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リングアンドの冒険者たち  作者: ふぉるく
第一章 異邦人のうた
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第7話

 かつて、胸躍る冒険に憧れた。

 あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。

  俺だって別に、その選択肢を全く考えなかったわけじゃない。


 冒険者になって、剣や鎧を身に纏って、危険な魔物や迷宮に挑むなんて、いつだって夢見てきた世界だ。物語の中に綴られた冒険に心踊らせ、自分ならどんな困難を用意するかと頭を捻り、紙とペンとサイコロで仲間たちと強敵に挑んできた。


 だからそりゃあ、この剣と魔法の世界で、自分がその一員になることをどうして考えずにいられよう? 碧いとまり木亭で過ごすうち、冒険者になって自力で帰る方法を探す、それが一番の近道なんじゃないかと本気で考えもした。ティオの提案だって、もし強く押されていたら、なし崩し的に受け入れていたかもしれない。


 だけど、俺の目の前には、どうしようもない現実が横たわっている。


 突然異世界に放り出されたんだ、ちょっとくらい、その世界で夢くらい見させてくれたっていいだろうに。


 果たして存在しているのかもわからない、俺をここに連れてきた誰かに文句を言いながら、両手を見つめる。


 薄暗い宿の裏庭、まめだらけになった俺の両手が、月明かりにぼんやりと照らされていた。貧弱な、情けない会社員の手だ。最近は、少しは節が太くなってきたような気もしていたのだけれど。


 足元に置いてあった、昼間から出したままの斧を手に取る。台の上に薪を立てる。斧を食い込ませて、頭の後ろまで大きく振りかぶり、力一杯に叩きつける。


 鈍い音がして、薪が二つに割れて転がった。


 こうして毎日のように薪を割ったり、アイラさんの買い込んだ荷物を運ぶうちに、だいぶ筋力がついた気がした。最初はへろへろになっていた水汲みだって、最近は足腰も追い付いて、難なくこなせるようになってきた。掃除だって洗濯だって、この世界じゃ全部が力仕事だ。


 何もかもがアナログなこの世界で暮らすうち、俺の身体だって、少しは体力がついたように思う。


 だから、もしかしたら、冒険者になるのだって、まったく無謀な話じゃないかもしれないと、そんなことまで思い始めていたけれど。


 斧を振り下ろす。


 薪が割れる。


 でも結局、俺は酔っぱらいの拳ひとつ対処できない、なんの力もない人間だ。今日の一件で、それがよくわかった。


 斧を振り下ろす。


 薪が割れる。


 そんなこと、最初からわかっていたはずだ。いきなり異世界にやってきたところで、俺は俺のままだった。そんなのは、この世界で最初に確かめていたことだったのに。


 だというのに。


 どうしてこんなにも、気持ちのやり場がないのだろう。


 斧を振り下ろす。


 打ち損ねて、薪が地面に転がった。


「力みすぎだ」


 後ろから聞こえてきた声に、慌てて振り返った。


 大柄な人影が、静かにこちらを見据えていた。


「リオン、見てたのか」


「ああ」


 俺は顔を背けた。どうしてか、その物静かな視線を、真っ直ぐに見返せなかった。


 口数の少ないダスカートは、そのまま黙って歩み寄って俺の手から斧を取り上げ、俺はされるがままに斧を渡した。


「ずっと力が入りすぎている。握るのは、支える手の小指だけだ」


「え?」


 呆然と見守る俺の前で、リオンは斧を振り上げ、止める。彼の手元を見ると、確かに右手にはほとんど力が入っていないように見えた。


「重さに任せて振り下ろす。力を籠めるのは、最後の一瞬だ」


 斧が振り下ろされる。乾いた音がして、薪が真っ二つに割れていた。


「……すごいな」


「やってみろ」


「いや、俺にはそんな力……わかったよ」


 有無を言わさず差し出される斧に根負けし、俺はそれを受け取って、薪に正面から向き直った。


 あんなきれいに二つに割るなんて、絶対に無理だ。


 斧を振りかぶる。


「振りかぶりすぎだ」


「っ……こう、か?」


 頭の後ろまで振っていた斧を、頭の上で止める。横に寝ていた斧を、大きな手で、上に立つように直された。


「力を抜け、小指だけ締めろ。斧に任せろ」


 言われるがまま、腕全体から力を抜いた。斧を支える、左手の小指だけをしっかりと握り込む。


 斧の重さに逆らわないように、重力に従うように、斧を振り下ろす。


 あ、まっすぐ下りる。力任せに振り下ろしていた時にはなかった感触が、斧から伝わってきた。斧が抵抗しない。いや、俺が斧に抵抗しない。


 最後に薪に当たるその瞬間にだけ、全身の力を加えた。


「……マジか」


 綺麗に真っ二つ、とまではいかなかったが、斧は薪をその半ばまで引き裂いていた。今までは、こんな風に振り下ろしても、斧が刺さるどころか、弾かれるのがオチだったのに。


「まだ力を籠めるのが早い。体で覚えろ」


「あ、ああ……」


 何故だかわからないが、リオンから薪割り講座を受けてしまった。いや、それはもちろんありがたいというか、なんなら俺の薪割り作業に改革が起きそうなのだが。腕に余計な力が入っていない分、疲労度がまったく違う。


