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第7話 心頭滅却すれば火もまた涼し



「仕事だから、ごめんね。ちょっと死んで欲しいんだ。」


目の前にいる青年は挨拶でもするように軽々しく言い放つ。黒く短い髪に、特徴のない顔立ち。しかし、その凡庸な外見とは裏腹に、放たれる雰囲気は禍々しく、周囲には黒い霧が見えるほどだ。


青年が魔力量を急激に高めると、エリカの鼓動が一気に早くなる。普段から魔法に慣れ親しんだものでなければ、吐き気を催すほどの人外の領域である。


「小手調べだ。」


彼の手には最も初歩的な炎魔法ーー炎弾(ファイアーボール)が浮かんでいる。

しかし、その輝きは破壊と暴虐を象徴するように強く、不吉な予感を感じさせるものであった。


エリカは水弾(ウォーターウォール)で水の壁を幾重にも打ち立てる。しかし、放たれた炎弾(ファイアーボール)はそれらの壁を一瞬で蒸発し、エリカへと迫る。


ドンッと音を立てて、一面が吹き飛ぶ。エリカの立っていた、その位置には焦げが残るのみである。


青年は首を傾げて、とぼけた声を漏らす。


「あれ?


うーん、避けられたかなぁ。」


「正解よ。」


男の後ろから鋭い声が聞こえる。


刹那、エリカが数十本の氷矢(アイスアロー)が放たれる。だが、男が振り向きざまに打ち立てた炎壁(ファイアーウォール)で、それらは相殺され、むしろその豪炎の前にエリカの髪がチリチリと焦げ、肌が焼けるような激痛が走った。



「うん、まぁ簡単に行くとは思ってないよ。落ちこぼれとはいえ、エメリッヒ家の嬢ちゃんだもんね。


でもさぁ、禁忌の魔法に迫るよりも、もっと基本的な魔法、覚えた方がよかったよ。弱いせいで、君は死ぬんだから。」


初めと変わらず、穏やかで軽薄な態度を見せる青年。


「ふっ、随分と饒舌ね。弱い犬ほどよく吠える、とはあなたのことかしら。」


エリカも魔力を最大限まで高める。明らかにムッとした表情を見せた青年は、さらに魔力を高める。


「じゃあ、レベル2といこうか。」


青年の周囲に数十、いや百を超えるであろう火矢(ファイアーアロー)が浮かび上がり、それらがエリカに向けて一斉に放たれる。


エリカは奥歯をギリリと鳴らして噛み締める。目の前に浮かべられた火矢(ファイアーアロー)を回避するにも、一瞬でも判断を間違えば死にかねない。


しかし、問題はこれを回避したとして、その後だ。この圧倒的な魔力を持つ相手が、エリカという一個人の殺害を目的に動いている。


その絶対的な差は埋められない。エリカはゆっくりと息を吸い込み、言葉を紡ぎ出していく。


「ねぇ、あなたの目的は何?」


その言葉に、青年は訝しげな顔をして、その周囲に浮いていた火矢(ファイアーアロー)は消え失せた。


「だから、君に死んでもらうこと、それだけが目的だ。」


「私、どうしてもやりたいことがあるの。この街を出て、誰にも会わないような辺境に住むから、見逃して、ください。」


エリカが頭を下げる。交渉のほかに、今エリカがその命を長引かせる方法はない。丁寧に、丁寧に言葉を紡いだ。


しかし、青年の言葉はその一縷の希望を打ち砕いた。


「ダメだ、と、思う。悪いけど、君は死ぬべき存在なんだ。恨むなら、その運命を恨みな。


さぁ、次は逃がさないよ。」


青年が右手を突き上げると、エリカの周りに炎の渦が現れた。その豪炎は天国に届くほど高く、地獄を焦がすほど熾烈である。


少しずつその大きさを狭めていく渦に、エリカは肌の奥深くまでに突き刺さるような痛みを強く感じる。


悪足掻きのように水弾(ウォーターボール)氷弾(アイスボール)を渦にぶつけていくが、渦の威力は弱まるところを知らない。


次第に息をするのも厳しくなっていく。


エリカは次第にその覚悟を決めつつある。


ああ、ここで終わるのだろうか。私は夢も叶えず、死んでいくのだろうか。


ーーーいや、これでいいのかもしれない。きっと私の夢は叶わない。魔法の深淵に至る才能も手段もなかった。このまま生きていたって、夢が現実に食い破られて、二度と立ち直れない日がやってくる。

