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明智家の勝手方8:集まる力と離れる心

作者: 銅大

 秦創はたつくり金造きんぞうは明智家の財務を担当する勝手方かってがただ。

 生まれは越前の国。商人であった金造の父が明智家に出入りしていた関係で、将軍上洛後の明智十兵衛光秀に仕えることと相成あいなった。

 金造の得意は、帳簿付けである。金造にとって帳簿は仕事だが、趣味でもある。細かい文字で丁寧に書き記した帳簿を、金造は暇さえあれば、ぼんやり顔で眺めている。

 金造の苦手は、荒事あらごとだ。武士にはなったが、戦に出たことは一度もない。そもそも他人を殴ることを、嬉しいと思ったことがない。

 金造はそれで構わないと思っている。戦において勝手方は後方にいるものだ。銭米ぜにこめを集め、前線へと運ぶ手配をするのが金造の仕事だ。


 元亀三年(1572年)五月。

 普請ふしん作事さくじが進む坂本城に、明智勢五百が帰還した。

 城の中からは、兵を出迎える炊事の白い煙が、幾条いくじょうもたなびいている。

 築城開始から半年あまり。下の段の石垣はほぼ完成し、石工たちは犬走いぬばしりの上の二段目に掛かっている。

 城門はほぼ完成しているが、瓦はいていない。天主はまだだが、矢倉やぐらは二段目の石積みが終わった箇所から作事が行われている。

 石垣を積むのも、矢倉を組むのも、坂本の職工たちだ。半年前まで比叡山で寺社の建築と修繕にたずさわった職工たちが、比叡山を焼いた織田のために腕をふるっている。

 おのれが生きるため、家族を食わせるためとはいえ、釈然しゃくぜんとせぬ思いが職工たちにはあるのだろう。桔梗紋ききょうもんの旗を見上げる視線は冷ややかだ。隊列の中に交じる汚れたり、負傷した兵の姿には、声にならぬ薄笑いが浮かぶ。


「なかなか、民草たみくさの心を掴むまではいかんものだな」

「民草の腹を掴んでおるのですから、よしとしましょう」

「うまい切り返しだな。金造、お前には連歌れんがの才能があるぞ」


 城内にある御屋形おやかたに入った光秀は、着替えをすませると金造の報告を受けた。

 金造は京の明智屋敷と、坂本城とを、月に数回、往復している。

 せわしないことだが、光秀ほどではない。


「それにしても疲れた」

「この三ヶ月は、毎月の出陣となります。殿は働きすぎです」

「そんなには……いや。そういえば、そうだな」

「先々月は近江おうみ高島たかしまに出陣。兵三百。田中たなか城に付城つけじろ。八日。先月は河内かわち交野かたのに出陣。兵(ひと)百。私部きさべ城に後詰。四日。そして今月また近江高島に出陣。兵五百。五日。北へ南へといったりきたりです」

「これだけの兵で毎月出陣できるのも、当方に合力ごうりきしてくれる国衆が増えたおかげだな。ありがたいことだ」

「ですが、足軽や国衆と違って、殿に代わりはおりませぬ。ご自愛じあいいただけますよう。特に今回の出陣は調整も何もなしの、急のれでありましたし」

「もしかして……仕事溜まってる?」

「もしかしなくても溜まってます」

「おおう……」

「できることは、こちらで済ませました」

「さすがは金造だな! 頼りになる!」

「こちらの束。読んだ後で署名と花押かおうを。他の報告は、こちらにまとめてありますから、ちゃんと確認してください」

「するとも。するする」


 光秀の調子と機嫌が共によい。北近江の戦況に手応えを感じているのだろうと、金造は主君の内心をおもんばかった。


「六月は出陣なしとみて大丈夫でしょうか」

「うむ。方々を早駆はやがけして、京へ向かう街道沿いの馬草まぐさに火をつけて回ったからな。まず一ヶ月は朝倉も浅井もおとなしくしておるはずだ」

「それは重畳ちょうじょうです」


 馬草はどこにでもあるが、馬がひとところに大量に集められると枯渇する。

 大きな作戦前には、街道沿いに馬草の備蓄が始まる。

 此度こたびの明智勢の急な出陣は、細作さいさくしらせで朝倉・浅井に動きがあったためだ。刈り取って積み上げてある馬草に火をかけて回ることで、敵の出鼻でばなくじくことが狙いである。

