第8話 亀の甲より年の功
「あっちゃー、こりゃ退き際かな。
でも、調子乗ってチャンスを逃したとか、口が裂けても言えないしなぁ。」
アーロンは護国将軍バジの姿を認識するや、やる気をなくしたように呟く。それほど、バジはこの場において圧倒的な存在であった。
ヒロも隣に現れたこの老人の隔絶した魔力に心の
しかし、恐る恐るその姿を見つめてみれば、そこには腕相でゲオルクをコテンパンにした、あの老人が立っていた。
だが、昼にゲオルクと腕相撲をしていたときは隠していたのか、今は近くにいるだけで膝が震えそうになるほどの魔力を漂わせている。
「あ…。」
ヒロの言葉にもならない驚きの声にバジは一瞥したが、すぐに視線を目の前の禍々しい存在ーーアーロンに戻した。
「ふむ。私の街で狼藉を働いておいて、そう易々と逃げ帰れると考えているのかな。」
「逃げられるさ。あんたは、守るものが多すぎる。」
そう言い放ったアーロンは無作為な方向に火矢を乱発した。少し離れたところには民家も並んでいる。その狙いは明白で、クオールの住民を狙った一撃である。バジがそれらを守るあいだに逃げる算段なのであろう。
「ちィッ!」
ゲオルクがサンドウォールを発動しようと魔力を急いで練り上げる。
だが、それが発動されるよりも早く、アーロンと放たれた数多の矢を囲むように土の壁ができた。
「ヒロ、そしてその連れ。ここはこの老体に一任してくだされ。」
バジはヒロとゲオルクに、この殺伐とした場には似合わぬ穏やかな声で語りかける。
しかし、その鋭い視線はアーロンを囲んだ土壁を凝視して離さない。
ピキピキと音が立てて、土壁が砕け散る。
「ぐっ、まさか自分の炎でダメージを受けるとは、思いしなかったよ。
今のが『炎獄』かな。炎魔法を反射する仕組みとは…。
さすがにビックリしたよ。だけど、対炎魔法の切り札がこれなら、あいにく逃げる必要すら無くなりそうだよ。」
「…炎魔法の最終段階『灼熱』に至るとは、その才能は素晴らしいものだろうに。
だが、悪虐な思想に染まり、彼我の戦力差すらも見極められぬ。これを愚かと言わずして、何といいましょう。」
ヒロもレナータに説明を受けた記憶がある。五大魔法にはそれぞれ3つの段階があると言われる。
炎魔法においては、第1段階の単なる『炎』、第2段階の一部の才ある者だけが到達できる『火炎』がある。
そして、第3段階の『灼熱』に関しては、別格であり、その極致に至った者はもはや王国に2人しかいないと言われる。
「はっ!切り札がこの程度だ。
南の護国将軍は名前と魔力量ばかりで、古っちいガラクタだったようだ。」
その平凡な顔には、この世の悪というものを体現したような酷く歪な笑顔を浮かべている。
アーロンは特大級の炎槍を頭上高くに発現させた。バジの堅牢な土壁すらも破りかねない禍々しい殺意が込められている。バジはその白い眉をぴくりと上げたが、すぐに平静な顔に戻る。
「老兵はさっさと退きな、死に損ないめ!」
放たれた炎槍は凄まじい威力を持って、バジに向かう。その紅蓮の槍は老人の命を掠めとろうとしている。
だが、たじろぐ様子もないバジは腰に付けてあった杖を取り出して、コツンと地面を叩いた。
次の瞬間、地面がめくり上がり、バジの前に壁ーーもはや山という表現が正しいかもしれないーーが現れた。炎槍は最初こそ壁を削って食い込んだが、やがて威力を失い、消失した。
「…は?」
アーロンがとぼけた声を出す。再びバジが杖でコツンと地面を叩くと山は消えて、先ほどまでの砂利道に戻る。
一瞬にして山が現れては消える様に、アーロンが驚愕を隠さない。しかし、バジはその魔力をさらに高めていく。
アーロンは動物的な本能から背中を向けて逃げようとするが、バジがもう一度杖で地面を叩くや、アーロンの周りに壁が打ち立てられた。土、というよりも、鉄のような材質に見える。
「『炎獄』が、まさか相手の魔力に頼る貧弱な魔法だと思ったのかな?
