第9話 不死のカラクリ
クオールの街からは遠く離れ、ひたすら北へと伸びる小さな道。
なだらかな丘を越えようとする新調されたばかりの馬車の御者台に、いかにも武人系の獣人が座っている。後ろの荷台には黒髪の美しい女と、まだ若さの抜け切らない青年が揺れに体を任せていた。
ゲオルクは一週間前のことを振り返る。結局、バジは苦言を呈しながらもヒロとゲオルクに褒賞を与えて、エリカを加えて3人揃っての旅立ちとなった。褒賞では、銅貨600枚という大金と馬車を与えられており、おそらくエリカの身支度金も含まれているのだろう。
盗難対策や、はぐれるなどの非常事態のため、銅貨は1人200枚ずつに分けて持っている。
以来、宿街に泊まりながら、タールグランに向けて1週間ほど馬車を進め続けている。
初めの数日はエリカは無理にテンションを上げて気丈に振る舞ったかと思えば、うわの空で何も手につかない雰囲気を醸し出すこともあった。だが、ヒロもゲオルクもあえて指摘するようなことはしなかった。
自らも命の危機に晒され、さらに家族を失ったとあれば、その心の傷は計り知れない。徐々に自然な感じに戻れるよう、暖かく見守っていく覚悟でいた。
しかし、昨日あたりからは、今までの無理をしてはしゃいでいるような時間も、急に黙りこむ時間もなくなって、ヒロ達は少しばかり安心しているところだった。
御者台に座るゲオルクが慣れ親しんだ民謡を口笛で吹いてみせる。枯野をカラカラと音を立てて走らせる馬車には、最適の音楽である。
ゲオルクは体を前に向けたまま、2人にバレないように後ろをこっそり見た。
エリカは持ち込んできた本に目を落としているが、ヒロは陽光に当てられて、その温もりにうたた寝をしている。アーロンの襲撃事件をおもえば、ひどく平穏でのどかな時間である。
ーーーそれにしても。
市庁舎を出て以来、ゲオルクはエリカに対して率直な感想を抱いている。
このエリカという娘は魔法の種類こそ多いようだが、エメリッヒの嬢ちゃんだというのに、魔力量はゲオルクにも満たない。
名前を知らなければ、ただの町娘にしか見えない。
ゲオルクは長い闘技場生活で培ってきた洞察力には自信を持っているだけに、エリカという存在が不思議でならない。ある程度の貴族階級であれば長男から末っ子の女児まで皆高等教育を受けるという。五大名家のエメリッヒ家の長女ともなれば、幼少のうちから高度な魔法に触れてきて、才能の如何を問わず一般人とは比較できない域に達するはずだ。
相当なサボリ癖があるならば納得だが、この一週間を共に過ごして、そういうズボラなところは見受けられない。
ゲオルクは横目でエリカをじっと見つめていると、エリカが視線を本から上にあげて、ゲオルクと目があった。
気恥ずかしさを感じてゲオルクが前を向きなおすと、その視野に馬車の正面からものすごい勢いで迫る黒い影を捉えた。
「レッサードラゴンだ!」
ゲオルクの耳を劈くような声に、うとうとしていたヒロが飛び起きて、一気に馬車台の前まで躍り出た。
「よし、俺を盾に」
「ちょっと!レッサードラゴンだって!」
ヒロの言葉を遮るようにエリカの声が上がる。
まだ眠りから覚めて間もないヒロは、寝ぼけ眼にものすごい勢いで迫る物体を捉え、悟る。
これは止まらない。ちらりと後ろを振り返れば、ゲオルクとエリカは馬車を捨てて脇道に伏せている。
「あれ、これって無駄…?」
その言葉がエリカ達の耳に届く頃には、ヒロは黒い翼を携えて突撃してきたレッサードラゴンに、馬車の荷台諸共吹き飛ばされていた。
「ぐふっ」
鈍い叫び声とともに、ヒロが口から治癒魔法特有の光を吹き出しながら吹き飛んでいく。幸いにも馬車の上部を掠めて、馬は無事だったが、レッサードラゴンを前に、足早に逃げ去ってしまった。
全身を鞭で打たれたような痛みが走るが、それも一瞬のこと。
