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リングアンドの冒険者たち  作者: ふぉるく
第二章 剣と魔法
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第12話

 かつて、胸躍る冒険に憧れた。

 あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。

 その夜。


 俺はまず、ティオにことのあらましを説明した。


「で、報酬は五シルム。どう思う?」


「妥当なところだと思います。宿への払いは依頼人がしてくれるんですよね?」


 夕食と酒を広げたボックス席の向かいで、ティオが頷きながら確認する。もちろん抜かりはない。


「ちゃんと置いていってもらったよ」


 冒険者の店で冒険者を雇ったら、店にも金を置いていくのが決まりだ。今回は俺がここの従業員ではあるが、そこはそれ、ゲオルグさんもそこをちょろまかしたりはしなかった。


 だいたいゲオルグさんは馴染みの客だ。そんなことをしようものなら、俺がアイラさんに言いつけている。


 一通り聞き終えると、ティオは感心したような、そして満足げな顔をして腕を組んだ。


「それにしても、はじめて依頼を受けるのに報酬交渉なんて、どこで覚えたんですか?」


「これでも物書きしてたんだ、それくらいの話はいくらでも聞いてたよ」


 なんて、実際のところは冒険者ごっこをして遊んでいたから、とはいくらなんでも答えられないので、笑いながら誤魔化しておく。


「それに、たぶん向こうも初めからそのつもりだったんじゃないかな」


 でなければ、駆け出し相手に報酬交渉なんてしてくれるとも思えない。


「まあ、確かに二シルムだと安いですね」


「だろ」


「でもきっと、交渉されれば応じる、くらいの気持ちだったんじゃないでしょうか。そこで交渉に踏み切って、材料を揃えて五シルムまでつり上げたのは、間違いなくリックの手腕ですよ」


 そう思ってもいいのだろうか?


 ティオは出来のいい生徒を褒めるように、笑顔で何度も頷いている。


「でもなんだか安心しました」


「安心?」


「リックが思ったよりも落ち着いていて、です。冒険者になるって決めて、浮き足立っていないかなと思っていたので」


 そんなティオの心配は、もちろん的中しているに決まっている。


 浮き足立つどころじゃない。俺は今だって、はしゃいで回りたいのを必死で堪えているんだ。


 憧れの冒険者になると決めて、剣と鎧を譲り受けて、これでどうして浮き足立たずにいられるというのか。昼間から裏庭で剣を振り回してるのがいい証拠だ。


 澄ました顔で取り繕っているだけなのである。


 素直にそう白状すると、ティオはまたおかしそうに笑う。


「じゃあ、取り繕えるだけ立派ですね」


 どうあっても褒めてくれる先生だった。


「ともかく、これがリックの、冒険者としての初仕事になるんですね」


 そうなるわけだが、さて、むしろ本題はここからだ。報酬交渉よりもむしろ重要だ。


 俺はジョッキに入ったエールを一口飲んで、わずかに覚えた緊張を押し流す。


「それでなんだけどな、ティオ」


「はい?」


 どう切り出したものかと、ここまであれこれ考えていたのだが、やはり素直に言うほかないと、覚悟を決めて口を開く。


「今回の依頼、一緒に来てほしいんだけど、ダメかな」


「……はい?」


 ティオは、ぽかんと口を開いた。


「その、なんだ、初仕事でこんなことを言うのも情けないんだけど、やっぱりまだ一人で動き回るのは不安があるし」


 子供のようなことを言ってるな、と思いながらティオを見ると、彼女はどうしてか、不満げに頬を膨らませていた。


 まずい、何か怒らせただろうか。それとも、せっかく褒めてもらった矢先にこんな話をするのがいけなかったか。


「あ、いや、もちろんティオがよければでいいんだ。そっちにも都合があるだろうし、いつまでもティオに甘えてるのもよくないよな」


 言葉を重ねるごとに、ティオの顔はだんだんと俯いていってしまう。


 やっぱりだめか。どうにか一人でミナーカまで行くしかないだろうか。


 そう思っていたら、ティオの、今まで聞いたことのないようなか細い声が聞こえてきた。


「リックはその仕事、一人で受けるつもりだったんですか」


「え……まあ、俺が勝手に受けた仕事だし、ティオの都合がよければ、とは思ったけど」


 それに、いくら見知らぬ異世界に来てしまったとはいえ、もうここでの暮らしにも多少は慣れた。いつまでもこの小さな少女に頼りきりではいけないと、そう考えていたのだ、が。


