第14話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
カザムコールと呼ばれるその大山羊は、狩人の間では有名な存在らしい。
カザムダリア近郊に棲息し、行動形態そのものは一般的な山羊とさほど変わらない。だが丈夫な毛皮や大きな角を持ち、鎧や衣類、装飾品の素材として、国内外を問わず高く取引されているそうだ。
この大山羊の特筆すべきところは、その大きさと気性の荒さ。同族以外の動くものに対してとんでもなく凶暴になる上に、力も強く、俺たちが見た通り、荷車くらい造作もなくひっくり返してしまうという。
山羊、という動物のイメージからは想像できない振る舞いだ。
「カザムダリアに暮らしててそんなことも知らないなんて、あんたどこの生まれ?」
一通り教授してくれたジジの目は、呆れを通り越して冷たいったらない。尻尾がぺしぺしと鳴っている。弁明しようにも説明がまたややこしいことになるので、俺はとりあえずのところ、ただの物知らずで通すことにしている。しているが、白い目で見られるのはツラい。
「よくそれで冒険者なんてやってられるわね」
「もう勘弁してくれ、これでひとつ覚えたから」
とにかく今重要なのは、と話を強引に打ち切って、ジジの矛先を変える。
「そのカザムコールがまだその辺をうろついてるなら、街道を通る誰にとっても危険、ってことだろう」
そんな恐ろしいものが平然とその辺りを闊歩しているなんて、とんでもない話だ。元の世界でも、ヘラジカと車の事故だとか話に聞いたことはあるが、積極的に襲ってくる山羊なんていうのは、俺の認識の埒外だった。
「そうね。それに最悪、村に近寄ってしまったらそれこそ大惨事になるわ」
平和だった村が大暴れする山羊に蹂躙される、そんな惨劇は想像したくもない。
「そもそもカザムコールってのは、普段からそこらにいるものなのか?」
「そんなわけないわ。棲処になるのはもっと山奥や山岳地帯の上のほうで、こんな平野で見かけたなんて話、聞いたことがない」
つまり、平地で出会ってしまったときの対処法なんてものはない、ってわけだ。なんだってまた、そんなやつがここらに現れるのか。
「どうしますか? 一番現実的な解決策としては、すぐにミナーカに向かって、カザディルまで報せを出すことだと思います」
ティオの提案は、間違いなくこの場で考えうる最も安全な対応だった。そうすれば、戦士団か冒険者か、いずれにしろ討伐隊が組まれて、暴れ山羊は確実に排除されるだろう。
ただし問題は。
「時間がかかる」
「そうですね……狩りが始まるまで、どれだけ早くても三日はかかるでしょう」
その間、カザムコールは野放しだ。きっとミナーカでは眠れない夜が続くだろうし、よしんば村に来なかったとしても、街道で次の犠牲者が出る可能性は十分にある。
だとすれば、最も早い解決策は?