 だがそういう問題ではなく。


「教えてくれたのは、ありがとう。でも、なにか用があったんじゃないのか?」


 わざわざ斧の使い方を教えるために来た、わけでもないだろう。


「……様子を見に来た」


 リオンは静かな口調で、そう答えた。


「俺の?」


「ああ……冒険者に誘われていたな」


 聞いてたのか。


「お前は、どうしたい」


 なぜ、そんなことが気になるのだろうか。疑問には思ったが、それよりも俺は、その質問の方に気を取られていた。


 俺が、どうしたいか。


「……なりたくない、と言えば嘘になる」


「そうか」


「けど見てただろう。酔っぱらい相手であの調子じゃ、冒険者になるなんてお笑い草だ」


 勇んで冒険者になったところで、あっという間に魔物の餌食になるのが関の山だ。俺は、自分の命に、あるいは一緒に冒険しようと言ってくれたティオの命にも、そんなに無責任にはなれない。


「だから、冒険者にはならない。現実的な判断だ」


「……そうか」


 俺がそう答えると、リオンはそれ以上なにも言わなかった。


 どうしてか、言い訳を並べているような、そんな居心地の悪さを感じ、俺も口を開くことができなかった。


 そうして、しばし互いに無言でいると、三つ目の足音が裏庭に近づいてくるのが聞こえた。


「あ、リックさん! こちらにいたんですね」


 アイラさんだ。どうやら戻ってきたらしい。


 リオンはその姿を認めると、入れ違うようにして裏庭を出ていこうとする。だが最後に振り返って、俺に向かってこう言い残した。


「力みすぎるな。それから、相手の眼をよく見ろ。動きがわかる」


 それがなんのアドバイスなのか、このときはまだ、ピンと来ていなかった。


「リックさん、ティオさんたちから聞きました。お怪我はありませんか?」


 去っていくリオンの後ろ姿を見送りつつ、アイラさんが心配そうに俺の傍にやってくる。心配されるほど酷くはやられていないが、考えてみると俺は、殴られた直後にそのまま出てきてしまっているのだった。


「あ、怪我はどこも……ティオもリーリア先生も、不安にさせてますよね。悪いことしたな」


「二人とも、心配してましたよ。もちろん私も」


 そう言って笑ってから、一転、アイラさんは今にも泣き出しそうな表情を見せ、俺は大いに焦ることになった。


「ア、アイラさん?」


「ごめんなさい、リックさん。今回は、私のせいで」


 そしてこんなことを言い出すのだから、たまったものではない。


「アイラさんのせいって、どうしてそうなるんですか」


「ガストンさん……リックさんを殴った彼は、ずっと私に好意を抱いてくれていて……けれど、悪い酔い方をする人で、申し訳ないけれど、もうお店に来ないでほしいって言ってたんです」


 その辺りの事情は、リーリアの口振りと、男の……ガストンの口振りから、おおよそ察してはいた。出禁にされて、しばらくは大人しくしていたのかもしれない。だが、あとから現れた俺のような男が、平然と店に出入りしていたのが面白くなかったのだろう。


 しかし、それをこんな風に表現できるのは、アイラさんの優しさというべきか、ある意味で大物っぷりと言うべきか。


 当初はリオンにも相談しようか考えていたらしいが、あくまで客のリオンにそれを言うのも申し訳ないと、話していなかったそうだ。


「でも、私がちゃんと相談していれば……いえ、そもそもガストンさんに、もっとちゃんとお願いしていれば」


「ちょっと、待ってください。悪いのは全部、酔って暴れたガストンでしょう? 俺を殴ったのもあいつです。アイラさんが謝ることなんて、ひとつもないじゃないですか」


 だというのに、アイラさんの面持ちは一向に晴れようとはしない。俺を助けてくれた宿の女将さんは、こんなに抱え込みがちな人だったのか。


 立ったままもなんだからと、俺は庭の隅のベンチにアイラさんを座らせ、自分もその隣に腰かけた。


「聞いてください、アイラさん。今まで言葉が拙くて、あんまりきちんと言えてませんでしたけど、俺は、本当にアイラさんに感謝してるんです」


 母子が二人で切り盛りしてるような宿に、俺なんぞという、見も知らずで素性もしれず、言葉もわからない人間を、住み込みで働かせてくれる。そんな、内蔵の一個や二個寄越せと言われても頷けるような恩義を、俺はアイラさんから受けているのだ。


