第22話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
山中の断崖に口を開けた洞穴は、どうやら思いのほか深く広いようだ。暗闇も見通せるというミュークスの目をして、入り口からでは内情は推し量り切れないらしい。トロールが棲み処にしていると思しき洞穴だ、さもありなん。
だがすぐ近くにトロールがいる気配もない。内部の偵察をジジとティオに任せ、俺とリオンは周辺を警戒している。万が一お出かけ中だったトロールが戻ってきた、ということもあり得なくはない。
ただひとつ、周囲を改めていて、どうにも気になることがあった。
洞穴の入り口周辺には、土や岩が散乱している。ごく最近のものだ。それにこの洞穴自体、まだできて間もないもののように思えた。
「なあ、リオン。この洞穴さ」
「内側から破られている」
先に言われてしまった。やはりリオンにもそう見えるか。
そう、洞穴は自然に作られたものではなく、内側から岩壁を強引に破って出来上がったようにしか見えなかった。トロールが外からやってきてここに棲みついたのではなく、ここからトロールが出てきたかのような塩梅だ。
そんなことがあるのだろうか。
「トロールも別に、岩から生まれるわけじゃないよな」
「どう生まれるかは知らん。だが、土の中で眠っていたのかもしれない」
大昔に眠りについたトロールが、なにかの拍子に起き出してきた。そんな事例はままあるらしい。なるほど。
考えてみると俺は、トロールについて話に聞くイメージ以上に詳しいことは知らなかった。
「実際戦うとして、トロールはどんな相手なんだ?」
「……鈍重だが、力が強い。皮膚は厚く、痛みにも鈍い」
言葉少なに、リオンは答えた。想像するだに厄介な相手としか思えない。
「弱点は?」
「日光の下では動きが鈍い。急所は目か首だ」
それゆえ、トロールと戦うのに精霊術士は欠かせないそうだ。だとすれば、やはりトロール退治にあたって俺たちは理想の編成をしてると言える。
強敵であることに間違いはないだろうが、それでもそう悲観しすぎることもない気がしてきた。
「恐れは必要だ」
周囲のやぶを油断なく見据えながら、つぶやくようにリオンが言う。
「だが怯えるな」
なかなか難しいことを仰られる。けれど言いたいことはわからないではない。相手を恐れることで慎重さが産まれる。けれど怯えては、機を逃す。
言われてみると、この世界に来る前の俺は、ずっと怯えていた気がする。なにかに挑戦することに怯え、ただ無難な道を歩んでいたような。機を逃し続けていたような。
「そうなれるように頑張るよ」
「ああ」
今だってそれができるかなんてわからない。だが、無闇に怯えるのは止めたいなと、そう思った。
「リック、リオン、来てください」
ティオに呼ばれ、洞穴の傍に集まる。ジジも入り口の脇で腕を組んでいる。
「どうだった?」
「ちょっと厄介よ、ここただの洞穴じゃないわ」
なんだって?
「入ってすぐのところはただの洞穴です。ですが、その奥が」
入り口すぐは開けた空間になっていたらしい。しかしその洞窟はそう広くはなく、トロールが棲みついてる気配もない。問題は、さらに奥の岩壁に、あろうことかもうひとつの入り口が待ち構えていたことだ。
「どうもね、奥の壁の向こうは、なにか古い建造物に繋がってるみたいなのよ」
ちょっと待て、それはつまり。
「はい、おそらく地に埋もれた古の遺物かと」
まさか、そんなことがあるなんて。狩場を荒らすトロールを追ってきたら、その棲み処が古代遺跡だったって?
「リック、あんたね……」
ジジのはちゃめちゃに冷たい目が俺を見ていた。
「な、なんだよ」
「目が輝いてますよ」
苦笑いのティオにまで指摘されてしまった。そんなに?
