第1話 アムルラビットの真紅の爪付きの肉球(2)
「事の発端は、数日前、研究所に新しいアイテムが持ちこまれたからなんだが」
プラムは続けた。その持ってきた冒険者が言うには、シェルナを出て、舗装された道を一日も行けば辿り着ける森にて、そのアイテムを発見したということらしい。
「ん? シェルナから一日で行ける森といったら……」
バケットの眼から、好奇の色が消えた。
「さすが、察しがいいな。アムルの森のことだ」
アムルの森。そこは、リオナもよく知る場所だった。
「それはおかしいですよ。アムルの森なんて、とうの昔に、全てのモンスターの調査は終わっているはずです。もちろん、手に入るアイテムも、レアなものはあるにせよ、その入手法はみな確定されています。未発見のものがあるなんて、考えられません」
バケットの言葉に、ユメリアが反応する。
「意外だな。バケットならこういうとき、『えー、まだ未発見のレアアイテムがあったんですかー。うっひょー、たまりましぇーん』なんて言うと思ったけど」
「……アムルの森なんて、冒険者なら修練のため誰でも行くような場所です。もっと街から離れた、強いモンスターがいるところならともかく、アムルの森で新しいレアアイテムが見つかっただなんて、それはむしろ……」
「その持ってきた冒険者が偽物を作り上げ、でっちあげの報告をしている、という疑いの方が強い、ということだろう?」
「その通りです。でも……」
「そんな、バレた時のリスクが高くて、しかも分かりやすい嘘の報告を、わざわざしてくるとは思えない、か」
ユメリアが言葉を継いだ。
新発見のアイテムを見つけた時、冒険者はそれを、プラムの所属する国立モンスター研究所に、発見時の詳細と共に報告し持ち込むことが国家の法律で義務づけされている。そこでは、発見されたアイテムに関しての精査と、なぜその入手条件で手に入れられるのか、そもそもその条件に虚偽はないか、などの調査も行われる。また研究所付属の冒険者が、必要に応じて実地に赴き、その条件でモンスターの討伐を行うこともある。
「しかもだな、その申告された入手条件が、また厄介でな」
「厄介? エレメント持ちの武器や、特殊な気候下ってことですか?」
「もっとシンプルだよ。それがな」
そこで一呼吸置いたプラムは、ため息交じりに続けた。
「剣で斬り倒したら手に入った、って言うんだ」
バケットが唖然とする。
「そんな……ありえませんよ。一体どれほど多くの冒険者が、剣をメイン武器にしていると思ってるんですか。やっぱりそれ、偽物なんじゃないですか」
「とにかくだな、持ってきたから見てくれ」
プラムがそう言うと、扉から、清潔そうな白衣に身を包んだ研究員が、一辺が成人男性の肩幅ほどもある容器を丁寧そうに抱えて入ってきた。
「まあ、かわいい!」
ネネアがその箱の中身を見るなり、黄色い声をだした。バケットは、容器から取り出されたそれをまじまじと眺め、顔をあげた。
「これは、アムルラビットの……肉球?」
リオナも、目の前にある物体に見覚えがあった。アムルラビット。アムルの森を代表する、兎型のモンスターの一種だ。凶暴性は大してなく、全長が一般の兎を少し大きくした程度の、新米冒険者の鍛錬の相手にはぴったりのモンスターである。
その、薄桃色をした兎の手足。ただし、通常の兎と違い、大きさが成人男性の手のひらほどもある。この大きな手で、獲物を捕まえたり、穴を掘ったりするのを、リオナも何度か見たこともあった。
「その肉球は、勿論成長するにつれ大きくなるのですが、完全に成長したら独り立ちの時期となるわけです。親子連れでいる時期は、つきっきりでその肉球の使い方を親が教えているので、小さな子供向けの絵本などにも引用されることが多いですね。そして、親子そろっての最期の夜は、子供が初めて一人で作った穴蔵で過ごすそうです。翌朝、子は独り立ちをします。感動的ですよね。それを題材にした絵本に私なんて子供の頃――」
バケットの長くなりそうな解説に、ユメリアは、構わず続けろ、と顎でプラムに指示した。
「おほん。これは、ただの肉球ではない。この隠された爪を見てくれ」
と言って、プラムはおもむろに肉球とふわふわした表面の中間地点をまさぐった。その大量の毛の奥から、にょきっと一本の、真紅の爪が飛び出した。
「こ、これは美しい!」
解説を途中で止め、バケットが弾んだ声をだした。
