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第4話 闘技場

ヒロはこの世界に来たとき同様、街頭に突っ立っていた。


レナータの言葉のままに2日ほど歩いてクオールに辿り着き、宿をとったものの、稼ぐ手段というのが思った以上に見つからない。


最初にいた街よりはずっと栄えているし、幸いにも文字も読めるようになったのだが、経歴のないヒロはギルドにも門前払いで、仕事をしたことがないという理由で仕事が受けられない。

さながらニートが空白期間を理由に就職できないのに近いものがあった。


それにしても、土偶が言うように「存亡の危機」にある文明とは思えないほど、のほほんとした雰囲気で、流れる時間は悠久を思わせるほどにゆっくりである。


本当にゆっくりと時間が流れているのか、それとも時間という有限性から解き放たれたヒロだけがそう感じているのかはわからない。


さて、どうしたものかと途方に暮れるヒロを離れたところから、ちらちらとこちらを見ている男がいた。

ヒロが途方に暮れて立ち尽くしているのをしばらくは見ていたが、やがてその顔に満面の笑みを貼り付けて、ズカズカと近づいてきた。


「えぇ、仕事、探してたりします?」


頷くヒロに、そのスカウトマンは彼の持ってきた提案について、流れるような説明を披露してくれた。


「なるほど、闘技場ってわけか。」


この怪しさ満点のスカウトマンによれば、円形のスタジアムで1対1の勝負をして、勝ち負けにこだわらず賞金がもらえるという仕事があるらしい。

地球では、古代ローマにしろ、ドラマに出てくる悪趣味な金持ちにしろ、歪な娯楽の類だった。

とはいえ、金にはなるのだろう。


「えぇ、賞金は後払いですが、勝っても負けても、たんまりとお支払いします。それも金貨で。」


やたら金貨を強調する。たしか金貨は貴重だとはレナータから聞いているが、市場で売っている物はどれも銅貨なので、今いちスケール感が理解できていない。


スカウトマンは金貨という言葉を使うとき、一段と破れたような大きな笑顔を作る。


ヒロの経験則からして、察してほしくないことがあるとき、人はこんな顔をする。


「後払い、か。死んだら出ないってことかな。」


男は一瞬、ギョッとして目を丸くさせたが、すぐに作り笑顔に戻った。


「えぇ、えぇ、まぁそういうこともありますね。」


おそらく、相当な頻度であるのだろうと、にんまりと笑う顔が物語っている。


どうせ家族のいなそうな浮浪者や、故郷を遠く離れて街に出てきた若者にばかり声をかけているのだろう。ヒロも似たような類だし。


しかし、今は不死の魔法が掛かっている。現状、こんなに都合のいい仕事はないだろう。

まだ死にかけたことがないので、不安はあるが…。


「…やるよ。」


ヒロがスカウトマンの目を見て、はっきりと言い切る。


その言葉を聞き届けたとき、男は、最上級の笑顔を顔に貼り付けていた。




☆☆☆☆☆


爪の形をした金属状のそれが首を刈り取ろうと迫る。咄嗟に右手を出すが、肉は当然の如く切り裂かれ、骨と鉄が当たってギリリという音が出る。


「ぐっ、うあぁぁあ」


ヒロは絶叫するが、盛り上がる観衆の声にかき消される。


間違いなく相手は殺す気でやっているし、観客もそれを望んでいる。


完全に誤算である。


適当に負けて終わるつもりだったが、どうやら中途半端な負けは許されないようだ。勝つしかない。だが、


「しかし、治癒魔法の使い手たァ、聞いてねぇぜッ!!」


