第17話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
宿泊客と従業員しかいない朝食時の配膳と食器の片づけを終え、朝一番の仕事はこれで終わりだ。
食堂に戻ると、ティオもジジもすでに準備を終えて俺を待っていた。
今日はジジも、鎧は着ていない。シャツにパンツ姿で、普段着ではあるが動きやすそうな格好をしている。ちゃんと尾てい骨のところには尻尾を通す穴がついているので、ミュークス用なのだろう。当たり前と言えば当たり前な細かい作りに、少し笑ってしまう。
俺も当然ながら普段着なのだが、ティオだけは冒険に行く時と同じ、外套にフードを被り、杖を手にしているのが面白いところだ。一張羅ということもないと思うのだが、気に入っているのだろうか。
「お待たせ。じゃあティオ、案内される側が増えたけど、よろしく頼むな」
先ほど確認は取っているのだが、一応念を押しておく。
「はい、問題ありません。それじゃあ、二人とも私についてきてくださいね」
「頼むわね」
「それじゃあ、いってきますね」
アイラさんに挨拶をし、さて出かけようと三人で戸口に向かう。きぃ、とアイラさんたちの部屋の戸が開いたのは、ちょうどその時だった。
おや、と見れば、当然ながらそこにいたのはリーリアだ。すっかり身支度を整えているので、今起きたというわけでもなさそうだ。
「おはようリーリア先生。ずいぶん出てくるの遅かったけど、どうしたんだ?」
「おはよ、リック……別に、なんでもない」
どことなく、返事が冷たい。やはり、まだ元気がないのだろうか。攫われた時のショックをまだ引きずっている、とかでなければいいのだが。
「おはようございます。女の子にはいろいろあるんですよね、リーリア」
「ティオもおはよう……」
ティオが朗らかに挨拶しても、やはり反応は芳しくない。
「……どこか行くの?」
「二人に、カザディルの中を案内してくるんです。ジジにはもう挨拶しましたか?」
促されたジジが手を振るが、リーリアはどうしてか、そっぽを向いてしまう。そしてそのまま、食堂のほうに駆けていってしまった。
「あ、リーリア先生! ……どうしたんだいったい」
「あたし、嫌われてるのかしら」
ぽつりと、面白くなさげにジジが呟いた。確かに、ジジとリーリアが話しているところを見た覚えはなかった。リーリアがそんな、理由もなく誰かを邪険にするようなこともないとは思うのだが。
「やっぱり、セイロガ以来少し様子が変ですよね」
「帰ったら、捕まえて話を聞いてみるか。素直に話してくれたらいいんだけど」
とまれ、今日のところはまずカザディル行脚だ。水先案内人のティオについて、俺たちは碧いとまり木亭を出発した。
◆
白鷲山脈の南側、山肌に沿うように作られた街、サウラ・カザディル。
街の北端から、ディオムの抜け穴を越えた先、山間の盆地に築かれたノウラ・カザディル。
その二つの街からなるのが、西方大陸中央に位置する国カザムダリアの都、カザディルだ。
ディオム大鉱山の開拓とともに築かれたこの街は、全体が石造りになっており、天然の城塞に囲まれたノウラ・カザディルや、サウラ・カザディルの周囲を守る外壁も合わせ、難攻不落の要塞都市の顔も持っている。かつてあったというドラヴたちとの戦争でも、街の中には一歩たりとも攻め込ませなかったそうだ。
労働階級の人間や職人、外からやってきた旅人などが主に生活するのはサウラ・カザディルだが、ではノウラ・カザディルに暮らすのはと言えば、主にカザムダリアの主戦力たる戦士団と、鍛冶、革細工、木工、彫金、錬金術といった職人たちだ。彼らの工房もそこにある。そして、カザムダリアの領主の住まいたる金剛槌の館も。
今回のティオによるガイドツアーも、もちろんサウラ・カザディルの中から回って行くことになる。
宿を出てすぐ目の前の通りは、宿屋通りになっている。宿や酒場が軒を連ね、夕暮れが近づくと最も人通りが激しくなる一角でもある。
