女神と死神
―――どれほどの時間が経ったのだろう。
奥底に沈んでいた意識が徐々に覚醒し、そんな疑問が何もなかったところからふと湧いて出る。ゆっくりと朧気な記憶を辿りながらカケルは重たい瞼を持ち上げた。
ここは...。
段々とボヤけた視界が鮮明になる。そうして視界に広がった天井は先ほどまで横たわっていた屋敷のものではなく、豪勢な照明が取り付けられたまったく別の空間だった。カーテンの袖から見える夜空には月が顔を出している。
状況を把握しようと重い首を動かしながら辺りを見渡す。まるで高級ホテルの一室かのように、家具には細かな装飾が施され、自身も広々としたベッドに横たわっていることを理解する。
飲み会でつぶれた後に見覚えのない場所で目を覚ました経験を思い出すな...。
苦笑いしながら起き上がろうとしてカケルの動きが止まる。
...体が重い。目が覚めたときから感じていたダルさなのだとばかり思っていたが、体を包むような違和感を覚え被せてあった羽毛のかけ布団をめくる。
「......へ?!」
思わず反射的に声をあげる。
カケルに覆い被さるように金髪と銀髪、二人の少女がスヤスヤと服を掴まれたまま眠っていた。
...どちら様でしょう?
目をパチクリさせていると寝床が動いたことで寝ていた少女達が目を擦りながら体を起こした。
「ふぁあ、朝ですか?」
いや夜だけど...。
「ふぁあ、マーリはお寝坊さんですね。もう昼です。」
いや夜だけど!
欠伸をしながら話す二人のやりとりを眺めているとそれに気付いた少女達がこちらを向き直る。
「おはようございます主様!」
「マスター、おはようデス。」
聞きなれない言葉に再度カケルは言葉に詰まる。
主?マスター?....えーと?
「人違い、じゃないかな?」
「ハッそうでしたこの姿ではまだ初めましてでした...!」
「まったく、マーリのドジ。大ドジ。おたんこドジ。」
「リリスも忘れてたでしょー!」などと言い争う二人の口論を眺めていたカケルから緊張が解れたようにふと笑いが零れた。
その様子を見ていたマーリとリリスもお互いの顔を見合い安心したように微笑む。
「初めまして主様、私のことはマーリとお呼びください。」
本名は長いので、とベッドに正座しなおしペコリと頭を下げた。
「マスター、私はリリス。たくさん可愛がってくれて構わない。」
俗に言う女の子座りをしたままリリスが満足そうに言う。
「あー!ずるいです!」とまたマーリとリリスの小競り合いが始まった。
「えっと、マスターとか主様とか、そんな偉い身分の人間になった覚えはないんだけど..」
その問いかけにマーリとリリスが首を横に振る。
「いいえ、カケル様はまさしく、私達の主です。この時代で唯一、宿主としての器を持つお方なのですから。」
「そのせいでマスターを独り占めできないのはつらい。」
二人の返事をもってしてもなお、頭上の疑問符が消えていないことを悟り、マーリが再度口を開こうとしたとき、
「おや、お邪魔だったかな?」
ノックと共に紅髪の女性が部屋に足を踏み入れた。
身軽な服装の彼女が戸惑うカケルに軽く会釈をする。
「夜に伺うのは忍びないとは思ったが声が聞こえたものでな。私は王国近衛部隊の部隊長を任されている、リーシャ=フレイムワースという。君の名前を教えてもらってもいいかな?」
そう言ってリーシャと名乗った女性は一礼したのち優しく微笑んだ。
* * * * * * *
部隊長と言われてもピンと来なかったが、どうやら彼女、リーシャ=フレイムワースが奴隷商の一件を治めたあの深紅の甲冑その人だったようだ。
話によると、自分が気を失ったあと、突入した近衛隊によって一味は全員取り押さえられたそう 。