俺も含め、三人とも言葉を発さずに考え込んでいる。いや、考えてはいない。もう案は誰の頭にも浮かんでいる。ちらちらとお互いの顔を見て、言い出すべきか悩んでいるのだ。
だったら俺から言ってやろう。ジジ曰く、まともな冒険者として。
なあ、と手を挙げる。
二人の目線が集まった。
「狩れないか? 俺たち三人で」
真っ先に反応したのはジジだった。
「本気? 狩人が最低でも五人、それも罠や仕込みを入念にして狩る相手よ?」
「それを考えてたってことは、ジジだって計算してたんだろう」
それはまあ、とジジは口ごもる。やっぱり発想は同じだ。
「俺はカザムコールを知らないからわからないけど、まったくもって無理な話か?」
ティオが首を振った。
「狩人や戦士だけだったら、難しいでしょう。けど今回は、私がいます。精霊術を使えば、三人でも仕留められないことはないと思います」
ただし、と俺たちの顔を見ながら間を置く。
「言わずもがな、危険です」
俺はすぐに頷いて返す。危険なのは折り込み済みだ。
ではジジは? ティオと二人で見やると、ジジは額に手を当てて大きく息を吐いた。耳だけがぱたぱたと忙しない。
「わかったわよ、あたしも同じこと考えてた。いいじゃない、やってやりましょう。狩人の腕を見せてあげるわ」
決まりだな。三人で顔を見合わせ、頷きあった。
正直に言おう。危険な獣を相手に、冒険者同士で協力……パーティを組んで戦いを挑む。俺はこの展開に、昂る気持ちを隠せないでいた。
◆
さて、複数人で協力して仕事にあたる上で、大事なことはなんだろうか。
それは段取りの打ち合わせだ。
誰に何ができて、どんな役割を担当するのかを擦り合わせなければ、仲間同士での連携なんてできようはずがない。
冒険者だってそれは同じだ。
俺たちの狩りは、まずお互いの能力を知るところから始まった。
「ミュークスの狩人として、弓の腕には自負があるわ。カザムコールみたいな大きな相手なら、動いてたって外したりしない」
「実際にカザムコールを相手にしたことは?」
「ないけど、ロザムンドで凶暴な獣を狩ったことはあるわ」
狩りの心得を身に付けているジジが仲間にいるのは、やはり心強い。
「あんたはどうなのよ」
ジジの疑わし気な目がこちらに向く。俺の無知さを見てのことだろうし、事実としてその疑念は見事に的中している。
「隠すつもりもないからはっきり言うけど、狩りの経験自体全くない。ドラヴを相手にしたことはあるけど、剣の腕もまだからきしだ」
「なによそれ、てんで駆け出しじゃない! ドラヴを相手にできるなら、戦えなくはないんでしょうけど……」
まったくもってその通りなので、否定できる部分が何一つない。
「今回俺に何かできるとしたら、引き付け役ぐらいかな」
俺の言葉に大きくため息をついたジジは、憤りを払うように首を振った。いちいち責め立てられているようで心臓に悪いが、もう粛々と受け入れるほかない。
「いいわ、そこは後で考えましょう。ティオニアンナはどうなの?」
「ティオでいいですよ。この平野であれば、できることは多いです。光や風、大地の精霊の力も借りられますから、罠師のように考えてもらえればいいかもしれません」
「相手の足を止めたりは?」
「できます。ただ、何をするにしても契約のための余白が必要です」
精霊術は即座に発動、とはいかないというわけだ。目くらましなんかもできるが、術によっては激しく動き回る相手にかけるのが難しい、というのも頭に入れておかなければいけない点だった。
お互いにできること、できないことが分かれば、次は獲物について考えなければいけない。あいにくカザムコールを相手にしたことがあるものはいなかったが、そこは狩人であるジジの経験則が生きてきた。
「この手の獣に総じて言えることだけど、とにかく頑丈で体力があるわ。急所を深く突き刺しでもしない限り、矢の一本や二本、剣の傷の一つや二つ、毛ほども意に介さずに暴れ続けると思っておいて」
聞けば聞くほど、とんでもない相手である。それを狩らんとすれば、ひたすら傷を与え続けて体力を削るか、身動きできなくしたところで急所を確実に貫くしかない。
そこでジジの立てた計画はこうだ。
まずカザムコールを発見したならば、ティオが精霊術で動きを止める。そこにジジが矢を射かけられるだけ射かける。これで狩れるならば御の字だが、もしも術が破られるようなら……そこで俺の出番だ。ティオやジジに近づけさせないよう、ひたすら相手の気を引き続ける。そしてまた術で動きを止めたところにとどめを刺す。
半分は行き当たりばったりのような作戦だが、今の段階ではそれ以上の案が出てこないのも事実だった。
「威嚇くらいには使えるかもしれないけど、間違っても剣で戦おうなんて考えないでよ」
「わかってる、俺だってそんな無茶したくない」
最も、この狩り自体が無茶そのもの、という気がしないでもなかったが。
