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リングアンドの冒険者たち  作者: ふぉるく
第一章 異邦人のうた
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第2話

 かつて、胸躍る冒険に憧れた。

 あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。

「====、=====」


 俺を助けてくれた、と思わしき少女が、心配そうな表情で俺に何かを話しかけている。のだが、生憎とそれは日本語ではないし、英語でもなさそうであった。たぶんフランス語とかドイツ語とかでもない。


 参った。さっぱりわからない。


「待ってくれ、何を言ってるのか全然……いっづ……!」


 極限状態からは気持ちがいくらか落ち着いたからであろうか、今さらのように獣にやられた傷が猛烈に痛み出す。さっきまでも痛かったはずなのだが、ようやくそれを思い出したというべきか。


 思わず傷ついた足を両手で押さえるが、それでどうにかなるような程度は通り越している。とにかく血を止めて傷口を塞がなければいけないと、分かってはいるのだが、身体が痛みに耐えられない。


 こんな傷、平穏に生きてたこれまで、一度も経験したことがない。痛みってすごいな、全身の力がこの傷を押さえることに集中してしまって、他になにも動かせそうにない。


「========」


 少女がまたなにか言っていたようだが、もはやそちらに顔を向ける余裕すらなかった。ひたすらに足を押さえつけて、どうにか痛みが引いてくれないかと堪え続ける。当然、痛みは引くどころか、心臓が脈打つたびに刺されているようで、情けない声が口の端からこぼれてしまう。


 それでも俺には、他にどうすることもできなかった。


 不意に、その痛みが和らいだ。ピークを過ぎたのだろうか、と思ったが、それにしては次第に楽になっているような、そんな気がした。


 それから、俺の手に温かく触れる感触があった。顔を上げると、少女が両手を俺の手に添えているのだった。少女は安心させるように笑うと、そっと俺の手を傷口から退けさせた。


 少女が杖を手に、また聞き慣れない言葉でなにかを唱える。するとどうだろう、少女の周りに、きらきらとした光が集まりだしたではないか。少女は手を振って光を導くと、その光は俺の足の傷口へと染み込んでいった。


「うぐっ」


 痛みともむず痒さともつかない感触が、傷口に走った。恐る恐る見てみると、まるで自然治癒を早回しで見ているかのように、傷口が塞がっていくのだ。


 魔法だ。魔法で俺の傷を癒してるんだ。さっきの獣もやはり、こうして魔法で仕留めたのだろうか。


 人智を超えた、しかしずっと夢想してきた体験に、能天気にも俺の心臓は、さっきまでとは別の高鳴りを覚えていた。


「=======?」


 傷がすっかり塞がったのを見て、少女がまた話しかけてくる。それでもやはり、さっぱり理解できないのは変わらない。具合を聞かれている、のだとは思うけれど。


「ああ、もうすっかり痛くなくなった。でも、言葉がわからない。逆に、俺の言ってることはわかるか?」


 身ぶり手振りを加えて問い返してみるが、今度は少女が首を傾げる番だった。当然といえば当然だが、やはりこちらの言葉も通じていないらしい。


「=====、==?」


 なにか、先程までとは違う響きの言葉で聞かれているようだが、それもやはりこれっぽっちも聞いたことのない言葉だった。


「悪い、なにもわからない」


 首を振って答えると、少女は困ったように眉をしかめて腕を組んだ。気持ちはわかる。俺だってそんな気分だ。


 ややもして少女が立ち上がる。もしかして、行ってしまうのだろうか。一瞬そんな不安が過ったが、そうではなかった。

 

少女は俺のてっぺんから爪先まで、じっくりと視線を巡らせている。観察されているのだろう、しかしそんなにまじまじと見られるのは、どうにも落ち着かないものがある。ましてや、たぶん異種族の、それも美少女に。


