殺傷能力は高い。だが、基本警戒心が強いので、こちらから仕掛けない限り、人間に襲いかかってくることは滅多にない。

「もう牙コウモリが出てきたってことは、もう夜が近いってことですね」

「夜……闇……ひと組みの男女……」

 ユメリアがぶつぶつとなにごとか呟いている。リオナがいやな予感を抱いていると、彼女は意味ありげに視線を投げてきて、わざとらしく甘えた声をだした。

「いやー、夜になって何も見えなくなったら、こんなか弱い乙女なんか無力だよねー。もし誰かに変な気でも起こされたら、助けに来てくれる人なんて誰もいないし、私なんか抵抗できずにあっさり襲われちゃうなー」

 存在を無いものとされた部下のクローゼが、げんなりした様子でユメリアに言う。

「ユメ館長、いつも思うんですけど、よく師匠に訴えられないですよね……」

「な、なんだよ。クローゼ、上司に向かってその顔は。今はまだ暗がりでもしっかり見えるんだぞ」

 その時、リオナはしっと二人を制した。ほら怒られた、とクローゼが小声で囁いたが、勿論そんなことではない。

「居たぞ。あの大木の向こうの広がりだ」

 リオナが指し示す方向に、女性陣は眼をやった。恐らく二人は遠くてまだ見えないだろうが、その方向に、その気配がある。

「二人は待っているか?」

 その問いかけを、二人は案の定はね返した。

「もう。ここまで来たのにそりゃないですよ、師匠」

「本当だよ。ほら、さっさと行って、止めてこよう」

 予想通りの反応に、リオナは軽く頷いて、その方向へ歩き出した。二人も、確かに後ろから付いてくる。

 わずかに、嘆くような、呪詛にまみれたような、そんな声が聞こえてきた。と同時に、鼻をつんざく異臭も同時に感じられる。どうやら、危惧した事態が起こっているようだ。

「なんで、なんで手に入らないんだよ……あの時は、確かに……」

 はあはあ、と荒い息遣いが聞こえてきた。リオナは、ガサリ、と草の音をならして、遠慮することなくその前に出た。

「わ。な、なんだ、お前ら!」

 こちらに気付いた男が、驚きと恐怖の入り混じったような叫びをあげた。

「うわっ、これは……ひどい」

 続いて出てきたクローゼが、悲鳴に近い声をあげた。その後ろからユメリアも、うげ、と洩らす。

「あまり、褒められた行為ではないな。モンスターといえど、そいつらは害のない種族のはずだ。知名度欲しさとはいえ、やりすぎじゃないのか」

 リオナの諫めの言葉に、男は、びくりと反応した。

 その手には、アムルラビットの死体。しかも、その一体だけではない。男の周囲には、十には届くかという、朽ち果てたアムルラビット。そのどれもが、剣による切り傷で討伐されているように見える。無残にも、手だけを切り落とされた状態で。

「お、お前ら、何だってんだよ。あっち行けよ。俺は急いでんだよ」

「おい、お前、この間、研究所にそいつの肉球を持ち込んだ冒険者だろう」

 ユメリアが、一歩前に出て、語気を強めた。わずかだが、男はびくりと反応した。

「な、なんでそれを……」

「ひょっとしたら、こんなことになるんじゃないかと思ってたんだ。研究所が、博物館に要収集情報の要請をした。それはつまり、発見者は、そのレアアイテムの収集条件を確立できなかった、ということだ。聞くと、お前は間違いなく剣による斬撃で倒したと、主張を一貫して曲げなかったそうだな」

 ユメリアの言葉に、男は言葉少なに同調した。

「あ、ああ、そうだよ……」

「しかし、研究所はそれを退いた。すぐに、そのレアアイテムの真の入手条件を探ろうとする研究所側の人間や、館内の「要情報収集」の噂を聞いた冒険者がこの森に殺到するだろう。だから、その前になんとしてもお前は自分の主張が正しいと証明する必要があった。だから、本当に手に入るまで、この森で、こんなことをしでかしているわけだ」

「こ、こんなことだと……」

「分からないのか。さっきリオナちゃん(こちらの私の年上の彼氏のことね)が言っていたように、害のない、殆ど愛玩動物に近いモンスターを脇目も振らず討伐しまくるなんて、一種の殺戮行為だろ。ひょっとしたらそんな馬鹿な行いはしないだろうと思ったけど、まさか本当にやってるなんてね。見に来て良かったよ」