すぐに膝を立てて体勢を取り直し、その黒い影を目で追う。空高くに上昇し、再び突進するタイミングを伺っている。
「ゲオルク、あれどうやって狩ればいいんだ!」
ヒロの叫び声に、ゲオルクも怒鳴り返すような大声で答える。
「知るか、やり過ごせっていうのが常識だぞ。」
「そんなこと言っても、俺はっきりあいつと目合っちゃったよ?逃げられなくない?」
そんなやりとりをしている間にレッサードラゴンが再び降下し始める。
「ええいままよ!」
ヒロは帯刀している剣を抜いて、黒い影に正面対決を挑む。案の定、瞬きの間にはヒロが口から光を吐きながら吹き飛ばされているが、レッサードラゴンもその翼を破かれ、地面に叩きつけられている。
「おおッ!よくやった、ヒロ!」
ゲオルクが地面に落ちたレッサードラゴンの翼に土槍を打ち込んで動きを抑える。だが、暴れ始めて、その動きが一層激しくなりかける。
「えいっ」
そう言ってエリカがレッサードラゴンの頭蓋の上に大きな氷塊を作り出した。形状は歪だが、それなりの重量を持つそれはドラゴンの頭蓋をグシャリと潰して、周囲に黒い血液と透明の何かが飛び散った。
一番近くにいたヒロにそれらの液体が降り注ぐと、ヒロに激痛が走る。
「うおおおおおぉぉ」
皮膚が光に包まれて、しばらくすると元通りのヒロが横たわっていた。
「ごめん、ドラゴンの血が大地を焼き尽くすみたいな伝説は聞いたことあったけど、レッサードラゴンの血もそうだとは知らなかったの…。
ヒロじゃなかったら危なかったよね。」
エリカが和かな笑顔を浮かべるが、ヒロは不貞腐れたような顔をする。
「いや、俺なら大丈夫とかない。十分危ないから…。
それにしても、ドラゴンとかいるんだな。」
「ええ、ずっと昔はいたらしいわ。冒険者ギルドなんかでクエストになるほどにね。
でも、高く売れるからって狩り尽くされて、今は劣等種しか残ってないわ。」
「なるほど。
…てか、つくづく思うけど、厄災にしろドラゴンにしろ、もっと前の時代に生まれてた方が異世界感溢れていたような…」
ヒロの呟きは誰にも聞き届けられない。
「おい、馬車壊れちまったな。」
ゲオルクの言葉にヒロが馬車の残骸を振り返って、あちゃーという顔をする。
「ところで、私たちどこに向かってるの?」
ヒロは、行き先を聞かずに付いてくるやつがここにもいたかと、頭を抱えそうになる。しかも一週間、行き先も考えずに揺られていたのかと思うと、もはや頭が頭痛で痛い状態だ。
闘技場から抜け出してすぐに聞いたゲオルクはまだましか。いや、五十歩百歩か。
「タールグランだ。」
「タールグラン?…あの、タールグラン??」
エリカが目を真ん丸にする。そういえば、以前、タールグランに行くと話したとき、ゲオルクにも同じような反応をされた。そのときは、あえて踏み込まなかったが…。
「タールグランって、なんというか、悪い意味で有名な都市なの??」
「ええ。」「あァ。」
俺の質問に、エリカとゲオルクの同意の声がぴったり重なる。ゲオルクは知っていたなら、先に言ってくれ。
「タールグランには、かなり有名な人がいるの。その人が曲者というか、悪名高くて。」
「あァ、何でも気に入らない奴は皆家畜の餌にしちまうらしいぜ。」
きっと噂に尾ひれがついて、そんな怪談が出回るようになったのだろうと思うが、元になった真実も碌なものではないだろう。
というか、それを知っててゲオルクはここまで付いてきたのか…
「でも、そのサイコパス野郎以外にも、色々人とか店とかあるんじゃないのか?」
エリカが目を伏せる。
「…いないのか?」
「ええ。何でも、街の住民はみんなネズミに変えられちゃったとか。今じゃ誰も近寄らないわよ。」
なんだかさっきの話も誇張された噂話に思えなくなってきた。
「なんで、タールグランなんかに行こうと思ったの?」
エリカの素朴な質問にヒロは少し戸惑った。