何を聞いたのか知らぬが、炎獄は炎魔法への切り札ではない。
炎魔術師に対する、最大限のーー侮辱だ。」
アーロンを6方から取り囲む壁の中から、猛烈な熱気が漏れ出る。
そして、絶叫。絶叫。絶叫。
バジが杖をコツンと地面を叩くと、『炎獄』のあった位置には、黒く焼け焦げた、人であった何かが残るだけであった。
ヒロがこの世界に来て、初めて出会った強敵。
それをこの老人は、事もなさげに始末してみせた。ヒロは改めて、この老人について知る必要があると感じていた。
また、ヒロの後ろで、緊張から解かれてへなへなと地面に座り込むエリカもまた、噂から勝手に判断していた南の護国将軍の隔絶した力に言葉を失っていた。
アーロンですらヒロにとっては圧倒的な存在だったというのに、それをあっけなく葬り去ったバジという存在。
「はて、こちらのお嬢さんがエリカ殿で、なぜかヒロ殿と…そのお連れもご一緒なのですな。
怪我がないようで何よりだ。急ぎの話があるが、ここでは難じゃのう。
市庁舎にお越しいただきたい。」
先ほどまでは身震いしてしまいそうなほどの魔力を発していたバジが、上着を一枚羽織るや、物腰の柔らかい老人へと変貌していた。もしかすると上着に認識阻害の術式が施されているのかもしれない。
とはいえ、先ほどまでの戦闘を見ているだけに、ヒロたちは黙ってその首を縦に振るのが精一杯だった。
☆☆☆☆☆
ヒロとゲオルクはフカフカのソファに深々と座り込んでいた。クオール市庁舎の応接室である。
隣には、2人が助けに入った女性ーーエリカがいる。
「あの、お二人ともありがとうございました。本当に、私なんかを助けてくれて…ありがとうございました。」
隣に座っていた女性が。美しい黒髪を流して深々と頭を下げた。
「困っている人がいれば助けるのは、あっ、その、男の役目っていうか、…」
ヒロはふと横に顔を向けると、頭を上げた女性が非常に整った顔立ちをしていることに驚き、急にしどろもどろになった。
夜道で顔はほとんど見えなかったうえ、彼女を背にして攻撃を受け続け、顔を見る機会などなかったのだ
。
バジが助けに入る直前、彼女に後ろから抱きしめられたことを思い出して、ヒロの顔が赤くなる。
「あァ、気にすることはねェ。俺に至っちゃ、何もしてねェようなもんだし、な。
ヒロの方はだいぶ体張ったがな、こいつは狂ってるから大丈夫だッ!!がはははは!!」
バルトが軽快に笑い飛ばす。狂人呼ばわりにヒロは苦々しい笑顔を作る。
「ひどい言いようだな…。まぁ、威力が強いおかげで、逆に痛くなかったのは幸いだったけどね。お嬢さんが無事で何より。」
「私はエリカ。エリカ=エメリッヒです。エリカ、と呼んでください。」
その言葉にヒロよりも先にゲオルクが反応する。
「エメリッヒ?エメリッヒってェ、あの、エメリッヒか?」
ゲオルクが目を大きく見開く。エリカは少し困惑した表情を見せる。
「ええ、でも、私は一族では落ちこぼれです。魔法は初歩的なものしか使えません。」
「ん、エメリッヒって??」
話についていけないヒロに、ゲオルクが唾を飛ばしてクレマース家の栄光の歴史を語り始めた。
きっと英雄として憧憬の類のものを抱いていたのだろう、怒気すら込もった熱弁をヒロは聞き入る。
その話によれば、どうやら、ユリアン=エメリッヒという氷魔法の開発者を筆頭に、華々しい功績を挙げた名家らしい。
ゲオルクが必死にエメリッヒ家の隔絶した逸話を話すほどに、目の前のエリカはその体を小さくしていき、しまいには消えてしまうのではないかというほど、申し訳なさそうな雰囲気を醸し出していた。
「それで、エリカはそのエメリッヒ家のお嬢さんで、今は修行中ってわけね。」
ヒロが話をまとめると、辛そうな顔をしていたエリカの表情が少し変化した。
「修行中…。そう、修行中…。今は落ちこぼれだけど、いつかは…。」
エリカの一瞬だが目に込もった闘志をヒロは見逃さなかった。
ヒロも前世では父方が典型的な高学歴一族で、少しばかりのプレッシャーを感じていた。
