表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

第1話 アムルラビットの真紅の爪付きの肉球(1)

第1話は登場人物の紹介や博物館の設定の説明などの色合いが強いです。

肩肘はらず、気軽にお読みください。

 リオナは別段慌ててはいなかった。侵入者の気配を感じたのは、ほんの二・三分前だ。お目当ての「展示」がなにかは知らないが、物音を潜めた状態では、盗み出し、館外へ出るまでは、どんなに段取りよくいってもまだ若干の余裕はあるはずだ。

「で、でもリオナさん。本当に大丈夫なんですか? 相手の気配って、一人だけじゃないんでしょう?」

 バケットが、背後から不安そうに尋ねてくる。

 閉館時間はとっくに過ぎている。数十メートルおきに配置されたわずかな燈台だけが照らす館内は、かろうじて近くの相手の顔が判別出来るかといったところだ。夜目がきくリオナはともかく、彼女にとっては、どこになにが居るか分からないこの状況は、恐怖以外のなにものでもないのだろう。

「リオナちゃんからすれば、二人でも三人でも一緒だろ。なあ?」

 二人のさらに後ろから、ユメリアの声が飛んできた。バケットが慌てて制する。

「館長、声が大きい! 賊にバレちゃうって!」

「なんだよ。バレようとバレまいと、どうせリオナちゃんが成敗するんだよ。同じだろ」

「でも、破れかぶれになった連中がいきなり襲ってきたらどうするの。いくらリオナさんが強いっていっても、相手が複数いたら……」

 彼女たち二人のやりとりを遮り、リオナは振り返らずに言った。

「二人とも、怖かったら事務室に戻っていてもいいぞ。後始末が必要になったら、そのとき呼ぶから、それまで待っていろ」

 リオナの忠告に、ユメリアが素早く反応する。

「まーさか。久しぶりにリオナちゃんの活躍が見れそうなのに」

「えー。館長、ここは大人しく、リオナさんの言うとおりにしとこうよ」

「なんだよ、だったらバケットだけ戻ってればいいじゃん」

「や、止めてよ! こんな時に事務所に一人だけなんて、怖くて無理にきまってるじゃん。だったら、二人についていくもん!」

「二人とも、そろそろ階段だ。足音を響かせないようにしろよ」

 リオナの言葉に、二人は話を止め、うん、と首を縦にふった。

 わずかな異音と共に、一階の窓から館内へと忍び込むなにものかの気配を、二階の事務室でリオナは察知した。様子を見に行くと告げると、意気揚々と『館長』のユメリアが、そして及び腰ながら『学芸員』のバケットが付いてきたのだ。

「バケット、お前、リオナちゃんが戦う姿を見るのは初めてか」

「う、うん。腕前は噂には聞いているけど」

「ちょうどよかったじゃん。リオナちゃん、このもやし学芸員に、バシッとその腕前をみせつけてやりなよ」

「もやしって……リオナさん、何度も確認しますけど相手は一人じゃないんですよね? やっぱり、大人しく別館から救援を呼んだほうがいいんじゃないですか? そりゃ「展示物」に手を出すのは許せないけど、怪我しちゃったら――」

 そこまでバケットが言ったところで、ユメリアは得意そうに二人の前に躍り出た。二人より一回り年齢も幼く、身長の低い彼女は、上体を大きく逸らしながら尋ねた。

「バケット、リオナちゃんを誰だと思ってるんだ?」

「え……誰って」

「表の顔は一介の警備兵。そして私の恋人。しかしてその真の顔は……」

 リオナは、二言目の内容を否定すると面倒くさくなるのを知っているので黙っていた。バケットも、いつものことだと思っているのかそこはスルーしている。

 そんな二人になど構わずに、ユメリアは満足げに言葉を継ぎ足した。

「私、「この博物館」の館長、ユメリア=デニツァードが、警備兵として雇い入れている男、だぞ?」

 そこまで言うと、おもむろに視線をリオナの方に向け、言い切った。

「というわけで、リオナちゃん、頼んだぞ。『最強』の名に恥じぬ働き、たっぷり見せてくれよ」

 にい、とほのかな灯りの中で笑って見せたユメリアに向かって、リオナはふう、と一息ついてから言った。

「ああ。雇い主の命令は、絶対だからな」


 そうこうするうちに、一階へと続く階段の側まで来た。先ほどまでの声量の会話が、賊の気配のするところまでとどく程、この建物は小さくないということだろう。まだその気配は一階に留まっている。流石に後ろの二人も緊張してきたのか、お喋りもしなくなった。

