第2話 不死の魔女と最初のギフト
気がつけば、雑踏の中でヒロは立ちすくんでいた。驚いたことに、記憶も消されていない。
だが、あのせっかち土偶のことだ、最後のあたふたで消し忘れたのだろう。
会話の内容から察するに、あの神は作ったものを送り出すのが仕事で、積極的に干渉することはしないのだろう。
つまり、ヒロは『ギフト』という魔法に加えて、前世の知識も立派なアドバンテージにできるわけだ。
早速、街を散策し始める。
非常に整然としていて、大都市のような雑多さや賑わいは感じられない。
普通、こういう場面では酒場やら露店があるものだが、むしろ宗教的なシンボルを掲げた白を基調とする住居や店舗が目立つ。人通りもまばらで、見るに前世と似たような鳥や馬などの生物がちらほらと見られる。
さておき、ヒロはこの都市を包む厳かな雰囲気を、前世でも感じたことがある。
15歳のとき、フランスに半年間の留学をしていたのだが、長期休暇を使ってルルドという都市を訪れたことがある。
ある宗教にとっては、非常に重要な場所らしい。観光感覚で訪れたヒロにとって、その「聖域」の雰囲気がヒロをひどく場違いな気分にさせたのも、今となっては遠い日の思い出だ。
同じ雰囲気を感じさせるのだから、ここも宗教都市なのかもしれない。異世界転移にしては初期位置にはやや不満があるが、まぁいい。
見渡して見れば、馬車や人の通りがあるが、龍車だとか亜人は見受けられない。
まぁ、まだほんの第一歩だ。
冒険者とかになって、この世界を旅していけば、いずれファンタジー感満載の体験ができるはずだ。ヒロは秋らしい生温い風を背中に受けながら、拳を握りしめる。
ここからヒロは前世の知識と『ギフト』を使って、夢の異世界生活が始まる
ーーはずだった。
街を半日ほど歩きまわって、能力をくれないか手当たり次第に声をかけていたが、言葉こそ通じるものの、訝しむ目で見られていた。
そんな中、2人の屈強そうな兵士が近づいてきたので、話しかけようとしたが、あえなく組み伏せられた。
魔法をまだ誰からも譲り受けていない俺は、なすすべもなく連行され、今こうして牢にいるわけだ。
ヒロは部屋を見渡す。
堅牢な石造り。窓はなく、外からの光も差し込む様子はない。
妙に冷え込んでいるのは、ここが地下であるからだろうか。
この外界から隔離された牢において、唯一の世界との接点は入り口のドアにあるのぞき窓だ。そこから外を覗く。
静まりかえった通路には看守もいないようで、空間が凍りついたかのように静かだった。
しかし。
「わっ!!」
正面の牢の覗き窓から人がこちらを覗き返しているのに気付いて、思わず声が漏れ出た。
だが、よくよく見ると、前世では広告の中にだけ存在した美しい顔立ち、生気を感じないほど綺麗に輝く銀髪、人を惹きつけるような青い瞳。
その美人にヒロは見惚れて、しばし。
思い出したように言葉を紡ぐ。
「あ、えっ…と、大きな声出してすいません。あの、ここ、どこですか?」
女性はその虚で青い眼を少し大きく見開いて、クスリと微笑を見せた。
それはそれは美しい微笑み。
しかし、放たれた言葉は存外に冷たい。
「馬鹿にしてるの?あるいは、狂人の類かしら。」
「いや、すいません、世事に疎くて…」
青い眼がさらに大きくなり、その深い闇がこちらを覗く。
だが、表情は、今度はケラケラと笑ってみせてくれた。
「まるで今日生まれてきました、とでも言うのかしら。泣く子も黙る、カプリ教異端審問所の地下よ。あなたの親の顔が見たいわね。」
異端審問…?
これ、火あぶりにされるルートじゃないだろうな。
あの土偶が相当な鬼畜か、相当なマヌケじゃなければ、こんな即死ルートはありえない。
とはいえ、異端審問が存在する点で文明の段階的に中世程度の可能性もある。
古い法は当然のごとく身体を痛めつけに来るので、死なずとも、左足切断の刑とか笑えない。
いや本当に。
「それが、その…。」
俺は目の前にいるべっぴんさんに、ここまでの経緯を脚色も加えながら話した。
前世で優秀な学生だったこと、土偶との会話、そしてここに来てからの報われない努力。
信じてもらえないかもしれない、という想いも強かったが、ものは試しだ。
この世界で本格的な対話というのは初めてのことだ。
彼女ーーヒロと同じく牢にいる時点で一般人とは言えないがーーの反応はいずれにせよ、今後の参考となる。
「ふうん。神様に会ったっていうのは面白い話ね。それで、そのギフトっていう魔法、本当に使えるの?」
案外すんなりと受け入れられて、ヒロは少し面食らった顔をしたが、すぐに力強い言葉で肯定した。
「ああ、もちろんだ。まだ使ったことはないけど、使えるはずだ。」
「たいそうな自信ね。
明らかに五大魔法じゃないし、精霊魔法や神聖魔法の類でも、そんな話は聞かないわ。
もし実在するなら、呪法か、失われた魔法の類かしら。」
「へぇ…。
その分類はよく知らないけど、でも使えるのは確かなはずだ。」
さらりと魔法系統の情報を得られたような気がする。
沈黙が場を包む。
ヒロは美女を前に緊張して、言葉を紡ぎだせない。
ならば、美女はなぜ沈黙するのか。
その美しい女性は真剣そのものな顔をしていたが、ふっと顔を緩めて、最初に見せたような微笑みを見せた。
「ふ、ごめんね、からかって。作り話よね。面白かったわ。
前世の話、狂人にしてはよくできてた。
その魔法使えるって話、裁判では嘘でしたって認めなさい。
きっと生きて、ここから出られるわ。」
「狂人って。俺は本当のことを」
「いい?あなたは異端審問にかけられるのよ?