そんな日を見るくらいなら、今死んでしまった方がよっぽど幸せなのかもしれない。


今死んだって、ゆっくり死んでいったって、何も変わらない。


エリカはその目を閉じて、激しさを増す痛みを受け入れる。ああ、心地よい。その肌が焦げていく痛みが、自分を幸せにしてくれる。


さあ、自らの命にさよならを告げよう。




ーーーエリカがそう思った瞬間。


「成敗ッ!!」


勢いのいい声が聞こえ、炎の渦が消えた。

見れば、エリカと青年の間に、獣人と若い男が割り込むようにして立っていた。


「よくわからねェが、俺たちの門出だ。とりあえず、悪そうなお前をぶん殴るッ!!」


獣人が威勢よく声を上げる。


「なんなんだ、君たち。全く面倒臭い。


今なら見逃してやるから、逃げてくれよ。」


相変わらず軽薄な態度の青年の言葉に、助太刀に入った男が胸を張って言い返す。


「悪いけど、それはできない。


俺の名前はヒロ。英雄になるって意味を込められた名前だ。困ってる女の子を助けなきゃ、親が泣くぜ。」


「あーあ、馬鹿だね、君は馬鹿だ。


まぁいい、名乗ってくれたからには礼儀を返そう。冥土に土産にしてくれ。


僕の名前はアーロン。君たちを殺す者だ。」


アーロンの魔力が一層高まり、その頭上には太陽の如く眩い炎弾(ファイアーボール)が浮き上がった。


その輝きに照らされてみれば、助けに入った男も、エリカとそれほど歳の変わらない青年に過ぎない。


ヒロと名乗った青年は獣人と視線を交わすと、その炎弾(ファイアボール)を全身で喰らいにいった。


「ち、ちょっと!!」


エリカは咄嗟に声を上げる。その業火の前にヒロという青年は木っ端微塵に吹き飛ぶーーはずだったが。


「ここまで強いと、逆に痛くなくて楽だわ。心頭滅却すれば、火もまた涼し。ってね!」


ヒローーそう名乗る青年は光に包まれながら平然と立ち尽くいる。エリカはその目に移る異様な光景が信じられずにいた。


「そりャ結構なことでッ!!」


そして、直後に獣人の唱えた土槍(サンドランス)が魔法を放った直後のアーロンを弾き飛ばしていた。


「ぐふっ!」


吹き飛ばされていたアーロンはその足を地面に突き刺すようにして勢いを殺し、苦々しい表情を見せた。


「…やるねぇ。厄災後の治癒魔法じゃ、それほどのことはできないだろう。


おそらくは失われた魔法かな。さすがにこのレベルの魔法を使う相手だと、あまり楽な戦いにはなりそうにない。これは誤算だね。」


ヒロという男も、また苦々しい表情で呟く。おそらく、彼もまた決め手に欠けているのだろう。


「降参してくれるなら、嬉しいけど。」


ヒロの軽口に、アーロンが顔を歪める。


「ほざけっ!!」


アーロンは空中に火矢(ファイアーアロー)を展開すると、一斉にそれを放った。

ヒロはもちろん、エリカ自身と獣人にもかなりの数が降り注ぐ。


獣人が土壁(サンドウォール)を発動する。エリカの数倍は魔力量が高く、その多くを防いだが、貫通してくるものも多い。


しかし、それらのうちエリカに当たりそうなものをヒロが体に当てる。


普通は修復不可能なほどに、体の一部が消し飛んでいるわけだが、目の前に立つ男はそれらを簡単そうに治癒魔法で回復している。


やはり獣人のそれは当然としても、ヒロという男の戦い方は、目にしなければ信じられないような戦法である。

その辺の司祭が使う治癒魔法とは、一線を画する、完全に別次元の神聖魔法だ。アーロンの言うとおり、失われた魔法でなくて、これがなんなのか。


もしかすると、目の前にいる男は、治癒魔法の深淵に至りつつある存在なのではないか。