 その視線が一点で止まる。なにも履かない、裸足の両足だ。


「====?」


 ゆっくりとした口調で聞いてくれるが、どこがどういう文節なのかわからないので、聞き取りようがない。


 答えあぐねいていると、少女が自分の足を指差しながら、もう一度聞いてくれた。


「===」


 多分、今のはわかった。


「靴?」


 少女の足を指差しながら、同じ言葉を繰り返す。少女は笑顔で頷いた。


「靴、ない。ないんだ」


 日本語混じりで答えるが、やはり要領を得ない。何も持っていない、と身振りを交えて何度か繰り返し、ようやく通じたようであった。


 今度こそ、少女は困りきった顔で首を捻った。俺も全く同じ心境だよ。


 やがて何かしらの結論が出たのか、少女は自分のことを指差しながら、また同じ言葉を繰り返した。


「===、ティオニアンナ。ティオ」


 これは流石にわかる。自己紹介だ。


「ティオ?」


 少女を指差しながら聞くと、また笑顔で頷いた。そして、今度は俺を指差した。


「ええと……陸人、早瀬田陸人だ」


「リック……ヤーシェ……?」


 ああ、しまった。互いに言葉の通じない相手に、日本語名は解りづらい。


「いや、リック。リックでいいよ」


「リック?」


「ああ、リックだ」


 この方が異国風で呼びやすいだろう。それに、馴染みのない呼ばれ方じゃない。母親なんかは、いまだに俺のことをりっくんなんて呼んでいるし。


 ようやくお互いに名前を交換すると、少女……ティオは満足げにひとつ頷いた。それから、彼方の山脈を指差して話し始める。正確にはその麓の街らしきものを。


「ティオ======。リック=====?」


 俺と自分と、そして街とを指差しながら話すティオ。恐らくだけれど、自分はあの街に行くが、俺はどうするか、と聞かれているのだろう。そう信じたかった、というのが本当のところだ。


 一も二もなく俺は頷いた。見知らぬ土地でたった一人、助けてくれた相手が言葉の通じない異人だったとしても、その差し伸べられた手を振り払えるほど、俺は強くなんてない。


 見ず知らずの相手に簡単に着いていってしまっていいのか、という疑問が過らないでもなかったが、今の俺には、彼女は救いの女神にしか見えなかったし、事実として、彼女は俺にとって救世主に他ならなかったのだ。


 ティオに導かれるまま立ち上がり、彼女の後について丘をいくつか越えると、その向こうには街道が通っていた。炉端には馬車が一台……馬車……引いていたのは、むしろ鹿のような体躯で、山羊のようにまっすぐな二本の螺旋角を持った生き物だったので、正確には違うのだが、あとでこの動物の名前が判るまでは馬車としておこう。


 その周辺には、あの俺を襲ったのと同じ獣が一匹、やはり同じように身体のあちこちを切り裂かれて息絶えている。どうやらこちらにも現れていたらしい。ティオ、よく俺の方まで助けに来てくれたものだ。


 ティオは、御者台に座る男性になにやら話しかけ、 ほどなくそれがまとまったのか、角の生き物が引く荷車に乗り込むと、俺を手招きした。荷車には、麻袋や木箱が積まれており、中身にはちらりと野菜や果物らしきものが見える。御者をしているのは商人だろうか?


 ともあれ、こうして俺は馬車上の人となったわけである。


 道中はのんびりとしたものだった。天気も変わらず、気候も暖かい。荷車の揺れも、一挙に色々なことが起きた俺には心地よかった。


 だが、安穏と揺れに身を任せているわけにもいかない。これからどうなるにせよ、意思の疎通もままならない、というのはいただけない。このままでは身の振る舞い方すら定まらないままだ。できることは少しでも試してみなければ。


「ティオ」


 聞き齧った知恵を試そうと俺は、木箱を背に座っていたティオを呼び、荷車の床に、指でぐるぐると図形を描いて示した。


 近寄ってきたティオは、それを覗き込んで首をかしげる。当然だ。そうでなきゃ意味がない。俺は繰り返し床に図形を描いて示す。なんの意味もない、めちゃくちゃな図形を。


「リック、====?」


 ティオが心底不思議そうな顔で、俺に尋ねた。それこそ、俺が欲しかった言葉だった。


「これはなに?」


「リック?」


 ティオが尋ねてきた言葉をそのまま返す。今度はティオの靴を指差しながらもう一度。


「これはなに?」


 どうやら、ティオもそれで合点がいったようだった。納得した表情で、頷きながら答えてくれる。


「これは、靴だよ」


 さっき聞いたばかりの言葉が返ってきたのを確かめ、俺は試みが成功したことを確信した。いつだか聞いた、本土の人間がアイヌ語を聞き出すために使ったという手法の真似だったが、これで意思疏通の第一歩は掴めた。