あなたが何をしたか知らないけど、そんな法螺話をするあなたが狂人でなくて、何になるのかしら。」
遮るようにして被せられた言葉に、弁明のしようがないことに気付き、軽い絶望を抱いた。
前世とは違う。
前世で俺の話をみんながそれなりに聴いてくれたのは、俺の身分が、しっかり、はっきりしていたからだ。
どこの馬の骨とも知らぬ、「異端」が何を話したところで、簡単に信じてはもらえない。
今後、前世と転生に関する話をするのはやめようと決意した瞬間、ふと疑問が湧き上がってきた。
「お姉さんは、どうして?」
「ふ、あなた、本当に何も知らないの?
星の数だけ火あぶりにされて、砂漠の砂の数だけ斬首されて、降り注ぐ雨粒の数だけ水に沈められて、それでも死なないから生きている。
魔女レナータの怪談をお母さんから聞いたことないのかしら?」
「すまない、信じてもらえないと思うが、さっきの話は本当のことなんだ。俺はこの世界のことを何も知らない。」
「その作り話はもう飽きたわ。変に期待させないで頂戴。
私だって…。
それとも、もし私が『不老不死』の能力をあなたにあげる、って言ったら本当に」
そこまで言って、彼女のただでさえ白い顔から血の気が完全に引いて、白磁のように真っ白で固い表情を見せた。
会ってからずっと、見る者を虜にするような微笑みを顔に貼り付けていた彼女、魔女レナータは、初めてその顔に生きた人間らしい感情を過ぎらせた。
「え…?」
ヒロの体の内側に何か冷たいものが滑り込み、液体のようなものが内側から湧き上がってくる感覚。
先ほどまでの嘲るような声とは打って変わり、その声には動揺が籠り、地下牢にこだまする。
「う、嘘でしょ!?
そもそも、私の魔法じゃないのに…!
ダメ…ダメよ!
老けない。死なない。だけど、心も体も痛いと感じる。あなたには…あなたには…不死の覚悟がない。」
その虚だった眼に明らかに動揺が走っていた。
「もしかして、俺、能力、奪っちゃった?」
「返して頂戴。」
そのピシャリと言い放たれた言葉は、諭すようでいて、命令するような冷たさがらあった。
「いや、返し方が本当にわからなくて…」
その美しい顔は悲痛に歪み、その目は落ち着かずにキョロキョロとしている。
実際、ヒロもかなり慌てている。
もし先の言葉通りなら、彼女は次の処刑で死にかねないのだ。必死に不死の魔法を返そうと、色々呪文っぽいものを言ったり、祈ったりするが、うんともすんとも言わない。
返すのが無理だというのを彼女も気づいただろうか。動揺の念が消え、悟ったような目になった。
俺は謝罪でどうにからならないことだと理解しつつも、口を開いた。
「ごめ」
「ごめんなさい。」
謝ろうとした矢先、彼女の方から謝罪があった。
ヒロは目を丸くする。なぜ、彼女が謝るのか、と言わんばかりに。
「ごめんなさい。
私、嘘だと、狂言だと思いながらも、本当に、心の底から、もしあなたが不老不死を引き受けてくれたなら、私はどんなに楽だろうと、願ってしまったの。」
震える声で彼女は言葉を紡ぎ出していく。
出会った当初の病人のような彼女とは、別人のように感情が見て取れる。
「もともと、この魔法を引き受けたのは私なの。でも、想像以上に辛くて苦しくて。
約束を反故にして、この魔法を捨てたいと何度も願ったわ。でも、それは叶わぬ願いだった。つい、さっきまでは。
あなたの話を聞いて、つい、願ってしまったの。でも本当の話だなんて。
本当に、本当に、ごめんなさい。望んでもいない、お荷物を押し付けてしまって。」
先ほどまでの達観したような彼女の態度からは想像もできないような後悔と懺悔に満ちた言葉たち。
ヒロはその言葉の端々に、察して余りあるレナータの苦痛と孤独の欠片を見た。
「…ようやく命のありがたみを感じられる。ありがとう。」
その言葉にヒロの胸が強く打たれる。
「なあ。レナータさんがどんな辛い想いをしてきたか、俺がどんなに想像しても及ばないだろうさ。
だけど、なんていうか、そんなん悲しすぎるだろ。」
「だけど、私は、そういう契約をした。
それがあのとき、私の選んだ道だったのよ。なのに、私が引き受けた茨の運命を、あなたに押し付けてしまった。」