 この作戦行動は公方側近の曽我そが助乗すけのり宛の書状にも記されている。

 『饗庭あいば三坊さんぼうの城下まで放火』

 『敵城三ヵ所を落去らっきょ

 落去したのは、いずれも高島にある朝倉・浅井側の国衆の館である。

 越前で遠征の準備を整えていた朝倉勢の動きもまた素早かった。

 少数で高島郡を駆け回る明智勢を撃破すべく、先鋒の二千が国境を超えて急進きゅうしん

 作戦目的を達成した光秀は、素早く兵を引いた。


殿しんがりになった日之介があのへんの地形に詳しくてな。うまく朝倉軍を足止めしてくれた。父や兄は浅井側だというのに、ありがたいことだ」

「あいつは義理堅い男ですから」

「なんで金造がそんなに得意げなんだ……む」


 助乗の返書に目を通していた光秀の顔が曇る。

 金造は、文を持ってきた使いの者からの言葉を、光秀に伝える。


「公方様は、やはりご機嫌きげんうるわしくないようです。殿が信長様に比べ、義昭様を軽んじておられるのではないかと疑心ぎしんを抱いておられるようで」

「うおお……やはりこうなったか……断じて、公方様を軽んじてはいないのだが……」

「では、京を立つ前に、なぜ一言だけでもお伝えにならなかったのですか」

「金造。お前もわかってるだろ……絶対に漏れるやつじゃんか」

「はい」


 将軍義昭の周辺には、反織田派が結集しつつある。

 義昭に織田側の重要情報を伝えようとすれば、即座に、情報は漏れる。室町幕府は開かれた場で、党派が異なる者たちの混淆こんこうが許されている。


「とはいえ、敵方に漏れるから、公方様にはお話できませんとは言えぬしなぁ」

「余計にこじれそうです」

「何人かは名前がわかってるが、いずれも反織田派というだけで、公方様に対して忠勤ちゅうきんはげんでいるしな」

「誰ですか?」

「三井寺の光浄院こうじょういん住持じゅうじの……ええと、甲賀の山岡家の弟の方」

暹慶せんけい様」

「それ。光浄院は頭の回転も早いし、話も巧みだ。連歌の会でやり取りするのは、楽しい。でも、あいつは反織田派でそれを隠す気もない。中立派の兄がいて、織田派、反織田派の双方に話を通しやすいので、いてくれて助かる面もあるのだが……戦だと、邪魔だ」


 まつりごとは、戦場いくさばとは別のルールで動く。

 逆もまた、しかり。

 今回の光秀の出陣は、少数の兵で敵勢力後方に浸透しんとうし、備蓄物資を焼き払うものだ。後の時代でいえば、航空部隊で敵基地を空襲し、敵空軍の稼働率低下を狙う航空優勢に近い。待ち伏せや事前の退避を避けるためにも、情報の漏洩ろうえいは厳禁だ。


「そのへんも含めて、助乗殿にとりなしを頼んだのだが、うまく伝えられなかったか」

「それがしがお話をした使者の方も、漏洩がどうして問題になるのか、わかってない感じがありました。殿が情報を敵方に流したくないのは、腹に含むことがあるからではないかと匂わせるような物言いで」

「そりゃ、わしだって腹の中にはいろいろ含むよ? 公方様にも、もうちょっと味方して欲しいなあ、とかさ。でも、今回の出馬に関しては、わしの決心から行動までの時間が短ければ短いほどよかっただけで、それ以上のものは何もないんだが」


 光秀と金造は、顔を見合わせてため息をついた。

 部屋に握り飯が届いた。漬物も一緒だ。


「おお、ありがたい。兵にも配っておるな? 早朝から今まで強行軍だったから、誰も腹ごしらえができておらんのだ」

「はい。たわら六つの米を炊いております。余ったら、人足にも配ります。殿からのおすそ分けだとして」

「今日の人足は何人だ?」

「八十人弱かと」

「炊き出しは誰がやってる?」

「いつもは城番の者たちが。本日は下坂本の女衆を増員して。十人から廿にじゅう人の間かと」

「追加で俵二つ開け。名目は、朝倉・浅井との戦で勝った祝いじゃ。兵や人足が食いきれなかった分は、女衆に言って、持ち帰らせろ」

「……」

「不服か?」

「いいえ。それなら、後で殿から女衆に声をかけてやってください。人足たちにも。顔と声を伝える機会を、がすことはありません」

「おお、いい考えだな」


 光秀は飯をいながら仕事を続け、食べ終わったら朝から駆け続けだった五百の兵をねぎらい、城番の兵に声をかけ、さらに普請の人足や炊き出しの女衆に挨拶をすませ、再び部屋で仕事に戻る。

