第13話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
「動かないで! 次は当てるわ!」
そんな警告に、思わず俺は両手を頭の横に挙げていた。別に手を挙げろ、なんて言われてはいないのに。
後ろから聞こえてきたのは、まだ少女に近い女の声だった。剣呑で、敵意を剥き出しにした声音だ。
いったい、いきなりなんだって言うんだ!
「あんたたち、野盗? 追い剥ぎ?」
「こっちの台詞だ! 突然射かけられる筋合いはないぞ」
「どうだか」
さくさくと草を踏みしめ、こちらに近づいてくる足音が聞こえる。
どうしたらいい、これはどういう状況だ。せめて姿を見てやりたいが、相手がいつ矢を放ってくるかと思うと、迂闊には動けない。
次の行動を逡巡していると、今度は探るような声色が聞こえてきた。
「その荷車、あんたたちの仕業じゃないの」
なんの言いがかりだ、それは。
「待ってください、誤解してます!」
ティオが叫び返す。足音が止まった。
「そっちこそ、追い剥ぎじゃないなら聞いてくれ。俺たちは冒険者だ」
「冒険者?」
そうはじめて名乗るのが、こんな場面になるとはな。
「……ゆっくりこっちを向いて。二人ともよ」
言われた通り、相手を刺激しないよう、恐る恐る身体の向きを変えていく。隣で、ティオもそろそろと振り返っているのが見えた。
果たして、振り向いたその先にいたのは、俺よりもいくらか年下と見える女だった。革鎧に身を包んだ出で立ちは、身軽でしなやかな振る舞いを思わせる。顔立ちには女性と少女の間にいるようなあどけなさが見えるが、その手に握る弓で俺たちを違いなく狙う眼差しには、鷹のごとき鋭さを湛えている。
なにより目を引いたのは、ブラウンの髪の上に覗く獣のような耳だ。後ろ腰からはひょろりとした尻尾も見えている。
ミュークスだ。話には聞いていた、獣の耳と尾を持つエイーラの子ら。その目は夜闇の中でも見通し、耳と尾が司る鋭敏な感覚は、野鼠の気配も逃さないという。種族を総じて武に秀で、本国では強力な騎士団を結成しているそうだ。
「冒険者って言ったわね。どこから来たの」
女は変わらず、弓を構えたまま尋ねてきた。警戒心は剥き出しのままで、女自身は華奢ななりをしているが、眼光鋭く睨み付けるつり目とあわせて、迫力がすごい。あれだ、美人が凄むと怖いやつ。
「カザディルの碧いとまり木亭から。そっちこそ何者だ?」
「あたしは……」
一度口を閉じた女は、いくぶんか間を開けてから改めて言い直した。
「あたしも冒険者よ。この先の村で依頼を受けてきた」
この先の村……もしかしてそれは。
「ティオ、全部話してもいいか?」
「そうですね、むしろここは、きちんと説明した方が得策かもしれません」
「ちょっと、なに話してるの!」
耳がいい、というのは誇張でもなんでもないらしい。耳敏くこちらの会話を聞き付けた女の語気が強まって、矢を引く手に力が籠ったように感じられた。
俺は慌てて、誤解を解くために身振りを交えながら訴える。
「待ってくれ! あんたミナーカに依頼されて来たんだろう? 俺たちはカザディルの鍛冶屋からの依頼を受けたんだ!」
「カザディルの鍛冶屋ですって?」
女の弓を引く手から、わずかに力が抜けた。
「ミナーカから来るはずのイルク車が来ないから探してくれって話だ。それでこの荷車を見つけた。そっちもそんなところじゃないのか?」
「あたしは……」
ダメか?