「調べたところによると、これは骨の一部みたいだな。もともとアムルラビットには、手足に普段使われない一本の骨があるんだが、それが何かしらの条件下で、こうやって表面近くにせり出してきた。その状態のこいつを倒したところ、根元からこの手がポロリと落ち、件の冒険者が拾って持ってきた、ということなんだが」
「ふーん。これは中々いい見世物になりそうじゃないか。見た目も可愛いし、本体の姿と同時展示すれば目を引くぞ。業者に依頼してキーホルダー等を作れば、土産物売り場もまた充実するかも……」
いつの間にかアイテムの側まで近寄っていたユメリアが言った。その欲まみれの発言を無視するように、バケットが観察を続けている。
「これは……ちょっと冒険者が細工で作れる、というレベルの代物じゃないですね。確実にこの毛の奥から生えている」
「そうだろう? でも、こいつを倒した時の状況というのが、剣で斬っただけです、ときたもんだ。こちらとしても、はいそうですか、とは言い切れなくてな」
「それで、その冒険者は今どうしてるんだ?」
リオナが聞くと、プラムが、お、とこちらを向いた。
「美男子、ようやく発言したな。それがまた困ってな。間違いなく斬撃によってこのアイテムを発見したのは俺だ、だからとっとと自分の名前を発見者欄に登録しろ、とがなり立てているんだ。気性の荒い冒険者なんて珍しくないんだが、今回は内容が内容だけに、おざなりにできなくてな」
公立のモンスター目録には、モンスターの生態が記されるのは勿論、そのモンスターから持ち帰れる部位、つまりアイテムとして一般市場に供されるものの名称や詳細も記載される。何も考えずに倒すだけで保管できるものは通常アイテムとして区分されるが、中には倒した直後、腐敗や霧散によって消滅し、街まで持ち帰るのが困難なものや、通常の条件下ならモンスターから発生すらしないものもある。しかしそれが特殊条件下で保存、収集されることに成功し、街の研究所まで持ち帰られたものが、レアアイテムとして区分されるのだ。そしてその持ち帰った冒険者は、無事そのアイテムが研究所の精査を通過されると、第一発見者として目録に名前が刻まれることになる。
「必死になる気持ちは分からなくはないですけどね。目録に自分の名前が載ったら、冒険者として格があがりますから。有益なクエストも受けやすくなりますし」
「女受けもよさそうだしな」
ユメリアが俗な意見を付け足す。
「実際に、研究所ではアムルの森を訪れて、試してみたのか」
リオナの問いに、プラムは力無くああ、と答えた。
「当然、試してみたよ。だが剣で倒しても、全て骨は腕の内側、つまり本体の側に収まったままだった。こんな状態のものは一個として手に入れることが出来なかったよ。もともと、よく知られたモンスターと討伐方法だ。研究員も、そんなに数は試していない。しかし剣で倒したという冒険者の主張は揺るがない。ほとほと困り果ててな」
うーん、とバケットが腕を組んだ。
「確かに。いっそのこと特殊な条件下を示してくれればいいものの、斬撃だという主張は変わらない。でも現にこうしてこのアイテムはここにある。うーん、不思議だ……」
「だから、私たちを頼ったと。つまりこいつは、【要収集情報】区画行きなわけだ」
「そうだ、ユメリア氏、いや、ユメリア館長。早速、その手続きに取りかかりたいんだが」
プラムからの正式な要請に、ぽん、とユメリアが手を叩いて応えた。
「よし、そういうことなら、当博物館は大歓迎だ。今すぐ手配を進めるぞ。そこの学芸員が」
「え。館長、それは明日でも……私、昨日の残務が終わったら、帰って良し、ってことだったし……」
展示物が増えて嬉しいんじゃないのか、帰る前の仕事が増えるなんて聞いてない、という上司と部下の応酬を背にしながら、リオナはプラムに再度尋ねてみた。
「その冒険者は、ここへの持ち込みに納得しているのか」
プラムは、リオナの質問に力なく首を振った。
「いいや。この処置を取ることについては、大反対だ。もし違う入手方法が見つかったら、自分の名前が載らなくなる可能性が高いわけだから、当然だな。だが、あくまで研究所は正式なモンスターの情報を集めることが目的なわけで、どの冒険者の名前が載るかなんてことは、正直二の次だからな」
プラムの言葉を受けて、リオナには、ひとつ危惧することがあった。そのような状況に陥った冒険者がしそうなことといったら――