屋敷の地下には売り飛ばされるために捕らえられていた人々が20人ほどいたらしく、無事保護したらしい。
ベッドからテーブルへと移動し話をきいていたカケルはその時に自分も保護されたことを聞かされ、深く礼をした。
「気にすることはない。当然のことをしたまでだ。」
微笑んだリーシャはそのまま言葉を続ける。
「それに君の働きもあり、手配中だった頭角のガラムも討ち取れた。これで奴隷商の連中も組織だってなにかはできないだろうさ。むしろこちらが礼を言いたいぐらいなんだ。」
その言葉に一瞬胸がチクリとするのを感じカケルは口を歪ませる。
「死んだ、んですか。」
「ああ。心臓を射抜かれほぼ即死に近かったようだ。」
「そうですか...」とカケルが下を向いたまま答える。下手すれば自分が殺されていたのだ、正当防衛だと分かっていたとしても、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
そう感じていると、リーシャが思い出したかのように手を叩いた。
「そうだ、どうしても君に会いたいと言うのでここに連れてきた人がいるんだ。ほら、入ってきてくれ。」
リーシャの言葉に応じ、一礼と共に少女は入室した。黒髪を肩まで伸ばしたその子が、ゆっくりと顔をあげる。転生後に最初に言葉を交わしたフィリアだった。
「この度は大変ご迷惑をおかけしました...。」
黒髪を垂らし再度深々と頭を下げる。
「服従の首輪で逆らえないとはいえ、貴方を奴隷にする手引きを行ったことをどうしても謝りたかったのです... 」
「こうして無事だったんだし、そこまで気にしなくていいよ」
「で、ですが...!」
「それにほら、自分より若い女の子を責めるほど僕も子供じゃないよ。」
そう言いながらフィリアの頭をクシャクシャと撫でまわす。
その行いに嬉しそうにするも、疑問を浮かべた表情で見上げてくる。
「君たちはあまり年は変わらないように見えるが... 」
と同じような顔をしたリーシャに「ハハハ、お世辞はいいですよ」と笑いながら答える。
「まあこの間まで大学生だったし」などと思いながらガラスに映った自分の姿をみて全身が硬直した。
「カケル殿?」
リーシャが固まったカケルに声をかけると同時に小走りで窓ガラスまで歩み寄る。
「......えぇえ?!」
そこに写っていたのは、確かに紛れもなく自分の顔ではある。あるのだが、数年前の顔立ちに戻っていたのだ。これが、噂に聞くラノベ主人公の「見た目は子供、中身はおっさん」というものなのだろうか。ってこちとらまだ新社会人だ!
そんな突っ込みを脳内でしている最中、リーシャとフィリアがその光景を不思議そうに眺めるのであった。
「ま、まあそうゆうことだ。フィリアに限らず、帰る場所のない子達は私の邸宅で働かせようと思う。いつでも遊びに来てくれて構わない。それより先程まで少女達と話していたと思ったのだが... 」
「あれ、そういえば何処へ行っちゃったんだろう。」
リーシャに言われ二人がいつの間にか部屋にいないことに気付く。普通なら気付きそうなものだが、忽然と消えたかのように彼女らの姿はすでになかった。
「君の知り合いなら、明日の朝食に連れてくると良い。」
「ありかとうございます、そうします。」
「それでは...」とリーシャが部屋をあとにする。
「カケルさん、その、ありがとうございました。」
フィリアもリーシャに続いて退室し、もとの静けさが部屋に戻ってくる。
「......行きましたか?」
「うわ!お前達どこから...」
「企業秘密」
ひょっこりとマーリとリリスの二人はカケルが座っていたソファの後ろから現れた。そのままパタパタと前まで周り込み両脇に腰を落とす。