「指示はあたしが出す。それでいい?」
「もちろん」
「はい、よろしくお願いします」
そうしていよいよ、獲物の追跡が始まった。
数日前の痕跡から果たしてどこまで追尾できるのだろうか、という疑問はあったが、ジジの狩人としての技量は確かだった。荷車から続くカザムコールの足跡を、ジジは地面を這うようにして見分け、追いかけていく。近しい動物が他にいないというのも幸いだったらしい。俺たちはジジの先導に従い、ひたすら平野を駆け抜ける。
追跡劇は、晴れ渡る空の下で続いた。
街道を離れていくばくかすると、大地はまったく平らというわけではなくなり、丘陵地帯に入っていく。丘や盆地になっているところがあれば、大きな岩が突き出ているところも多く、地面の低いところからでは視線の通りも悪い。後ろを振り返っても緑が続くばかりで、そろそろ俺にはどちらから来たのかも怪しくなり始めていた。
だがジジの足取りは、まったく迷うことがない。
その後を追いかけながら、不意にティオが俺を呼んだ。
「リック、気を付けてくださいね」
「え、なにがだ?」
「役割のことです。この狩りで一番危険に晒されるのは、間違いなくあなたです」
それは、もちろんそうだろう。いくら俺が物知らずでも、この狩り、ひとつでも間違えれば大けがどころじゃすまないことは重々承知している。
「精霊術での治癒にも限度がありますから、過信しないでください」
「ああ……でもどうしたんだ、急に」
聞き返すと、いえ、と首を振られる。
「駆け出しで、昂る気持ちを制御できずに命を落とす冒険者は、多いので」
それは、確かにそうかもしれない。俺がそれを制御できているかと言えば、怪しいところだ。
それに、とティオは続けた。
「この依頼が済んだら、リックときちんと話がしたいので」
神妙な面持ちで無事に帰りましょう、というティオに、ちょっとフラグっぽいな、なんて言えるはずもなく。
「わかってる。手土産持って、とまり木亭に帰らないといけないしな」
そう返したら、ティオも少し笑ってくれた。
「二人とも静かに」
ジジの声が俺たちを制した。
見るとジジは、地面に身を伏せ、丘の稜線に這いつくばっている。両の耳が後ろ向きに伏せられているのが見えた。
ジジが手招きし、俺とティオそれに倣い、這ってジジの隣に並ぶ。身を隠すようにして、稜線の向こう側を覗き込んだ。
いた。
「でけえ……」
ひと目で、それがカザムコールだとわかった。
黒く長い毛に覆われたその山羊は、遠近感を間違えているのではないかと思えるほどの巨体をしていた。乗用車の大きさなどゆうに超えて、象とでも並べたほうが比較になるほどだ。無心で足元の草を食む姿そのものは確かに山羊だが、その頭に生えている螺旋状の角は、ぐるりと渦を書くように前方に狙いを定める凶悪な武器になっている。
なるほど、あれなら荷車なんか簡単にひっくり返せる。むしろ粉々になっていなかっただけ幸運なほどだ。
「あたしも初めて実物を見るけど、すごいわね……」
「角の長さで歳がわかるそうです。あれ、相当年季が入ってますね」
つまり俺たちは、今からあの育ちに育った凶暴な山羊を相手に、三人で狩りをしようとしているわけだ。
俺は生唾を飲み込んだ。
早まったかもしれない。あれと戦うなんて、ちょっと現実的ではない。
「怖い? だったらやめとく?」
横からジジが、俺の顔を覗いて言った。小馬鹿にするようその言葉に、俺の尻込みは消えた。
「やるに決まってるだろ。そっちこそ、当てられるのかよ」
「外すほうが難しいわよ」
煽りあいながら、ジジは背から弓を、俺は腰の鞘から剣を抜いた。役に立つかはわからない。だが少なくとも、その剣は俺の心を戦いに向け奮い立たせてくれるように感じられた。
「段取りはわかってるわね?」
ジジが最終確認をし、俺とティオが頷く。
次はティオの仕事だ。杖を手に精霊との契約を交わす。どこからともなく現れた光が、俺とジジの身体に染み込んでいき、身体が軽くなったように感じられる。光の精霊による身体の強化だ。
手のひらを何度か握り、感覚を確かめる。
ジジと目を見合わせ、頷きあった。
さあ、討伐開始だ。
いつでも行ける。俺が合図すると、ジジがティオの肩を叩いた。俺は稜線の向こうに目を凝らす。
ティオが次なる精霊との契約を始める。俺には解せぬ言葉で、不可視の力と通じ合っていく。それを聞きつけたのか、カザムコールが顔を上げた。だがまだこちらの存在を見つけてはいない。
大山羊の足元で草がざわめいたのが見えた。伸びあがった草がカザムコールの脚を絡めとっていく。目に見えてカザムコールが狼狽えた。
ティオがジジの肩を叩く。ジジが立ち上がって弓を引き絞る。
矢が放たれる。矢はやや山なりに飛んでいき、吸い込まれるように大山羊の背に突き立った。
────エエエエエェェェェ!