「っ…。」
ヒロは自分の引き受けたものの重さを改めて噛み締める。
不老不死。誰もが憧れ、多くの人々を魅惑してきた究極の能力だ。
人類史においても、晩年の始皇帝がその秘薬を求めた話や、研究の過程で火薬が発明された事実など、歴史に深く関わってきた人々の根源的欲求である。
物質的に貧しい時代、明日も知れない人にとって、不死とはいかに甘美な響きであることか。
だが、ヒロにとって、その誘惑は、悪魔の囁きでしかない。
人は死ぬ。死ぬから、生きたいと願い、何かを成し遂げたいと望む。
短い前世だったが、その間にヒロなりに積み上げた哲学はブレない行動指針であった。
ふと目の前でヒロの前途を嘆くレナータが目に入る。
この少女ーー少女と言っても年齢は相当上なのだろうがーーは、何を思ってか、その禁断の果実を齧り、人間としての心をすり減らし続けてきたのだろう。
ヒロは思い直す。
人々を魅惑しつづけてきた「不老不死」。
それはファウストとメフィストフェレスが交わした契約の如く、甘美だが裏のある話だ。
フライング=ダッチマンーー彷徨える船長が苦しみを与えるために不老不死を与えられた存在であるように、その実際は孤独で偏屈な理想だ。
しかし、既に引き受けてしまった。もはや受けるか受けぬか、ではなく、いかに活かすかの問題なのだ。
ならば、存分に利用させてもらう以外の選択肢などない。
「時よ止まれ、汝は美しい……か。」
ヒロの呟きは石壁に吸い込まれて、レナータに聞き届けられることはなかった。
大きく息を吸い込むと、ヒロはレナータに向き直った。
「…俺は、レナータさんにもらった能力で、この二度目の人生を、うまくやろうって、そう思う。
だから、押し付けてごめんなさい、とか言わないでくれ。
これは『ギフト』、贈り物だ。
喜んで受けとるよ。」
その後、しばらく、彼女の牢から返事はなかった。
意図してなのか、覗き窓からは姿も見えないところへと移動している。
それでも何となく、俺は彼女の房が見える位置から離れるべきでないような気がして、待ち続けた。
いい加減、こちらから声をかけようかと思ったところで、スッと彼女の可愛らしい顔の右半分がこちらを覗かせた。
「レナータでいいよ。さん付けは、いらない。
かなり長く生きているとはいえ、一応19歳だし…。」
出会った当初の諦観した様子とも、魔法が移転した直後の同様した様子とも違い、そこには純朴な少女らしいレナータがいた。
「わかった、レナータ。
それで、さっき言った通り、俺の方は大丈夫だ。
だから、次はレナータの話をしよう。不死だと思われて、また処刑されたら大変だろう?」
ユーリヤの顔に一瞬驚きが見え、パッと明るくなる。しかし、その微笑みには、どこか諦めたような儚さが込められていた。
「嬉しい。でも、ごめんね、それはあなたの干渉できることではないわ。それに、今すぐ死ぬようなことはないと思う…。」
「俺は、だからって何もしないのは嫌だ。」
「ヒロも裁かれる側よ。その気持ちだけで、私は幸せ。」
「だけど…」
ダメだ。俺が能力を不意打ちみたいに奪ったせいで人が、こんな可愛い子が死ぬなんて。
何か、何か手段があるはずなんだ。
頭をフル回転させる。思考の海に沈んでいく。
だが、答えが見つからない。
情報量が少ない。
現状から予想される最善の予測でも、彼女を助ける手段が見つからない。
ダメだ。俺が…
「ヒロ。」
その声には、先ほどまでには無い強さがあった。
「もう一度言うわ。あなたにどうにかなることじゃない。むしろ、今考えるべきなのは、あなたがどうやってここから出るか、よ。」
「でも」
「あなたが不老不死になったとわかれば、あなたも私と同じことになるわよ。
それが嫌なら、話し合いのテーブルに着いて。」
彼女の思考は非常に明瞭で、正しい。
彼女は自分を凡愚と表現したが、その会話の端々に知性のかけらを窺わせる。
「…わかった。」
その言葉に、レナータは満足したような顔を浮かべて、ヒロの置かれた状況について話し始めた。
初日ということで、2話連続投稿です!
3話は明日の夜に投稿したいと思います。