第21話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
クリントたち狩人からの依頼を受けることが決まったわけだが、ではまずなにをするかと言えば、やはり打ち合わせだ。特に今回は、まだ正体が判然とはしないものの、なにかしらの危険な生き物が潜んでいることはほぼ間違いない。カザムコール以上に対策を練る必要がある。
というか、それ以前に。
「スオルの狩場にいるのがなんなのかって、どのくらい予想できる?」
報酬交渉を終え依頼人の帰った後、碧いとまり木亭の食堂で俺はティオにそう聞いた。確定はできないまでも、考えうる可能性を検討しなければ対策のしようもない。
「あくまで想像でなら、俺も思いつくところはあるんだけど」
「あたしも話を聞く限りでの予想はできるけど」
俺とジジの視線がティオを向く。ここしばらくのやり取りでなんとなく見えてきたのだが、この三人で……というよりも、俺を除いてティオとジジを比べても、冒険者としての実績があるのはおそらくティオのほうだ。ジジもどことなくティオを先達として見ている雰囲気は、会話の端々から感じられた。
「丸太のような足で二足歩行する、カザムコールが忌避する相手……ですよね。たぶん、私も同じものを想像してると思います」
三人で顔を見合わせた。
『トロール』
合わせるでもなく、三人の声が唱和した。
トロールはその名から想像する通り、見上げるほどの大きな体を持つ、粗野で乱暴な巨人の一種だ。リーリアやティオの語る物語の中で幾度か登場したことがあったこの巨人は、岩のような皮膚に覆われ、丸太のような腕や足を振り回し、知能はさほど高くはないものの、恐るべき怪力を持つことで知られている。グロームデインに紡がれた獣の一族として扱われているようだが、エイーラの子らとドラヴが激突したという灰の戦役では、闇の軍勢について人間たちを苦しめたそうだ。
陽の光を嫌い、洞穴に棲み処を作るこの怪物は、数々の冒険譚に登場するお決まりの試練でもあるという。残念ながら、日光を浴びたところで石になってしまうわけではないようだ。
「言っておきますけど、私も実物を見たことがあるわけじゃないですよ?」
ティオが釘を刺すように言う。さすがのティオも、実際にトロールを相手にしたことがあるわけではないらしい。
いずれにしろ、ひとまずの仮想敵はトロールということで話を進めていくとしよう。
「トロールを相手にするとして、戦法はどうなる? 大山羊相手と同じ、ってわけないはいかないよな」
「いえ、基本は同じだと思います。リックに前衛を務めてもらい、ジジが傷を与えていく。私が魔法で支援や妨害をして、状況を制御する」
魔法を使ってくる相手でもないですから、そこは変わらないでしょう、とティオは言う。
「ですがトロールは、原始的ながら人間と同じように武器を使い、程度は低くても知能もあります。リックひとりで前線を支えるのは、無理があります」
至極当然の帰結だ。
カザムコールは危険な暴れん坊だったが、それでも獣は獣。少し気をそらしてやれば敵意は常に俺に向いていたし、ティオの魔法で底上げされていたのも踏まえ、その攻撃もまったく捌けないわけではなかった。
だがトロールは巨人だ。誰が自分にとって一番危険であるかを判断する程度の知能はあるだろう。もしも狙いがジジやティオに向いて、強引に俺を突破していこうとされれば、俺にはそれを止める術はない。
「じゃあ、最低でももう一人っていうのは」
「はい、リックと一緒に前衛ができる、戦士を加えたいですね」
なるほど、確かにその通りである。
「ま、あの腕前じゃトロール相手にするなんて、できっこないものね」
その通りであるので、わざわざあげつらわなくたってよかろう!
