過ちの消えるとき
俺は天才だ!
アイディアは突然やってきた。まるでカミナリのように。
背骨に、目玉に、脳に!
全身に電流が走り、俺はイスから飛びあがる。のけ反りながら、気づけば俺は讃美歌を歌っていた。
「わぉおおおおおおおおおン! あにゃにゃにゃ……」
自分では歌っているつもりだったが、歌にならずに絶叫していた。そのくらい衝撃だった。事務所、いや近所中にとどろいたであろう俺の声で、オフィスにいた上司、同遼……とにかく全員ひっくり返った。
俺の仕事は退屈そのものだ。自慢できることなんかひとつもない。
伝票の数字を、一枚一枚パソコンのデータと照らし合わせるだけ。マジでこれが俺の仕事のすべてだ。
合ってる……次。
合ってる……次。
合ってる……次。
間違ってる……修正。
合ってる……次。
これを、毎日9時間続ける。パソコン側が間違っている場合はいいが、伝票が間違っている場合は、修正液でこれを訂正せねばならない。
やっかいなことに、9:1の割合で伝票のほうが間違っている。
間違った箇所に、修正液を塗る。
乾かす。
ボールペンで書きなおす。
ハイ、次……
これを何千枚とくりかえす。
いつもと変わりばえしない仕事、いつもと変わりばえしない業務。
だが今日はいつもと違うことが起こった。理由なんか知らん! 唐突に思いついたんだ。俺は讃美歌を歌った。
「ぎにゃあああああああああああ! カナカナカナカナ……!」
自分では歌っているつもりだったが、歌にならなかった。
「な、な……い、いきなりなにごとかね!」
ふらふらと立ち上がった部長が、眉をひくひくと吊り上げながら俺に怒鳴る。
「申し訳ありません部長! 俺は天才だ、見りゃわかんだろ!」
自分にこんな大声量が出せるとは。いや、上司に暴言を吐く度胸があったとは。俺のムチャクチャな大返答に、ふたたびひっくり返る部長。
それがどうした!
その日はまったく仕事にならなかった。
次々やってくる伝票の数字などまったく見ないで、右から左に処理をする。うわの空……たぶん200カ所くらい間違えたと思う。
それがどうした!
勤務が終わるなり、俺は猛ダッシュで自宅へ戻った。
築21年のボロアパート。この6畳2間とも、もうお別れだ。俺は大金持ちになるんだからな。
世期の大発明!
神は今日、俺に舞い降りたのだ。文房具の神が!
「修正液」
書面のまちがいを訂正するための、真っ白なインクである。
修正液の歴史なんか知ったこっちゃないが、今日まで人類は、これを2種類の方法でしか使えていなかった。
①ハケ、あるいはペン軸などで修正箇所に塗りたくる。
②膜にして、修正箇所に貼りつける。
今日、その歴史が変わる―――
俺は唐突に思いついたのだ。
これまでの修正液を、はるかに超越する大発明を。
ハンコだ!
インク侵透式のハンコである。
ご存知ないだろうか。
内部にあらかじめ赤インクを注入することで、ポンと紙に押し付ければ、インクがにじみ出て押印できるタイプのハンコ。朱肉のいらない、非常に便利な代物だ。
これ、インクの代わりに修正液を詰めれないか?
もちろん押すのは名前ではない。真四角の陰影を残すようなスタンプに、修正液がにじみ出るような細工をすればいい。なんか知らんが、今日いきなりこのアイディアが降ってきたのだ。そら、讃美歌も歌うわ!
『ご結婚、心よりお別い申し上げます』
あ、間違った。
そんな時は、ジャジャーン!
修正スタンプ。
間違えたところにポンと押す。
『ご結婚、心よりお□い申し上げます』
はい、あとは書きなおすだけ。
ボールペンで訂正する、これは今までと同じ。
『ご結婚 心よりお祝い申し上げます』
修正完了。
どう!?
どう、このアイディア!?
塗るのでも貼るのでもなく、チョンと押すだけ。
なんと便利なのだ。なんと未来的なのだ。
これ売れないだろうか?