「リック、私が言ったこと、もう忘れたんですか」


「え?」


「私は、あなたと一緒に冒険がしたいと、そう言ったんです」


「それは、もちろん」


 覚えてるに決まってる。俺の背中を冒険者へ押した、殺し文句だ。


「でもほら、この依頼、そんなに遠出するわけでもないし」


 いずれそんな大冒険をすることがあれば、その時はティオも一緒に、なんて思っていたのだが。


「私は!」


 ティオが勢いよくついた両手で、テーブルの上の食器が跳ねた。俺は反射的に背筋を伸ばした。目の前に迫ったティオは、それはもうお怒りだった。


「なにも見知らぬ秘境や恐ろしい迷宮の話をしていたわけではありません!」


「は、はい」


「だいたいリック、あなたはミナーカまでの道がわかるんですか? どこでイルクを調達するのかは?」


「わ、わかりません」


 ティオが大きなため息をついて、俺はドラゴンに睨まれた冒険者のようにただ震えることしかできなかった


「ほら見てください。やっぱりあなたは、まだまだ目の放せない、異邦人の冒険者見習いです。それが……」


 だが、俺の様子を見たからだろうか、ティオは言葉の途中で、はっとしたように口を押さえた。


「……すみません、言い過ぎました」


「あ、いや」


 ゆっくりと席に座り直すティオは、ひどく居心地の悪そうな様子で、俺もどうしようもなく居たたまれない。


 ティオは唇を噛み締めながら押し黙り、俺もそんなティオに何を言えばいいのかわからず、気まずい沈黙がテーブルの上に横たわった。


 白状すると、俺にはもうひとつ、ティオが何をそこまで怒っていたのかがわからなかった。だから、どう謝ればいいのかもわかっていない。


 無責任な謝罪はしたくなかったが、かといって直にそれを訊ねるのも憚られ、結局ただ口を閉ざすばかりだ。


 沈黙を先に破ったのは、ティオだった。


「今回の仕事、絶対に私も行きますから、そのつもりでいてくださいね」


 そう言ったティオは、なぜだかひどく寂しげに見えた。





 リングアンドの主要な交通手段といえば、やはりイルクになる。この螺旋角のある鹿のような生き物は、荷車を引かせるにしろ、直接騎乗するにしろ、街から外へと出掛けるには欠かせない存在である。


 逆に言えば、陸上での交通や輸送手段としては、このカザディル周辺ではほかに普及していると言えるものはない。イルクを選択肢から外すなら、あとは徒歩で行動することになる。


 例えば、フェルメルたちの暮らすリンデン周辺であれば、もう少し小柄な騎乗動物が普及しているそうなので、それも見てみたいとは思うが、それはさておき。


 依頼を受けたその翌日、俺とティオは、市場で出発しようとしている商人のイルク車を捕まえ、便乗させてもらうことにした。街道をずっと南へ行くという商人とは途中で別れることになるが、俺たちが冒険者と見ると、その間の護衛役を兼ねてくれるならと、乗車を快諾してくれた。


 俺はいよいよ、あるかもしれない本番へ向けて、装備一式を身に付けて出立した。肌着の上にTシャツほどの鎖帷子を着込み、さらに上着を一枚重ねている。足元はブーツ、外衣にはフードの付いたマントを羽織り、腰にはもちろん、剣を差している。革の水筒といくらかの食料の入った鞄を背負えば、もう立派な冒険者の身なりだ。