「俺だって自分の腕前くらい自覚してるわ……」
「なら、早く腕を上げてよね。その背中に預けてるのはこっちの命なんだから」
「精進します……」
閑話休題。
なんにしろ、トロールを相手にするにあたって戦士の加入が必須だ。しかしできればどこのイルクの骨とも知れない人間と一緒には行きたくないが、そんなことばかりも言ってはいられまい。
「うーん、どこかで声をかけてくるしかないか?」
「あたし、あんまりろくでもない奴と組むつもりはないわよ」
そりゃあ俺だって、多少なりとも人柄が知れている相手を選びたいものだが、そう都合よくいくものかどうか。依頼を受けてしまっている以上、えり好みして時間を浪費するわけにもいかない。
「高望みをするなら、トロールと戦ったことのある人ですけど……さすがに欲張りすぎですね」
確かに経験者はなにより歓迎したいが、そんな人材がそこらでちょうどよく暇をしているというのも考えにくい。
碧いとまり木亭の従業員としてはあまり使いたくない手だが、剣とつるはし亭辺りで協力者を募集してみるしかないだろうか。
「あの……」
さてどうしたものかと話し込んでいると、おずおずと声をかけてきたのはカウンターにいたアイラさんだった。その脇ではリーリアも興味津々と言った顔で覗き込んできている。
「お話が聞こえちゃったんですけど、トロールと戦うのに誰かひとり、戦士を探してる……ってことですよね?」
「もしかして誰か心当たりが?」
「ええ、その……そちらに」
そちらに、とは?
アイラさんは、店の一角は指差している。その先には、受け手を募集する依頼が貼り出される、そして今はなにも貼られていない掲示板があり、その前に佇む男がひとり。赤褐色の肌と折れた一対の角を持つダスカートの……他でもなく、リオンだった。
いたわ、戦士で、人柄が知れてて、ずっと誰かと組んでいる様子を見たこともない冒険者。
「リオンはトロールをやっつけたこともあるのよ!」
リーリアが補足してくれる。マジか、これ以上ない好条件じゃないか。
一方、名前を挙げられたリオンは、腕を組んで難しい顔をしている。話は聞いていたのだろうが、あまり乗り気な様子ではない。
「確かにリオンならうってつけだ」
「そうですね、知らない相手でもありませんし」
「ここの常連なのよね? だったらいいんじゃない?」
こちらはもう満場一致である。
もちろんリオンの意志次第だ。さすがに渋るところを無理やり仲間になってもらうわけにもいかないし、こちらから払えるのは依頼人から出される報酬だけ。ただ、俺としてもリオンが同行してくれるなら、これほど心強いことはない。なにせ、俺の戦技の先生はリオンだ。
「なあリオン、もしよかったら、一緒に来てもらえないか?」
「いや、俺は……」
ダメだろうか。なにか予定があるのか、それとも俺たちとは組めないのか。後者ではないと思いたい。いつも俺になにかとアドバイスをくれたり、今も戦い方を教えてくれている相手に拒否されるのは、とんでもなく悲しいものがある。
助け舟を出してくれたのは、やはりアイラさんだった。
「リオンさん、どうか行ってきてくださいな。私気づいてますよ、リオンさんがこの宿のことを気にして、ずっと依頼を受けずにいること」
そうだったのか?
見ればリオンは、気まずげに顔をそらしている。
そう言われて思い返せば、確かにリオンはいつも宿にいた気がする。いつも掲示板を見て、依頼を探しているのかと思ったが、連日なにも貼り出されていなければ他所の店に行ったっていいはずだ。だがリオンは、少なくとも俺がいる日で宿に顔を出さなかった日はない。
リオンは、仕事が見つからないから宿にいたのではなく、宿にいるために仕事を受けていなかったということだろうか。
「リオンさんが宿を見守っていてくれるのは、とても心強いですよ。でも、あなたも冒険者なんですから、そろそろなにも気にせず、冒険に出かけてくださいな」
「む、う……しかし……」
これまで意識したことはなかったが、リオンとアイラさん……あるいはこの宿との間には、なにかしらの因縁があるようだ。興味はそそられるが、それをあけすけに訊ねられるほど、俺も無粋にはなり切れない。
「それに、あなたも教え子に同行したくないわけじゃないんじゃありませんか?」
その教え子というのは、もしかしなくても俺のことだろうか。リオンのほうを見てみれば、向こうもなにやら複雑な表情で俺を見ていた。