殺気を溢れ返す目の前の獣人は、とてつもなく強い。

体の大きさはヒロよりも一回り大きく、筋肉質で、獅子の鬣を彷彿とさせる髪は王者の風格を漂わせる。


口ぶりからして、稼ぎ頭か、あるいは街頭にいたスカウトマンとグルなのだろう。

こいつをノックアウトーー可能ならば殺したくはないーーするのは至難の技に思えた。


とはいえ、不死の効果も絶大で、痛みこそ軽減できないが、どの切り傷も一瞬にして元通りだ。


向こうも決め手に欠けているのは同じである。互いの視線が交錯し、打開策ーー相手の弱点を探すように相手をじっと見つめる。


「んじゃァ、こりゃァどうだッ!!」


獣人が観衆の大声援に負けんばかりの威勢のいい声を上げると、土の壁がヒロの退路を塞いだ。

たしかレナータによれば、五大属性のいずれも、ボール系、ウォール系、アロー系、ランス系などの初級魔法があるとか。マナを変換させるにも、これらの形状はイメージがしやすく、簡単なのだという。


それに従えば、これはサンドウォールなのだろう。


後ろに引けなくなったヒロに獣人が咆哮とともに襲いかかる。


先ほどまでも十分に威圧感のあった獣人だが、今はその比ではない。

それなりに度胸がなければ、その咆哮だけで体は動かなくなってしまうだろう。


この一撃が獣人にとって、必殺の一撃になるのだろう。


飛び込んできた獣人が左手を大きく振りかぶったのが見える。


そこに込められた力はともすれば体を真っ二つにしてしまうだろう。

ヒロは剣を右上に構えて衝撃に備える。


だが。


獣人は空中でクルリと回る。右肩を削ごうとしていた左手の爪は剣を掠めることもなく、引っ込んでいく。


そして、タイミングをずらして裏拳のように右手の鉄爪が足を刈り取ろうとしてきた。

刹那、剣で防御しようとするが、間に合わない。刹那、足を動かそうとするが、間に合わない。そして、悟る。


「がぁぁぁぁぁっ」


右足の膝下が宙を舞い、体がグラッと傾く。これまでとは完全に質の違う痛みが襲ってくる。


右足ーー右足のあった位置は燃えるように痛み、心臓の音が大きな太鼓を叩くようにズシンズシンとその鼓動が体の芯を揺らす。


血がものすごい勢いで流れ出ているのか、体の熱も急速に奪われ、一気に寒気が襲ってくる。


これでも、レナータが味わった苦しみに比べれば、雀の涙ほどの苦しみなのだろうか。


それでも、その痛みは想像を絶する苦しみである。



だが、獣人もまた唸った。


「グッ!!それが狙いか、咄嗟の判断か…この戦闘狂がッ!!」


右足に迫る爪を止められないと見るや、ヒロ右手に持つ剣を、力の限り敵に振り下ろした。



その銀色の閃光は見事に獣人の肩を深く抉りとっていた。振り下ろした右手には、死んだ肉を切るのとは違い、ひどく生々しい感触が残っている。



おそらくは、獣人はヒロの足を千切り、倒れたところにトドメを刺す算段だったのだろう。


しかし、不死という安心のもたらしたヒロの一撃がその目論見を打ち砕いた。不死でなければ、たかが一撃のために右足を差し出した狂人でしかないのだから。


そして、観衆が一気にどよめく。先ほどまでの高揚感とは全く異なり、全く理解できないものを見たときのような恐怖に近いもので会場が満たされていく。



俺を痛みつける拷問ショーの様相を呈していただけに、俺の一撃に盛り上がったと思うと、少し胸が高鳴る。

すくりと立ち上がり、どよめく観衆を見渡す。


ーーーあれ、今、立ち上がれた…?