「主様、誉められてましたね!さすがです!」
「デスデス。」
「アハハ...なにもしてないんだけどね。じゃあそろそろ寝ようか」
「「はーい!」」と二人がキングサイズのベッドに入る。少し距離をおいて寝そべった二人はまだ来ない主を不思議に思い起き上がると、ソファでちょうど横になろうとしているカケルを視界にとらえた。
「なにしてるんですかーー!」
「え、なにって...さすがに一緒に寝るのはいろいろまずいというか」
「いいから早く来る。」
リリスとマーリに引っ張られる形でベッドに連れていかれ、さきほど目が覚めたときと同じ体勢で二人の少女がスヤスヤと眠りにつく。
...まあ、まだ女の子だしな。うん、大丈夫。
カケルも睡魔に身を委ね瞳を閉じた。
―――――――
――――
人界の遥か上空に浮かぶ異空間は天界と呼ばれ、天使をはじめとする天族や光の精霊が住んでいる。その中心から広がる聖領域に守られ繁栄してきた天空城でその異変は起きていた。
「...困ったことになったわね...」
神秘的や幻想的といった言葉がそのまま体現されたような白を基調とした大聖堂の中心で純白の翼を生やした女性が呟く。壇上に聳え立つ大きな水晶は雷を纏ったかのように電流が音をたてながら輝き、それを押さえ込むように100人を越える天使が聖霊術を放っていた。
「様子はどうだ。ウリエル。」
「ミカエル...。正直、あまり宜しくないわね。」
ウリエルと呼ばれた女性同様に金髪に白の両翼を生やした男が祭壇の前に姿を表した。
「やはり私達が再召喚されるのとは訳が違うみたい。」
「そうか...。天魔大戦から1000年、神の導きにより聖王様の魂が再度ご降臨される時だと言うのに。」
「聖力が異常なまでに凄まじいの。召喚するどころか、このままでは依代を求め解き放たれてしまいそう。」
水晶を押さえ込んでいる天使達を心配そうに見つめながらウリエルが答える。
「生まれ変わりでも聖王様の魂というだけでこれほどとは... 」
「ウ、ウリエル様!!これ以上は持ちません!!」
ミカエルが苦しそうに呟いたと同時に、水晶を纏う聖力が増幅し、抑え込んでいた天使の一人が叫ぶ。
「私も加わります!皆さんも持ちこたえてください!ミカエルも力を貸して!」
「もちろんだ、全力でいくぞ!」
天使達の何十倍もの聖力が込められた波動がウリエルとミカエルから轟音と共に放たれる。
「こ、これが四大天使様のお力...これならいけるぞ!」
天使の一人がそう叫びながら仲間を鼓舞する。水晶から漏れ出ていた聖力を押さえ込むことに成功したかのように見えた次の瞬間、まるで対抗するかのように大量のエネルギーが雪崩れのように放出された。
「なっ?!」
「ミカエル!これ以上は押さえ、きれない!!聖王様の魂は私達四大天使のいづれかを器に選ぶはず!その時は、頼んだわよ!」
「くっ...それは、御互い様だ!」
封じ込めが限界に達し、水晶から黄金の光が球体となって解き放たれる。そのまま神々しい光を発しながら球体は高スピードで大聖堂から飛び出していった。
「...俺たちではなかったな。」
「となると、ラファエルとガブリエルが危険です!すぐに」
「ミカエル様!ウリエル様!」
慌ただしく大聖堂の扉を鎧を身に付けた天使が声をあげる。
外郭にいる軍兵がなぜここに...と考えるも束の間、その天使は息を乱しながらもかしずき言葉を続けた。
「恐れながらご報告致します!膨大な聖力を纏った光が人界に降ちたことを目視で確認致しました!」
「なんだと?!」
ミカエルが思わず声をあげた。
下界に降りたということは、あの聖力の器となる依代が天界にいなかったということ...。だが人界には天使を越える器などいるわけがない。となると...