 足音を殺し一階に降り立つと、ユメリアがどっち、と口の動きだけで聞いてきた。リオナは、指先で方向を示した。その途端、バケットの表情に、動揺と怒りが入り混じったような変化が見えた。

 リオナにはその理由が分かった。数日前、そのエリアには特別展示として『新アイテム』が配置されたばかりだったからだ。それがやって来たときの彼女のテンションの上がりようを、ユメリアはじめ館員一同が冷ややかに見ていたのを覚えている。

 リオナは目的の場所へ足どりを進めた。ひそひそと、男二人の声が耳に入ってくる。他の展示物の影に隠れながら、三人は進んだ。そこで、リオナは視界の端に、暗躍する賊の姿を捉えた。くい、と指でその存在を示す。

 するとバケットが逸るように、物陰からそちらの方をのぞき込んだ。

「あ、あいつら……あれを……」

 怒気混じりのバケットの呟き。その直後だった。

 一斉に館内に明かりが灯った。

 リオナの視界に明瞭な姿として飛び込んでくる、二人の賊の驚愕の表情。そして周囲の状況。館内の様子。

 そう、館内の様子。この建物は――

「そこの不届き者どもよ、ここが私、ユメリア=デニツァードが運営する、レアアイテム博物館だと知っての行いか!」

 今度は背後からだった。いつの間に持っていたのか、このフロアの全燈台に繋がる点火灯を手に、ユメリアが堂々と仁王立ちしていた。

「知っての行いだとしたら、その狼藉、この博物館の創始者にして我が父、ブラットン=デニツァードの名において、断じて許すわけにはいかん!」

 その口上のあいだにも、賊二人は突然の事態をどうすればいいのかと、困惑しきりのようだった。そして満足げな表情を浮かべるユメリア。リオナは、一応その両者の間に割って入った。

 賊の周囲はおろか、今しがた三人が隠れていた物陰も、展示物が収められた容器である。その中には、コウモリ型モンスターの両翼が飾られている。

 それだけではない。あたりを見回すと、フロアの中には、大中小、形状、素材等が異なる、数えるのも躊躇われるほどの多くのケースや台座がひしめいてあった。そしてその中には、それこそ館内にはひとつとして同じものが存在しない数々の『レアアイテム』がある。

 モグラ型モンスターの、それで作った包丁は万回肉を切っても錆一つ発生しないと言われている、鋭利な鉤爪。トカゲ型モンスターの、死語なおその色を失わない虹色に発光する鱗。本来は討伐後鈍色になるが特殊な気温下で倒した時にのみ可能という、スライム型モンスターの透明度を失わない標本。討伐すら困難な竜型モンスターの、一部のモンスター食愛好家には破格の値で買い取りされるという、鮮度の高い先端が三つ叉に分かれた舌、などなど……。

 そう、ここは、世界に蔓延るモンスターたちの、通常では入手困難な、ある特定条件下でのみ入手することが可能という『レアアイテム』を中心に集め展示されている、リオナ達が住むシェルナ国唯一にして最大の、レアアイテム専門博物館なのだ。

「か、館長! 決まった……なんてドヤ顔してる場合じゃないって。ほら。あいつらが持ってる、あのアイテムは……!」

 ん、とユメリアが、あまり興味のなさそうな表情で、バケットの指摘した対象物に目を向ける。

「ああ、こないだ入ってきた蛾の鱗粉まみれの羽か」

「蛾って。グライダーモンスって呼んでって言ったでしょ! それにあれはただの鱗粉まみれの羽じゃないんだから。本来であれば本体と切り落とされた羽部分は、胴体部分からの神経反応の断絶により発光体の消滅がなされるんだけど、雷エレメントを備えた武器により切り落とすことで胴体が神経の断絶を誤認識し発光体を維持する信号を出し続けそれにより本体には生体反応が本来より長く残りそしてそれが結果として羽部分の根元に切り落とされるほんの直前まで鱗粉発生のための分泌物が血液を通し――」