その目に躊躇いがあるのを見ると、エリカは無理して話さなくてもいいよ、とフォローする。
だが、ヒロは2人に真実を話さないのは、不義理だと思った。今が、この不老不死という魔法について、本当のことを話すときだろう。
「真面目な話、してもいいか?」
エリカがヒロの声を聞いてこちらに向き直った。
バルトも、実はやっぱり司祭でしたってか?と茶化しながら馬車の残骸を漁っているが、ヒロの真剣な眼差しを見るや、居直ってこちらに耳を傾けている。
「俺の治癒魔法のことなんだが。」
「なんか、すげえやつからギフトっていう魔法を通して譲り受けたんだろ。ありャすげェよな。」
バルトが調子を合わせるが、エリカの顔つきがこの2日間で見たことのないーーー何かを期待するような表情になる。
「あれは、ただの治癒魔法じゃないと思う。あれをくれたのは、レナータだ。不死の魔女、レナータ。」
「なッ!?」
「なるほど、ね。」
ゲオルクの反応とは対照的に、意外なほどにエリカはあっさり受け入れた。
むしろ、アーロン戦でヒロの魔法を最も身近に見ていた彼女は、すでに何かを感じ取っていたのだろう。
「体が吹き飛んでいるのに、それを自己治癒するなんて、どんなに優秀な司祭でも不可能だわ。
それに、ヒロからは、その、それほどの魔法を使いこなすだけの、こう、磨かれたような感じがしないというか…」
「正直で結構。怪我は勝手に治るし、死なないというのは確かだけど、実際、どういう仕組みなのかはわからない。失われた魔法の類だと聞いていたけど、感触的には、治癒魔法っぽいんだよな。」
「私、その魔法に心当たり、あるかもしれない。」
回想するような遠い目をしていたヒロは、その言葉を聞くや、エリカの方をじっと見つめ、次の言葉を待った。
「ユニークマジック、つまり超高位治癒魔法を魔法陣化したんじゃないか、と思う。」
エリカの提案にヒロはよくわからないままになるほど、と相槌を打つが、疑義を挟んだのはゲオルクだった。
「んン?一見、筋は通るかもしれないが、それじゃ魔法陣そのものが欠損すれば発動できなくなっちまうだろ。物にしろ皮膚にしろ、全身吹き飛ばされたら一たまりもねぇ。」
「そうね、物に書き込むのが一般的だけど、もし皮膚や内臓に直接魔法陣を書き込んだとしても、その部位が攻撃されれば一たまりもないわ。
まさしくアーロンのときのようにね。だけど、もし魔法陣が書き込まれた部位が、そう簡単に攻撃できない部位だとしたら??」
ヒロは浅薄な知識ながらも、エリカとゲオルクの議論には追いつけている。
ヒロとゲオルクはエリカの問いかけに対して、顎に手を当てて考え込む。ゲオルクはやたらに顎をペタペタと触っていたが、閃いたように手をポンと打った。
「そうか、足の裏だッ!!」
と元気良く答えるゲオルクに、エリカは首を横に振る。
落ち込むゲオルクを横目に、ヒロがパッと思いついたことを言葉にする。
「心、か?」
ヒロの呟きにゲオルクは呆れた顔をしたが、エリカはにんまりと笑った。
相変わらず可愛い笑顔だ。
「そう、だと思う。」
「おいおい…」
それが正解だというエリカにゲオルクが呆れた顔をする。
「魔女レナータが心に超高位治癒魔法の魔法陣を書かれていたとしたら、物理的な攻撃で死なない理由に説明がつくでしょ。」
「なるほど…。それなら、説明もつくな。」
神話の領域に片足を突っ込みかける魔女レナータ。その不死性の正体を得たり、と満足気な視線を交わす2人。だが、ゲオルクはものすごく呆れ顔をしていた。
「あのなァ、まず超高位魔法を魔法陣にするのだって難しいのに、まして心に魔法陣を定着させるなんて無理だろうだぜ。ヒロはまだしも、エメリッヒの嬢ちゃんは重々理解してるだろォ。」
「そんなことはないわ。ユリアン=エメリッヒは魔法陣の内在化を理論的に説明したと、記録に残っているのよ。」
「だとして、書き込む物体ごとに魔法陣を調整しなきゃならないんだろ?