「あの向こうにある店が剣とつるはし亭、たぶんカザディルで一番大きな店ですね」
ここはさすがに俺も行ったことがある。偵察に行ったのがまさにこの宿だった。昼間でも冒険者と見える客が常に誰かしらいて、夜ともなれば満席状態だ。依頼人も、冒険者を探すならまずこの店に行く。通りにはその名の通り、剣とつるはしを象った大きな看板が掲げられている。
「いかにも冒険者好きする名前ね」
「ああいう名前は嫌いか?」
「別に名前はどうでもいいけど、大きな店に集まるのって、振る舞いの荒いやつが多くて嫌なのよ」
それはまあ、事実だ。実際俺が覗いてみたときも、やはり荒くれものの集う店、という調子だった。勇名に憧れる若者も、環境に染まって行くのだろうか、なんて思いもしたり。
ジジが俺のことをまともな冒険者、と呼んだときのことを思い出す。彼女がとまり木亭を選んだのも、もしかしたらその辺りが理由なのかもしれない。
「大きい店の方が利点が多いのはわかってるんだけどね」
「やっぱり依頼も人も集まりやすいですからね。名の知れた冒険者もいますし」
「カザディルで名前が知れてるというと、"つむじ風"のユーディットとか、"壊し屋"ロドムあたりかしら?」
どちらもカザディルを中心に活動する、有名な冒険者だ。
ワイバーン討伐で名を上げたというユーディットは、二振りの短剣を目にも止まらぬ速さで繰り出し、その素早さで右に出るものはいないという。
戦槌使いのロドムは、その一撃でゴーレムを打ち砕いたとまことしやかに囁かれているのだから、さぞや剛腕の持ち主なのであろう。
俺でも知ってるかの猛者たちの勇名は、カザディルどころか、カザムダリアを越え、ロザムンドでも知られているらしい。
「ロドムは剣とつるはし亭に来るって聞きますけど、ユーディットの方は聞かないですね」
まあどこの店の常連であるにしろ、そんな雲の上の人のことは俺たちには無関係だ。明日の働き口のために、今日の街を知らなければならない。
「まあ、でもいずれはそのくらい名を馳せたいものね」
そう呟くジジの瞳が、憧れに輝く"冒険者の目"だったことは、俺もティオもそっと胸に仕舞っておいた。
宿街を東に進んでいくと、石と水の広場に抜ける。中央に噴水の設けられたこの広場は、カザディルの一番大きな市場でもある。広場のあちこちに露店が開かれ、食品や衣類や装飾品が、今日も賑々しく取引されている。外門からまっすぐ進んでたどり着くこの広場は同時にサウラ・カザディルの中心地でもあり、ここから四方に伸びる街路を進めば、街のどこにでもたどり着けるという寸法だ。
ここで露店を開いてるのは、街の住民か、近隣の農村からの出稼ぎが主だが、時折冒険者も店を構えていることがある。冒険の中で見つけた戦利品を売りさばいているらしい。そういう店の客は、やはりたいてい冒険者だ。
「魔法のかかった装備を売ってるなんて人もいますけど、たいてい紛い物ですから気を付けてくださいね」
「まあ、やっぱりそんなもんだよな」
「それから、絶対に手を出しちゃいけないものがあります。なんだかわかりますか?」
はて、なんだろうか。思い付いたのは呪いの装備とか姿を消せる指輪とかだったが、どうもそういう話ではない気がする。
先に答えたのはジジだった。
「地図でしょ、それくらいわかるわよ」
「あぁ……」
言われて納得した。そういえば、俺もそんなシナリオを作ったことがあった。
「はい。古代遺跡の地図だとか、宝の在処を記した地図なんてものを売り付けようとする人は後を絶ちませんが、それが本物なら安値で売る理由がありませんからね」
地図の×マークの下に宝が眠ってるなんてこと、絶対にありませんよ。ティオのそんな言葉には妙な重みがある。もしかしてなにか経験があるのだろうかと、さすがに思っても聞けはしなかった。
