第11話
かつて、胸躍る冒険に憧れた。
あるいは、今なお焦がれ続ける、すべての冒険者たちへ。
俺の目の前には今、大きな宝箱があった。
「アイラさん、本当にいいんですか?」
そう聞いた俺は、たぶん本当に子供のような顔をしていたのだと思う。
セイロガでの冒険を終え、碧いとまり木亭に帰ってきたその晩のことだ。
カザディルに到着する前に眠りに落ちたリーリアを寝室に、食材をパントリーに運び込み、俺とティオは、食堂でアイラさんにことのあらましを説明した。
セイロガは景色も美しい平和な村だったこと。村人にも歓迎されたこと。その夜に、ドラヴが現れリーリアを拐ったこと。どうにか二匹のドラヴを撃退し、その礼として大量の食材をもらってきたこと。
リーリアが拐われたくだりで顔を青くしたアイラさんだが、怪我もなく連れ帰ったと説明すると、現に無事な姿を思い出し、ほっと胸を撫で下ろした。
そしてもうひとつ、俺から言わなければならないことがある。
「アイラさん、俺は、冒険者になろうと思います」
ボックス席の一角でそう告げると、向かいに座るアイラさんは、少しぽかんとした表情を見せた。
転がり込むような形でとはいえ、アイラさんは俺の雇い主だ。宿ももう、今は俺がいる前提で運営しているのだから、勝手なことをするわけにはいかない。
その筋を通したくての報告だったのだが、さてアイラさんはなんと言うだろうか。
するとどうしてか、彼女は少し寂しそうな笑顔を見せる。
「なんとなく、リックさんはそうするんじゃないかと思っていました」
今度は俺が目を丸くする番だった。思わず隣に座るティオを見る。
「何か話してたのか?」
「私は何も言ってませんよ」
心外だ、と首を振るティオ。ではどういうことだろうか。
「ふふ、そっくりだったんです。リーリアと一緒になって、ティオさんから冒険話を聞くときのリックさんの目が」
「そっくりって、誰にです?」
「亡くなった私の夫です」
俺もティオも、思わず言葉を飲み込んだ。そうだ、アイラさんの亡夫は、冒険者だったと聞いている。
「夫も、冒険の話をするときは、子供みたいに目をきらきら輝かせていました。そうそう、ティオさんも、それにリーリアも同じ目をしてるんですよ」
「わ、私もですか」
「はい、だから思ってたんです。ああ、冒険者の人って、みんな同じ目をするんだなって」
なんとなく、俺とティオは目を見合わせた。確かに冒険の話をするときや、俺の話を聞くとき、ティオはリーリアと同じ目の輝きをしている。それが冒険者の目、というのは考えたことがなかった。
けど、俺はそんなに目を輝かせていたのか。端からそう指摘されると、なんだかむず痒い。 けれど悪い気分ではなかった。
等と考えていると、隣で同じようにこそばゆそうにしていたティオが、急に澄ました顔をし始めた。
「そうですね、リーリアもリックも、同じ目で私にお話をせがみますものね」
「あっ、自分を棚に上げるなよ。ティオも同じだからな」
「冒険者の目と、冒険者に憧れる目って違うと思うんですよ」
「どんな理屈だよ!」
そんな俺たちのやり取りを、アイラさんはくすくす笑いながら見ている。
しまった、完全に脱線している。
「それで、なんですけど、宿のお手伝いの方を、時々抜けさせてもらいたいんです」
本題はこっちなのだ。危うく忘れるところだった。
お世話になっている身で、やりたいことができたから店で働く時間を削らせてくれ、なんてどこまでも身勝手な話だと思う。ついこの間、本当に感謝している、なんて言ったばかりなのだ。その舌の根も乾かぬうちに、本当に不義理をしている。
そう思い、アイラさんの顔色を窺いながら話していたのだが、当のアイラさんは、今度こそ本当に心底意外そうな表情をしていた。
「あの、アイラさん?」
「あ、すみません……その、リックさんには、これからも宿を手伝っていただけるんですか?」
うん? と首をかしげる。どういう意味だろうか。
「私、てっきり冒険者になるから、もうこの宿を出ていかれる、って話かと」
どうしてそうなるのか。
「いきませんよ! まだ置いてもらった恩も返しきれてないのにそんな」
「けど、冒険者をしながら手伝いもなんて、悪いですよ」
「逆です、俺がやらせてほしいんですよ」
この宿への、アイラさんやリーリアへの恩返しには、それでも足りないくらいなのだ。
けれど、アイラさんも妙に頑なだった。
「うちの宿じゃ、依頼も少ないし……」
ああ、もう。
