第5話 やり残したこと
薙ぎ倒す、薙ぎ倒す、そして、薙ぎ倒す。
だが、それでも人は無限に湧いてくる。
魔法も使わぬ彼らなど、一瞬で屠ることができるだろう。だが、彼らを殺せば、間違いなく後悔する。
そう、彼らは間違いなく一般市民だ。このヘルローズで暮らす、ただの人々なのだ。
呪法ならば、こういった精神誘導ができると聞いたことがある。
だから、薙ぎ倒して、薙ぎ倒して、薙ぎ倒す。強く、しかし優しく。
「ちッ、なんでこうなりやがった…!」
ゲオルクはこの窮地に追い込まれるまでの成り行きを思い出していた。
裁判所についたものの、少しばかり偉そうな護衛に門前払いされたのが、昼下がりのことだ。
キルヒナーの名前を出して、ちょいと強く迫ったら、中から役人が飛ぶように出てきた。
「ゲオルクさんですねぇ。お待ちしておりました。」と気持ち悪いほどの笑顔を張り付けた小柄なその男は俺を地下にある牢まで案内してくれた。
だが、問題はそこからだ。
薄気味悪い役人とゲオルクは2人して地下に閉じ込められた。結局、俺を指名したという奴はすでに解放されていたらしく、役人は「困りました、ねぇ。」と困惑した笑顔を見せる。
対魔性の頑丈なドアを力ずくで破り、やっとのことで地上に出たら、これだ。
いかにも普通そうな奴らが正気を失って、武器やらを持って突進してくる。
それを殴って、蹴って、投げて、役人を除く全ての人が動けなくなり、裁判所が平穏を取り戻したのは夕方過ぎのことだった。
「はァッ、はァッ、なんなんだ、これは!」
「私の方が聞きたい、ですねぇ!」
と叫ぶ役人を尻目に、ゲオルクは外を眺める。人通りはないが、その耳は市役所の方から聞こえる騒音を捉えていた。
「裁判所と市庁舎。それに、なんだかキナ臭いのがうじゃうじゃいるな。
重要な施設を狙ったのか?
あるいは俺とヒロを?
なら、市役所に向かうか…?」
役人が心配そうな視線をこちらに向ける。
いや、ヒロとゲオルクなどのためにこれほど大掛かりなことをする人間などいない。そもそも、ヒロに関しては拉致されない限りは心配する必要もない。
となれば、今一番危ないであろう人間は一人だ。
「とりあえず、俺は宿に戻る!お前は戸締りしっかりして、この建物に隠れてろ!」
「はいぃ、ですねぇ!」
頼りなさそうに役人が答えるが、その返事は誰にも届くことはなかった。
ゲオルクの意識はすでにエリカの方に向かい、脱兎の如く、宿に向けて走り始めていた。
☆☆☆☆☆
「あら、最近、よく会う顔ね。」
一通りの話も終わった頃、ヒロとキルヒナーが話していた部屋にリアナが3人分の茶を用意して訪れていた。
「こんにちは、リアナさん。」
ヒロの言葉に、リアナが微笑みで応える。
「それにしても、コードA…アーポック人に関する作戦も、キルヒナーさんが担当になってから、本当に改善されましたね。
被害者の数は大きく減っています。」
キルヒナーはその言葉に少し悲しそうな顔をした。
「もちろん少ないほうがいいですが、数の問題じゃないです。これがゼロになる日まで、私は仕事を果たしたなどとは言えません。」
その顔には、悲痛な表情が浮かべられていた。
そんな中、ノックもなく、ドアが無遠慮に開けられた。
「フリードリヒ様がどこにいらっしゃるか、ご存知か!?」
ヒロにとっては見知らぬ役人が飛び込んできた。キルヒナーが露骨に燻しげな顔をする。
「ここはコードAに関する情報室だ。君に立ち入る権限はないはずだが。」
「コードMが発動されました!」
「なっ!?」
アーポック人の討伐のとき、一切の動揺を見せなかったキルヒナーが持っていたティーカップを床に落とす。
カシャンと割れたカップから、お茶が溢れて床を濡らしていく。
「あの、何かあったんですか?」
「…ミーロ教徒の話は聞いていますね?とりわけ北部では未だに信奉者が多く、最近も郊外にある砦で反乱が起きるなどしていたのですが、まさかヘルローズで蜂起するとは…。
奴等は呪法を使うんですが、死霊使役や精神操作がこの街で発動されたようです。もしかすると、本気、なのかもしれません。」
深刻な顔をしてリアナが説明をしている最中、キルヒナーの懐で何かが輝く。
「ん…。こんなときに…。
これは…アーポック人の…侵攻です。それも、示し合わせたように複数箇所で同時に…。」
それを聞いた飛び込んできた役人の顔は青ざめて、絶望の二文字を貼り付けていた。
だが、キルヒナーが平静を取り戻すのは早かった。
「君はフリードリヒ様を探し続けなさい。コードAに関しては現地戦力で多少は持ちこたえられるはずです。
ヒロさんは…
仲間のところに戻ってあげてください。精神操作された民衆はそれほど脅威ではありませんが、使役された死霊の中にはかなり強力なアンデッドもいます。
私がいる限り、市庁舎は大丈夫ですし、フリードリヒ様が戻れば、全ては解決します。」
必死に作った笑顔はどこか頼りなさげだが、その言葉は的確だ。
「お言葉に甘えて、エリカとゲオルクのところに戻ります。」
そう言って、ヒロは部屋を飛び出し、階段を一気に降りる。
市庁舎から出ようとするが、入り口は錯乱した民衆で覆い尽くされていた。
やみくもに突っ込もうとしたとき。
「ん、あんたか。外に出たいんだろ?