いや、いや、売れないわけがない。こんなにオシャレで革期的なんだぞ!
会社勤めなんかもうやめだ。俺は修正液で、億万長者になるのだ。さっそく具体的な設計に取りかかる。
まずは大きさだ。もちろん、サイズは複数用意する。
□サイズ《縦0.5 横0.5》……壱式
□サイズ《縦1.0 横1.0》……弐式
□サイズ《縦2.0 横1.0》……参式
□サイズ《縦2.0 横2.0》……零式
□サイズ《縦5.0 横0.5》……S
□サイズ《縦5.0 横2.0》……M
□サイズ《縦5.0 横5.0》……L
□サイズ《縦8.0 横0.5》……ドS
□サイズ《縦8.0 横2.0》……ドM
□サイズ《縦8.0 横5.0》……ドL
ま、ま、ま、間違いなく売れる!
よし、実際に作ってみようじゃないか……と、言うのは簡単だが、やってみると想像をはるかに上まわる困難な作業だった。
まず実験として、市販の侵透式ハンコに修正液を詰めてみる。
試しに押してみる。
液なんか出やしねえ。
どうやら一般的な修正インクでは、粘性が強すぎるらしい。
そこで液を薄めてみる。
もちろん水ではダメだ。ホワイトの絵の具を溶かした水を使う。試しに押してみる。押した瞬間、液がぜんぶ流れ出た。じょわー。
「ああああああああああ!! 真っ白じゃ! あにゃにゃにゃ……」
叶ぶ。
言うこと聞け、このハンコめ!
考えてみれば、俺は子供のころから図画工作が大苦手だった。マジでやってられん。どこかの文具メーカーにアイディアだけ売っちまうか……いやいや! アイディア料なんて、たかだか知れている。俺は億万長者になりたいのだ。
俺は研究に研究を重ねた。
とにかく実用できねば話にならない。試考錯誤の日々がつづく。仕事なんかまったく手につかない。
いや、待ってくれ。仕事……? 伝票の修正がか?
ちがう!
俺の仕事は修正液を作ることだ! いまの会社なんか、商品化のメドがついたらさっさと辞めてやる。
そして4か月の苦心の結果、ついにハンコタイプの修正液が完成したのである。
商品名も考えた。
「修正印 過ちの消えるとき」だ。
出来上がった試作品をさっそく試す。
週刊誌の適当なページに、修正ハンコを押しまくった。
ポンポンポンポンポン!
ポンポンポンポンポンポンポン!
【タレント□山優□、電車内で乱□。事務所社長、ショックで乱□】
【ゆるキャラ□鹿くん。イベント中に熱中症で嘔□】
【□□社に激震。会長の□□ハラ裁判、□刑確定。明日執行】
【映画「□□の虹」、観客動員数□人。損益15億円の裏側】
【密着、□□マニア! 母さんゴメン、僕は変態です】
【読者の川柳、そのテーマ 異世界転□ いらんだろ】
【読者の川柳、異世界を 転□もなしに 書くなバカ】
【読□の川柳、どうでもいい エルフはまだか 褐色の】
押せる!
そして、実際に使えるぞ!
はは……はははは!
完壁だ!
思った通りだ。
いままでの修正液とは比較にならない手軽さ。なんて便利なんだ……
これを量産化して販売しよう。
またたく間に大金持ちになれるぞ!
だがひとつ問題がある。
生産だ。
大量に製造するためには資金が必要だ。
金だ!
俺は銀行や商講ローンをハシゴした。頭を下げまくり、用意できた資金は3000万円。
さん・ぜん・まん……生まれて初めて見る大金だ。
ずっしりと重い。
よく1000万円の札束をレンガの厚さに例えるが……レンガ3個より重いんじゃないのか、これ。現ナマは人を狂わせると言うが、気持ちがよくわかる。
ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとくらいなら使ってもいいだろうか? パチンコ、キャバレー、クラブ、フィギュア……いや、いかんいかん!