 それを、思い付く限りの言葉でアイラさんに伝える。


 見知らぬ土地で右も左もわからない俺にとって、アイラさんの、リーリアの存在が、どれほど心の支えになってくれていたのか。ティオが言葉を教えてくれたように、二人が身の振る舞い方を教えてくれなきゃ、俺はいつまでも物知らずのままでいたこと。


「アイラさんに頭を下げさせた日には、俺なんて腹を割いて見せなきゃいけなくなっちゃいます」


「そ、それは困ります」


 でしょう? と笑って見せたら、ようやくアイラさんも笑顔を見せてくれた。


 それでどうにか、アイラさんの表情は多少明るくなったが、それでもどこか申し訳なさそうな様子は変わらなかった。


「私は……いえ、私もリックさんには本当に感謝してるんです」


 わずかに俯きながら、アイラさんはそう切り出した。


「私の夫が冒険者だった話は、しましたか?」


 いえ、と首を振る。初耳だった。


「この宿も、最初は夫と二人で始めたんです。夫に依頼がないときは二人で、夫が冒険に出掛けるときは、ここが帰ってくる場所になれるように」


 だから、とまり木亭なんです、といってアイラさんは笑う。寂しげな微笑みだった。


「けれど、あるとき、夫は物言わぬ体で帰ってきました。私には宿と、まだ赤ん坊だったリーリアだけが残されて。おかげでゆっくり泣いてる暇もなかったんですよ」


 それは嘘、というか、小さな見栄だろう。この優しい女主人が、最愛の人を亡くして悲しみに暮れなかったとは思えない。


 それでも、アイラさんは前を向いた。亡くなった旦那さんが遺したものを、守っていくために。


「それからどうにか、二人で宿を続けてきましたけど、そろそろ潮時かな、って考えることも多かったんです」


 けれどそこに、ティオが現れた。


 カザディルでは貴重な精霊術士がやってきたことで、宿の売り上げは多少上向いた。


 さらにそのティオが連れてきたのが、俺だったというわけだ。


「女手だけで宿を続けていくのは、やっぱり大変でしたし、どうしても制限もありました。だから、リックさんが来てくれたことで、本当に助かってるんです」


 正直に言えば、最初は少し悩みましたけど、とやっぱり申し訳なさそうにするアイラさんだが、むしろ少しも悩んでなかったら、逆に心配になる。この人、いつか悪い人間に騙されないだろうか。


「リックさんは、きっと自分のことでも大変でしたでしょうに、本当にたくさん助けていただいて」


「いや、それはこちらこそで」


「そうかもしれません。でも、だからガストンさんが言っていたというようなことは、本当にまったくないんですからね」


 ガストンが言っていたような……? と、一瞬考えてしまったが、ひょっとしてあれのことを言っているのだろうか。


「もしかして、アイラさんが迷惑してる、ってやつですか?」


 はい、とアイラさんは小さく頷いた。


「そんなの、真に受けたりしませんよ。そりゃ、迷惑かけてしまってるかも、って思ってないとは言えませんけど」


「迷惑なんて、リーリアにも本当によくしてくれるのに」


「リーリア先生にも、よくしてもらってるのは俺の方ですよ」


 いやいや、いえいえ、の応酬は、どちらともなく笑い出すまで続いた。


 けれどそのおかげで、さっきまで情けなく落ち込んでいた俺の気持ちも、だいぶ落ち着いたような気がする。全部引っくるめて、アイラさんには感謝してもしきれない。それにリオンにもだな。


 第一、落ち込むようなことでもない。最初からわかってたことを、再確認しただけだ。


「わかりました、じゃあお互いに助かってるってことで」


「ふふ、そうですね」


「あ、でも、ひとつお願いしてもいいですか」


「はい?」


「俺になにか頼むとき、まだ遠慮がありますよね」


「……わかります?」


 そりゃもう、わからいでか、というくらいバレバレである。


 俺がティオと話してるときは、なにか用がありそうなのになかなか話しかけてこなかったり、リーリアと話してるときもそうだ。それに、仕事を頼むときに、まずこちらの予定を聞いてくる。雇い主はアイラさんなんだから、むしろこっちの都合をぶっちぎって押し付けてくれたっていいのに。


「それ、なしにしましょうよ。俺、アイラさんのお願いなら、なんだって聞きますから」


「ありがとうございます……あ、それじゃあ」


 早速なにか仕事か? と身を乗り出した俺に、アイラさんはとんでもないことを言い出した。


 そして翌日、俺は荷物をまとめて、サウラ・カザディルを離れることとなった。

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