エリカのように、御伽噺クラスの名家の名前を背負って、結果が出せないとなれば、それこそ潰れそうなほどのプレッシャーを感じるのだろう。
「まぁ、きっとこれも縁だ。よろしくな、エリカ。俺はヒロ、こいつはゲオルクって呼んでくれ。」
ヒロは右手を差し出す。エリカは可愛らしい困り顔を作ったあと、握手に応じた。
「よろしくお願いします。」
鈴が鳴るような、可憐な声にヒロがまた顔を赤らめた。
「敬語使わなくて、いいよ。なんか、こう、友達的な感じ?」
「友達…?友達…ね。」
エリカが予想に反して悲しそうな顔をしたので、ヒロは慌てるが、ギイと音を立てて開いたドアに三人の注意が逸れる。
背筋をピンと立てた気品のある老人が入ってきた。先ほどゲオルクから聞いた話によると、このスーパー老人は王国に5人いる護国将軍の1人で、南部を治めているバジというらしい。
レナータの話にあったバジ坊とは、彼のことを指すのだろうか。そうなると、腕相撲のときに言われた「彼女」とは、レナータのことだったのだろう。
「ご歓談の最中に失礼。しかし、事態が事態です。エリカ殿に、差し迫った話が。」
立派な白い口髭にうっとり見とれそうになる。
その嗄れた声は、どこか故郷を思わせるような安心感がある。
部屋の雰囲気はわずか一言にして、この老人ーーバジが完全に支配していた。
深々と座り込んでいたヒロとゲオルクも自然と背筋が伸び、浅く坐り直す。
バジが忘れていたというように、お決まりらしい口上を述べる。
「…急ぎのところですが、まずは、お怪我なくエリカ殿がここにいるのは、お二方のおかげだ。クオールの人民を代表して、お礼申し上げる。危うく、尊い人命と南部の信頼を失うところだった。さすがは彼女の後継者だ。」
「こちらこそ、バジさんがいなければ、彼女を守り切れたかわからなかった。ありがとうございます。」
「後で褒美を持たせましょう。ある程度のものであれば用意できるでしょう。ご希望があれば、使用人の方にお伝えくだされ。」
バジはこちらの真意を探るような目つきをしたが、俺もバルトも特に褒賞に興味を示さないのを見ると、少し安堵したように息を吐いた。
「して、本題に移らせてもらいましょう。」
そこでバジは言葉を止める。ヒロは一瞬続きを待ったが、バジが暗にヒロたち2人に退室を促すような視線を送っていることに気付いた。ヒロがそれを申し出ようとするが、先にエリカが口を開いた。
「この方達も一緒に話を聞かせていただいても、よろしいですか?2人は命の恩人で、その…数少ない、友達ですから。」
そう言って笑ったエリカの顔は、さながら天使のようだった。
バジもそこであれこれと言い争うよりは、早く話に移りたいのだろう。
「ううむ、エリカ殿が言われるならば。
では、『沈黙の誓い』を。」
エリカとバルトが右手を差し出す。
ヒロはレナータから聞いたことこそあれど、その結び方について具体的な方法は知らなかった。
とりあえず2人を真似て右手を突き出してみる。
机に描かれていた紋章ーー魔法陣が光を帯びて、3人の右手にそれと同じ模様が浮かび上がる。
応接室のテーブルには初めから魔法陣が描かれており、他言無用の話について、この魔法陣で誓約を立てるのだろう。もし話せば何かのペナルティがあるのか、あるいはそもそも話すことができなくなるのか。後でゲオルクに確認しよう、と思ったが、バジがそれを察するように口を開いた。
「ヒロ殿は初めてですかな。沈黙の誓いを立てて、知り得た情報については、決して他言できぬようになる。」
そもそも話すことができなくなるようだ。ごほん、とバジが咳払いをする。
その視線に闘いのときのような厳しさが宿る。
「ここからは辛い話になります。
先刻、王都より緊急の報告書が私のもとに届きました。」
そう改まったように敬語で話すバジがテーブルの上に置いたのは、エリカ=クレマースの名前が書かれた報告書だった。
「私…?」
