表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/21

7 襖絵(1)

「有島がいま何を描いてるか、知りたくない?」

 知りたくないわけなんかあるもんかってことをつきつけて、凪人は悪戯っぽく笑った。

「倒すべき相手のことは知っておかないと。闇雲に暴れたって意味がないから」


 明けて翌日。時間はふたたび午前。

 緑の木立を涼しい風が吹き抜けている。

 瑞々しい薫り。

 潮の匂いを払う風。

 けれどここもまた海の町。

 見下ろした石段には、浜から運ばれてきたのかもしれない細かな砂が薄くのっている。

 山の麓。龍巌寺に向かう石段を、一段一段。

 足をすすめるたびに汗が噴き出て、疲労感がつま先から沈殿していく。

 数えたことはないけれど、その階段は果てしない。

 ここを、と香雅里は思う。

 有島は毎日上って通っているんだ、と。


「有島さんが、いま取り組んでいる絵」

 それは見たいだけじゃない、知らなければと。

 虫の声。鳥の声。

 人の声が絶えても鳴り止まない数々の声に耳を傾け、生命のざわつきを知る。

 木立の奥に、緑の奥にいったいどれだけの生きとし生けるものがいるのか。

 たぶん気が遠くなるほど。

 先を行く凪人は思い出したようにときどき振り返る。


「『月光(ガッコウ)上人之図(ショウニンノズ)、そして雷鳥(ライチョウ)』」


 ガッコウショウニンノズ……、無理脳内漢字変換無理と諦めそうになりながら考える。


「月の光、夜の絵ですか」

「うん。それと、稲妻を描いているんだ」

 思い描こうとした。

 暗闇を照らす月の光。そして稲妻。

 ……稲妻は月の光と共存するのか?

 絵だから共存できるんだ。


「照らす光と炸裂する光、だよ」


 到着。

 凪人の片足が石段の頂点を踏みつけて、先へと進んでいく。香雅里も追う。

 ジリリリリリリ、と蝉の声が痛々しいほど迫ってきた。

 けぶる緑の庭園へ続く石畳。寺の黒い屋根が見えている。

 手前の生垣で赤い花が咲いていた。


「描いている内容はともかく、こんな場所だったら、観客はあまり足を向けてくれないですよね」

 当初から抱いていた危惧を香雅里はついもらしてしまう。新進気鋭の画家有島隆弘の名前に、そこまでの価値を見出してくれる人間がどれほどいるのかと。

 耳を傾けていた凪人は、穏やかな声で暗雲を払う。


「個人展示の多くが協力を申し出てくれた民家や、どこかの建物で期間限定なのを考えれば、有島の絵はこの寺がある限りたぶん大事に保存されるはず。選択としては最善だったとオレは思う」

「ああ……そうですね。この町に、ずっと残るんだ…………」


 有島が去ってもその絵は残る。龍巌寺は何年、何十年くらいの歴史があっただろうかと考える。この先何年在るのだろうと思いめぐらす。

 十年、二十年、四半世紀、もっと……。

 描いた人が死んでも残るのかもしれない。

 残す価値のあるものを描いているのだとしたら。

 それは、知らなければと思った。

 玄関にたどりついていた。



 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