「リオナちゃん、さて、どうする?」

 スイッチが入ったバケットを尻目に、ユメリアが聞いてきた。その余裕そうな表情は、自分より一回り以上もある恰幅の侵入者を目の前にしても、揺らぐことはなかった。

「どうするもこうするもない。さっきの命令通りさ」

「ま、そりゃそうか。あ、リオナちゃん、あの羽が入っている容器、あれ特注で高かったんだよ。だから傷つけないで回収してね」

 そう言ってユメリアは、まだ何事か呟いていたバケットの頬を叩いたのち、リオナのだいぶ後方に下がっていった。

「おい、てめーら。ふざけやがって。いい加減にしろよ」

 状況が呑み込め、大分落ち着いたのか、賊の一人がこちらに向けて言い放った。見ると、二人の内、一人は帽子を被り手には短刀を携えている。もう一人は覆面で素顔が見えず、手袋をした両手で容器を慎重そうに抱えていた。声を出したのは短刀の男の方だった。

「お前、知っているぞ。普段、館内をぼけーっと見回りしている男だろう。そんな奴が、俺たち二人を相手にするってのか。しかも容器を傷つけずにだと?」

「残りは女子供じゃないか。他に警備もなさそうだし、兄貴、こりゃここまで慎重にやる必要なかったんじゃないですか?」

 勤務時のリオナの様子を知っている。それに、新アイテムがやってきた時期に、ピンポイントにその場所を狙いにきた。さすがに下調べはしてきているのだろう。

「だれが子供だ、チンピラ、こらー!」

 リオナの思考をユメリアの怒声が妨げた。どっからどうみても子供でしょ、というバケットの呟きに、背後は少し修羅場と化したようだが、リオナは視線を賊から離さなかった。

「所詮博物館の警備だろ、俺たち冒険者の敵じゃないな。お前をぶっ倒してこのままこいつを闇市に流せば、当分の間は危険なクエスト漬けの日々から解放されるんだ」

 その言葉に、館長と取っ組み合っていたバケットが姿勢を直して気色ばんだ。

「闇市! なんてことを。レアアイテムは、国営の研究所を介し、その価値が正式に市場に反映されるものなのに。あなた達みたいな輩がいるから、いつまで経ってもレアアイテム絡みの犯罪や悲劇が後を絶たないんだ!」

 すると、覆面の男がくぐもった声をだした。

「うるせえ! 求める人間もいるから、闇市も成立するんだよ。甘い戯れ言ばかりの子供たちには理解できないだろうがな」

「ぬくぬくとこんな博物館の中で呑気な生活を送っている文官どもには、俺たち冒険者になるしかない人間の気持ちなんて分からないんだよ!」

 すると、すっとユメリアがリオナの横に立った。

「文官ども……か。リオナちゃん、命令もうひとつ追加ね」

 ユメリアは、静かに、しかし今までとは違うなにかを含めた声で告げた。

「あいつら、ぼこぼこにしちゃって。勿論、館内のものは一切傷つけないように」

「相変わらず、人使いの荒い雇い主だな」

 そう言って、リオナは一歩踏み出した。同時に、足に力を籠める。

「来るか、優男が」

 構えながら、短刀の男が言った。直後。賊二人が明らかに動揺した。何故か。

 十五メートルは離れていたはずの警備兵の姿が、恐るべき速さで、瞬く間に目の前に現れたからだ。

「ひっ……」

 覆面の男が、短い悲鳴をあげた。その両手に抱えた箱を、リオナは下から叩いた。容器が中に浮かぶ。あ、という声の中、リオナは賊の開いた手の片方を掴み、自らは躰を反転させながら捻った。覆面は前のめりになり、リオナはその顔面めがけて軽く膝を突き出した。強烈な痛打音と共に、顔面から流血させながらその賊は仰向けに倒れていく。そして直後落ちてきた容器をリオナは両手で受け止めた。

「ちょ、ちょっとリオナちゃん、容器を傷つけないでって言ったでしょー?」

「この容器の納品時、俺に業者まで何往復も取りに行かせたのはユメリアだろう。請求される送料の節約だとか言って」

 あれ、そうだっけ、と悪びれることもなくユメリアは言った。何度も運んでいるうちに、この容器の強度は躰が覚えてしまった。万が一傷つけたら、雇い主から何を言われるか分かったものではなかったからだ。

 結果、今も傷つかなそうなギリギリかつ微妙な力加減で容器を浮かせてみたのだが、うまくいったようだ。中の羽だが、まだその表面には鱗粉がきらきらと浮かび、妖艶さを内包している、という言い回しのついた輝きを放ち続けている。