「だったら、俺がこの店の冒険者として、人を雇って店を大きくできるくらい、仕事をこなしますから!」
いつか自分の世界に帰る以上、ずっとここにいるわけには、確かにいかない。けれど、そんな先の見えない約束をしたくなるくらいには、俺はこの宿に愛着を持っているのだ。
「だから、そんなこと言わないでください」
ここはもう、俺にとってはもうひとつの家みたいに思っているのに。
「私も、当面はカザディルにいるつもりです。私たちの帰ってくる場所は、碧いとまり木亭ですよ」
ティオにもそう告げられ、アイラさんは言葉もなく俯いた。
小さな震える声で、ありがとうございます、と聞こえてきた。
アイラさんは、それから少しだけ鼻をすすり、目元を拭ってから顔を上げた。俺もティオも、目元や鼻が赤くなっていることには触れなかった。
「わかりました。これからもよろしくお願いしますね」
「ええ、こちらこそ」
「ティオさんも」
「はい」
そうしてこの話は終わり、とはならなかった。
「ところでリックさん、冒険者を始めるための準備はあるんですか?」
「あー……」
俺は思わず目を逸らして頭を掻いた。
正直なところ、帰りの道中で一番頭を悩ませたのは、そのことだった。準備できてるものなどなにもない。そもそも、ここを発つまではそんなつもりもなかったし、土台俺の財布は空っぽだ。
「なにもないですね……まずは資金繰りをしないと」
冒険者はどうあっても腕っぷし商売だ。それも、あのドラヴのような連中を相手にするとなれば、武器や防具は欠かせない。他にも荷物を入れる鞄や、遠出をするのに外套や、あれやこれや……果たして最低限でも必要なものを揃えるのに、どれくらいかかるかわからない。
それをどうやって稼いだものか、そこが問題だった。
そう聞くとアイラさんは、少し考えるような素振りを見せてから、よろしければ、と前置きして席を立つ。
「これからリックさんの部屋にお邪魔しても大丈夫ですか?」
「え? えぇ」
出掛ける前に片付けている、といってもそもそも私物と言えるものはほとんどないし、第一貸してもらっている部屋だ。断るべくもない。
角灯を片手に進むアイラさんに続いて席を立ち、俺たちも階段を上がっていく。
部屋に入ると、アイラさんは荷物を漁り始めた。元々この部屋に積まれていて、そのままにしていた箱たちだ。
「えぇと、これこれ」
そう言ってアイラさんは、その中から衣装箱をひとつ選んだ。かなり大きい。人が一人すっぽりと入れてしまいそうな箱だ。
苦労して引っ張り出そうとするアイラさんに手伝って、俺も取っ手を持って引く。だいぶ重たい。何が入っているのだろう。
どうにか開けたところまで引きずり出すと、アイラさんはそれを手で示した。
「はいどうぞ、これをリックさんに」
「開けていいんですか?」
頷くアイラさん。そういうことであれば、と箱の蓋に手をかける。
しばらく開かれていなかったからだろうか、力を籠めると、衣装箱は油の切れた音を響かせながらその口を開けた。
「リック、中身はなんですか?」
ティオが後ろから覗き込んでくる。その手の角灯が箱の中を照らし出した。
果たしてそこには。
「これ、剣……ですか」
まず真っ先に目に入ったのは、黒い鞘に納められた、ひと振りの長剣だった。片手半剣、というべきだろうか。節のついた取り回しやすそうな柄がついている。
それだけではない。他にも革の手甲や、鉄を編んだような胴衣は、鎖帷子だろう。絵に描いたような装備一式が、衣装箱の中には納められている。
「アイラさん、これ……」
「夫が使っていたものです」
ああ、やはり。そうではないかという予感はあった。剣も防具も、どれも使い込まれた痕跡がある。だが手入れはされていたのだろうか、状態はよく見えた。
「以前は時折出して磨いたりしていたんです。けれど、最近は忙しくて」
アイラさんは部屋をぐるりと見回した。
「ここは、夫の部屋だったんです。冒険に出る前には、よくここに籠っていました」
ああ、やっぱり。俺は、そんな部屋を間借りしていたのか。
「すみません、俺、そんな大切な部屋に」
「いいえ、もう物置同然でしたから。さあリックさん、手に取ってみてくださいな」
言われるがまま、俺は長剣を手に取り、恐る恐る鞘から引き抜いた。すらりとした真っ直ぐな鋼の刀身が現れ、角灯の明かりを照り返した。ずっしりと、手に重たい。
「いい剣ですね」
ティオが囁いた。俺は頷いた。
「アイラさん、本当にいいんですか?」
「はい、使ってください。きっと、夫もその方が喜びますから」