だが、これが目を輝かせずにいられようか。だって古代遺跡だぞ? 山を荒らす凶悪なトロールが潜む、これまで人目に付くことのなかった古代遺跡。そこに俺たち四人の冒険者。こんな、冒険物語におあつらえ向きなシチュエーションで、どうすればテンションを上げずに済むというのか。
「それ、入れそうなのか?」
「そりゃね、トロールが出入りしてるくらいだもの。中にあるのがなんであれ、全部踏みつぶされてるでしょう」
もっともな話だ。
この世界で時折発見される古代の遺物というのは、冒険者にとっては稼ぎ処であると同時に、厄介の種でもあるそうだ。もしも内部に宝物が眠っていれば、まさに一攫千金。だが遺構の中には、なにが潜んでいるか分かったものではない。特に、貴重な品が納められた宝物庫や墓所ほど、危険な罠や守り手がいるという。それに、見つけたのが金銀財宝であればいいが、それが封じられていた災厄だった日には……という話もある。
では今回のところはどうかと言えば。
「力任せのトロールが自由に行き来できていると考えれば、さほど重要な施設ではないでしょう」
罠はそもそもないか、あってもトロールが壊してしまえる程度のもの。本当に厳重に封じられた遺跡の罠というのは、そんなに簡単なものではないらしい。
あるいは内部になにか潜んでいるとしても、少なくともトロール以上のものはいない。
だとしたら、選択肢はひとつだけだ。
「よし、入ってみよう」
「簡単に言うわねまったく……斥候をするのはあたしなんだからね」
「難しいのか?」
「暗くて閉鎖されて、なにがいるかもわからない遺跡で先頭を進むのが難しくないのかですって? こんな厄介な仕事、あたし以外の誰にできるっていうのよ」
ジジは俺の肩を小突きながら、勝気に腕を回す。不敵な笑みがなんとも頼もしい。
「いずれにしろ、トロールを退治するには、ここに入るか夜になって出てくるのを待つしかありません。本格的に活動しているトロールよりは、昼のほうがまだ戦いやすいかと」
「昼間なら寝ている」
誰からも反対意見は出なかった。なんだかんだ、みんな目の前に口を開けている遺跡に、興味をそそられていたのかもしれない。
ともかくそうと決まれば話は早い。
手早く遺跡を進む段取りを決め、荷物から松明を取り出し、準備を始める。
「隊列はどうする?」
「ジジが先頭、その後ろに私とリックが続き、リオンに殿をお願いするのがいいと思います。いかがですか?」
三人ともそれで異存はなかった。
まさかこんなに早く、冒険者として憧れた場面のひとつに出会えるとは思ってもいなかった。俺はそわそわしながら、火打石で松明に火をつけた。油の染みた先端部分に、赤々とした炎が灯る。
隣ではティオが、精霊との契約を交わしている。ジジは音を立てないよう荷物の縛着を確認し、リオンは斧を背から取り出し、いつでも戦える姿勢だ。
「≪風よ、静寂をもたらせ≫」
ティオが契約を終えた。終わりました、と俺とリオンに言い、ジジに手を振って合図する。もう俺たちの声は、ジジには聞こえない。ティオを中心とした一定範囲の音は、魔法によって外に漏れず、斥候を務めるジジはその範囲外にいる。そしてジジの忍び足に、魔法は必要ないのだ。
さあ、いよいよダンジョンアタック開始だ。
ジジの手招きに従い、俺たちは暗い洞穴の中へと足を踏み入れていった。
◆
岩肌のむき出しになった洞窟の先、さらに崩れた壁をくぐると、そこは確かに、人口の建造物の中であった。
最初に出たのは、左右に続く通路の中だった。緻密に切り出された石を積んで作られたと思しき壁や床は縦にも横にも広く、一定間隔で柱の張り出した壁面は、大胆に彫り込まれた彫刻が彩り、さぞや堅牢で豪華な建物であったのだろうことを思わせる。カザディルの一般的な邸宅よりも、いっそ優美さを覚えさせる。
だが、俺の手に握られた松明以外の灯りが皆無では、それらの彫刻も、むしろ不気味さを浮き彫りにしていた。
遺跡の中を支配するのは、闇だ。
見通しの効かない暗い通路で俺たちを導いてくれるのは、一本の松明と、斥候を務めるジジだけ。