「て、てめえ、ふざけやがって」

 刃物の賊がいきり立った。距離を取り、威嚇するように獲物の刃の光を照り返させている。

「少し体術が出来るからって、調子にのるな。俺の技を受けてみやがれ!」

 賊の左手がほのかに赤く光る。ほう、とリオナは思った。

「火のエレメントが使えるのか」

「こいつで、そのむかつく余裕こいたツラを醜く焦がしてやるぜ」

 言うと同時に、男は左手を刃物の背に添えた。短刀全体に、炎が揺らめいたかと思ったら、すっと収まった。しかし直後その獲物は、先ほどまでの銀色とは打って変わり、燃える炎を思わせる赤色に変色していた。

「喰らえ!」

 賊はリオナめがけて、勢いよく踏み出しながら獲物を振り下ろしてきた。だが――

「え……」

 その困惑した男から、弱々しい声が漏れてくる。

「中々のものじゃないか。コソ泥なんかやってないで、この力で真面目に生計を立てる道を考えた方がいいんじゃないのか」

 リオナは右手の親指と人差し指で、火のエレメントを宿した刃を受け止めていた。容器は、左手と脇の間に挟むように抱え直している。

「す、素手で? ありえ――」

 ない、と言わせる前に、リオナは顎めがけて蹴りを放った。まともに受けた賊は、仰向けにゆっくりと倒れていく。

 持ち主の手から離れて地面に落ちた刃は、主の意識と連動するように、ゆっくりと赤から本来の銀色に戻っていった。

「ありえない、か。確かにな」

「やったー、さっすがリオナちゃん!」

 つぶやいたリオナの元に、はやし立てるユメリアと、目を丸くさせたバケットが歩み寄ってきた。

「いやあやっぱり強いね、さすがは私と父さんが見込んだ男だ、ご苦労ご苦労」

 嬉々とするユメリアだったが、バケットは遠慮がちに口を開いた。

「リオナさん、強いって噂は本当だったんですね、済みません、正直、半信半疑でした……」

「構わないさ。こんな物騒な事態は、少ない方がいいに決まってる、それよりユメリア」

 気絶した賊の様子を眺めていたユメリアが、え、と顔をむけた。

「わざわざ灯りをつけなくても良かったんじゃないのか。俺が暗闇を苦にしないことは知っているはずだろう。これだけの灯り、消して回るのも一苦労だ」

「あー……それは」

 濁るユメリアに、バケットが不審の目を向ける。

「確かに。普段、あれほど燃料が勿体ないとかケチくさいことを言ってるくせに。まさか館長、ただ単にさっきの決め台詞もどきを披露したかっただけなんじゃ……」

「もどきとはなんだ! ここに来るまでずっと考えていた渾身の台詞を、お前……」

「やっぱり言いたかっただけじゃん!」

 バケットの追及も、ユメリアはひらひらと手を動かし全く意に介していないようだった。

「まあまあ、いいじゃん。一件落着だよ。バケットも、間近でうちの警備兵の実力が確認できて良かっただろ?」

「それは、確かにそうだけど……いや、そもそも、今日の残業を命じたのは館長でしょ? それさえなかったら、こんな怖い思いしなくて済んだんだけど?」

「さあさあ、あとはこの侵入者を警邏隊に報告するだけだな。普段は夜間につかない明かりが灯ってるんだ。ここは丘の上にあるから目立つし、ほっといても誰か様子を見に来るだろう。こいつらも当分目を覚まさなそうだし、それまで事務室でゆっくりお茶でも飲んで待つことにするかなー」

「誤魔化したな……」

 ぼそりと言うバケットを背にし、ユメリアは去っていった。

 リオナは、一応賊の躰を縛り上げるべく、倉庫へ向かうことにした。たしか、館内の区域を簡易的に示すための紐か縄があったはずだ。一時的にならそれで十分だろう。


「リオナちゃん」

 倉庫内で紐を見つけたリオナの背後に、ユメリアの声が掛かった。

「どうした、ユメリア」

「いやさ、久しぶりに確認出来て安心したよ。リオナちゃんの力」

 庫内の微かな灯りに、ユメリアの耳元までかかる金色の髪が反射する。

「まだ、腕は落ちてないみたいだね。頼もしいかぎりだよ」

「一応、それで飯を食ってるわけだからな。簡単に衰えるわけにはいかないさ」

 紐を手に、リオナは倉庫から出た。どこからか、バケットと複数の声が聞こえてくる。警邏隊がやってきて、それをバケットが迎え入れたようだ。

「もうその紐、いらないみたいね。じゃあ、あのコソ泥の最期でも見送りにいこっか」

 リオナとユメリアは、並んで歩き出した。リオナの肩よりも下にある彼女の髪が、歩く度に揺れるのが視界の隅に映る。

「ねえ、リオナちゃん」

 その呼びかけに顔を向けると、ユメリアは軽い笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。そして、ゆっくりと口を開いた。