「ば、馬鹿だと。貴様ら……」

 ユメリアの言葉に、冒険者の頭に血が上っていくのがはっきりと分かった。そろそろ危険かもしれない。だが、次はクローゼだった。

「あなた、冒険者に課せられた、一日のモンスター討伐制限数を知らないわけじゃないですよね。あなたがどの階級か知りませんが、明らかに、これはその上限を超えています!」

 クローゼは続けて、文章が目の前にあるかのように、すらすらと口を開いた。

「いいですか。冒険者規約その十二、冒険者には、一日に討伐できるモンスターの数に制限を設けるものとする――」

「但し、自らの身に危険が及ぶ場合は、その限りではない……」

 男が、ぼそりとクローゼの説明に付け加えた。その表情からは、さきほどリオナ達が現れた時の焦燥などの様子はみてとれない。

「お前ら、さっきから、好き放題言ってくれやがって。殺戮だあ? ただ冒険者がモンスターを倒してるだけだろ、皆やってることじゃねえか!」

 青筋を立てて、男がわめきだした。クローゼが、少し怯みながらも反論を試みる。

「だ、だから、討伐の制限数が……」

「おれにとっちゃ身の危険なんだよ! あの時、本当に俺が斬っただけで手に入ったんだ。穴蔵から出てきた親子で、子供は逃がしちまったが、親を斬ったら、手の部分がいつもと違う感じで落ちたんだ。そしたら、それがいつもと違ったやつで……! それをみた時の俺の気持ちがわかるか? 長いことくすぶってた俺にやっと訪れたこのチャンス、訳の分からない難癖で手放してたまるかよ」

 ふう、と今度はユメリアがため息をついた。

「難癖か。プラムやバケットが聞いたらなんて言うかな」

「そう、そのプラムって女だ。根掘り葉掘り聞いて、期待させるだけさせておいて、結果、入手条件の確定は保留だあ? ふざけやがって。だから俺がこうして、また手に入れてやろうとしてるんだよ! もういちど見せてやれば、今度こそ納得するだろうぜ。そしたら俺が、モンスター名鑑に名を連ねることになるんだ!」

「それで、手に入ったのか? アムルラビットの真紅の爪付きの肉球は」

 リオナの威圧感によるものか、それとも今までの自分の成果によるものか、男は、う、とたじろいだ。

「い、いや、まだだ……だが、こうやって倒していけば、そのうち……」

「本当は、薄々気付き初めているんじゃないのか。本当の入手条件は別にあるということを」

「ぐ……くそ……」

「今ここで止めたら、冒険者規約に若干違反しただけで、大したお咎めはないだろう。さっさと引き揚げたらどうだ。お前のためでもあるぞ」

「お、俺のためだと? そんなの、制限数を超えた時点で、何の慰めにもならねえ!」

 規約違反を犯した冒険者は、当分、ギルドのクエストを受注することは出来ない。期間はその罪量によるが、共通しているのは、名鑑記載などの名誉号は、永久に剥奪されてしまうということだ。