だが目線に迷いの色を見せた女は、わずかに考えたあと、ゆっくりと弓を下ろした。
俺とティオは揃って息を吐いて、俺もようやく挙げていた手を下ろした。
「悪かったわ。探していた荷車に人がいたから、盗賊かと思ったのよ」
「いえ、順番が逆なら私も疑ってました。それにあなたは、一矢目を当てないでくれましたから」
ティオに言われて、俺は頭の脇に刺さったままの矢に目を向けた。俺たちはどちらも、矢が飛んでくるまで彼女の存在に一切気がついていなかった。その気があれば、俺の頭は荷車に射止められていただろう。今さらのように背筋に震えが走った。
「さすがに問答無用で射抜いたりしないわよ。あたしはジジ、ロザムンドから来たの」
「リンデンのティオニアンナです」
「リッケルトだ。どうぞごじっこんに」
それぞれに名乗り終えると、ミュークス……ジジと名乗った女は、俺たちの後ろ、倒れた荷車に歩み寄ろうとし、その途中で顔をしかめて鼻を押さえた。だがすぐに立ち直り、御者の骸の傍らに佇み、胸に手を当てた。
「黄金の原に導かれますように」
俺もその隣に立ち、御者の冥福を祈る。
「俺たちが来たときには、もうこの有り様だったんだ」
「そうでしょうね」
ジジは屈み込むと、御者の骸や荷車の残骸をあらため始めた。その手つきは手慣れていて、幾度もそうして痕跡を探っていた様を思わせる。
「あたしはたまたまミナーカに立ち寄っていたのだけれど、主人とカザディルに荷車を引いていったはずのイルクが、一匹で戻ってきたっていうのよ。それで、何があったか確かめてほしいって言われたわ」
なるほど。確かに荷車の周りにイルクの姿はない。どうにか難を逃れたはいいが、主人を亡くしてしまったそのイルクは、自分の暮らしていたミナーカに戻ったのだろう。賢い子だ。
「じゃあ、荷車の中身も聞いてたんだな」
「農具のこと? じゃなきゃあんたたちの話を信じたりしないわよ」
それもそうだ。納得していると、ジジは続けて言う。
「その農具と御者も、無事なら連れ戻してほしい、って言われてイルクを借りてきたけれど、荷車がこれじゃあ一度村に戻るしかないわね」
「さすがに荷車を起こすのは難しいですし、車輪もダメになっていますね」
農具が無事なのが不幸中の幸いです、と荷車をあらためながら言うティオに、俺はため息をついた。どちらにせよ一度ミナーカまで行って、戻ってくる必要があるか。
だが、しかし。
「じゃあそっちはこれで仕事は完了か?」
「どういう意味?」
訊ねてみると、ジジは目を吊り上げて返してきた。険が強い。
「俺たちも荷車を確かめて、村の人間をカザディルまで連れていくのが仕事、なんだが……」
俺はティオにも目を向けると、向こうもこちらを見て言葉に耳を傾けてくれていた。
そう、依頼された内容だけを考えれば、この仕事はここでほぼ終わりだ。
あとはミナーカに報告をし、農具を回収。俺たちはそこからさらに、村人と農具をゲオルグさんのところまで連れていけば、報酬分の仕事はしていることになる。
「けれど、まだどうして荷車がこんなことになったのか、そこがわからないままだ」
これで帰るというのは、どうにも片手落ちではないだろうか。
「だから、イルク車がこんな目にあった原因まで追究したいって思ってるんだけど……どうだ?」
俺はまず、ティオに向かってそう聞いた。
「もちろんです。私も、彼に何があったのか知りたいですから」
即答だった。安心した、これで断られたらどうしようかと思った。
「そっちはどうだ?」
とジジに向き直ると、どうしてだろうか、彼女は先ほどまでの険の抜けた、丸い目でこちらを見ていた。
な、なんだろう。
「なんだ、あんたたちまともな冒険者だったのね」
「どういう意味だよ、それ」
「今回みたいな依頼内容だったら、ここまで来て終わり。さっさと引き上げて報酬をもらう。そういう冒険者ばっかり見てきたのよ」
