e00-02『異世界トラベルエージェンシー』
「はい、起きなさーい!」
聞き慣れないおっさんの声がする。
まだ眠い……。
寝返りを打とうと身をよじると、フカフカのはずのベッドが……硬い。
何だ……? ベッドから落ちたのか?
「起きてくださいそこの新入社員くん!!」
新入社員?? 何だ、俺の事じゃないじゃん。うっさいなー。
引き続き惰眠を貪ろうと心に決めたその時。
コチョコチョコチョコチョ……。
「……っぶぇっくしょい!!」
何やら綿のような物で執拗に鼻先をくすぐられ特大のクシャミが出る!!
「ぎゃー!! ちょっと、人の尻尾で何するの! 辞めてよ"ローガン"! 鼻水付いたじゃないか!!」
「あ、ほんとだ。拭いとけよ。カピカピになるぞ……って俺で拭くなよ!!」
クシャミの衝撃と、騒がしい声で目が覚める。
ん……周りがやけに暗い。なんだ? 夜まで寝ちゃったのか?
むっくりと起き上がり、辺りを見渡す……。
そこには見慣れた自分の部屋は無く、どこまでも広がるただ真っ暗な空間が広がっていた。
「何だ……と」
人間、本気で驚くと某有名な死神のような一言を吐くのだとその時気付いた。
落ち着いてもう1度辺りを見回す。
真っ暗な空間の中に……中年の男性と、白い狐のような小動物。
「よお、お目覚めか」
男性が声をかけてくる。
狐の方は、なんだかキラキラ光る液体が絡み付いた長い尻尾を擦りつけようと男性を相手にもがいている。
「な、なんだここは?」
「お、いいね。テンプレ通りの反応だな」
そう言って、手で押さえつけていた小動物を床に降すと、こちらに歩み寄ってくる。
「質問にそのまま答えるとすれば……ここは『世界の丁度真ん中あたり』だ」
そう言って大袈裟に両手を広げる男性。
―――――
成る程。だんだん読めてきた。
「……まさか、異世界転生ってやつか?」
「ご名答。ただし、別に君は死んだ訳でもないし、用が終われば元の世界に帰れる訳だから、正確には『ちょこし異世界転移』だな」
あまりにも非現実的な事態だが、幸いにも俺はその手のアニメには結構明るい類だ。
さて……最近はこのジャンルも裾野が広すぎてどの方向性か判らない。情報の確認が重要だ。
「よし。一旦分かった」
「おぉ、想像以上に事態の呑み込みが早いな。最近の若者の良い所だ」
そう言って男性は綺麗に整えた顎髭を指でさする。
「こっちからいくつか質問していいか?」
そう言って男性に鋭い目線を送る。
「どうぞ」
両手を軽く開いて見せる男性。
「チート物か?」
「違う」
「ハーレムは?」
「ない」
「獣人ロリの奴隷少女は?」
「ない。お前どこで性癖拗らせた?」
「じゃせめてヒロインは飛び切り可愛いんだろうな?」
「いや、むしろ旅には俺が同行する」
…………
「――帰らせて貰う!」
「いや、まてまてまて!! せめて話だけでも聞いて!!」
その場を立ち去ろうとする俺に全力ですがりつく男性と小動物。
「――分かった。聞くだけだぞ」
「……なにげに物分かりのいい奴だな」
「だって、どうみても自力じゃ出られないだろここ」
そう言って真っ暗な空間を指差す。
「まぁ……そうなんだがな」
そう言ってバツが悪そうに頭をかく男性……
歳の頃は30歳後半くらいだろうか。
長髪を後ろで1つに縛り、口周りには綺麗に整えた髭を蓄えている。
目元にはややシワが見て取れるが、決して老いて見える訳ではなく、むしろその人生経験の深さを醸し出している……つまる所イケイケのイケメンオヤジだ。
そいつが、爽やかに手を差し伸べてくる。
ここでごねてもしかたないので、素直にその手を取る。
「ローガンだ」
「遠江 叶途」
握手を交わす。
「そんで、こっちがセレアだ」
ローガンに指差され、傍に居た小動物が尻尾を跨げてこちらに差し出す。握手のつもりか?
よく見ると尻尾の先がカピカピしている。
嫌なので少し根元の方を持つ。
明らかに不機嫌そうな顔をする小動物……セレア。
「で、結局なんなわけ?」
「おぉ! そうだそうだ。では改めて……ようこそ! 我が“異世界トラベルエージェンシー”の若き新入社員よ!!」
「……はい」
「はい。じゃ、ねぇよ! リアクション薄っすいなぁ」
「情緒不安定だな。働きすぎじゃねぇのか。何か雰囲気からしてブラックだし」
そう言って真っ暗な空間を見渡す。
「ははは……さて、冗談はこの辺にして……」
そう言って、男性……ローガンはいつの間にかソコに"あった"椅子に腰掛ける。
無言で、俺にも椅子に腰掛けるようジェスチャーで示す。
後ろを見ると、これまたいつの間にか椅子があった。
「君、旅行に行きたいな――って強く願ってただろ?」
ここに来る前、布団の中での事を思いだす。
「……まぁ。それなりには」
「そんな君に、うってつけのバイトがあるんだけど……」
そう言って、目を細めて俺を見つめるローガン。
穏やかな様子だが、その目の輝きはそこはかとない深みを帯びていた。