これでまたひとつ、アイラさんに大きな恩ができてしまう。果たして俺は、元の世界に帰るまでに、この恩を返しきることができるのだろうか。
「ありがとうございます、アイラさん。大切に使います」
そう言うと、アイラさんは笑って首を振った。
「いいえ、しっかり使い潰してください。そのための道具ですから」
◆
さて、いざ冒険者になったからといって、すぐさま俺の生活になにか変化があるかと言えば、もちろんそんなことはなかった。
相変わらず俺の暮らしの主軸は、碧いとまり木亭の手伝いだし、宿の客も急に増えたりはしない。
ひとつ変化があったとしたら、昼の日課に剣の稽古が追加されたことだろう。セイロガからの謝礼のおかげで、あまり買い物に体力を使う必要がなかったこの数日、薪割りを早めに終わらせ、俺は剣の素振りに勤しんでいた。もっとも完全なる我流だが。
鎖帷子を着て手甲を着けると、身体にはそれなりに重量がかかるし、その状態で剣を振り回すのは、思いの外体力を使う。剣さばきなんてものは全くわからないが、少なくともこの重さには慣れておく必要がある。
なにより、これが楽しくて仕方がない。我ながら、新しい玩具を与えてもらった子供そのものだとは思うのだが、剣と鎧の実物を身に着けて、どうしてはしゃがずにいられるだろう。
そんなわけでこの数日、俺の腕は、薪割りや水汲みとは別の疲労でぷるぷると震えていた。
そんなある日のこと。
今日も客足の少ない昼下がり。俺は何をするでもなく、カウンターの中のスツールに腰を下ろしていた。
さすがに連日の慣れない運動で疲れも見えており、今日ばかりは休息を入れることにしていたのだった。ちなみにアイラさんとリーリアは奥で仕込み中だ。手伝おうと思ったら追い返されてしまった。
結局俺は、手持ち無沙汰で時間をもて余しているという次第だ。ティオもどこかに出掛けているし、本格的にやることがない。
しかしまあ、この生活にも本当に慣れたものだと思う。以前は、こんな風にもて余す時間を作るような余裕はなかった。言葉や仕事を覚えたというのは、やっぱり大きい。
それもこれも、ティオとリーリアのおかげ……ただ、このところリーリアとあまり話せていないのが、少し気がかりだった。どことなく元気がないように思えたのだが、はて。
ともあれ、晴れて冒険者になったというのに、こうしてただ暇しているというのももったいない。あるいは、市場や職人街にでも行って自分で仕事を探したり、売り込みをすべきなのではないだろうか。ここは、ギルドに行けばいつでも仕事が選べるような、そんな世界ではないのだから
などなど、人間することがないと、頭の中ではとりとめのない思考がぐるぐると回っていく。
それを断ち切るように、宿の入り口がぎぃと開いた。
「お、いらっしゃい……あれ、ゲオルグさん」
入ってきたのは、がたいのいいヒューマの男性だった。職人街に店を構える、鍛冶屋のゲオルグさんだ。普段であれば、夕方に食事と酒を目当てに来るのだが、こうも日の高い時間に顔を出すとは珍しい。
「ふん、坊主だけか」
いかにも堅気な職人気質といった無愛想な人で、俺のことは坊主呼ばわりだ。
「アイラさんなら奥にいるけど、呼びます?」
「いや、いい」
ゲオルグさんはそのままずんずん進んでくると、俺の目の前に立ち、カウンターにもたれ掛かった。
「冒険者になったって聞いたが、暇そうだな」
「え?」
どこから、と思ったが、この店に出入りしていれば、そりゃあ耳にも入ろうというものか。
「忙しくしたいけど、どうも勝手がわからなくて」
「ふん。いいか坊主、駆け出し冒険者の最初の仕事はな、仕事を探しに行くことに決まってるんだよ」
「やっぱりそういうもの?」
まさしくさっき考えていた通りだった。もしかすると、アイラさんに手伝いを断られたのも、そういうことだったりするのだろうか。
「そんなこともわからんで、よく冒険者になったなんて言えるもんだ」
ここまで言われるとむかちん、と来るが、行動していなかったのは事実なので、素直に受け取っておく。確かに、今の俺は、ただ冒険者になったぞ、と言ってるだけのお手伝いさんだ。
「ご親切にどうも! おかげで冒険者としてひとつ賢くなれました」
笑って憎まれ口を返すと、ゲオルグさんは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「口だけは達者だな」
そう言ってもらえて何よりだ。