初歩的な魔法ならまだしも、それが高度な神聖魔法となりゃ、成功確率は、それこそ天文学的だと聞く。
皮膚なら失敗してもその部位が吹き飛ぶだけで終わるかもしれねェが、心となりゃ、星の数ほど人を犠牲にしなきゃ成功しないと思うぜ。」
「それでも、不死の魔法が存在したなんて言うより、魔法陣を心に定着させる方がよっぽど現実的だわ。」
ゲオルクもグゥと引き下がる。
「しかし、ヒロは、よく魔女レナータから譲り受けられたな。噂じゃ、魂を喰って生きてるって話だぜ。」
「それは誤解、だと思う。話した感じ、悪い人だとは全く思わなかった。むしろ、クオールで人脈を作れと指示したのは彼女だし、おかげでゲオルクやエリカに会えたし、バジさんとも知り合えた。」
「あの爺さんとは、なかなか渋い別れ方をしちまったがなァ。」
ゲオルクがちらりとエリカを見遣ると、彼女は頰を膨らませて、プイとそっぽを向いた。
エリカが駄々をこねて、出発するまでに、それなりには揉めたのだ。
それにしても、エリカは名家の出身を窺わせる品の高さをチラリと見せているのだが、ときどき幼稚さを見せる瞬間がある。
ヒロはそれを反則的に可愛いと内心思っているが、口に出すほど破廉恥な男でもない。
ふと丘の先、向かう方向を見やれば、遠く先には冬山が重なり合っている。
「まぁ、魔女レナータがタールグランに向かえっていうのは、少し筋が通るかもね。」
エリカの声にバルトが、それもそうだな、と同調する。
顔にはてなを浮かべたヒロにエリカがいつものように説明し始める。この一週間でもはや見慣れた光景になりつつある。
「ええと、どこから知らないのかしら。
まずね、魔女レナータは、厄災以前は賢者レナータと呼ばれて、タールグランに住んでいたわ。
しかし、厄災の直後にカプリ教の異端審問官に告発されて、以来魔女と呼ばれるようになったの。
レナータが去ってすぐ、タールグランにいた人達は1人を除いて忽然と消え失せたそうよ。
その残った唯一の人間が、もう一人の賢者、ロマノフと呼ばれる男よ。」
「あァ、なんでも、ロマノフはレナータに恋をしていたとか、レナータの息子だとか、色んな噂がある。だが重要なのは、賢者ロマノフも不死者っていう噂だぜ。」
ヒロの顔色が変わる。
「なら、なんでロマノフはカプリ教の異端審問官に捕まらないんだ?」
「悪いが、そこまでは知らねェな。」
ゲオルクの言葉に、私もそこまでは、とエリカが続く。次会う機会があればペルギオンに聞くか、あるいは本人の口から聞くか。
話を聞く限り、どうにも好意的な接触は難しそうな気もするが。
何はともあれ、馬車を失った以上はここから歩くしかない。
荷物をまとめ直して、とぼとぼと歩き始めた3人が丘を越えようとしているとき。
「おォ、これがメーリャンだな。あそこで一泊して、移動手段を確保しようぜ。」
一番先で荷物を沢山抱えるゲオルクの言葉にエリカが目を輝かせて、走って丘の頂上で立ち止まった。
「わぁ、素敵。一度来てみたかったのよね。」
ヒロも少し足早に丘のてっぺんまで行くと、前世で何度か足を運んだ草津を思い起こさせる、温泉都市マーリャンがその姿を晒していた。