「あのね――」


「うあー、私も見たかったです、師匠の活躍ううううう!」

 騒動の夜が明け、博物館の開館時間前だった。バケットの話を聞いて痛恨の叫びをあげているのは、ギルド登録されながらも、レアアイテム博物館所属館員である冒険者、クローゼだった。

「そりゃあもう、私なんか、何が起きたのか分からなくて、いや実際瞬きをする間に敵の方に近づいていて、容器が宙に浮いて、気がついてたら覆面の方が倒れていて、本当にあっという間で」

 クローゼの真向かいに座り、興奮気味にまくしたてるバケットだったが、その話しぶりのとりとめのなさは、睡眠不足と疲れからくるものだろう。着ている学芸員ローブは昨日と同一のもののようだし、何より昨夜にはなかった目の下の隈が痛々しい。

「バケットちゃん、それで、そのあとどうなったの?」

 今度はバケットの横に座っている、当博物館の受付嬢、ネネアがお菓子片手に尋ねた。

「えっとね、私はグライダーモンスの羽と鱗粉が異常ないかを確認しててね、そうしている間に警邏隊の人たちがやってきて、あの不届き者たちは無様に捕らえられていったよ。ざまあみろだよね」

 そこで、上座の館長席に座るユメリアが冷ややかに言葉を放った。

「まあ、私は最初から展示するのは反対だったんだよ。そもそも蛾の羽なんて、気持ち悪いじゃないか」

 バケットが、ぐるりと顔をユメリアの方へ向けた。

「館長、また蛾って言った!」

「女受けが悪いから、それを新規展示の目玉にしても、客寄せ効果は低いなと思ってたんだよ。わざわざ見に来るのは、物好きなモンスターマニアか小さな子供くらいだ。そして結果来たのは、尻に火がついた三下盗賊二人。これじゃ割に合わないって」

「館長。いつも言ってるけど、レアアイテムは入館代を稼ぐための道具じゃないから。それは博物館規約にも堂々と載ってるでしょ」

「うーん、それは重々分かってるんだけどさあ……」

 ユメリアはそこでガサガサと机の上から一式の書類を拾い上げた。それを片手に、なにやら意味ありげに一同を見回す。

「現実はそんな甘いこと言ってられないんだよなあ。赤字がでちゃったら、この館の意地、しいては運営そのものにも支障が出るしな。いよいよヤバくなったら、まず真っ先に削られるのは……」