それにしても、ゲオルグさんはなにをしに来たのだろうか。なにか注文するでもなく、今時の若者に絡みに来たのだろうか。
と思いきや、どうやらそれだけではなかったらしい。
「まあいい、どうせそんなところだろうと思ってな、仕事をひとつ持ってきてやった」
「え、そりゃまたご親切に」
「はっ」
鼻で笑われた。
「それで、何をしろって言うんです?」
「おう、イルク車を一台探してほしい」
「イルク車を?」
どういうことかと聞いてみれば、それはゲオルグさんの仕事に関する話だった。
前述の通り、ゲオルグさんは鍛冶屋だ。その顧客の一口として、カザディルから南にあるミナーカという農村があった。村に鍛冶屋のいないミナーカでは、定期的に村の農具を、まとめてゲオルグさんの鍛冶屋で手入れに出していたそうだ。
「ところが、もう約束の日を三日も過ぎてるというのに、ミナーカからの使いが来やしねえ」
そこでしびれを切らしたゲオルグさんは、人を使って荷物の行方を探ろうと決めた、ということだ。
「村に鍛冶屋ができたとか、他の鍛冶屋に持ち込んだとかではなく?」
「ねえよ。他にも仕事があるから、持ってくるときは事前に使いを出せと言ってある。その使いが来たのが七日前だ」
なるほど、ミナーカとゲオルグさんの間で直近の契約は成立していたわけだ。それで三日も遅れているというのは、確かに妙だ。
「で、ミナーカから来るはずのイルク車がどうなってるか、探してほしいと」
「そういうわけだ」
「もし向こうが仕事を取り止めにしてるだけだったら?」
「そんときゃ村の人間を誰か連れてきてくれ。どうだ、報酬は二シルム出そう」
二シルム、銀貨二枚だ。
「わかりました、喜んで引き……」
受けようとして、俺の中のなにかが待ったをかけた。
依頼主との直接の報酬交渉、向こうの言い値で引き受けてしまっていいものだろうか?
それは、さんざんTRPGを遊んできた俺の、冒険者の勘だった。
「ゲオルグさん、その手入れの仕事って、いくらで受けてるんです?」
「……なんでそんなこと気にする?」
ゲオルグさんは目をつり上げた。だがこちらも引き下がるつもりはない。
「まあまあ、興味本位ですよ」
「はん……一ゴルダと五シルムだ」
金貨一枚に銀貨五枚! 村の農具をまとめて、と言うからにはそうではないかと踏んでいたが、やはりまあまあ大口の仕事だ。
「その代金はもうもらってるんですか?」
「……まだだ」
「じゃないかと思ったんです」
でなければ、わざわざ冒険者を雇ってまでイルク車の行方を知りたがる理由がない。なんのことはない、ゲオルグさんも、大きな収入があるかないかの瀬戸際なのだ。
「しかもそれだけの仕事なら、ゲオルグさんにも準備がいる。きっと向こうしばらくの予定も空けてますよね」
つまり、ミナーカからの仕事がなくなってしまえば、その間の収入が全くなくなってしまうというわけだ。
「……わかった、わかった! いくら欲しいんだ」
ようし、乗ってきた。ここからが本番だ。設定金額を見誤っちゃいけない。
「そうですね、八シルムでどうです?」
「あぁ? 四倍じゃねえか!」
「実入りがゼロになるよりはいいんじゃないですか?」
「足元見やがって……三シルムだ」
「相手がミナーカじゃ、どれだけ順調でも行って帰って三日ですよ。一日一シルムじゃちょっと。七シルム」
「こっちだって暮らしがあるんだ。四シルム」
「俺も一人で受けるならそれでよかったんですけど……六シルム」
「……四シルムと五十カップ」
「もう一声!」
「くそ、五シルムだ! これ以上は出さんぞ!」
「交渉成立!」
俺がにこやかに右手を差し出すと、ゲオルグさんは反対に、苦虫を噛み潰したような顔でその手を握り返した。
だが、それからどこか、面白がるような、にやりとした表情を見せる。
「口だけは立派な冒険者だな、お前」
「誉められたと思っておきます」
「まったく、二シルムで引き受けるような間抜けだったら、アイラに言いつけてやろうかと思ってたのによ」
なんか恐ろしいことを言い出した。どうやら危ないところだったらしい。
だが、もしかするとゲオルグさんは、初めから五シルム出すつもりがあったのではないだろうか。俺にとってはじめての依頼人となる無愛想な鍛冶屋は、口は悪いが、結局俺にくれたのは仕事と助言だ。俺はただ、乗せられただけのような気もしてきた。
「まあいい、引き受けたからにはしっかりやれよ」
「そりゃもう」
さてともかく、こうして俺の初仕事が決まったわけである。