暗がりの中から、不意に壁に浮き上がってきた人型の彫刻に、俺は背筋が泡立つのを止められなかった。
「ここ、どういう場所だったんだろうな」
疑問が口から零れ落ちた。答えてくれたのはリオンだった。
「兵舎だ」
「兵舎?」
言われてみれば、あの壁のレリーフは戦士を模っているように見える。
「こんな宮殿みたいな彫刻がされてるのに、兵舎なのか」
「ひとつの時代の遺物は、どこもこんな感じですね。当時の力の象徴でもあります」
羊皮紙に木炭で地図を書き込んでいたティオから、聞き覚えのない言葉が出てきた。
「ひとつの時代?」
「リックにはまだ話していませんでしたか。ひとつの時代は、遥か昔に滅びた、人間が最も力を持ち繁栄したという時代のことです」
かつて世界は、ジルヴァンと呼ばれる種族に支配されていた。エイーラの子らの一員でありながら、現在の人間たちよりももっと大きな力を持っていた彼らは、世界の理に干渉できる言葉を用い、大地も天候も、思うままに操っていたのだそうだ。
大いなる力を籠めた秘宝や武具、施設を数々造り、栄華を誇っていた彼らは、しかし滅びを迎えた。ひとつの時代の終わりとともにジルヴァンも姿を消し、今では各地に残る遺物や遺構から、その存在を読み解くほかない。
その頃、この世界のすべての人間は、同じ言葉で話していたのだそうだ。
「それゆえ、ひとつの時代と呼ばれています」
「それじゃあ、エイーラの子らは六種族いたのか」
ここにいるヒューマ、フェルメル、ミュークス、ダスカート、そしてまだあったことないウォルデン。俺が人間として教わったのはその五種族だったが、どうやら過去にはほかにも存在していたらしい。
「ジルヴァンは、ひとつの時代はどうして終わったんだ?」
「創世の根源たる『言葉』に触れようとしたからだ、と言われています」
つまりそれは、世界そのものに干渉しようとした、ということだ。だがそれは許されなかった。だから彼らは滅びていったのだという。
そして今は、こうして土の中に埋もれている。世界の言葉は別たれている。
「過ぎたる力は身を亡ぼす」
リオンがそう囁いた。
元の世界でも、似たような話はいくつもあったな、と思いながら改めて周囲を見回す。
堅牢な建物も豪奢なレリーフも、そう思えばすべてが虚しく感じられるようであった。
「私は冒険者ですから、こうした遺物にはやはり惹かれてしまいます。けれど、彼らの見ようとしていた世界だけは、触れてはいけないような気がしてなりません」
その神妙な声音は、ティオからははじめて聞くものであったが、それが芯から出てきた言葉であるのは疑いようがなかった。
「待て」
リオンが俺たちを制止した。
正面を見れば、先頭で曲がり角の先を探っていたジジが、片手を挙げて俺たちを制止している。俺はそっと、剣の鍔口に左手を添えた。松明を握る右手に力が籠るのを自覚する。
音もなくジジが戻ってくる。
「この先は広間になってるわ。広さは十ヤノク四方ってところ」
一ヤノクで九十センチ程度なので、九十平米はあることになる。まあまあの広さだ。
ティオが早速地図に書き込んでいく。
「何がいた」
俺の頭越しに、リオンが低い声で聞く。ジジは、待ってましたとばかりに、手のひらを開いてこちらに向けながら答えた。
「ドラヴが五匹。お食事中みたい」
俺は顔をしかめた。
またドラヴか。出会うのはセイロガ以来になるが、とても楽しい記憶とは言えない。それが五匹も。
だが冒険者たるもの避けては通れない。ドラヴは、人目につかない洞窟やこうした遺跡をよく根城にしているらしい。冒険者にとっては、最もよく出会う敵ということだ。
「ここ、連中の棲みかですかね」
ティオの質問に、ジジは首を振る。
「たぶん違う。あいつらも、最近外から入り込んだ感じだったわ」
それならば、他に仲間がいたとしてもさしたる勢力にはならないだろう。その回答に密かに胸を撫で下ろす。
「たいした武器も持ってないし、警戒もさっぱり」
「その様子のドラヴが五匹なら、相手をするのに問題はないでしょうけど……どうします?」