 それから、馬車が街に近づくまでの間、俺は目につくものの名前をひたすらに聞き続けた。林檎や人参、荷車、それを引く動物……イルクというらしい。つまり俺たちが乗っているのはイルク車というわけだ。


 俺が言葉を覚えようとしていると気付けば、ティオも積極的にあれこれと教えてくれた。『はい』や『いいえ』、『ある』や『ない』といった概念も知ることができたのは、この先言葉を学ぶ上で大きな助けとなる。


 ティオの種族についても聞き出すことができた。これは御者の男性が、俺と同じく恐らくは普通の人間だったことが救いになった。比べてこれはなに、と聞いたところでは、やはりティオは人間ではなく、フェルメルという種族になるようだ。


 ただ、これはまた後になって判ったことなのだが、正確には俺たちのような種族はヒューマと呼ばれ、人間はフェルメルたち他種族も含めての総称に当たるのだが、それはまた別の機会に記すとしよう。


 ある程度語彙が増えたところで、俺は自分の現状をどうにかティオに伝えようとした。言葉がわからないのはご存じの通りとして、俺は行くも帰るもわからない、異邦人だということ。これは「道、ない」なんていう拙い表現しかできなかったが、それでもティオはどうにか言いたいことを酌んでくれたようで、ひどく神妙な面持ちをしていた。


 そうして、いよいよ街が近づくまでの間、俺たちはひたすらに単語のやりとりを交わしていたのだった。


 視界の端に、街の外観が近づいてきたのを感じ、俺は視線を上げる。そこには、ずらりと見える景色の大部分を占拠する、白い石材の羅列が待ち構えていた。


 思わず俺は荷車の上で立ち上がった。


「思ってたよりでかいな……」


「サウラ・カザディル」


「あれ、街、名前?」


 ここまでの道中で聞き出した語彙で拙く聞き返すと、ティオは頷いた。サウラ・カザディール、仰々しい名前だ、そんな風に感じる響きだった。


 街は、石を積んで組まれた外壁に、ぐるりと囲われている。


 大きな街だ。近づくにつれて、だんだんとそれが如実になっていく。


 街を囲っているのであろう外壁は、二十メートル以上はあろうかという高さもさることながら、周囲がどれほどになるのかは、一見しては測りきれない。その向こうの街の中には、やはり石造りの建物があるようで、遠目から見た通り、街の奥に向かって段々と階段状に街が積み上げられているようだ。


 目前に迫った外壁には、石で組んだアーチ状の門があり、街道はそのまま門の中へと続いていた。巨大な木製の門は開け放たれているが、その口には数人、金属鎧を纏い槍を手にした門番が立っている。


 イルク車が門に近づくと、番兵が制止をかける。どうするのかと見ていると、御者が懐から紙……多分羊皮紙……を出して番兵に見せる。通行証だろうか、番兵はそれを認めると、御者となにか言葉を交わす。ちらちらと俺の方を見ていた気がしたが、それで許可は下りたらしい。


 街の中に入ると、地面も石畳に変わり、周囲の様子も一変する。石造りの街なんて初めて訪れたが、全体的な印象は乳白色の街、といった風情だ。どの建物も、地面からそのまま地続きで建てられているような印象を受ける。街路を挟んで、建物と建物の間に通路が架けられているところもあり、立体的な構造をしているように思えた。


 通りを進んでいくと開けた場所に出る。中央に噴水の設えられた広場は人で賑わい、あちこちに露店が展開している。市場だろうか。よく見ると、フェルメルや、それにまだ名前の知らない異種族の姿もちらほら見てとれる。


 広場に入って、イルク車は停まった。


「リック」


 ティオに呼ばれる。どうやらここが終点のようだ。荷車を降りると、草原とは違う、冷たい石畳の感触が素足の裏から伝わってきた。


 先に降りたティオはというと、御者となにか話しているようだった。てっきり運賃を支払うのだろうかと思っていたのだが、貨幣が入った小袋を受け取ったのはティオの方だった。はて。