空気を震わせる恐ろしい嘶きが、丘一帯に響き渡る。苦痛の叫びなんかじゃない、あれは怒りだ。
ジジがすぐさま次の矢をつがえる。
「なっ」
驚きの声を上げたのはジジか、俺か。
カザムコールはその脚力で強引に前脚を持ち上げると、大山羊の脚を絡めていた草を無理やりに引きちぎってしまったのだ。その勢いで続けざまに繰り出された後ろ脚の蹴りにも、当然耐えきれなかった。
早すぎる。
ジジの放った第二矢が到達するその直前、カザムコールは猛然と走り出した。こちらに向かってだ!
「リック!」
「くそっ、頼むぞ!」
剣を固く握って走り出す。稜線を越え、俺たちと大山羊を結ぶ線から斜めの方角に向かって。頭の上で剣を振り回しながら、大声を上げる。
「こっちだ無法者! 捕まえられるものなら捕まえてみろ!」
とにかくティオたちから距離を取らなければ。全力で走りながらカザムコールを見ると、どうやら挑発は上手くいったらしい。激走する大山羊は、こちらに進路を変えてきている。
問題はここからどうするか。もう後ろを振り返る余裕なんぞない。ひたすらに走り続け、だが地を揺らす足音が着実に距離を詰めてきている。いや、向こうからすれば、俺なんて止まってるみたいなものだ。
どうする、どうすればいい。ぎりぎりまで引き付けて左右に躱すことはできるか?
やるしかない。
だが、ジジの声が俺の決心を遮った。
「リック! そのまま真っ直ぐ走って!」
真っ直ぐってどういうことだ。どうなるんだ。
疑問は浮かんだが、疑わなかった。疑ってる余裕なんてない!
走る。足音が迫る。もう手の届きそうな距離に、大山羊の存在を感じた。
次の瞬間、その圧力が消え失せた。
なんだ?
背に食らいつかんとしていた足音が聞こえなくなり、代わりに大きなものが地面を転がる音が耳に届く。
走る足を緩めて振り返れば、もうもうと立ち込める土埃の中で、地面に転がるカザムコールの姿があった。
転んだのか?
よく見ればそのすぐ後ろ、大山羊が走ってきたその直線状に、不自然にへこみ、盛り上がった地面があった。ティオの精霊術だ。足を取るってこういうことか。
どん、と地面を踏みしめる音がした。
助かった……そう安堵する暇もありはしない。出鼻を挫かれたカザムコールは、ますます怒りに獣毛を震わせながら、勢いよく立ち上がった。
顔の左右についた知のない瞳が、しかし違えようのない俺への殺意で染まっている。
俺は剣を両手で構え、両膝を軽く曲げ、腰を落とした。まだまだ狩りは終わりそうにない。
来いよ暴れん坊、俺が相手してやる。