「報告書によれば、王都で襲撃事件があり、死人が出ました。炎魔法により襲われたようです。そして、その方達は…」
バジがそこまで言いかけて、顔に影が宿った。それを看取るように、エリカが言葉の続きに先回りした。
「…お父様や、お兄様たちですか?」
エリカが口を開く。バジは少し目を伏せて、首を縦に振った。
「心中お察し致します。緊急でエリカ殿を保護するよう伝えているこの報告書を受け取り、直ちに使いを送りましたが、エリカ様のご自宅は完全に燃え尽きたあとでした。
遺体が見つからなかったというので、巡回に出たところ、大きな魔力反応を感じて。ヒロ殿達の活躍もあり、なんとか間にあわせることができました。」
「そう…」
エリカが物悲しい顔をして、目を伏せた。
一族落ちこぼれ、というから、彼女はさほど家族に良いイメージは持っていなかったのだろう。
しかし、疎遠でも険悪でも、家族を失うのは辛いことだろうし、何より彼女自身もあわやという体験をしたのだ。
平静を装いこそすれど、心は穏やかでないだろう。
「なんでアーロン、あの炎使いはエメリッヒ家の人たちを狙ったんですか?」
ヒロがふと疑問を口にする。バジは口を開こうとして、咄嗟に言葉を喉に留めた。少しの沈黙。バジは一度は口にするのを惑った、その考えを言葉にしていく。
「40年前と似通ったところがある、と考えるのは、邪推でしょうか。」
ゲオルクとエリカの顔が強張る。
「40年前…?『厄災』…ってやつか?」
思わず声が漏れたヒロに3人の視線が向く。ゲオルクが咄嗟にフォローを入れる。
「悪りィな、ヒロは小さい頃の記憶がないらしいぜ。あのな、ヒロ。40年前、この国には大きな事件があったンだ。それは…」
バルトが話そうとしたとき、少し遠くを見つめるような目をしていたエリカが、遮るように話し始めた。
「一言で言えば、虐殺、よ。
今から40年前、何者かに魔法省が襲撃された。侵入者と出会った衛兵も魔法官も皆、殺害されたわ。犠牲者には、私の祖父アドルフ=エメリッヒや、筆頭魔法官のシンドラー様を始めとする優秀な魔術師達もたくさんいたわ。
その侵入者はその返す刀で王都のセントフィル魔法学院の優秀な人材達を屠り尽くした。目撃者は全員死亡し、その侵入者も忽然と消えたわ。
そして、あろうことか、魔法省や魔法学院は火の手に包まれ、その蔵書のほとんどが焼失してしまったの。人と本を失って、ユリアン以来の魔法体系の多くは、その日を境に失われてしまったのよ。」
その話を目を閉じて聞いていたバジが、重たい口調で話し始める。
「エリカ殿の話された通り。
そして、私も…あの日死ぬべき人間でした。しかし、シンドラー様に師事していた私とフーリーンは、幸か不幸か、侵入を察知したシンドラー様の機転で転移魔法をかけられ、生き長らえてしまった。」
低く、重たい声でバジは話を紡いできった。
「私とフーリーンにこの王国を守るという義務を託したのではないかと思っている。だから、私は南で、フーリーンは東で、護国将軍として本懐を果たさなくてはならない。」
護国将軍は5人いるというから、東西南北、そして中央だろうか。南がバジで、東がフーリーン。話ぶりからして、他の3人は厄災後の人間なのだろうか。
ヒロは新しい情報を整理しつつ、目下の問題についてまとめる。
「つまり、名だたる魔法使いを殺戮した40年前の事件と、今回の一連の襲撃は、共通点がある、ということですか。」
ヒロのたどり着いた結論を話すと、バジはそうだ、と頷いた。
エリカは40年前の犠牲者たちと今回の襲撃の被害者は大きく異なると訴えたが、実際、ユリアンという崇拝対象になりかねない魔術師の子孫を根絶やしにするというのは、何らかの意味があるのだろう。
「あの、40年前の事件の意図って…何ですか。」
「…そこまではわかりかねる。
先ほどエリカ殿が説明されたように、目的も告げず、忽然と消え去ってしまった。そして、ユリウス様以来積み上げてきた理論と過程のほとんど全てを失い、屍ばかりを残していった。