切り飛ばされた右足だった肉片の方はわずかな光を残して消えさっている。

そして、意図しないうちに右足のあった位置に光が集まり、右足を形作っていた。

予想以上に修復が早い。


観衆のどよめきはそちらが原因か…。


「はァ!?切り傷ならまだしも、欠損すら治癒できるなんざァ、それこそ上位の神聖魔法じゃなきゃ」


獣人は呆然とした表情を浮かべて、言葉を失った。

獣人はよく見るとかなり若く、それこそ俺よりも少し年下くらいだろう。


勝負が大きく傾いて、ひと段落ついたところで、ようやく気付けたことである。


ふと獣人の目が俺が尻餅をついていた位置を睨みつけていることに気付く。


「…あっ。」


そこには倒れ込んだ勢いでポケットから飛び出したいくらかの貨幣と、朱印が落ちていた。


「テメェ、カプリの司祭かよッ!!やめだ、やめ!!こんなんに勝てるわけねェだろうがッ!!降参だッ!!」


獣人は両手を挙げて、入口の方に戻っていく。

不死の魔法ーー彼らにとっては上位の治癒魔法に見えるようだがーーに興奮の冷めやらぬ観衆は、もう勝負には興味がないようで、案外あっさりと幕引きとなった。


☆☆☆☆☆


あの作り笑顔を貼り付けていたスカウトマン兼支配人が引き攣った笑顔を見せる。


「こちらが報酬の金貨5枚でございます。」


「ありがとう。」


枚数をしっかり数えたうえで、袋を受け取る。


金貨1枚と銀貨10枚が交換できるが、市場で使われる銅貨とは闇市でしか交換できないという話をレナータから聞いている。

銅貨は日用品を買うのに使われるが、高価な武器や書物は銀貨や金貨で支払われているらしい。


理由はレナータも知らなかったが、日用品と高価な品の通貨を分ければ、銅貨をセコセコと集めた商人が騎士やら魔法官やらに成り上がるのが難しくなるし、逆に没落した貴族が安易に武器や書物を日用品に換えるのもできなくなる。