そんなのは「過ちの消えるとき」が売れれば、いくらでも実現する。俺は町工場にケースを大量発注した。もちろん、いまの部屋では作業スペースがぜんぜん足りない。新たに部屋も借りた。
毎晩毎晩、会社が終われば深夜までせっせとハンコに修正液を詰める日々。
100個完成。
2000個完成。
30000個完成……ちょっと侍て。
なんか急に不安になってきた。
うず高く積み上げられた完成品、ダンボールの山、山、山―――これ、本当に売れるんだろうな?
考えてみれば、いちばん肝心なことをやってなかった。製品テストだ。実際に使ってみて……いや、人に使わせるんだ!
俺は会社に「過ちの消えるとき」を持っていき、仕事で使ってみた。そして使っているところを会社の人間に見せつける。不思議なもので、こうなると伝票の間違いが早く来ないかとワクワクしてしまう。
来た!
ポンポンポンポン。
我ながら信じられない早さで、数字の間違いを修正していく。
消えよ、間違った数字。
消えよ、消えよ。
「へえ、変わった修正液だな」
「珍しいな、どこで買ったんだい?」
「面白そうですね、僕も欲しいな」
「なんていう製品なんですか、それ」
注目を浴びて、俺は得意万面だった。
すごいだろ、俺がつくったのさ……などとは当然言わない。
「友人の外国みやげさ。何本もあるんだ、みんなにもあげるよ。ハイ、君にも。てめえにも。女の子たちには一番おおきいのをあげよう。どういう意味かわかるよね? あ、部長もよかったら使ってください」
俺は部内の全員に「過ちの消えるとき」を配った。
そして必ず、使い心地をたずねた。
「どうこれ? 使いやすい?」
全員から返ってきた答えは、使いにくいだった。
はあ!?
使いにくい???
・ピンポイントで修正箇所に狙いをさだめて押すのに、めっちゃ集中力が必要。
・修正液っぽくない。いままでの製品に、体がもう慣れてしまってる。
・ハンコと同じで、薄いときと濃いときがある。
・こないだハンコと間違えて押して、収入印紙を消してしまった。
「だまって聞いてりゃ、好き放題言いやがって!!」
怒りの絶頂!
俺は我を忘れてオフィスを破壊しまくった。
デスクトップパソコンを、ロッカーを、机を、部長を、手当たり次弟に放り投げる。めちゃめちゃになるオフィス。悲鳴があがる―――けたたましいパトカーのサイレン、事務所になだれこむ警官たち……
そして俺はいま、刑務所に収鑑されている。許されないことをしてしまった。いまはただ、自分の犯した罪の重さをかみしめるばかりだ。
傷害および器物破損で刑事告訴されたものの、すでに3千万の借金を負った身では罰金刑に応じられるはずもなく、俺には労役が課せられた。
「俺は金持ちになりたかっただけなのに……」
現実は金持ちどころではない。犯罪者だ。
刑務作業によって罰金を返す日々。俺に与えられた作業場は、印刷工場。そこでの仕事は、皮肉なことに伝票整理だ。印刷ミスによって生じる枚数の誤差を、伝票に記入していく。
合ってる……次。
合ってる……次。
合ってる……次。
間違ってる……修正。
合ってる……次。
ポン、ポン、ポン。
持ちこみを許可された「過ちの消えるとき」を使い、記載ミスを訂正する。
何百回と押して気づいた。
これ、使いにくい。
まず、ピンポイントで修正箇所に狙いをさだめる必要がある。集中力が必要だ。
第二に修正液っぽくない。いままでの製品に、体がもう慣れてしまってるのだろう。
第三に、ハンコと同じで薄いときと濃いときがある。
そのうえ、ハンコと間違えて押してしまうことがある。似てるからつい何度も間違う。100回くらい間違えて、100回くらい看守に怒られた。
なんだってんだ、この状況は?
なんで俺は逮捕される前と変わらない仕事を、逮捕されてからもしてるんだ?