そのとき、プラムの視線が熱心に自分に注がれているのにリオナは気付いた。なんだ、と目で問いかけるように見ると、彼女が口を開いた。
「いや。そういえば、名前を聞いていなかったと思ってな」
「名前か。リオナだ」
簡潔にそう返すと、プラムが大きく反応した。
「なるほど。君が噂の、ユメリア氏自慢の、腕自慢の警備兵ということか。なんでも、一人でもシェルナ国配属の一般兵士何十人にも勝る強さだとか」
「大袈裟だ。少し武術を学んでいただけだ」
「ほーう、謙遜するねえ。でもどうして、そんな強さを持ってるのに、冒険者にならず、博物館の警備なんて職を? いくらここが稀少価値の高いアイテムを収めた博物館で、ある程度強さを求められる環境とはいえ」
「冒険者は、エレメント持ちが優遇されるが、俺にはあいにくその素質がないんでね。クエストの受注の煩雑さもない、この静かな職場は俺のような人間と相性がいい、というだけだ」
そこで、労働環境を巡りあわやバケットと取っ組み合いになろうかというユメリアが、リオナとプラムの間にすっ飛んできた。
「おいプラム、それ以上は、雇い主である私を通してもらおうか」
割って入ってきた金色の髪が、大人二人を引き離すように左右に靡いた。
「分かった分かった。ただ、リオナ氏ももう帰宅するようだし、私はちょっとここに居させて貰うよ。ちょうど見ておきたかった館内目録もあったし。いいだろ?」
「いい、いい。だからほら、リオナちゃんから離れろ。ネネアちゃん、さっさと開館準備にとりかかろう」
「あ、はーい」
ネネアの呑気な声が事務室に響く。ユメリアは、クローゼに介抱されているバケットに向かって言った。
「じゃあバケット、私は館内を回ってくるけど、その肉球の件はやっておけよ。やらずに帰ったら、次の賞与は売れ残ったブルーゴブリン人形とグリーンスライム文鎮による現物支給になるから、よろしくな」
「ひどい! 人の連休を返せ! 鬼! 悪魔! 守銭奴! ゼニガメ!」
バケットの呪詛の声を背中で跳ね返すように、ユメリアはネネアを連れて部屋から颯爽と出ていった。
リオナも一緒に出ようとしたところだった。扉の前で、またもプラムが視線を投げてきている。今度は、若干遠慮がちな様子だったが。
「なあ。ひとつ、確認したいのだが……いや、別に人の趣向にあれこれ口出しする気はないのだが……」
リオナは、いやな予感がした。
「……本当に、本当に、幼女趣味なのか?」
そろそろ、きっちり否定したほうがいいだろうかと、リオナは思った。
起きた時、陽は中天に差しかかっていた。まどろんでいたのは、3時間ほどだろう。リオナにはそれで十分だった。
アムルの森。歩いて一日。しかし、自分の脚力なら急げば完全に暗くなる前に着くことが出来るだろう。
明日は休館日というのが、また都合が良かった。博物館の警備は、館外で見回りの連中が行ってくれる。筒に入れた少量の水と、袋の中の携行食、一塊の羊肉、そして短刀一つ。それで十分だ。博物館と隣接した敷地内にある、リオナの今の部屋と同じく、余計なものは持たない。
「あの時」と比べれば、恵まれすぎている。
あの凄惨な数日間に比べれば。
頭の中を闇に支配される前に、リオナは外に出た。
外気と同時に、博物館周辺の喧噪が、ここまで伝わってきた。だがリオナは、それとは反対、街の方へ足を向けた。
レアアイテム博物館。固有名称はなく、それが正式名として、ここ城塞都市シェルナの設備登記簿にも記載されている。創設者には、ユメリアの父、ブラットン=デニツァードを主として、有志数人の名前が記されている。リオナは正確には記憶していないが、設置からもう三十年以上は経っているはずだ。
現館長のユメリアはブラットンの一人娘にあたり、当時まだ十才の彼女が二代目館長に就任してから、現在までまだ二年すこししか経っていない。当時の創設者の面々は、揃って引退しているか、存命していないかだという。
リオナがブラットンと知り合った頃。まだ自分も、少年と言える年齢だった。そしてユメリアは、ブラットンの膝ほどの身長しかなかった。そのときの記憶を、敢えてリオナは思い出すことはなかった。本来であれば、思い出したくもない出来事。だが、今朝の話で、思い至るところがあり、それが再度リオナの重い記憶の扉をこじ開けることになったのだ。