つまり、身分の安定化のためだろう、と勝手に納得している。


ともあれ、銅貨40枚程度しか持っていなかった朝と比べれば、金貨5枚は大逆転劇と言っても過言ではないだろう。

満足げな顔で支配人を見ると、笑顔が少し苦笑に変わったような気がした。


「えぇ、まさかカプリ教の司祭様とは。私の目も狂ったものです、えぇ。」


「この朱印のこと?」


総主教パルギオンに餞別でもらった朱印を取り出す。


「えぇ、高位の聖職者のみが携行を許される御朱印でございましょう。子供の頃から、よくよく母に言い聞かせられたものです。えぇ。


それに上位の治癒魔法による右足の復元。司祭様に違いないと闘技を見て確信いたしました。


えぇ、声をかけたときに気付かなかったとは、いやはや不覚。」


なるほど、弱そうに見えたから声をかけたが、司祭、つまり高位聖職者なみに強かったと。


「2つ質問があるんだけど、まず朱印について、母親からどんな話を聞かされるんだ??」


支配人が笑顔を作るのも忘れて、意図を汲みあぐねたように目を大きく見開く。ヒロは慌てて取り繕う。


「すまない、子供の頃の記憶が無くてね。」


笑顔を作り忘れたことに気づいたのか、目を少し左右にキョロキョロとさせて動揺を見せたが、またいつもの笑顔に戻った。


「えぇ、そうですね。その、あまり良い話ではないのですが。


『朱印見たなら、逃げ帰れ。

粗相をすれば、火あぶりだ。

出会わぬことを、ただ祈れ。』


という有名な文句がございます。えぇ。たわ言ですので、お気になさらず。」


「そうか。」


これで、あの獣人の反応も納得がいく。

自分が右足を吹き飛ばした相手が、とんでもない権力者だなんて知れば、肝を冷やすものだ。


面倒ごとを避けられる、と言ってペルギオンは朱印を渡してきたが、なかなかに含蓄のある言葉だったようだ。


しかし、聖職者に出会わぬことを祈れ、とは、どれだけ腐敗しているんだか…。


普段は朱印を隠しておこうという決意と同時に、どこぞのドラマのように、いざとなれば朱印を見せれば何事も解決…といくのかもしれないとも思った。

デウスエクス・マキナ的であまり好みではないし、余計に拗れた状況を招きそうで好ましい手段ではないが。


ヒロはごほんと咳払いをして、話を進める。


「それと、もうひとつ。その、治癒魔法が神聖魔法に属するのは常識だと思うけど、あの右足の復元を見て、治癒魔法だと判断したのはどうして?」


「えぇ……。えぇ?」


支配人は今度こそ明らかに質問の意図を汲みかねて、困惑した笑顔を見せる。


「その、どうして、と言われましても…。えぇ、私の知るところでは、生まれたズレを時間の反転によって元通りにするのが治癒魔法でしょう。


もちろん、あのような大きなズレを簡単に修復してしまうのですから、並みの治癒魔法とは違いますが…。


えぇ、むしろ治癒魔法以外で、あの奇跡が起きますでしょうか。」


思った以上に詳しい。この支配人は40歳かそこらで、厄災以前の人間とは思えないが、意外と魔法に造詣があるようだ。


「いや、君が神聖魔法に関して、どの程度知ってるのか、試しただけだ。気を悪くしないでくれ。」


指を顎に置いて、考え込む。

多少有能なのかもしれないが、闘技場を営む支配人ですら、不死の魔法を治癒魔法、すなわち神聖魔法と判断した。


ならば、なぜそのエキスパートであるカプリ教の人々はレナータの不死性を魔女の力だと晒しあげたのだろうか。


あれだけの美貌と知識である。聖女として祭り上げた方がよっぽど有用ではないか。

そもそも、俺のときと同じようにペテルギオンが出しゃばって、ちゃんと試せば、彼女の無実は明らかなのである。


ごちゃごちゃとした考えがまとまり始め、彼女が捕縛されている理由について、新たな可能性に辿り着いたとき。


「えぇ、あのぉ、もし、よろしければですが、対戦相手のゲオルクの方ですが、金貨1枚お支払いします。


どうか彼にも治癒魔法をかけていただけないでしょうか。うちの稼ぎ頭でして…」


支配人が口を開いた。司祭なのに闘技に参加するような輩だ。

金にしか目がない生臭坊主だとみなされたのだろうか、主催者と競技者の癒着を認めて、商談を持ちかけてきているわけだ。


そのとき、ヒロはひとつ悪巧みを思いついた。


「まず、彼と2人きりで話をしたい。治癒魔法をかけるかはそれからだ。」


支配人は片眉をぴくりとあげたが、えぇ、ともう聴き慣れた口癖を繰り返して、奥に引っ込んでいった。


数分後、血の滲む包帯に包まれた獣人が出てきた。殺気の問題なのか、闘技場のときと比べると、随分と小さくなったように感じてしまう。


「ゲオルク、でよかった?」


「あァ、ゲオルクでいいぜェ。司祭様がこんな遊戯に出しゃばるとは、知らなかった。

で、まさか、高貴なテメェの右足を切り落としたから、罪を問うってんじゃあ無いだろうな。ご存知の通り、証拠はないぜ。…証人はいるかもしれんが。」


「そうじゃなくて、その、今日までに何回戦って、何回負けた?」


「ん、数えたことはねェな。


12のときから3年間、ほとんど毎日ここで戦い続けて、負けたことはねェ。つっても、主人が弱いやつばっか連れて来るから、骨のあるやつは今までで両手で数えるほどもいなかったぜェ。」


やはり強い。上位の治癒魔法、捨て身の一撃、司祭という偽りの身分が揃って、降参にこそ追い込んだが、それでも戦い続けることができたのではないか、という余力を見せていた。


しかも、短慮に見えて、状況を見極めて退く判断力と勇気がある。案外、挑むのよりも退く方が勇気のいるものだ。

部活に入るより、辞める方が難しいように。その辞める勇気を持ち合わせなかった末路が旧日本軍だろう。


ヒロは意を決して、言葉を投げかける。


「一緒に、来ないか?」


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