それはそれで、別に間違ってはいない。俺たちもジジも、この事故だか事件だかの原因究明までは仕事内容に入ってはいない。あるいは、ここで村に引き返して、それは別で追加報酬を要求するという手だってあるだろう。
けれど、俺はそんなあこぎな商売はしたくない。
「ロザムンドでも、カザムダリアに来てからも、そんなやつばっかり見てたから、あんたたちもそうかと思ってたわ」
「わかります、私もそうでした。リックからそう言ってくれて、うれしかったです」
そんなもんなのか。
やけに感心されて、俺は頭を掻いた。報酬外の仕事をするのか、と怒られるんじゃないかとすら思っていたのだ。
「まあ、それはともかく……そっちもそのつもりなら、何があったのかわかるまで、組むってのはどうだ?」
「あんたたちと?」
話を持ち掛けると、ジジは顎に手を当てて考え込む。しっぽがぱたんぱたんと左右に揺れている。
「そうですね、報酬を取り合うような話でもないですし、損はないと思います」
ティオも同意してくれる。さて、ジジはどうだろうか。
「まあ、別にひとりでも平気だけど……いいわ、組んであげる。ただし、あたしの邪魔をしたら承知しないからね」
よし。
難しい顔をしているし、おっかないことを言っているが、ともかく話はついた。
俺は内心でそっと胸を撫でおろす。どうにも今回の一件、ただの事故では済ませられないだろうという予感があった。その原因を探るというのであれば、戦力は確保しておくに越したことはない。
なにせ、相手は荷車をひっくり返すような相手なのだ。ただの脱輪で済んでくれるなら、取り越し苦労で終わるのだが。
「決まりだな。じゃあ、さっそく取り掛かる……前に、まず亡骸を引っ張り出してやらないか?」
現場調査をするのにそのまま、というのは忍びないと思っていたのだが、幸いにも二人とも頷いてくれ、荷車の下から御者の骸を引き出すのが、俺たちの最初の共同作業になった。
◆
荷車を持ち上げる力仕事になるかと思ったが、ティオのおかげでそうはならなかった。大地の精霊との契約によって、地面をわずかに持ち上げ、荷車を浮かせてくれたのだ。これには、精霊術を見たことのなかったジジも驚いていた。
さすがに荷車自体を起こせるほどの変動はさせられないようだが、こうしてわずかに持ち上げることで、相手の足を取るのに使ったりするらしい。
さておき、そうしてできた隙間から、俺とジジで骸を引き出した次第だ。
それから改めて、現場検証を始める。俺とティオは荷車を、ジジは地面の轍を調べている。これはジジの言い出したことである。街道から轍を順に追ってくるというのだ。
さて、落ち着いて荷車をよく見れば、それがただ横転しただけではないことは明白だった。
「幌が破けてるの、最初はどこかに引っ掛けたのかと思ったけど、違うな」
「この傷、横から何かでえぐられてますね」
二人で並んで見ているのは、荷車本体にできた損傷だ。横から与えられた衝撃で、車体を構成する木材は半ばへし折れてしまっている。横倒しの荷車の、上に向いている車輪も同様だ。近くにはぶつかるようなものもなく、この時点でもうただの横転事故ではない。
「何かにぶつかられた……? それも荷車をひっくり返すような力で」
「同じような荷車をぶつけられた……というような痕跡もありませんし、やはり盗賊の仕業ではなさそうですね」
盗賊は、御者の荷物にも、イルクにも手付かずだった時点で捨てられていた可能性だったが、まずありえないと結論付けられた。
あるいは、魔法を使える盗賊であるなら話は違うかもしれないが、そんな力があって小さな農村のイルク車を襲うというのも、また考えにくい。
「黒狼だったらできそうだけど、やっぱりそれもないよな」
「そうですね、御者もイルクも、黒狼やほかの野獣でしたら放ってはおかないでしょう」
人間の仕業でも、肉食獣の仕業でもない。だが、イルク車が街道を外れたのは、明らかに何かに襲われたからだった。
ならば、襲ったのはいったいなにものだ?