この恩は、しっかり返すんだぞ。」
そのアンニュイな声が響くなり、民衆達が氷の壁で囲まれた。
昨晩の受付の男である。
「ああ、恩に着る。」
そう言って、ヒロは走り出し、氷に囲まれた暴徒を横目に外へと駆け抜ける。後ろの方で氷の割れた音がして、再び騒がしくなっま。
ヒロは考える。
ゲオルクは、まぁ大丈夫だろう。
戦闘力的にも問題ないし、あの暴徒のノロマさを見る限り、最悪逃げればどうとでもなるはずだ。
問題はエリカだ。戦力的に劣るとは思わないが、ただの民衆だと気付けば、おそらく大きく躊躇うだろう。その躊躇いが致命的な瞬間を作る前に、ヒロが駆けつけねばならない。
時間的には、寄り道をしていなければ闇市から宿に戻っているはずである。
心は時間とともに重くなるが、その体は軽い。
右足を大きく踏み込めば、体がぐっと前に進む。空を飛んでいるかのように軽やかで速い。着地した左足を再び強く踏み込む。
☆☆☆☆☆
ドアが破られた瞬間、エリカは氷弾を咄嗟に打ち込む。
しかし、ドアを破って入ってきたそれは、ものすごいスピードで右へと回転し、次の瞬間にはエリカの目の前にいた。
「っ!」
それとエリカの間に氷壁を打ち立てたが、それは一瞬で氷の屑と化した。
先ほどまで驚異的な速度で動き、回転していたそれが、ようやくその姿を目に捉えた。
「獣人…?
いや、アンデッド…?」
小柄な獣人とみられる少年がそこにいたが、その瞳は白く濁り、生者というにはあまりに悍ましい雰囲気を放っていた。
「死霊使いといったら、ミーロ教徒しかいないわね…。ヒロ達と早く合流しなきゃ。」
目の前にいた獣人のアンデッドをエリカが睨みつける。
「悪いけど、あんたに構っている暇はないのよ。」
再び獣人が動こうと足を踏み込んだとき、エリカは自分の目の前に炎壁を打ち立てる。
獣人は止まることなく炎の壁に突っ込んでいき、その体毛をチリチリと焦がした。だが、勢いは止まらず、エリカのいた空間を、その鋭い爪が切り裂いた。
「やっぱり、強さは生前と同じでも、知性はそうは行かないわよね。」
次の瞬間、エリカの氷槍が横からアンデッドに突き刺さる。
その勢いのまま、そのアンデッドは壁に宙ぶらりんな状態で釘刺しにされた。
獣人らしい戦場の咆哮をするが、その体はエリカには遠く動かない。
「とどめよ!」
エリカの放った氷矢がその獣人の腐りきった体に集中する。
ぽとりとその残骸が床に落ちる。
ーーーだが、その肉がほとんど削ぎ落とされ、かつて獣人であったというのも烏滸がましいほどの姿になりながら、その獣人は再び立ち上がる。
「呪法が禁止される理由が痛いほどわかるわね。こんなの、生命への冒涜じゃない。
…術者を倒すか、完全に動きを止めるかしないと、ここを離れられそうにはないかしら。」
エリカはそう言うなり、炎矢を獣人に一気に打ち込む。
それは統制されたように右方向への抜け道が用意されていて。右に飛んだ獣人をエリカが作り出した氷剣が捉える。
アンデッドの下半身と上半身が分かれる。
上半身だけになっても、必死にもがくアンデッドをエリカは見下ろしていた。
「これで本当の、最後よ。
安らかに眠りなさい。」
そう言って、エリカは特大の魔力を込めた炎槍を打ち込む。アンデッドのいたところには黒く焦げた何かが残るのみであった。
「さて、ヒロのところに」
そう独り言を呟きながら、ドアの方を向き直したエリカは悟る。
目の前に立つ、エリカの2倍は大きいだろうかという巨人族のアンデッドが、その大剣を振り上げていた。
どんな魔法であろうと、あれを止められはしないだろう。
どんな退避行動であろうと、あれよりも速く動けないだろう。
不覚だった。
硬直する体に対して、頭は走馬灯のように思考が加速していく。
ああ、せめてゲオルクとヒロにもう一度会いたかった。
ゲオルクとちゃんと仲直りがしたかった。私が死んだのを知ったら、ゲオルクは私と喧嘩したことを悔やんでくれるだろうか。
ヒロと一緒に本を読みたかった。私が死んだのを知ったら、ヒロはあの本を宝物にしてくれるだろうか。
3人でまたかまくらを作って、鍋を食べたかった。私が死んだのを知ったら、2人はあの思い出をいつまでも忘れずにいてくれるだろうか。
ヒロに自分の想いを伝えたかった。
クオールの街で腐る私を救い出して、希望を与えてくれたあなたに。
わからないっていつも聞いてくるくせに、とても賢いあなたに。
痛いはずなのに、いつも自分を犠牲にしてしまう馬鹿なあなたに。
ありがとうと、好きだと、伝えたかった。
エリカは涙が溢れぬように、そっと目を瞑る。
「悲しんでくれるかな。」
エリカの言葉が音になるよりも速く、巨人の大剣が振り下ろされた。