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1 あの絵のひと(2)

 絵を描いてきた。

 少しだけ評価もされた。

 それでも、絵の力を実は信じてなんかいなかった、そのことに気づいた。


 目の前に水が浮かび、それが自分の涙だと気づいたときには静かな驚きがあった。

 絵を見て泣けるんだ、と思った。

 そんな絵が世の中にあるんだ、と。

 そんな感受性が自分にあったんだ、と。


 絵の下に表記されていたタイトル『音無しの底』と作者の有島隆弘の名前を頭に刷り込むようにして帰ってきた。道すがらみんなが都会で見た何がしかで話題が沸騰しているときも、頭がぼうっとして入っていけなかった。


 聞いたことのない名前だった。

 生きている人なんだろうか。

 何処に住んでるんだろうか。

 他に、どんな絵を描いているのだろうか。

 そればかりで頭がいっぱいになってしまって、帰ってから手当たり次第検索し、資料にあたって調べた。聞いたことがないのは若いせいで、描いて世に出回っている絶対量が少ないせいだと知れた。

 インターネット上で何枚か、絵を見つけた。

 そのどれもが圧倒的で、目に、脳に焼き付けられた。

 見れば見るほど、自分の「絵」が描けなくなる息苦しさがあったのに、求めずにはいられない。


(いつか見に行こう。あれが「絵」なんだ)


 画家本人については何もわからないまま、ただ名前を心で呟き続ける日々だった。

 それだけで、満たされながらも飢えが止まらない相反する苦しみを抱えていたというのに。

 本人が、町に来ると知った瞬間、全身に震えがはしった。

 怖い。

 それ以上に、どうしても、会ってみたい思いが勝った。


 悩む余地もなく。

 職員室に駆け込み、美術部顧問である美術の男性教師の元へ急ぐ。


「芸術祭のポスター、見ました。招聘アーティストってワークショップを開催したりします? たとえば、高校の美術部に絵の指導とか! 呼んだら来てもらえますか?」

「どうした鷺沢、いつになくやる気だな。スランプ脱出か?」

 驚いた顔で見られても、止まらなかった。


「スランプは、脱出してませんけど! ポスターの絵の、有島さんが、来るなら。その……絵を見てもらえたらなって」

 ほとんど用件のみの香雅里の訴えをひとまず「わかった」と顧問は請け負ってくれた。それから、笑いながら言った。

「その代わり、鷺沢。お前もきちんと絵を仕上げておくんだぞ。うちのエースなんだからな」


 香雅里は、ごくりと唾を飲み込む。

 絵は。

(最近、描けていない)

 美術部の活動として、どんな絵をいつまで仕上げるという規則はない。

 そのため、毎日キャンバスの前でぼんやりとして過ごす日が続いていた。

 真っ白。何もない。


 絵を見て欲しいという大義名分で有島隆弘を呼びつけるのならば。

 その目の前に出しても恥ずかしくない絵を仕上げておかねばならない。


「わかりました。時間はまだありますし、描けると思います」


 * * *


 顧問を通じて町の担当者に打診した結果、有島隆弘からはすんなり了解の返答があったとのこと。


 香雅里は後から知ったのだが、芸術祭自体がコンクールを主体にしたものではなく、町全体をアートで活気付かせようという町おこしイベントだったのだ。

 だから、アーティストと地元高校生の交流、というのは主催側にも願ったりかなったりということらしく、参加アーティストもそのへんはもとより織り込み済みで早めに現地入りする予定だったという。


 そして迎えた七月。

 待ちに待った対面だったというのに。

 およそ最悪の出会いが果たされた。


 作品と作者はベツモノだっていうし、こんなことがなんだっていうのよ、と自分に言い聞かせることで、香雅里はなんとか持ちこたえた。


 それから、ようやく煙草を吸うのをやめた有島と凪人を美術室に案内した。

 呼んでしまった以上、やることはやってもらわなければならない。

(嘘じゃないかな。このひとの手があの絵を描くの? 煙草の匂いのする絵を描きそうなひとじゃない)


 出会えば何かが動き出すなんて、そんな夢は抱かないように自分に言い聞かせていたとはいえ。

 香雅里の秘めた思いは間違いなく打ち砕かれてはいた。この時点では。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく好きな作風、すごく好きな展開、すごく好きな関係になりそうな予感が止まらないです。 この回を読んだ後に「最悪な出会い」に戻って読み直すと、言いようのないソワソワ感に襲われます。 現時…
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