「あー……どうかな、リオン。来てもらえると助かるんだけども」
改めてお願いしてみる。リオンはすぐには返事を返さなかった。
やはり難しいだろうか。ダメならダメで、諦めて他を当たるしかないが……。
「わかった」
そろそろ他の人間を考えたほうがいいだろうか、と考え始めた頃、リオンはようやく顔を上げて口を開いた。
「同行しよう」
「やった!」
俺とティオとジジは、手を打ち合わせた。リオンを手招きして、四人でテーブルを囲む。
これで顔ぶれは揃った。推定トロール討伐依頼、まだ脅威は未知数だが、それでも怖いものはなくなったように思える。
アイラさんの運んできてくれた軽食を摂りながら、狩場に向けての打ち合わせをし、俺の心は、また新たな冒険へ向けて高鳴りはじめていていた。
◆
松明や火打石、傷薬に水分と食料。必要なものを買い込んで、出発したのは翌日の早朝だ。狩人たちの用意してくれたイルク車に乗り、狩場へむけて揺られること丸一日。かろうじて日の沈む前に、山岳地帯への入り口に到着することができた。
一夜を明かしたのは、狩人たちの使う狩猟小屋だ。狩猟時の滞在のために使うという小屋は、丸太で組まれたロッジのような具合で、寝床や暖炉など思いのほか充実していて快適だった。案内してくれたクリントの用意でたっぷりと食べ、ゆっくりと休み、俺たちは英気を養った。
夜明けとともに狩猟小屋を出発し、いよいよスオルの狩場へと足を踏み入れていく。イルク車とクリントはここまでだ。トロールに怯える彼は、その痕跡を見たという場所だけを示し、狩猟小屋で俺たちの帰りを待つことになる。二晩経っても戻らなかったら、カザディルに戻るように言い残している。
狩場の中には、清浄なる世界が広がっていた。
「空気がいいな……」
産業革命など起こる気配のないこの世界では、どこであろうと空気は奇麗なものだと思い込んでいた。それでも、ここに来るとよくわかる。やはり人が暮らしているところでは、程度の差はあれ、空気は汚れるものなのだ。特にカザディルは鉱山の街だ。普段吸ってる空気に混じった埃や砂を、俺はこの狩場に踏み入って実感していた。
木々の生い茂る山の中に足を踏み入れると、もうそこからは道も続いていない。まだ緩やかな起伏が続く一帯は、視界一面を緑に染め、枝葉の合間から差す陽光が天使の梯子のごとく植生を輝かせている。豊かに枝を広げた木々と、高低差のある大地で見通しは悪い。下草はかき分けねばならないほどではなく、場所を選べば思いのほか歩きにくくはない。
日中に来ていることもあるだろうが、セイロガで踏み入った狩場の森よりも、どこか穏やかな空気を感じられるようであった。
山中を進む俺の身なりは、カザムコールを狩った時とさして変わっていない。腰のベルトに取り付けた短剣が増えた以外は、剣も鎖帷子も、あの時のままだ。ティオとジジも、やはりそう大きな変化はない。
最後尾を歩くリオンは、まさに戦士の装いであった。身に纏うのは、胸部や急所を守る金属鎧で、可動部を革で繋ぎ動きを阻害しない造りになっている。背負うのは大きな戦斧だ。両手で扱う前提のその得物は、薪割り斧など比べ物にならない迫力を持っている。
俺も、前衛を務めるならいずれそんな鎧にするべきだろうか、と話したら、高くつくぞ、と言われた。やはりなににつけても先立つものがなければどうしようもないのである。
そんな四人で進むスオルの狩場の道行は、想像していたよりも穏やかなものであった。山道だが、上り下りだけで疲労困憊になるほどの急斜面でもない。
「やっぱり、こういう土地に入ると青の国を思い出しますね」
さくさくと下草を踏みしめながら、ティオも辺りを見回して景観を楽しんでいるようであった。
「ティオの故郷だっけ?」
「はい、カザムダリアからは東にある、フェルメルの治める国です。私はその都であるリンデンから来ました」
広く平地の続く青の国は、その地積の大半が森に覆われているのだという。未だ人の手が入っていない地域すら多く、大地はどこも精霊の力で満たされている。その森で生まれ育つフェルメルは、種族を通じて精霊術に長けているそうだ。特にリンデンでは、望む者には分け隔てなく精霊術の教えを授けているのだとか。
「リンデンから川を下った先にある大瀑布は、西方大陸全土に誇れる景観ですよ」
「へぇ……そりゃ見てみたいな」
「ぜひ、いつか一緒に、リンデンにも来てくださいね」
