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息絶える瞬間の詩のように  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ


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9 欠落と飢餓の生命(3)

 香雅里は目を開けた。


「結局、四割がた持っていかれた気がします」

 自分で描いた。

 描いていない。

 ひとりでは描けなかった。


「四割で勘弁してやったんだ」

「勘弁って何がですか」

 噛み付こうとしたはずなのに、言葉は出てこなかった。


 ペンキにまみれていた手に頭の後ろを押さえられていた。指が髪に絡まっている。息が止まる。止められている。ようやくできた息継ぎの合間に涙が出てくる。苦しいと言いたいのに言えない。少しだけ許しているから?


 唇が離れる。

 目を細めて香雅里を見下ろす有島。

 あまりにもまっすぐで、香雅里がひるみそうになったときに、囁く。


「目を逸らすな」

 その上で続けた。

「特に弁解はしない」

 見ていられなくなって香雅里が俯くと、やがて足音。気配が去る。それでも香雅里はしばらくその場から動けなかった。

 どこかで鳥がさえずっていた。

 それを耳にした瞬間、まだだ、と思い直す。

(全部。自分の絵にしてやる)

 二人がかりで描き上げたアクション・ペインティングのような何か。

 落書きじゃない。これは自分にとって、絶対に、意味のある何か。


 ──欠落を思え。


 欠落と飢餓。

 自分の中の欠けたるもの、飢えたるもの。


(私は「これを」本当に描きたかったのか)

 描いている間は楽しかった。唯一無二の何かができた気がした。だけどそれは、自分より大きな存在に導かれていただけだ。


 有島の壁画のように、手の届く距離に寄ったときに身震いがするような絵になっているか?


 少し離れたところから見てもインパクトがあって。サイケデリックな原色の中に、空想の生命が沈んでいる、たとえばそういう光景。

(この絵から、他の人にも見える? あの光景が)

 色の向こうに輪郭ある存在として。


 上手い線をひいたとする。それは誰が見ても線だというだろう。

 線を引くのが上手いねと言われて、何か嬉しいだろうか。

 下手でもいい。歪んでもいい。描きたいのは綺麗な線じゃない。自分の線。この塗りつぶされた色の向こう側から、足掻いて生まれ直そうとする生き物。


 スマホを確認したら樹里から「うちに泊まったことにしてあるから」とフォローが入っていた。ありがたい。

 このまま、まだ描ける。

 色の向こう側に埋められそうになって叫んでいる獣を引きずり出そう。

 街一つのコンビニに飛び込んでありったけの黒マジックやペンを買って引き返す。描き続けてすぐに足りなくなって、百円ショップやスーパーにかけこんでまたありったけの黒ペンを買って、描く。

 描く。

 描く。


 塗りこめられたキャンバスの中から、はみ出て来る架空の獣を描ききったときには夕方になっていた。

(まだだ。もっと描きたい。描きたい……)

 様子を見て飲み物や食べ物を差し入れていた樹里に「熱中症になる!」とストップをかけられたときには、すでに一人で立ち上がれないほどに疲労困憊していた。


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