かつては優秀な人材を輩出し続けたセントフィル学院も、今でこそベルンハルト殿のご活躍で復興なさったが、大成するような人材は居なくなってしまった。
あの虐殺は派閥争いや政治的意図どころか、完全なる破壊だった。あれで恩恵を受けた人間など、いるはずがない。」
バジは力強い口調で言い切る。
「目撃者も残さず、確実にターゲットを仕留めていく手口、そして素性の知れない実行犯の圧倒的な魔力。あのアーロンという者の背後には、『厄災』の関係者がいると考えるのが自然ってわけか…。」
ヒロのまとめるような言葉にバジが机の上をじっと見つめていた視線を動かした。
「とはいえ、『厄災』の被害者はこの老体とは比べものにならないほど、強く、賢い者たちばかりであった。もちろん今のエメリッヒ家の方々も魔法官として国の重役にあるが、やはりアドルフ殿以前とは、悪いが実力は隔絶して甚だしい。
老人の勝手な考えだと聞き流してくだされ。」
「あの。」
ヒロとバジの会話がひと段落したところに、エリカが口を挟む。その口調は先ほどまでの歓談とは打って変わって、低く、震えている。
「アーロンって名乗る炎使い、逃げる前に言い訳がどうとかって言ってたでしょ。
あれって、仲間の指示があったことの証左よね…?」
「うむ。魔力こそ侮れないが、あの軽薄な青年に思想的な背景があるとは思えない。
青年は実行犯で、別に計画した者がいると考えた方がよいでしょう。」
その言葉を聞いて、ヒロとゲオルクはどうしたものかと目を見合わせ、エリカは顔を強張らせた。その機微を読み取ってか、バジは穏やかな声で言葉を続けた。
「しかし、ひとまず犯行を止めることができたのは、大きな成果ぁ。
この市庁舎には緊急時に使われる、要人用の宿泊施設が備わっている。警護をつけるので、エリカ殿には、しばらくはこの市庁舎に残ってもらいたいのだが…」
それを聞いて、ヒロとゲオルクは安心した顔を見せた。エリカが再び襲われる可能性があるのなら、この街を旅立つのは彼女を見捨てるような罪悪感がある。かといって、この街に残り続けるわけにもいかない。スーパー老人のバジがエリカを保護してくれるというのであれば、最善という他ない。
ヒロがゲオルクと視線を交わしたとき、エリカが口を開いた。
「嬉しいお気遣いですが、私は…ヒロ達と一緒にいたいです。」
「なッ!?エメリッヒの嬢ちゃん、悪いが俺たちはこの街に長く留まる予定はないぜ。」
「だったら、付いていくわ。」
「あのなァ、悪いが俺たちはそんなに強かねェぜ。またあんな奴に襲われたら、守り切れるかわかんねェ。」
「いいの。この街に留まり続けても、私は私の望みを果たせない。何もせずに生きるなんて、ゆっくり死ぬのと同じじゃない。危険は承知よ。バジ様も、私が保護を断ってクオールの外で死んだとなれば、バジ様の責任問題にはならないでしょ。」
その言葉にゲオルクがはにかんだような笑いを見せる。
バジの目が途端に険しくなる。
「エリカ殿、責任問題の話ではない。この国はエメリッヒ家を失うわけにはいきません。」
「私の生き方は私が決める。国や、あなたの決めることではないわ。
それに、死ぬつもりなんか、さらさらないわ。」
「しかし。あなたが付いていけば、ヒロ殿とゲオルク殿にも危険が及ぶのです。」
バジはヒロに同意を求めるような視線を遣る。だが、強い言葉で意見を述べるエリカの目に希望が漲っているのをヒロは見逃さなかった。
大きなプレッシャーを抱える彼女は、どういう訳か俺に、人生を変えるきっかけを見出してくれた。彼女をここに置いていけば、絶対に後悔する。
ヒロはバジの鋭い視線を真っ向から睨み返す。
「俺は死なない。そして、ゲオルクも、エリカも、死なせません。
バジさん、彼女が付いてくるというなら、俺は拒まない。」
ヒロはやっぱり狂ってやがるぜ、とゲオルクが茶化すが、けど俺も歓迎だぜ、と味方してくれる。形勢は完全に傾いた。
最強の老人が、眉間に深い皺を寄せて溜息をついた。
読んでいただき、ありがとうございます。