少し出店を見ていこう、ということになり、露店を冷やかしながらぐるりと市場を一周していると、不意に並んだ屋台のひとつから声をかけられた。
「よぉ、リック! 両の手に花を持って、買い出しか?」
野菜を並べた屋台から俺を呼んだのは、コームだ。歳は俺と大して変わらないヒューマの男で、買い物に来るうちに顔見知りになった、宿の常連客でもある。こいつも多分アイラさん目当ての客だ。
「うらやましいだろ」
そう言ったらジジに頭をはたかれた。
「調子乗りすぎ」
「はい」
「なんだ、尻に敷かれてるじゃねえか! やっぱ冒険者ってのはおっかないな!」
思ってもいなさそうなことを言いながら笑うコームは、こんなからっとした性格をしているので、俺がまだ言葉に不自由だったときも、よくこうして笑いながら話しかけてくれたものだ。
「しかし、お前さんが冒険者はじめるなんて聞いたときはどうなることかと思ったけど、いきなりあんな大物を仕留めてくるとはなあ」
「自分でも驚いてるよ」
「店もだいぶ繁盛してるんじゃないか? ここらでも結構話題になってるぜ」
「そりゃもう、おかげさまで! これで依頼人も増えてくれりゃいいんだけどな」
「それこそお前の腕の見せ所だな!」
今夜も行くからな、というコームと別れ歩き出す。なにか買って行けよ、という声は無視させてもらった。
それからも、時たま声をかけてくれる顔見知りに手を振りながら歩いていると、ティオがしみじみとした声を出した。
「やっぱり、わかりやすく戦果を掲げると反響が大きいですね」
「本当にな、こんなに騒がれるとは思ってなかった」
「リックが店で働いていたのも大きいと思いますよ。知った顔が冒険者として成功した、ってなったら、やっぱり聞き流しはしないでしょうし」
つまりはそれが、営業活動の反響というわけだ。だとしたら、今後の仕事のためにもやはりもっと顔を売っておかなければならない。
「知らない人間より、知った誰かに頼む方が安心できるわよね、そりゃあ」
というわけで、市場巡りを終えて、案内は次へ。次が今日の目玉でもある。
「さて、ここから南に行けば外門、北は住宅街を通ってディオムの抜け穴です。外門は大丈夫ですよね? じゃあ、次は西の商人通りに向かいましょう」
石と水の広場から西の街路を進めば、そこが商人通りだ。
ここもやはり店が続く通りではあるが、石と水の広場の市場とはまた趣が違い、冒険者にとっては最も重要な区画になる。こちらには武器屋に防具屋、薬屋といった店が軒を連ね、冒険に必要なものでここで揃わないものはないと言われている。
もともとは街で暮らす人々のための衣類や家具を売る店が並ぶ通りだったが、そこに剣や鎧を求める冒険者の需要が高まり、今では冒険者御用達の区画になったということだ。ちなみにここで売られている品の大半は、ノウラ・カザディルの職人たちから仕入れられている。
今のところ、一番用があるのはジジだろう。
「矢を買うとしたらどこかしら」
「評判がいいのはブレナンの狩猟品店ですね。狩人向けの店で、いい品が揃ってるって聞きます」
案内に従って行ってみると、なるほどそこは狩りをする人間にとって必要と思えるものがおおよそ揃っていた。
弓と矢はもちろん、獲物を捌き、あるいは武器としても使えそうな短剣、それに狩猟用の罠も置かれている。野山を歩くときに足音がしなくなる、なんていう靴も売られていた。
「へえ、悪くないわね」
店の中を見回したジジの第一声がそれだった。
「なにをお探しだい」
気難しそうな店主が気だるげな声をかけてくる。
「ニワトコの木と犬鷲の羽を使った矢はある?」
「あるとも。使うのは長弓か?」
「ええ、そうよ」
矢って素材から選ぶものなのか。
あれこれと話し込み始めた二人の会話は、俺にはもう何の話をしているのかさっぱりだったが、あれだけ盛り上がれるのだからここはいい店なのだろう。
しかし、こうして弓だの短剣だのと、得物が並んでいるのを見ると、やはり冒険者の血が騒いでしまう。