「個人名が、消されちゃうんですよ。某冒険者、という表記にされてしまうんです。それくらいしないと、違反を犯す冒険者は絶えませんからね」

「なるほど、某冒険者じゃあ、女にはモテないわな」

 ユメリアが納得したように頷いた。

「お前らさえ……」

 ん、とユメリアが反応する間に、男が、手に持っていたアムルラビットの屍体を、草むらに放り投げた。リオナは、その屍体を目で追った。

「お前らさえ来なければ、ここで起こったことは、誰も知らねえ……俺は、なんとしてでもモンスター名鑑に名を載せてやるんだ!」

 切羽詰まった冒険者による逆上。リオナは、これを危惧していた。そして、それに対処するためにここに来た。

「二人とも、後ろに――」

 下がれ、とリオナが言おうとしたところだった。

「師匠、待ってください、私にやらせてください。あんな冒険者の風上にも置けないやつ、許しておけません!」

 一歩、クローゼが前に躍り出た。

「クローゼ、大丈夫か」

「ええ。この機会です、師匠に教わったことを活かし、あいつをぶちのめしてやります!」

「よし、じゃあリオナちゃん、ここはクローゼに任せて、高みの見物といこうか」

「お前ら、俺を放っといてごちゃごちゃ言ってるんじゃねえ!」

 男が剣を中段に構えながら叫んだ。今にも、襲いかかってきそうな剣幕だ。

「リオナちゃん、もしもの時は……」

「ああ、分かってる」

 ユメリアの小声に指示に、リオナは視線を前方から離さずに答えた。クローゼは、基本となる構えを取り、男に対峙している。

「来い、このクローゼ・フェルナウス、渾身の技を見せてやる!」

「この……女ごときが、粋がってるんじゃねえ!!」

 何かが弾けたように、男が突進してきた。すかさず、クローゼが叫んだ。

「〈三色一体の剣〉エレメント・ソード!!」

 その瞬間、クローゼの両腕から、赤、青、黄色の炎が、渦を巻くように現れた。それがそのまま、クローゼの手をつたい、その両手で握られた剣へ収束していく。そして、刃にその三つの炎が吸い込まれたかと思うと、ほのかな金色に輝いた。

「見るのは久しぶりだな、クローゼの炎・氷・雷の複合属性の剣」

「な……一度に三つの属性を操ってる……お前、まさかエレメントマスターか!」

 男が立ち止まり、狼狽した。そう、クローゼは、冒険者多しといえど、滅多にその素質を持つ者がない、本来であれば一人一つしか備えることが出来ないエレメントを同時に三つ扱えることが出来る、通称エレメントマスターと呼ばれる冒険者なのである。

 戦闘技術はまだまだ発展途上で、ユメリアの依頼と本人の強い志願もありリオナが稽古をつけてやっている段階なのだが、若くして三色属性持ちというだけでその素質と将来性は十二分にあり、そしてその点をユメリアに見いだされ、博物館専属の冒険者として雇い入れられているのだ。

「いくぞ、お前なんか、師匠の手を煩わせるでもない!」

「う……く、くそがあああ!」

 男が踏み出すと同時に振り下ろした。それをクローゼが受ける。両者が、刃を十字に交錯させ、相まみえる形になった。

「やあっ!」

 クローゼが活と共に、男の剣を弾き飛ばす。男は剣を掴んだままだが、体勢が崩れた。そしてクローゼがその隙を逃すまいと一歩踏み出し、男の空いた胴をめがけて打ち込みにいく。

 勝負あり――と思ったのは、クローゼだけだったかもしれない。男は崩れたと思われたところから、軸足を回転させて半身を翻した。

「な――」

 驚愕したクローゼのみぞおちに、男の見事の回し蹴りが入った。鈍い音と共に、クローゼは二メートルほど吹き飛ばされた。倒れたクローゼの元に、男が下卑た笑みを浮かべながら近づく。

「なあんだ、見かけ倒しじゃねえか。せっかく自慢の三属性も、当たらなきゃ意味ねえもんな」

「う、く、くそ……」

 クローゼが仰向けから起き上がろうとしたが、その顔に男の剣先が向けられる。クローゼは、悔しさと恐怖がない交ぜになったような顔をしていた。目には、わずかだか涙も浮かんでいる。

「おっと、お前ら二人も動くんじゃねえぞ。その瞬間、この女の可愛い顔に傷が付くぜ」

「し、師匠、わ、私なんかに構わず、こいつを……」

 強気な言葉とは裏腹に、クローゼは歯がかみ合っていなかった。

「へへっ、そうだな、まずは男、お前が近づいてこい。武器を捨てて、ゆっくりとな。お前が先にぶっ倒れてくれりゃ、残った女二人は、命だけは助けてやるよ。もっとも、その前にお楽しみの時間くらいはもらうかもしれないけどな」

「ゲス野郎が……」

 リオナの耳に、ユメリアのあるかなきか程の声が届いた。そして、男からは気付かれない程度に、リオナの服の裾に触れた。

 リオナは、それに呼応するように、男の要求に反応してみせた。

「わかった。よく見ておけ。まず武器を捨てる。それから、そっちに行く。だから、その娘には手を出すな」

「ごちゃごちゃ言ってないで、早くしろよ、この優男が」

 悪態を受け流しながら、リオナはまず両手をあげた。男が満足げな表情を浮かべる。

 そしてリオナは持っていた短刀をその手から離した。それが地面に着地する――寸前にリオナはかがんでそれを左手に掴み直した。そして、男の懐まで全力で駆ける。目の前に一瞬現れた、男の驚愕の表情。リオナは逆手に持ち直した短刀で、男の剣が握られた右手の甲を切りつけた。ぎゃあ、と叫び声をあげる前に、今度は右手で男の顔面を掴む。

