第25話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
「姉さんは、冒険者でした」
碧いとまり木亭に戻り案内した席で、アケビアと名乗ったウォルデンの少女はそう語り始めた。
食堂には数人の冒険者がたむろしており、カウンターにはジジが立っている。アイラさんは調理中、リオンは不在のようだ。
この見た目のわりに臆病そうなウォルデンを怖がらせないように、事情は俺とティオだけで聞いている。いや、カウンターの端からリーリアも顔を覗かせているのは気付いているが。
「ヴェンドールは狭すぎるからって、故郷を飛び出してあちこち旅をしながら冒険者をしていたんです」
ワインに口をつけながら、アケビアはぽつぽつと語っていく。
聞けば彼女自身は冒険者というわけでもなく、言学院と呼ばれる場所で教えを受ける身……有り体に言えば学生の身分であるらしい。
「私には、定期的に手紙を送ってくれていました。いまはどこでなにをしていて、どんな冒険をしたのかって、いつも楽しそうな様子でした」
だが、その姉からの手紙が、あるときを境にぷっつりと途絶えてしまった。
「間が空いてしまうことは、これまでもありました。でも、こんなに長く音沙汰がないなんて、はじめてで」
「最後の手紙は、いつ?」
「三か月前です。そ、それで私、居ても立っても居られなくて……」
不安なのか心配なのか、その両方か、震える声で話すアケビアの目には、いまにも零れそうなほどの涙が浮かんでいる。
「最後の手紙で、カザディルにいるって書かれてたのか?」
聞くと、アケビアは弱々しくひとつうなずいた。
「それで冒険者の店で探してたのか」
だが、それには首を振った。
「い、いえ、たぶんもう、カザディルにはいないんです」
「え、それじゃあ?」
「さ、最後の手紙で、セイロガという村に行くって書かれていて」
「なんだって?」
思わぬところで出てきた名前に、俺は驚愕した。あの景観麗しい平和な村の名前を聞くのも、ずいぶんと久しぶりだ。
そのときティオが隣で険しい顔をしていたことには、まだ気づいてはいなかった。
「街で出会った人に誘われて、綺麗な場所らしいから、見に行ってみる……ほ、本当にいい場所なら、私にも来てほしい、って」
それを聞きながら俺は、彩り豊かで平和を絵に描いたようなセイロガの情景を、脳裏に思い返していた。確かに、あそこは姉妹で観光するにはもってこいの場所だろう。セイロガに行くためにカザムダリアに来る価値もあると思う。
「セイロガってどんなところだろう、姉さんはいつ私を呼んでくれるんだろうって、楽しみにしていたのに……」
ひとつの場所にあまり長居することのない姉に、手紙を返すことはしていなかったそうだ。そうすると、アケビアにはただ姉からの手紙を待つことしかできない。
だが結局、アケビアのもとに姉からの手紙が届くことはなかった。
そしてアケビアは、ついに姉を探しにい行くことを決心したというわけだ。
「じゃあ、冒険者の店で探してたのは」
「は、はい、セイロガへの行き方が知りたくて、聞いて回っていたんです」
なんだ、そういうことだったら話は早いじゃないか。
「セイロガなら行ったことがあるよ。道もわかると思う。なあ、ティオ」
なぜならあそこは、俺の最初の冒険の場所だ。トラブルはあったが、あの経験がなければいまこうして冒険者をやっていたかもわからない。
そんな場所を忘れられようはずもないだろう。
「ええ、そうですね……だいたいの行き方は覚えてます」
「ほ、本当に!?」
アケビアは、先程までとは打って変わって喜色満面でテーブルに身を乗り出してきた。
よほど姉のことが好きだったのだろう。そんな相手から、ずっと来ていた便りが来なくなって、さぞや心細かったに違いない。
だが、果たしてアケビアの姉は、まだセイロガにいるだろうか。三ヶ月前と言えば、俺たちがセイロガを訪れる前だ。村の隅々まで見たわけではないが、ウォルデンを見かけた記憶はないし、宿泊所は俺たち以外誰もいなかった。
もうセイロガを発ったあとだったとしたら、空振りに終わる。
とはいえ、最後の手がかりがそこなのだから、行ってみるほかに手はないだろう。
そんなことを考えられたのは、次の言葉を聞くまでだった。
「よ、よかった、セイロガに行ったことのある人が、誰も見つからなくて」
なるほど、剣とつるはし亭でも道を聞いて回っていたが、知っている人間が誰もいなかったというわけか。
……え?