ティオが俺を見上げながら聞いた。
暗い遺跡の中、はじめての集団戦。その向こうにはトロールが待ち構えている。武器を持った相手と戦うのも、やはりはじめてだ。
どうするって、そんなの決まってるだろう。
「やろう。ここで引き返す理由なんてあるか」
◆
通路の先には、矢を弓につがえたジジ。俺とリオンがその手前で待機し、後ろではティオが契約の言葉を唱えはじめている。
ティオはさっきまで俺の顔を見上げていたが、ジジが矢を引き絞ったのを見てすぐに切り替えた。彼女もやはり、戦いに慣れているものなのだ。
右手の松明の握りを確かめる。
暗がりの先に、目を凝らす。
「エイーラ!」
紡ぎ手に捧げる掛け声とともに、ジジが弓を放った。
それを皮切りに、俺とリオンが駆けだす。すぐさまジジが玻璃瓶を投げる。
「≪輝く光よ≫!」
ティオが契約を完成させると、玻璃瓶から飛び出た光が、広間全体を明るく照らし出した。まるで太陽の光の中でのように。
俺は広間に駆け込んでいく。ドラヴは四匹。一匹はジジの矢で頭を射抜かれている。突如として払われた闇に、戸惑い、狼狽している。俺は一番奥にいる一匹に向けて、松明を投げつけた。
「左を!」
リオンが叫んだ。
その言葉通り、俺は向かって左にいるドラヴに向かい、鞘から剣を引き抜く。
ドラヴがようやくこちらの存在に気付き、慌てて薄汚れた短剣を引き抜く。
横で、ぎゃんっ、と甲高い断末魔が聞こえる。
俺は剣を振り上げ、真正面のドラヴを見据える。どう攻めるかなんて考えるまでもない。ドラヴはまだ構えを取ってすらいなかった。
そのまま袈裟懸けに振り下ろした刃は、違いなくドラヴの身体を斜めに切り裂く。
「≪炎よ、走れ≫!」
投げつけた松明のすぐそばにいたドラヴが、噴き上がった炎にまかれ、悲鳴を上げながら身悶える。
ジジの矢が、そのドラヴを沈黙させた。
そして広間に、静寂が戻った。
決着は一瞬だった。きっとドラヴたちは、何が起きたのかも理解しないまま死んでいっただろう。
あんまりにあっけなく、戦いが終わった。俺はぼんやりと、振り下ろしたままの剣の先を見つめていた。
ドラヴって、こんなものだっただろうか。セイロガの森の中で相対したときは、もっと苦労したような気がするのだが。
「リック、大丈夫ですか?」
いつの間にか、ティオが隣に来ていた。腕を引かれ、我に返る。
「いや、なんか……冒険者になると、違うんだな」
ドラヴは、武器を持たない人間にとって、間違いなく恐ろしい脅威だ。セイロガの村の人々にとっても、そしてこの間までの俺にとっても、戦うなんて考えられもしない相手だったはずだ。
だが、冒険者になってのドラヴとの戦いは、瞬きの合間に終わってしまった。
そのギャップが、まだ俺の中で飲み下せないでいる。
「あんたって本当にいびつね。カザムコール相手に立ち回る度量はあるくせに、ドラヴを切って呆けるなんて」
呆れたようにジジが言う。
言われてみれば、大山羊はこいつらよりもよほど危険な相手だった。そのときは、こんな気持ちにはならなかったのだが。
そう思うと、セイロガでのドラヴとの遭遇は、ある意味トラウマになっていたのかもしれない。
「きっと、リックの心がきちんと構えたからです」
ティオが俺の手を取りながら、諭すようにそう言う。
心が構えた、という表現には、どこか納得できるものがあった。
俺はようやく、構えられたのだろうか。冒険者になると決め、大山羊を相手に立ち回り、トロールの棲みついた遺跡を見つけたこのときもまだ、ずっとどこか浮ついていた心が、ようやくあるべきところに落ち着いたような、そんな気持ちだった。
「進むぞ」
リオンに促され、剣についた血を払う。
そうだ、まだ終わっていない。俺たちがこの遺跡に潜っているのは、ドラヴを倒すためなんかじゃない。
剣を鞘に収め、隊列を組みなおし、先に進もうとした。
広間から奥に続く通路の向こうから、地を揺るがす恐るべき咆哮が轟いたのは、その時であった。
「……誰だったかしら、昼間ならトロールは寝てるって言ったの」
「……すまん」