「命を取りまではしないから、安心しろ」

 言うと同時に、掴んだ顔面を、思いっきり地面にたたきつける。派手で鈍い音が、当たりにこだました。右手を離すと、男は白目をむいており、口からは泡が吹き出ていた。

「大丈夫か、クローゼ」

「あ、あの……師匠」

 クローゼは瞬く間に起こった出来事に、心の整理が付いていないようだった。だが倒れた男の顔と、リオナの顔を交互に見た後に、声をあげて泣き出した。

「ご、ごめんなさい……私、あんなに大見得切ったのに、やられちゃって……結局、師匠に倒してもらって……いつも、あんなに稽古付けてもらったのに、全然、役立たずで……」

 腕で涙を拭いながら座り込んでいるクローゼに、リオナは彼女と頭の高さを揃えるために座り、そして言った。

「最初の踏み込みは、なかなか良かったぞ。今回は、相手が一枚上手だっただけだ」

「で、でもでも、倒せなきゃ……」

「この男は、実際かなりの腕前だった。もともと、このアムルの森の奥、暗くなるまで、一人でいたような冒険者なんだ」

 クローゼは、赤い瞳で、リオナを見つめてくる。

「強くなりたければ、これを教訓に、また鍛錬をつめばいい。最初から倒せるんだったら、俺の稽古の必要なんてないだろ」

「師匠、こ、こんな不甲斐ない弟子でも、また稽古をつけてくれるんですか……?」

 潤んだ瞳で、クローゼが問いかけてきた。

 そもそも依頼されてたまに稽古をつけているだけで、正式な師匠と弟子の関係性を結んだわけではないのだが、話の腰を折ってもしようがないので、リオナは一応頷き、クローゼの頭に手を置いた。