セイロガへの行き方を、誰も知らない?
「本当に誰も知らなかったのか?」
「は、はい、だ、誰に聞いても、セイロガのことは知っていても、その村がどこにあるのか、知らないんです」
「冒険者の店以外でも聞いてみましたか?」
「市場で聞いても、村の人が作物を売りに来ることはあるけど、行ったことがある人は誰もいないって」
なんだ? なにかがおかしい気がする。
セイロガの住民は、ペリーヌさんは、自分の村の豊かで風光明媚なところを誇りを持って自慢し、是非色々な人に訪れてほしいと、そう言っていた。
だから、アイラさんにそうしたように、アケビアの姉にも誰かが声をかけて、村に招いたのだろう。
そんな開放的な村に誰も行ったことがない、っていうのはどういうことだ?
「あの、お願いします! わ、私をセイロガに連れていってください! お、お礼は少ししかできないけど……」
「あ、ああ、それはもちろん」
アケビアを村へ連れていくことには、当然異論はない。はずだったのだが。
「ちょっと、待ってください」
「ティオ?」
見ればティオは、いままで見たことのないような険しい、あるいはなにかに怖がっているかのような表情をしている。
「その前に少し、セイロガという村について、調べてみませんか」
いつになく慎重な様子で、ティオはそう言った。
「セイロガについてって、どうして?」
「いえ、ほら、私たちも道をすべて正確に覚えているわけではありませんから」
嘘だな、と直感的に思った。ティオが嘘をついたり、誤魔化そうとするときに杖を抱き締めるように握ることくらい、ここまでの付き合いでとっくに気づいている。
そしていま誤魔化そうとしている相手は、恐らくはアケビアだ。
「あなたも長旅で疲れてるでしょうから、ここで少し休んでいてください。行きましょう、リック」
「え、あ、あの」
「すぐに戻りますから! ジジ、この子の話し相手になってあげてください!」
「はぁ!? いきなり投げないでよ、ちょっと!」
そう言って強引に手を引かれ、ぎゃんぎゃんと文句を言っているジジにあとを任せ、俺たちは店の表に出た。
出て戸を閉めたところで、手を引いてティオを引き留めた。
「いったいどうしたんだよ、ティオ?」
「彼女の前では言いづらかったんですが、リック」
ティオは俯いたまま、なにかをぎゅっと押し殺したような様子で口を開いた。
「あのセイロガという村は、なにかがおかしいんです」
それは、いったいどういう意味なのか。
「おかしいって、どういうことだ」
「理由はいくつかあります。ただまず、セイロガについて調べてみたいことがあるんです」
それが見つかれば、ただの考えすぎで済むんです、とティオは緊張を湛えた面持ちで言う。
「なにを、調べるんだ?」
「セイロガに行って帰ってきた人が、本当に私たち以外にいないのか、についてですね」
◆
────知ってるわ、とても綺麗なところなのよね。
────すごく素敵な場所だって話には聞くけど、行ったことはないよ。
────ああ、そこからうちによく作物を売りに来るよ。場所は知らないけど。
────そういえば以前、旅の商人がそんな村に誘われたって話をしていたな。いや? それ以来姿を見ないからなあ。
それが、俺が集められたセイロガに関する情報のすべてだった。
ティオの言葉に従い、俺たちは二手に別れて街のあちこちで調査をして回った。市場や酒場、商人通りの店も訪ねて聞き込みをした。
結論から言えば、セイロガについて、その詳細を知る人間は誰一人として存在していない。
調べて回るうち、だんだんと俺の背筋には嫌な汗が浮かぶようになっていた。
セイロガについて知る人間は、意外なほどに多い。村の人間が街に商売をしに来ているのだから、それはいい。
だがその誰もが、口を揃えて言うのだ。『年中花が綺麗に咲いて、作物も豊かな素敵な村なんだよ』と。実際に見たことがあるという人間は誰もいないというのに。村の人間と関わったことのあるものも、ないものも、さもそれが当たり前であるかのように、そう話すのだ。
そして村に誘われた人間は、誰も帰ってきていない。俺たちを除いては。
「偶然、にしては気味が悪すぎる」
宿に向けて歩きながら、俺は頭の中で調査結果をまとめていく。