 そうしてアイラさんにいってきますを言い、意気揚々と初仕事に臨む……と言うには、いささか気持ちの重たさは隠しきれなかった。


 当然原因は、昨日のティオとの一幕だ。あのあと、仕事の段取りを決めるときも、別れて部屋に引き上げるときも、今朝になっても、ティオの態度はどこかよそよそしい。


 いつまでもティオに頼りきりな俺に、いい加減愛想が尽きたのだろうか。しかしそれにしては、仕事の打ち合わせは積極的にしてくれる。


 ちなみに、出掛けにアイラさんにこの事を相談したらところ、素っ気なく「それは自分で考えてください」と言われてしまった。あれはたぶんアイラさんも怒っていた。


 そうした訳で、イルク車に乗って街道を進みはじめてもなお、俺の初仕事に逸る気持ちは、抑えるまでもなく沸き立ちきらないでいるのであった。


 荷車の中では、ひたすらに重苦しい沈黙が流れている。荷車にかけられた幌と、積まれた荷物の圧迫感も、それを増長しているような気がした。


 今進んでいるのは、はじめてティオとカザディルに向かった道のりの逆順。空気もその真逆だ。


 もとい、言い知れぬ重圧を感じているのは俺だけだろうか。


 ティオはといえば、荷車に揺られながら、幌の外に手を差し伸べて何かをしている。幌の中に戻された手には、小さな空の瓶が握られている。ティオが中を確かめて栓をすると、どうしたことか、その瓶の中にちらちらと小さな光が舞い始めたのだった。


 俺はその不思議な瓶を見て、思わず身を乗り出した。


「……」


 ティオがちらりと横目で俺を見る。


「あ、あー」


「気になりますか?」


 そりゃあ気になる。けど、聞いてもいいものだろうか。


「聞きたくないなら、別に構いませんが」


「い、いや、知りたい。それ、なんだ?」


「これは、玻璃瓶を作っているんです」


「玻璃瓶?」


「精霊術士の秘術、みたいなものですかね」


 先述した通り精霊術は、世界にあまねく現象の権化たる精霊の力を借りる魔法である。ティオの持つ杖のような、各々が拵えた媒介を用いて精霊と契約を交わすことで、人の身を超えた力を発現することができる。


 だが当然のことながら、精霊と契約できなければその力を借りることはできないし、その場にいない精霊と契約することはできない。


「けれども、その場にいない精霊の力こそを借りたいときもありますよね。そこで使うのが、玻璃瓶です。瓶そのものはただのガラス瓶ですが、煎じた薬草と私の血を混ぜたものを塗ってあります」


 そうして術を施した瓶に、一時的に精霊を閉じ込めておくのだという。そうすることで、本来その場にいない精霊を連れていき、契約ができるというわけだ。


「もちろん、いつまでも連れ回せるというわけではありません。長く閉じ込めると、精霊も機嫌を損ねてしまいますから」


「それでも便利なもんじゃないか。どんな精霊でも連れていけるのか?」


「そうですね、大抵は。でも連れていく精霊は選びますよ」


 例えば、風や大地の精霊はおよそどこにでもいる。そうした精霊をわざわざ連れ歩く必要性は薄い。火や水の精霊も、先日のセイロガでそうしたように、松明を使ったり、あるいは水筒から呼び出したりするのだそうだ。


「玻璃瓶を用意して特に重宝するのは、光の精霊ですね。日の光は明かりになるだけじゃなく、人間の持つ力を強く引き出してくれますし、月明かりであれば傷を癒してくれます」


 この世界に来たその日、獣に襲われた俺にもやはり、月明かりの玻璃瓶を使って治療をしてくれたらしい。


「そっか、俺も世話になってたんだな」


「ええ、食事のとき以外も、精霊への感謝は忘れないでくださいね」


 そう締め括って、ティオは笑みを浮かべた。あ、今なら言える気がする。


「なあティオ、昨日のことなんだけど」


「待ってください」


 そう思ったのだが、残念ながらティオの立てた手によって、その機先は制されてしまった。


「昨日のことは、私が大人げなかったです。ごめんなさい」


 そんな風に先に謝られてしまっては、こちら立つ瀬がない。


「いや、でも」


 俯き気味に、先程までとは違うこわばった笑顔を見せるティオは、どうしてか頑なだ。


 俺は、ただどうしてティオがそんなに怒っていたのか、知りたいだけだったのに。


「いいんです、今は目の前の仕事に集中しましょう?」


 結局、そう押し切られるまま話題を掘り返すこともできず、イルク車が目的地に到着し、この会話はまた流れることになってしまったのだった。





 カザディルから南方へ伸びる街道と、東へ伸びる街道の交点が、俺たちの下車駅だった。そのまま南へと向かう商人とはそこで別れ、俺たちが向かうのはミナーカへ続く東の道だ。