 粘り腰の夏の日もたまらず落ちて夜になる。光秀は、顔をあぶ灯火ともしびの熱に目をしょぼしょぼさせ、国衆にあてたふみを添削し金造に清書させる。


「御子息、千代寿ちよじゅ、元服の儀、誠に重畳。名付け親の件、うけたまわりしそうろう……と」

烏帽子親えぼしおやについては、こちらから口を出さずともよろしいのでしょうか」

山中やまなかの国衆だから兼見かねみ殿がたしか縁戚のはずだ。今度それとなく聞き出しておこう。……さて、ちょっと休むか」

「はい」


 湯冷ましを飲みながら、光秀は金造に問いかける。


「炊き出しの女衆や人足たち、わしが声かけた時に、どこでも同じこと言ってたな」

「はい。『なんか、思ってたんと違うな』でした」

「あれは面白かった。あいつら、会ったこともないわしのことを、どう思ってたのやら。まあ、想像はつくが」


 くつくつと、光秀は笑う。


「あいつらにとってわしは、尾張の田舎から出てきた織田の被官ひかんで、比叡山を焼き払った褒美ほうびで坂本の領主になった、氏素性うじすじょうも知れぬ武士だ。わしが人の情けを知らぬ、狡猾こうかつで冷酷な男であれば、少しはあいつらが思ってた通りになったかもしれん」

「ところが、挨拶に出てきたのは、人の情けもあれば、諧謔かいぎゃくも解する陽気で額の広い男でした」

「しかも飯まで振る舞ってくれる。薪一本すら節約させようとする、吝嗇りんしょくな勝手方とは違うぞ。額が広ければ、ふところも広いというわけだ」

「それがしは、薪一本まではケチりませんよ」

「わしだって、そんなに額は広くなっておらんぞ。数年前から面積は同じだ」

「それだけ広ければ、もう十分でしょう」


 光秀と金造は真面目くさった口調で言い、仏頂面を突き合わせる。それから同時に破顔はがんし、大声で笑った。

 越前一乗谷で二人が出会ってから、十年が過ぎた。

 光秀は牢人で、金造は商人の息子だった。

 才覚をふるう機会がぬまま生涯を終えることも覚悟していた無役ニートの自分の前に現れた、頭の回転の早い生意気な子供を、光秀は今も愛おしく思う。十年が経ってもこうして一緒にいられる幸運に、感謝する。


義秋よしあき様もな。出会った頃はまだ髪が短くてな」


 いつしか一緒にいられなくなった青年を、光秀は思う。

 永禄九年(1566年)。還俗げんぞくしたばかりの義秋(義昭)が朝倉を頼って越前を訪れた後、光秀は縁あって義秋に仕えることになった。


『わしは将軍になりたいわけではない。だが、これも御仏みほとけのお導きであろうな。兄に代わり、幕府を継ぐのが我が使命であろう』


 短い髪をいじりながら、義秋が恥ずかしげに言ったのを、光秀は覚えている。


「金造。権力とは何だと思う」

「権力、ですか。他者に命じ、従わせる力ではないでしょうか」

「では、今の幕府に権力はあると思うか?」

「それは……残念ながら……」

「幕府は、武士の頂点に立つ将軍をいただき、日本ひのもとのあらゆる武士に号令する権限を持つ。なのに、今はその号令に従う者はほとんどおらぬ。幕府の権限に対し、権力がついてきておらぬのだ」

「はい」

「同じことはな、おそれ多いことながらみかどにも言える。武家が立つ前から、この日本ひのもと天地あまつちの及ぶ限り、人も土地も、すべてが帝のものであらせられた。だがこれも帝の権威に対し、権力がついてきておらぬ」