 この博物館の絶対たる長の、何かを含んだ視線に、クローゼとネネアがひっ、と軽く引きつった声を出す。

「わ、私たちの……」

「お給料……」

「お、二人とも、よく分かったね。ここで働くうちに、腕っ節や胸だけじゃなく、頭の回転も成長したかな、なーんちゃって。あはははは」

 年上の部下達の反応に満足したように、ユメリアが意地悪げな笑い声をあげる。

 リオナは、彼女の机の側にある警備状況表に、昨夜までの引き継ぎ事項を記入しようと近づいた。そこで、ユメリアが何かを察知したかのように笑いを止めた。

「ユメリア、職権乱用もほどほどにな」

 リオナがそう言うと、ユメリアは気まずそうに、む、と口を閉じた。

「ししし、怒られてやんのー」

 意地悪く言うバケットを、ユメリアがじろりと睨む。バケットは斜めを向き、見て見ぬふりをした。

「もう、ユメちゃんったら、あんまり怖いこと言わないでね。あ、リオナ君、このお菓子どうぞ。美味しいわよ」

 ネネアがにっこりと、手に持っているお菓子を勧めてきた。それは、リオナも知っている植物性由来のお菓子だったので、ありがたく受け取っておいた。

「それにしても、リオナ君は、どうやってそんなに強くなったの?」

 一同のなかでは一番年上にあたるネネアが、屈託なく聞いてきた。と同時に、背後のユメリアが一瞬身を強ばらせたのをリオナは感じた。

「いまのバケットちゃんの話だと、相手は二人、しかも一人はエレメント持ちだったんでしょ? それをリオナ君一人で、さらに素手で!」

「あ、ネネアさん、ずるい! 師匠、私も、私も師匠の話聞きたいです! これからどれだけ修行をしていったら、私もそんなに強くなれますか?」

 ネネアとクローゼ、さらにバケットも興味深そうにこちらを見てくるので、リオナは、さてどうするか、と思案した。

「あー。お前たち、そろそろ……」

 ユメリアが、軽い咳払いと共になにかを切り出そうとした。その時だった。事務室の扉が勢いよく開いた。

「失礼する、ユメリア氏はいるか!」

 大声とともに現れたのは、すらりとした長身の白衣の女性だった。

 げんなりとした顔で、呼ばれたユメリアが座ったまま応じる。

「プラム、そんな大声出さなくても見りゃ分かるだろ。ここに居るよ」

「おう、おはよう。相変わらず、館長殿はちっこいのに偉そうだな」

「ほっとけ。お前こそ、肩書きや背丈のでかさの割に貧弱な胸しやがって。うちの受付のネネアちゃんを見習え。そんでもって、ちゃんと入館料を払って出直してこい」

「ふふん。そんな口を聞いていいのかな? せっかく、また新しいレアアイテム案件を持ってきてやったのに」

「え、本当ですか、プラムさん!」

 その発言にいちはやくバケットが眼を輝かせた。

「おう、バケットもいたか。ちょうどいい……って、その目の下の隈はどうした?」

「いえ、過酷な労働を、非情な上司に言いつけられまして。おかげでほぼ徹夜ですよ」

「おいおい、じゃあ先に仮眠をとった方がいいんじゃないのか」

「いいえ、睡眠欲よりレアアイテム、ですよ。ああ、また館内の目録が充実していく……」

「もう、バケ。プラムさんの言うとおり、先に少し寝たらどう?」

 陶酔した様子のバケットに、彼女と同い年のクローゼが心配そうに声をかける。

 バケットは、このレアアイテム博物館に於ける、唯一の学芸員だった。レアアイテムは、基本、今し方訪れてきた国立モンスター研究所の研究員、プラム経由で収集されてくる。バケットは、その数々のレアアイテムの、展示方法の考案、目録作成等の管理、そして市民への啓蒙活動といった、まさに博物館の中身そのものともいえる一切の活動を、館長であるユメリアから一任されている立場にあり、そしてそれを自らの天職だと言いきれるほど、レアアイテムへの魅力に取り憑かれている人物なのだった。

「それで、それはどのモンスターの、どんな種類のアイテムで、その入手方法は一体、どんな冒険者が、どこで、いつ?」

「ああ、それがちょっと問題があってな……」

 プラムはとりあえず、といった様子でリオナのはす向かいの椅子に座り、何も言わずすぐ隣のバケットの前にあるお菓子に手を伸ばした。

「うん、旨い。やっぱり、食べ物は植物か動物性由来のものに限るな」

「えー、そうですか? モンスター食も、食べてみると美味しいですよ。特にこの間食べた、キャッチャーマイマイの炒め物なんか、食感といい香りといい……思い出しただけで、ヨダレが……」

 ネネアが陶酔した表情を浮かべる。やれやれ、とユメリアが大げさに肩をすくめた。

「プラム、この子たちは放っといて、とっとと本題に入ってくれ。もうすぐ開館の準備をしなくちゃいけないんだよ」

「そうするか。しかし、ユメリア氏、相変わらずここは面白い人材が揃っているな。館長がそうだから、部下もそんな人材が集まるのかな。そこの美男子も、これだけの美女揃いの中、表情を一切緩めないじゃないか」

「余計なお世話だ。それに、リオナちゃんはいいんだよ。私だけにぞっこんなんだからな」

 プラムが驚きに満ちた目をこちらに向けてきた。

「なに! そ、そうか、幼女趣味なのか。人は見かけによらないな……」

「おい、誰が幼女だ!」

 何か自分に関してとんでもない会話が為されているようだが、相手をするにしても放っておくにしても泥沼になりそうな雰囲気なので、その間を取り、リオナは黙って話を聞いてから帰ることにしようと思った。

ご覧いただきありがとうございます。

第1話は完成しております。お時間が許せば、ぜひ最後までお読みください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