 商人の方は護衛なしで大丈夫なのかとも思ったが、カザディルのような大きな街の近郊であればまだ治安もよく、護衛をつけずに行動する人間の方が多いようだ。


「ですが、最近はもう少し警戒を強めた方がいいような気もします。先日のドラヴや、リックを襲った黒狼の件もありますし」


 とはティオの言だ。ドラヴにしろ俺を襲った獣……黒狼にしろ、これまで人里や街道近くに姿を表すことは少なかったらしい。それがこうも続くと、冒険者や耳敏い人間の間では、なにか不吉の前兆では、と言われているようだ。


「もしかすると、今回の件も?」


「可能性はあります。私たちも注意して進みましょう」


 そう話ながら歩き始めた俺たちだが、晴れた空の下で進む、緑の原を渡る街道は、平穏そのものだった。


 遠目に見える山々も蒼く生い茂り、岩山が連なる白鷲山脈とはまた趣が違っている。


 ミナーカまではここから歩いて半日。休息を取りながらでも陽が暮れる前には村に着く予定だが、どちらかと言えば、そんなに歩き続けられるだろうかという不安の方が大きかった。


 結論から言えば、俺のその心配は杞憂に終わった。


「リック、見てください」


 歩き始めてどれ程経っただろうか。ティオが道の先を指差したのは、まださほど疲れも見え始める前だった。


「あれ、轍だな」


 地面に蹄の跡と共に刻まれたそれは、俺たちの進行方向から伸びる車輪の跡だった。街道上をずっと走ってきた轍は、しかし俺たちの足元まで届くことはない。


 轍は道半ばで街道を外れ、草原の中に続いている。その先は大岩の向こうに消えていた。


「なあ、もしかしてこれ」


「わかりません、でも可能性はあります」


 俺は街道を外れ、草原の轍をあらためる。草地の跡は街道ほど深くはないが、それでも追いかけることはできる。


「見た感じ、数日は経ってるよな」


「そう思います」


 だとしたら、ゲオルグさんの話とも一致する。


「周囲は私が見ます。リック、轍を追えますか?」


「わかる限り追ってみる」


 どこまで轍を見分けられるか、とにかくできるだけやってみよう。


 いっそ這うような姿勢で下草を掻き分け、轍を探して追いかけていく。


 草原を進み丘を乗り越えていく轍はしかし、それほど長くは続いていなかった。なぜかと言えば、イルク車がそれ以上進まなかったからだ。


 大岩をぐるりと回り込んだその向こう側、街道からの死角に、横倒しになった荷車がいた。荷車からは、いくつもの農具が地面に散らばっている。


 間違いない、探しに来たイルク車はあれだ。それに、その影に。


「人がいる!」


 倒れた荷車の影に、人が倒れているきっと御者をしていた村人だろう。


 助けないと。


 慌てて草原を駆け下り、傍に寄ろうとして俺は、しかし荷車の脇で思わず立ち止まった。


 臭いだ。


 鼻をつくすえた臭いが、否応にも足を止めさせる。


 荷車の下敷きになった人影は、もうどれほども動く様子は見られなかった。


 いつの間にか隣に来ていたティオが、小さく首を左右に振った。


「リック、その人はもう」


「……ああ」


 言われなくてもわかる。もう事切れている。


 どうしてこんな、何もないところで。どうすればいい。引きずり出してやるべきなのか。それともまずミナーカに報せるべきなのか。


 恥ずかしながらこのとき、俺は完全に混乱していたのだと思う。こんな形で死んだ人間を見るのは、これがはじめてだった。いくらか予想はしていても、いざ不慮の死に直面すると、俺の脳はあっさりとショックで動作不良を起こしていたのだった。


「リック? 大丈夫ですか?」


 ティオに揺すぶられ、俺はようやく、どうにか自分の身体が動くことを認識した。


「あ、ああ」


 けれど、大丈夫ではない。いったいなぜこんなことに。


「しっかりしてください。とにかく、何があったのか確かめないと……危ない!」


 俺はまた、すぐに身動きが取れなくなっていた。瞬きをしたほんの一瞬の後、俺の顔の脇、荷車の残骸に矢が突き立っていたからだ。


「動かないで! 次は当てるわ!」


 声は、後ろから聞こえてきた。

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