「師匠、あ、ありがとうございます……」

 少し涙も引いてきたようだ。やや俯きながら呟いたクローゼの姿に、もう大丈夫かとリオナが思ったところだった。

「はい、そこまでー」

 ユメリアが割って入ってきた。二人を引き離すような、両手を拡げる仕草をとりつつ、座り込んでやや自分より低い位置にいるクローゼに語りかける。

「おいクローゼ、私としても、博物館専属として雇っている以上、もっと強くなってくれなきゃ困るんだ。一回負けたくらいで、しょげてどうする」

 ユメリアの言葉に、クローゼはぱっと顔をあげ、表情を改め直した。

「そ、そうですね。ユメ館長、ありがとうございます。私、もっと強くなります!」

 いつものクローゼの朗らかな声が戻ってきた。よし、と満足げなユメリアだったが、すぐに軽く咳払いをした。

「ただし、稽古では、必要以上に今のようにはリオナちゃんに近づかないように……って、何をそんなにニヤニヤしている!?」

「え、えへへ……」

 クローゼが、リオナをちらりと見て、恥ずかしそうにまたすぐ視線を逸らす。

「いや、師匠に、頭ポンポンされちゃったなー、って。えへへ……」

 ユメリアが凄まじい形相でクローゼを睨むのを尻目に、リオナは倒れた男に近づいた。女性二人も、こちらに気付き、側に寄ってきた。

「リオナちゃん、こいつ、死んだ?」

 ユメリアがさらりと物騒な質問をした。

「いや、大丈夫だ。ただ、脳を揺さぶったから、しばらくは目を覚まさないだろう」

「どうしましょう? きっちり、ギルドには通報しないといけないでしょうけど」

「そうだな。ひとまず、念のため縛りつけておいて、街まで運ぶか」

「街までか……仕方ないとはいえ、馬車を待たせてある森の入り口までこの男を運ぶのは、いくらリオナちゃんでも、ちょっと大変じゃない?」

 そこでリオナは指笛を鳴らした。急な動きに、ユメリアとクローゼが、何をしているのか、という目で見てくる。

 直後、後方で、がさりと音がした。

 ユメリアとクローゼが、何だ、とそちらに顔を向ける。

 その茂みから、のそりと現れたのは――

「「ギャーーーーーーー!!!!」」

 ユメリアとクローゼの絶叫が、周囲にこだました。

「こ、こ、こ、こいつは、豹型の超凶悪モンスター……キメラパンサー!!」

「な、な、なんで、こんなやつが、あ、あ、アムルの森にににに!?」

 それは、地面に届くかという程の巨大な牙を所有し、生半可な剣では跳ね返されると言われる程強固な体表に覆われ、それでいて瞳には高い知性を窺わせる光を宿す、シェルナより遠い地の草原にしか生存を確認出来ない、猛獣系統内では最強の一角とされているモンスター、通称キメラパンサー。その成体だった。

 ユメリアとクローゼがパニックに陥るのを見て、リオナが説明をしようとする前に、ユメリアがクローゼの背に素早く隠れ、その背を押した。

「ほほほ、ほらそこの君、食べるならこっちだよ!」

「ええっ!? ちょ、ユメ館長、なに押してるんですか!!」

「私はほら、子供だから肉も少ないし美味しくないよ! その分こっちの子は冒険者だから結構肉付いてるし、それに三つの属性持ちだから、いろんな味がしてきっと美味しいよ!」

「ゆ、ユメ館長ひどい! 人を三色弁当みたいに言わないでください!!」

「リリリリオナちゃん、このモンスターがクローゼを美味しくいただいているうちに、二人で逃げよう!」

 あまりの二人の姿に、説明をする間もなかったとはいえ、リオナは申し訳ない気持になった。

「ほら、ルク」

 リオナは懐から、持参した羊肉の塊を取り出した。それを見たキメラパンサーはゆっくりと、硬直した女性二人には目もくれずに、こちらに近づいてきた。そして、リオナの前で頭を下げ、肉に食らいつき始める。ユメリアとクローゼは、何が起きているのかといった顔で、涙目になりがらその姿を凝視している。

「二人とも、すまない。思ったよりも早く現れたんでな。こいつは、俺が小さい頃から面倒を見ている、この森に棲みついているキメラパンサーのルクだ」

「ルク……面倒を見ている……?」

「ああ。基本、人は襲わない。自生している果物か、肉も俺が持ってきたものしか食わない」

 へなへなと、ユメリアとクローゼがその場に座り込む。

「ルクが万が一でも、異様な殺気を放っているこの男を襲わないか心配でな。男の行動と、ルクの様子。今日は、その両方を確かめに来たんだ」

 弱々しく、ユメリアが口を開いた。

「リオナちゃん、それさ、早く言ってよ……」

「わ、わたし、今度こそ本当に死ぬかと思いました……」

 はあー、と安堵のため息をつく二人だったが、ルクがその大きな吐息に反応して顔を向けると、ビクリとまた躰を反応させた。

「大丈夫だ。森に入った時から、二人とも俺の連れだと分かっているだろう。なんなら、背中に乗ることも出来るぞ」

「いえ、師匠、それは遠慮しておきます……」

 なんとか腰をあげたユメリアとクローゼだが、まだルクとは距離を取っている。しかし、男をルクの背中に乗せて、森の入り口に向かおうとしたところだった。ユメリアが何か気付いたように、ルクの顔をまじまじと見つめだす。