誰もが知っているのに、誰も訪れたことのない村。ここまで来ると、俺たちが行ったのが本当にセイロガだったのか、あるいはセイロガという村は本当に存在しているのか、なんて疑いたくもなってくる。
調べを進めるうちに、だんだんとティオが警戒していた"なにか"について、俺も感じるようになってきていた。
あの村はなにかがおかしい。いまならその言葉を疑い無く受け入れることができる。
もうすぐ陽が傾いてくる。ともかく、宿に戻って報告しよう。
人通りの間を抜け、宿への道を急ぐ。
がらがらと荷車の走る音。蹄が石畳を叩く音。
俺は足を止めた。イルク車が通ろうとしている。
考えてもみると、セイロガに訪れたとき、村についてからずっと、ティオはどこか落ち着かない様子を見せていた。あるいは、彼女はあのとき既に、村になにか違和感を覚えていたのだろう。
その理由も、きちんと聞かなければ。
「え?」
気付けば俺の身体は、石畳に前のめりに倒れ込んでいた。
周りの人の息を飲む音。驚き嘶きをあげるイルクの声。俺にかかる棹立ちになったイルクの影。
身を起こして振り替えると、俺を踏み潰そうとしたカザムコールの姿が被って見えた。
「リック!」
意識よりも身体の方が先に動いた。考える間もなく俺は横に転がり、イルクの足の先からあわやというところで逃れる。
ほんの一秒にも満たない前の瞬間まで俺の頭があった場所に、イルクの体重の乗った蹄が叩きつけられた。
「だ、大丈夫ですかリック!?」
「ティオ……俺、いま……」
突き飛ばされた……?
「怪我はないかあんた!」
イルク車の御者をしていた男性が、慌てて降りてきて声をかけてくれるが、俺の意識はその後ろに向いていた。
ざわざわと俺を見る人々の中。慌てたようにその間を縫って遠ざかっていく人影。
あいつだ。
「待て!!」
「あ、リック!?」
跳ね起きて走り出す。逃してたまるか。事故でぶつかっただけだったらまだいい、だがいまなら背中に走った感触をはっきりと思い出せる。
手だ。俺の背中には、両手で押し出された感触がまだ残っている。
どういうつもりもなにもあったものか。あいつは俺を、イルク車の前に突き飛ばして殺そうとした。
「どいてくれ!」
人混みを掻き分けて走る。
逃がさない。
逃げる影が角を曲がった。俺もそれを追って曲がる。
「うわ!」
「おい、危ないだろ!」
大きな箱を抱えた男にぶつかりそうになって、俺は足を止めざるを得なかった。
あいつは!?
通りを見回すが、逃げていく人影は人混みに紛れ、もうどこにも見当たらなかった。
「くそっ!」
なんなんだ一体。なんで俺が殺されかけた?
この世界に来てそんな恨みを買うようなことをした覚えはひとつも……。
俺の頭に、ひとつのまさかが思い浮かぶ。
「リック!」
通りをティオが走ってくる。そうだ、ティオも。
「ティオ、そっちはなんともないか!?」
「え、そ、それはこっちの台詞です! どうしたんですか、イルク車の前に転がり出たと思ったら突然走り出して、心配したんですよ」
「言っておくけど転んだんじゃないからな」
心外そうにしていたティオの表情が固まった。
「え、それって」
「突き飛ばされた。犯人っぽいやつを追いかけたけど、逃げられたんだ」
「それ、命を狙われたってことじゃないですか。なんで……まさか」
「俺も、ほかに心当たりがない」
確証はない。だが理由として思い浮かぶものがそれ以外にはなかった。
セイロガについて調べようとしたこと以外は。
「リック、急いで宿に戻りましょう!」
「え、あ、そうかアケビアも」
俺たちに出会う前、セイロガについて聞き込みをしてきている。俺を狙った下手人がどこでそれを聞いていたのかわからない。
だったら可能性は、決してゼロではない。
二人で走り出す。だが小柄なティオは、込み合った街路ではどうしても人並みに飲まれて遅れてしまう。
それがもどかしくて、俺はティオの細い子供のような身体を抱えあげた。
「ちょ、ちょっとリック!?」
「悪い、いまだけ我慢してくれ!」
「もう! あ、ちょ、変なところ触らないでください!」
ティオに罵声を浴びながら、とにかく急いで宿を目指す。
頼むから、何事もなく無事でいてくれと願いながら。