 そもそも、ティオはこの世界でどういう立ち位置の人間なのだろう。魔法使いというのは、日常的な存在なのだろうか。どうにか聞いてみたいなと、俺は首をもたげる好奇心に、自分の現状も忘れかけていた。





 イルク車を降り、依頼主だった商人と別れると、ティオニアンナはつい先程助けた男……リックと名乗った言葉の通じない男を連れて、歩き始めた。


 ティオニアンナがリックを助けたのは、ただの通りすがりという訳ではなかった。リックが黒狼に襲われていた原因の一端は、ティオニアンナにもあったためだ。


 商人からの依頼はミナーカまで買い付けに行く道中の護衛だった。なんて事のない、珍しくもない仕事だ。


 ここしばらくは、こんな仕事が大半だった。古代文明の謎に直面したり、恐るべき魔物に立ち向かったり、もちろんいきなりそんな大事件に携われるなんて、そこまで期待はしていない。それでも、もう少し心が踊る冒険がしたいと、ティオニアンナは常々そう感じていた。


 往復で三日間、イルク車に揺られながら、なにか面白いことでも起きないかと考えていた、その帰路でのことであった。


 いち早く気配を感じ取ったのは、荷車を引いていたイルクだった。イルクが怯えた様子を見せ始めたのを察し、ティオニアンナはすぐに精霊に尋ねた。黒狼が二匹、丘の陰からこちらに向かってきているという。


 ティオニアンナは胸を撫で下ろした。なにせ今回は一人で受けた仕事だ。黒狼は危険な相手だが、二匹までなら対処できる。もし三匹目がいたら、無傷で済んでいた保証はなかった。同時に運がないとも思う。こんな大きな街道沿いで黒狼に遭遇するなど、滅多にあることではないのだ。


 黒狼が姿を現すよりも先に精霊との契約を結び、首尾よく一匹目を仕留めたところまではよかった。計算外だったのは、二匹目の拘束に失敗したことだった。


 仲間がやられたのを見た黒狼は、すぐに逃げ出した。ティオニアンナは内心で悪態をつく。こんな街道沿いで黒狼を野放しにするのは、この道を通るものに危険極まりないし、何より黒狼はドラヴの斥候だ。もしも近くに主人がいて、報告に戻られるのも面白くはない。


 見失うまでは追いかけよう。そう決めて、追跡を始めて程なく。丘をいくらか越えた先で、黒狼が新たに見つけた獲物に襲いかかっていた。


 慌てて助けた相手であるリックは、落ち着いて見れば見るほど、奇妙な男であった。いくら街道沿いとはいえ、街の外を歩くには似つかわしくない軽装で、靴すら履いていない。そしてなにより、言葉が通じないという。西方語はもちろん、試しに森の言葉で話してみても、変わりはしなかった。


 彼自身、どこのものともしれない言葉で話していたこと、こちらの意図をすぐに理解して応答してくる辺り、学がないというわけでもない。


 黒狼に付けられた傷を精霊術で癒したとき、妙に目を輝かせていたところは、知り合いの幼い少女にそっくりだと思ったりもしたが。


 何よりティオニアンナの興味を引いたのは、イルク車での中でのやり取りだった。


 リックは、機転の利いた方法でこちらの言葉を引き出すと、どんどんと西方語を覚えようとし始めた。そして覚えた言葉で拙く伝えてきた「道、ない」の言葉。恐らく迷子か、行く当てがないか、そう言いたかったのだろう。


 だからティオニアンナは、彼を助けることにした。自分の不手際で怪我を負わせてしまった、という負い目もある。だがそれ以上に、この男が何者で、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。それが知りたくなってしまったから。


 ティオニアンナは冒険者だ。好奇心に従わない冒険者など、死んだも同然だ。それが信条だった。


 噴水広場を離れ、路地に入る。程なく、目的の店にたどり着いた。扉の上に、小鳥のとまる木の枝をあしらった看板を掲げた一軒の 宿。碧いとまり木亭。ティオニアンナが拠点としている冒険者の店だ。


 まずは、とにかくリックに言葉を教えよう。彼のことを聞き出すには、それが一番の近道であろうから。


 リックからは、新たな冒険の匂いがする。


 そう確信しながら、ティオニアンナは店の戸を開いた。

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