「ねえ、リオナちゃん、このキメラパンサーって、もしかして「あの時」の……?」

 その問いに、リオナは敢えて答えず、ユメリアの目を見た。その無言を、ユメリアは肯定と捉えたようだ。少し寂しそうな笑みを浮かべ、そうか、とルクに少し近づいた。

「じゃあお前は、父さんとも会ってるんだな……さっきは、あんなにびっくりしてごめんよ」

 ルクは、ユメリアの言葉に応えるように、すこし頭を動かした。クローゼは何が何だか、という顔をしていたが、思い出したように口を開いた。

「あ、ところで結局、アムルラビットの爪入りの肉球の入手条件って何だったんですかね?」

「あー、確かに。まあ、近いうちにプラム達研究所の連中や他の冒険者が解明してくれるだろう。明日には展示されるだろうから」

 ユメリアがそう言った直後だった。近くの茂みがまた揺れた。そこから、二体のアムルラビットが現れた。

 しかし、その様子がすこしおかしいことに、三人はすぐに気付いた。

「こいつ、怪我してますね。それにこっちの無傷の方は、まだ子供みたいです」

「しかも、なんだか怯えてないか?」

 だが、二体とも、ルクの背に乗った男の姿を見た途端、元気よく飛び跳ねだした。

「おいおい、傷追いなのに無茶するな」

「なんだか、喜んでるみたいですね。ひょっとして、仲間の仇を討ってくれてうれしがってるとか?」

「そんな、モンスターがまさか……」

 ユメリアは口ではそう言ったが、目の前のアムルラビット二体は、どうみてもクローゼの言うとおりに感情を爆発させているようにしかリオナにも見えなかった。そして、手負いの一匹はもう先は長くなさそうだった。血が失われているのか、徐々に元気を失っている。

「クローゼ、可哀想だから、とどめを刺してあげたら? このまま苦しみながら死んでいくよりはいいでしょ」

「そうですね……少し心は痛みますが、そうしてあげましょう」

 そして、クローゼはその一匹に近づき、持っている剣で斬撃を与えた。すると、その大きな手がポロリと落ち、ユメリアの足下に転がった。

「あれ、これって……」

 拾い上げたユメリアが、まじまじと眺める。そして、何かに気付いたように毛の奥を探り、そして大声をあげた。

「奥に、真紅の爪が生えてる。あの時博物館で見たの一緒だ!」

「ええっほんとですか!?」

 クローゼと、リオナも見てみた。確かに、プラムが持ってきて解説してくれた、アムルラビットの真紅の爪付きの肉球、まさにそのものだった。クローゼが首を傾げている。

「どうして……今は属性を武器にのせたわけでもなく、ただ普通に斬っただけなのに」

 まさか、とリオナは思った。そしてどうやら、同じことにユメリアも思い至ったらしい。

「仲間の仇がやっつけられて、興奮している状態、か……リオナちゃん、そういえばこの男も、穴蔵から出てきた親子を倒したら、と言っていたよな?」

「アムルラビットは、その肉球の使い方を子供が完全に覚えるまで、子離れはしない、とバケットが言っていたな。もしその穴蔵が、子供が完全に一人で作ったものだとしたら……」

「子供が独り立ちするとき、モンスターにも、寂しい、もしくは嬉しい、といった気持があるものなんですかね……その、感情が昂ぶるような瞬間が……」

 三人は、少しの間、出てきたもう一体の方の子供のアムルラビットを見ていた。子供とは言え、その手には、立派な肉球が付いており、やや土にもまみれている。

「ひょっとして、この男が倒した親のアムルラビットって、この子の……」

「うーん、参ったな、こりゃ……感情を爆発させている状態のアムルラビットを倒すなんて、分かれば誰でも出来ることだぞ。最悪餌でもぶら下げて、その隙に斬ればいいんだから」

「もしくは、親子を、その、今回のこの冒険者みたいに…」

 クローゼはその先を言い淀んだ。自らの生々しい想像に、閉口してしまったようだ。

 このレアアイテムを見た時のネネアの反応を、リオナは思い出していた。装飾品として加工されれば、人気を博し、簡易的な金儲けの方法として、冒険者が殺到するだろう。そして、それはルクの居るこの森には好ましくないことであり、第一――

「ちょっと、可哀想ですよね。この子たちは、別に人間に害を及ぼす訳じゃないのに……種としてはただ小動物の延長にすぎないのに」

 クローゼがリオナの心の底にあった気持を代弁した。

 ユメリアは、腕を組み、宙を睨み唸っている。リオナは、レアアイテム博物館の若き館長が、どのような決断を下すのか、黙ってそれを見守ることにした。

 ルクの、ぐるる、という胃袋が動いた音が、夜も更けてきた森の中に反響する。遠くから、フクロウの鳴き声も聞こえてくる。

「よし、決めた!」

 突如、ユメリアが叫んだ。わずかにその表情を認識できるような暗がりの中で、クローゼは何を、という顔をしたが、ユメリアは不敵な笑みを浮かべたままだった。

次の(4)で第一話は終わります。(4)は短いです。

折角ここまでお読みいただいたのであれば、ぜひぜひ最後までお願いします。

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