そもそも、だ。見ず知らずのエリカ、それも名前負けした落ちこぼれを、命の瀬戸際で守る存在。理解できない。全くもって、エリカには理解できない。

だからこそ、誰にも顧みられたことのないエリカは、初めて自分という人間を他人に認めてもらえたような気持ちになった。


ああ、この男は、きっと私をまだ見ぬ世界へ連れて行ってくれるような、立派で、自由な人なのではないか。


ならば、彼らと共に心中するわけにはいかない。


エリカも残る魔力を振り絞って風矢(ウィンドアロー)を大量に生成し、アーロンの攻撃が止むや、一斉に放射した。


ひしゃげたような声を出して、アーロンは吹っ飛ぶ。


「大丈夫か、ゲオルク。」


「あァ、だが、ちィと、ジリ貧だぜ、ヒロ。ありャ、そう何度も防げねェぞ。」


ゲオルクと呼ばれた方の獣人が息を切らしながら、答える。その魔力量は壁を打ち立てたことで大きく減衰していて、もう一度使えるかどうかに過ぎないだろう。


そして、獣人の瞳は、何でもない風に起き上がって歩み寄ってくるアーロンを捉えて、より厳しく、険しくなった。


「攻撃魔法には追尾効果をかけるのは子供のうちから教わるものが、それを逆手にとって戦うとは。


恐れいったよ、英雄くん。だが、遊びは終わりだ。建物にはあまり被害は出したくなかったが、それじゃあ君がいる限り、目的は達成できないからね。


君は生き残るかもしれないが、エリカはどうだろうね。さぁ、消し飛べ…!」


アーロンが不吉な笑みを浮かべる。


次の瞬間、アーロンの手が紅蓮に輝きはじめ、その禍々しい雰囲気は次の一撃が必殺であることを教えてくれる。


この構えはおそらく高位魔法の、火炎咆(フレイムバスター)だろう。


エリカはその危機的な状況を前に、息を飲む。


ヒロは私の前に立ち、自らの体を犠牲に守ろうとする。ゲオルクという獣人は何重にもサンドウォールを打ち立てる。エリカも微力ながらウォーターウォールを打ち立てた。


だが、アーロンの放った火炎咆(フレイムバスター)はきっと何もかもを飲み込んで、エリカ達の前に迫るだろう。


アーロンはヒロは助かるかもしれないというが、おそらくもう1人の獣人はそうはいかないだろうし、そもそもヒロが助かるのかもわからない。


今度こそ、終わりだ。


エリカは咄嗟に目の前に立つヒロという男に抱きつく。


エリカの知らない次元の魔法を見せてくれた、ヒロという男。言葉も交わしていないのに、彼に対する絶対的な信頼ーーそれは希望的観測に基づいた依存なのかもしれないーーを寄せていたからかもしれない。


その彼が、私なんかを助けた。このことに感じた喜びと依存心を、人は何という言葉で表すのだろうか。


ヒロの背中でそっと目を閉じたエリカは衝撃に備える。





ーーーだが、数瞬経っても訪れぬ衝撃。


エリカが目を開くと、目の前にあったのは、巨大な土壁(サンドウォール)だった。

そこには獣人の作ったものとは比べ物にならないほど大きな土壁(サンドウォール)が聳え立っていたのである。


嗄れた声が響く。


「この街で見境もなく高位魔法を放つとは。私への挑戦と受け取って、違いないでしょうか。」


後ろからコツ、コツと音を立てて歩いてきた老人。


その蓄えられたヒゲに、堂々たる態度。そして、アーロンに匹敵する、あるいは超越する圧倒的な魔力。


クオールの街の統治者にして、エーテリアル王国南部の守護者。

そして、当代最高の土魔法使いとして、『大地の番人』の二つ名を手にした男ーーバジ、その人であった。


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