頭を捻りながら壊れた車輪を見ていると、何かが視界の端に引っかかった。
「ん? なんだこれ」
手を伸ばしてつまみ上げる。これは、少しふわふわとした、毛?
「二人とも」
荷車から少し離れたところで、這うようにして地面を調べていたジジが声を上げた。何か見つけたのだろうか。
轍を踏まないように気を付けながら近づくと、ジジはその傍らに膝をついている。
「やっぱり、何かに襲われたのは間違いないわね。荷車を追っている蹄の跡がある」
「蹄? イルクのじゃなく?」
「違うわ、もっと大きい。でもロザムンドでは見たことがない形」
蹄のある動物で、イルクより大きく、こんな所業ができるもの。確かに俺の知識でも思いつくところはいくつかある。けれど、このリングアンドに果たして同じ生物がいるのかわからない。逆に、もっと違う動物の可能性だってあるのだ。例えば、牛のような大きさの猪でも出てくるのかもしれない。
俺は頭を振った。今は判断のつかないことを考えるよりも、ジジの話を聞くべきだ。
「イルク車は街道を順調に進んでいたけれど……突然何かに襲われた。街道上で一度体当たりを受けてる。それで、街道を外れて逃げようとしたけれど、結局横からの突撃を受けて横転した……多分、角のある生き物」
そう推理するジジの口ぶりは、まるで見ていたかのように確かだ。俺にはただの車輪の跡にしか見えないというのに。
「すごいな、そんなにはっきりわかるものなのか」
「故郷じゃ狩人をしていたのよ。痕跡を辿るのなんて、できなきゃ仕事にならないわ」
ジジは自信に満ちた様子でそう答えた。レンジャーがパーティの斥候役になるゲームの理屈が、はっきりと実感できる。もしかして、本当に俺たちと組む必要は全くなかったかもしれないとも思ったが、力を貸してもらえてよかったと考えておくとしよう。
さておき、ジジのおかげでおおよその経緯は掴めたわけだが、問題はそれをしでかしたのが、果たしてなにものなのか、というところだ。そしてそいつが、今どこでどうしているのか。
「つまりは、その生き物が今回の事故の原因か……事故って言っていいのかわからないけども」
「角と蹄があって、イルクよりも大きな、人を襲う生き物、ですか」
まさか、とティオが小さくつぶやくのが聞こえた。何か心当たりがあるのだろうか。
それを確かめる前に、俺も自分の発見を思い出した。相手が何かしらの動物というのであれば、これが痕跡かもしれない。
「そうだ、見てくれ。さっき荷車で見つけたんだ、何かの毛だと思うんだけど」
そう言って、二人に先ほどつまみ上げた獣毛を見せる。
それを受け取って矯めつ眇めつしたジジの、そして横から見ていたティオの顔色が変わったのが、はっきりと分かった。
「嘘でしょ、これが荷車についてたの?」
「まさかとは思いましたが、やっぱり……」
なんだなんだ、いったい何だというのだ。どうやら二人には、下手人がなにものかわかったようなのだが、あいにくまだこの世界のことに疎い俺には、さっぱり想像がつかない。
「二人とも、わかったのか?」
「ちょっと、ここまで揃っててまだわからないの?」
ジジの呆れるような視線が痛い。わからないんじゃない、知らないから判断のしようがないんだ。けどそれを言っても始まらない。
「リックは、まだこの辺りのことに疎いんです」
「疎いって、こいつの毛皮はロザムンドでだって出回ってるのに」
ええい、フォローも呆れるのもいいから、とにかく俺も話に加えてくれ!
「それで結局、これはなんの毛なんだ?」
しびれを切らして聞くと、ジジはその毛を俺に突きつけ、叩き込むような勢いで教えてくれた。
「いい? よく覚えておきなさいよ。こいつはカザムコール、大山羊の毛よ」
……山羊?