「なあ、ティオ。ジジのやつ、もう少しかかりそうだよな」
「そう思いますけど、どうしました?」
「いや、ちょっと武器屋でも冷やかしてこようかなって」
それを聞いたティオは、なんだかしょうのない子供を見るようにくすくすと笑った。なんだそのこれだから男の子は、みたいな表情は。
「わかりました。ここらで一番大きいのは、出て右手にあるアーミティジの店です。ジジが終わったら合流しますね」
悪いな、と断りを入れて、店を出る。
言われた通り右手に行くと、確かに大きな店構えの武器屋があった。看板に剣が描かれてるから間違いない。
店の中は、まさに男の子にとっての夢の世界だった。
長剣、短剣、斧に槍、果てはメイス。およそ武器と呼べるものが、棚に壁にと所狭しと陳列されている。そのどれもこれもが、刃のついた本物だ。俺が秋葉原や鎌倉で目を輝かせていた武器屋とは、わけが違う。
斧やメイスにも心惹かれるものはあるが、やはり俺の目を釘付けにしてやまないのは、剣だった。
一口に剣と言っても、種類は様々だ。刀身の長さも身幅も違うなら、柄の長さもどれも異なる。中には刀身だけで俺の身の丈はありそうな、いわゆる両手剣も置かれている。あんなもの、とてもじゃないが振れる気がしない。
「これ、手にとっても?」
「いいけど、振り回すんじゃないぞ」
店主の許可を得て、いくつか握ってみる。やはり、長さや身幅で重みのかかり方がどれも違う。似たような剣でも重さの違いを感じるものもあった。この辺は鍛冶師の違いだろうか。
置いてあるのは武器だけかと思いきや、盾も並んでいた。なるほど、武器と盾で調整しながら選べるわけだ。商売がうまい。
「おい坊主、うちは冷やかしはお断りだぞ」
あれこれ手に取っていると、店主にそう釘を刺された。そう言われてしまうと、そのまま帰るのも忍びないし、何も買わないというのもなぜかもったいなく感じてくる。
なにか入用なものはあっただろうか。
店の中を見回して、ふと目に止まったのは短剣だった。
そういえば、主な武器として長剣はアイラさんから譲り受けたものがあるが、それ以外に持っているものはなにもない。予備の武器や、取り回しのいい刃物として短剣のひとつくらいは持っていてもいいのではないだろうか。
幸い現金は持ってきている。だが、買うとしたらどれだろうか。
そこでふと、思い出した名前があった。
「なあ、ゲオルグさんの作った短剣って置いてあるかな」
「あるよ。なんだ、ゲオルグが贔屓なのか」
「彼から仕事を受けたんだ。そしたら思わぬ臨時収入があったからさ、少しは還元しておこうかなって」
武器屋から買っても直接ゲオルグさんの収入にならないのはわかっているが、そこはそれ。剣の手入れでも報酬は払っているのだから、まあいいだろう。
すると、店主がぱっと目を開いた。
「お前さん、あれか! 三人でカザムコールを狩ってきたっていう冒険者か!」
「そうだけど、聞いてた?」
「ゲオルグからな。有望なのが出てきたって話してたぜ」
あの無愛想なおっさんがそんな風に吹聴してくれてたとは。嬉しいような恥ずかしいような、おっさんのツンデレを見てしまってなんだか可笑しいような、複雑な気持ちで俺は笑った。
「そうとも、なにか困ったことがあったら碧いとまり木亭まで来てくれよ」
そうやって売り込みながら値段を聞くと、短剣は三シルムだった。高い。ゲオルグさんからの報酬だけじゃ買えなかった。やはり剣にしろ鎧にしろ、決して気軽に手に入るものではない。アイラさんには本当に感謝しなくてはならない。
そしてこれが、俺がこの世界で、はじめて自分で選び、はじめて自分の金でした買い物になる。手にした短剣は、はじめて握るはずなのに、どうしてだろうか、妙に手に馴染むような気がした。
ちょうどそこで合流してきたジジには、呆れた顔で「これだから男って」と言われた。弓矢談義していたやつに言われたくないと返したら、そういうことじゃないと怒られた。