またひとつ、この世界に楽しみができた。俺のリングアンドお楽しみリストも、まあまあ長くなってきたものだ。
まずは、乗馬……上イルク? ともかく騎乗をしてみたい。これは実用も混みでだ。この世界での主流な移動手段である以上、いずれは乗れるようになっておきたい。
それから、ダンジョン攻略。恐るべき敵の潜む迷宮に、お宝を探して潜っていくなんて、冒険者の浪漫以外のなにものでもない。この世界でもそうした過去の遺跡や迷宮は存在しているようだし、いずれ挑戦してみたいところだ。
それに忘れちゃいけないのが、ドラゴンを見ること。グロームデインに紡がれたドラゴンは、獣の中の王、空飛ぶ災厄、古きを識るもの等々、とかく現れようものなら伝説級の出来事として扱われている。世界にいくらか確認されている個体はいるようだが、それを討伐できた人間は、長らくいないそうだ。そう思うとあまり現実的ではないが……剣と魔法の異世界に来た以上、ぜひとも元の世界に戻る前に遠目からでも見ておきたい。
もう少しグレードを落として、ワイバーンであればまだ現実味があるかもしれないが、そちらでも大災害級の扱いだ。それを討伐したという"つむじ風"のユーディットの話なんかは、いずれ聞いてみたいところだ。
「和やかにしてるところ悪いけどね、この森、そんなに穏やかな感じじゃないわよ」
先頭を進んでいたジジが、低く唸るような声でそう言った。
「ジジ? なにかあったか?」
「逆、まだ気付かない? 鳥の声がしない」
言われて足を止め、辺りを見回しながら耳を澄ませた。
沈黙が広がる。
かすかに聞こえる葉擦れの音。
ほかに耳に届くものは、なにもない。
静寂が山を支配していた。狩りの獲物が姿を消している、というのもうなずける様相である。
「いるわね、これ。トロールかどうかはともかく、相当暴れまわってるやつが」
ジジの尻尾が左右に振れている。苛立ちだ。リオンもまた、押し黙ってはいるが今までの寡黙なだけの様子とは違う、神経をとがらせている沈黙であった。
「なにか、わかるか?」
思わず聞くと、リオンは首を振った。
「近くにはいない」
そこからは、四人とも口をつぐんで歩を進めた。狩人に示された場所は、そう遠くない。
先ほどまで感じていた穏やかさはなりを潜め、肌に感じるのは不穏な静寂だ。ここはもう、人間たちの狩場じゃない。動物たちを怯えさせるなにものかの狩場なのだ。
木と木の間を縫い、斜面を登り、また下りる。時折、狩人たちが狩人たちが残した布切れが枝に結ばれており、それを目印に目的の場所を目指す。
そうして陽が天頂を指そうかという頃。斜面をもうひとつ上り、朽ちた大きな倒木を回り込むと、様子が一変した。
森は、ひどく荒らされていた。
あちこちの枝が折れ、なにか大きなものが通った痕跡が続き、周囲の幹には岩でもぶつけたかのような傷があちこちについている。踏み荒らされた地面には、なるほど丸太か樽でも叩きつけたのかというような跡が残っている。そして血痕。
「こりゃ……すごいな」
「ここね、狩人たちが見たっていうのは」
ジジがさっそく地面を検める。俺にはなにものかがたいそう暴れていた、という以上にはなにも読み取れない。
地面をなめるように調べながら、ジジがこの場所での出来事を詳らかにしていく。
「このでかいのは、何かを追ってきた……多分、鹿。そしてここで仕留めた。刃物とかじゃない、なにかこん棒のようなものを使ってる。そして引きずって、戻っていく」
そうして辺りを調べるジジの隣に、リオンが並んで膝をつく。
そして断言した。
「トロールだ」
四人の間に、一層の緊張が走った。
「どちらに向かった」
リオンが聞くと、ジジが茂みの向こうを指さす。
「あっちよ。追ってみるわ」
そしてまた、ジジを先頭に山の中を進んでいく。徐々に傾斜が険しくなっていく。
追っていく道すがらの様子は、無作法そのものだった。枝はあっちでへし折れ、こっちで若木が踏みつけられ、やぶは無造作にむしり散らかされている。どれほど素人でも、この痕跡を追っていくのは難しくない。
どこまでも無遠慮に、無配慮にトロールは森の中を闊歩していたようだ。
そうしてうっそうと茂る木々の間を抜け、行き着いた先。
そこは行き止まりだった。黄土色の壁が、俺たちの前に立ちはだかっている。岩肌がせり上がってきたかのような、むき出しの断層。山の中に自然にできた断崖。
その壁面には、暗い洞穴の入り口が、ぽっかりと俺たちを待ち構えていた。