「はい」

「わしは若い頃にさまざまな書を読み、あちこちを旅して人と話をし、応仁の乱よりこのかた、なぜこの世は乱れて続けておるのかを考えた。足利尊氏公が持っておられたはずの権力がどうなったのか。いや、そこまでさかのぼらずとも、三代義満公でよい。あの絶大な権力が、どうしてしまったのかと。そして権力とは何であるかと」

「それがしの聞いた範囲では、先代の義輝様が不誠実な振舞ふるまいを繰り返したせいで権力が三好みよし筑前守ちくぜんのかみに移り。そして三好が義輝様をしいたてまつったがゆえに、今度は権力が義昭様と織田様に移ったのだと」

「正確とはいえぬが、よい観点だ。権力はまさに、そのようにうつろう」

「権力とは移動するもの、ということでしょうか」

「そうだ。権力は移動する。そして権力を移動させるのは権力者ではない。権力者に“頼る”者たちだ」


 誰かが困り、どうかお味方くださいと“頼る”時に権力は生まれ。

 困った誰かに、どうかお味方くださいと“頼られた”時に権力者が生まれる。


「順序が逆なのだ。尊氏公は、日本中の武士から“頼られた”ことで権力を集めて権力者となり、権力を使う仕組みとして幕府が生まれた。将軍と幕府があるから権力が生まれたのではない」


 後醍醐ごだいご天皇による王政復古おうせいふっこの革命騒ぎに困った武士たちが、“頼る”相手として能力も高く血筋もよい、足利尊氏を選んだのである。

 三代将軍義満の時代、将軍と幕府を“頼る”力は最大になった。


「今の公方様を“頼る”のは、東方からきた田舎者で横暴な武士団によって荘園を押領され、比叡山を焼かれた連中だ。押領された土地を、奪われた利権を戻してくれとな」

「公方様が自分を“頼る”者たちを断るわけには、いかないのですか。その先にあるのは、信長様との対決の道です。そして、公方様に勝てる見込みは……」

「ないな」

「では、どうして……」

「初代尊氏公より十五代。二つひきの旗に集う者たちに応え続けてきたのが足利家だ。公方様にあるのは権力への野心ではなく、足利家当主としての矜持きょうじだとわしは思う。そして矜持であればこそ、公方様をお止めすることはできぬ」

「納得できません! 今の公方様を“頼る”者たちは、その矜持を利用して己の欲を満たそうとしているだけです! そのような者こそ、切り捨てるべきです!」


 顔を真っ赤にして怒る金造を、光秀は優しい目で見た。

 勝手方を務める金造は、家中の一部には口うるさい吝嗇家と思われているが、真っ直ぐな心映えを持っていると、光秀は知っている。十年前から、知っている。


「その気持を大事にしろ、金造。たとえ結果が変わらずとも、大事にするのだ」

「はい……」

「今日はもう休め。いや、できれば日之介には会っておけ。あれは口にはせぬが、父や兄と敵対していることをつらく思っているだろうからな」

「はい。では失礼いたします」


 金造を見送り、板の間にごろりと横になった光秀は、夏虫の声、淡海の静かな波音に耳をすませる。

 信長と義昭の間の破局まで、どれだけ時間が残っているだろうかと思う。

 破局した時にどちらにつくか、まったく悩んでいない自分に苦笑もする。


(いつの間にか、牢人であったわしも“頼り”“頼られ”の中に絡め取られておるな──わしも一端いっぱしの権力者になったということか)


 不自由だが、悪くない気分だった。

 目を閉じる。すぐに眠りのとばりが、光秀の意識を吹き消した。


 今回の話に出てくる、曽我助乗宛の書状は日付が5月19日になっていますが、年は書いてありません。(『細川文書』)

 年次比定では、元亀3年(1572年)の他に、永禄9年(1566年)説もあります。

 この小説では、朝倉が近江高島に出陣したが織田とは対決のないまま撤退した(『永禄以来年代記』)という記述と組み合わせる形で1572年を採用しています。

 もしも1566年であれば、義昭がまだ六角領の矢島御所にいたころの話となります。

 1566年に光秀が近江北部へ、どのような手勢を、どのような立場で率いて出撃したかを考えてみるのも、なかなか興味深いものがあります。『戦国の忍び』(平山優)に出てくるような、民兵組織の足軽衆を率いたのかもしれません。

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[一言] 足利義昭は教養人ではあったけど、武家の棟梁の器では無かったのがなあ。
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