これではまるで、誤字を修正するために生まれてきたようなものじゃないか!
生まれたとき人間は、誰もが白紙だったはずだ。
誤字なんか書かれてない、折り目なんてついてない、真っ白な紙だったはずだ。
いや、まんまるな玉だ。
真珠のような、大理石のような、穢れひとつない白い珠。人間はみんな、赤ちゃんのときは美しい白い球だったはずだ。
それが日々、傷ついていく。少しずつ、少しづつ。
恋、失恋、座折、成功、失敗、失敗、失敗……真球にいくつもの傷が刻まれていく。無数の傷が。
削れる。
欠ける。
割れる。
彫刻のように。
そうして出来上がった像。ひどく不恰好な像。
なにがなんだかわからない形。角度によって、いろんなものに見える。
犬にも見える、木にも見える、ナッツにも見える、つぶれた空き缶にも見える。
出来あがるのは、なにがなんだかわからない像。
それが俺だ。
それがお前だ。
生まれたときは真っ白で完全な球だったはずの魂。それに傷をつけていく。
それが人生だ。
何億という傷によって出来上がった像。それがお前だ。どんな人間になれたかの結果だ。
おぞましい形の像かもしれない。
かわいらしい形の像かもしれない。
ひとかけらの薄い板切れしか残ってないかもしれない。
小さくなっただけで、球のままかもしれない。
俺は少しでもカッコいい像になりたかった。
ドラゴンの像に。
スポーツカーの像に。
戦闘機の像に。
まさか、修正液になるなんて思わないじゃないか……
その時、俺の体に電撃が走った。
「がががががががが、ピュアッピュアッ、ピュアッ!」
俺は讃美歌を歌った。そして叫んだ。
「なればいいじゃないか、修正液に!」
工場内に響きわたる絶叫。
「666番、動くな!」
二人の看守が飛んできて、俺をはがい絞めにした。
それがどうした!
そうだ、俺はなにを恥じていたんだ。修正液のなにが悪い。過去は消える、いや消すのだ。そのために作ったんじゃないか。
「遇ちの消えるとき」を。
完成させるんだ。
問題点のすべてを改善するんだ。
押すのに狙いをつける必要がある?
先端を透明のプラスチックにすればいい! 押す直前でも、修正箇所が見えるようにする。
修正液っぽくない?
本体を白にする! 側面に「修正液です」と書いといてやる。
押したとき、濃かったり薄かったりする?
常に一定量が出るよう、内部にバネを仕込む! カチッて音が鳴るようにする。鳴ったら離してください。
ハンコと間違える?
長さを20センチにする! 大増量だ、しかも握りやすい。
俺は残りの人生をかけて「遇ちの消えるとき」を完成させるんだ。そのとき、俺の償いも終わる。俺の罪も消えるんだ。
そういうわけでですね、債権者のみなさん。
出所してそうそうに、こんなことは申し上げにくいのですが、その……お借りした3千万円なんですが、えー……返済のメドがまだ立たないんです。
それにですね。
えー、元の会社から損害陪償も請求されてるわけでして、その……
あ、いえ! もちろん、お返しするアテはありますとも!
それが皆さんにご覧いただきました、俺の失敗談……じゃない。「遇ちの消えるとき」の企画書でして。問題点の解決は、すでに案として出来あがっているのです。あとは……その……資金でして。
ま、短刀直入に申しますとですね。もう2千万円ほどご融資いただければと、厚かましいお願いではございますが、ひとつご検討いただけないかなと、はい。
いいえ、ご心配には及びません!
「遇ちの消えるとき」が商品化のあかつきには、お借りした金額の倍、いや3倍お返しを……
あ、な、なんでしょう。ご質問ですか?
どうぞどうぞ……え?
企画書に誤字が?
ど、どこでしょう?
は?
後半から商品名がすべて間違ってる?
漢字がちがう??
企画書の文面も誤字だらけ??
チェック(✓)したところが全部まちがってる?
ご心配なく。
そんなときこそ、俺が発明しました「遇ちの消えるとき」を……