リオナは、やや下へ傾斜する坂道から、建物全体を見上げた。
博物館は、人口が十万以上とされる、ただでさえ広大なシェルナの、最北東に位置する小高い丘の上にあり、その標高は国家の中枢となるシェルナ城に次いで二番目になるという、立地としてかなり恵まれた条件下に建設されている。
ぱらぱらと、これから博物館に向かう人たちとすれ違う。今日は祝祭日ではないので、年寄りや、小さな子供連れの女性が多い。勿論、若い男性もいたりと、博物館の全体の客層は幅広い。そんな人々を横目に、常緑樹に囲まれた石畳の坂道を行き、市街地までリオナは降りてきた。
仕事に向かうらしき、せわしい様子の男性。昼時の買い物を楽しんでいる婦人。買い付けたのか売り込みにいくのか分からないが大きな荷物を抱える商人や、商品を陳列し呼び込みの声出しに余念のない商店。これぞ城塞都市シェルナという賑わいの中、リオナは真っ直ぐ街の端まで向かった。
眼前に、この都市の威厳を内外に大きく放っている城壁が迫ってきた。
城壁近くに構えている越境事務所とその手前に拡がる広場。そこには、長く本格的な戦乱のないシェルナに仕えている、人の斬り方さえ忘れていそうな見張りの兵士だけではなく、これからシェルナで商売を始めようとしている行商人、もしくは既に今日の仕事を終え、自分の町や村へ帰っていく隊商など、多くの人の溜まり場となっていた。
懐の身分証を手に取り、城壁の外側に出る手続きを取ろうと列に並ぼうと思ったところだった。人の群の中から、突如、ひょいと影があらわれた。
「待ってたよ、リオナちゃん。じゃあ、いこっか」
ユメリアが、リオナの前に立ち塞がった。
「ユメリア――」
なぜここに、というリオナの言葉を予測していたかのように、ユメリアはちっち、と素早く人差し指を前に突き出して言った。
「館員の私生活をきっちり把握するのも、上司たるものの務めかと思ってね」
すると今度は、城壁のほうから、クローゼの朗らかな声が聞こえてきた。
「ユメ館長、早速外に特注の貨車を用意しましたよ。これなら、急げば今日中にはアムルの森に行って帰ってこれそうですね。あ、師匠、ほんとにいた!」
一気に、リオナの周囲が賑やかになった。ふう、とひとつ息をつく。
「館長に行動を予測されるなんてな。だが、遊びに行くんじゃないんだぞ」
「分かってるよ。今朝の話を聞いていたら、ひょっとしたらリオナちゃん、確かめに行くんじゃないかなって思ってさ。気になったからこうして山を張ったんだけど、結構自信はあったんだぞ」
二人の話を聞いていたクローゼが、何のことか分からない、という風に首を傾げた。しかしユメリアは構わずリオナに言った。
「クローゼは私の荷物持ちね。ひょっとしたらリオナちゃんの格好いい姿を見れるかもよ、と言ったら尻尾振って付いてきてさ」
「はい! ユメ館長、ありがとうございます! 師匠、よろしくお願いします!」
「私の護衛も兼ねてるから、リオナちゃんはきちんと目的を果たしてよ」
「まだ俺も遭遇できるか分からないけどな。とりあえず行ってみるかと思っただけだ」
だが、貨車でいくことが出来るのは、体力の消費も抑えられるのでリオナにも異論はなかった。安全面も、ユメリアの言うとおりクローゼがいれば、アムルの森では問題ないだろう。危惧した事態にぶち当たったら、予定どおり自分が対処すればいい。
「ようし、じゃあ行くか。クローゼ、食料とおやつはちゃんと持ったか!」
「はい、ユメ隊長、じゃなかった、館長! なんだか、遠足みたいでわくわくしますね!」
浮かれた様子の二人に一抹の不安を覚えないでもなかったが、今更追い返す術を持っているわけではないので、大人しくリオナは引率者の役割を果たすことにした。
国境事務所で出国の手続きをしたのち、三人はクローゼが調達してきた荷車に乗り込んだ。馬よりやや足腰の頑丈なペイルホースというモンスターに曳かせる型の馬車で、馬よりは割高だが早く目的地に到着できる。どうやらユメリアが奮発したようだ。
綱を握る業者は目的地を聞いただけで、黙ってペイルホースを動かし始めた。その、馬よりも長く天に向かって伸びる赤いたてがみが、荷車の振動と共鳴するように左右に揺れる。
「しゅっぱーーーーつ!」
「おーーーー!」
ユメリアとクローゼの声を受け、ペイルホースが煩そうに首をぶるっと震わせた。
(3)へ続きます。
一行の遠足……ではなく小冒険をお楽しみください。