「魔界まで落ちたというのか...」
「ミカエル!ウリエル!」
ミカエル達と同じように巨大な両翼をもった天使が二人、静かに着地する。
「ガブリエルにラファエル、無事だったようだな。」
「ええ。あなた達も無事でなによりです。」
「ミカエル、それより聞いたか。聖王様の聖力が下界に落ちた。」
ラファエルと呼ばれた女性は少し乱れた真っ直ぐな長髪を耳でかきあげ、後ろで結んだ髪を揺らしながら筋肉質な男、ガブリエルが続く。その二人の言葉にミカエルが小さなため息をついたのち口を開く。
「らしいな。そうなると魔界まで落ちた可能性が高い。」
「っちゃー、これはいよいよまずくなってきたな。」
「魔界でも魔王の魂が降臨されている頃だ。均衡が崩れたことが明らかになれば...戦争が始まるぞ。」
大聖堂の入り口に佇む四人の大天使の顔が一段と険しい表情へと変わったのだった。
――――
――――――――
朝日がカーテンの隙間から零れカケルの顔に照らす。
少し眩しそうに首を振るも日光からは逃れられず、ゆっくりと瞼を開く。
今のは夢…なのか。介入することが許されず、客観的に映像を眺めているような、そんな感覚だったことを思い返す。まるで過去の記憶を遡っているような...。
起き上がろうとしてまたしても体が重いことに気づく。
左隣でスヤスヤと眠っているリリスがいるとなると、布団の下はマーリか。
カケルに覆い被さっているマーリを取り出すべく手を伸ばす。と、触り慣れない柔らかい感触がカケルの手にふんわりと、ぴったりと、みっちりと収まった。
...ん?マーリに限ってこんな柔らかい部位は...。え、いや、まさかそんなわけ...!
勢いよく布団をめくる。その動作に既視感を覚えつつも上に被さっていた者、それは豊満な乳房を我が手で揉まれた金髪美女の姿だった。
「んっ……。」
「…………ッ!!!」
ドチラサマデスカァァア!!
カケルの心の叫びはまたしても脳内を木霊していった。
やばい、起きる前になんとかしないとやばい。
ゲームやアニメ好きなら言わずともこの後の展開は知れている。誰かにこの場を見られ、軽蔑され体罰を受けた後、誤解を長時間と渡り解かないといけないお約束が待っているのだ。
なんとしても、その事態は阻止しなければならない。なんとしてもだ。
右手が依然として鷲掴んでいながらも冷静さを保つために深呼吸する。
よし、ドアは閉まっている。まだ焦る時間ではない。冷静に、まずはこの人の胸から手を離さなければ.....。
「んん...ふああ、おはようございます。」
眠そうに覆い被さっていた金髪美女が起き上がる。
オワッタ.....。
そう悟った瞬間、右手いっぱいに掴んでいた感覚が急速になくなっていくのを感じた。言葉が出るより先に、目の前で起き上がった美女が退行の文字通り見知った少女へと姿を変えたのだ。
「……マーリ、さん?」
「あ。主様おはようございます。それと、私のことはマーリと呼んでくださいと昨日言いましたのにー。」
拗ねたように口を尖らす姿は、どう見てもマーリだが...。
「マスター、リリスも起きた。」
目を擦りながら銀髪の少女に袖を引っ張られ、思考を一時中断せざるを得なかった。
聴きたいことは、まだまだ山ほどあるのだが、その思いもドアから聞こえてきたノックで見送ることとなる。
「おはようございますカケル様。朝食の用意ができております。服は誠に恐れながらこちらで仕立てたものを棚の上に置いてあります。」
「あ、ありがとうございます!ってフィリア!?」
メイド服をきた女性、フィリアが端的に伝えたのち一礼した。
「はい、私は本日からフレイムワース家のメイド兼魔術師ですので。」
初めて見るメイドに目を奪われていると、「ですから、」とフィリアが言葉を続ける。
「たまにはその、遊びに来てくださいね」
少し横を向きながらそういうと足早に退室していった。
その後ろ姿に「もちろん!」と返した際に少女の口元が緩んだことは誰も知らない。
「じゃあ起きようか二人とも。」
「「はーい」」
* * * * * * *
「おや、早かったね」
メイドに案内されて縦長の広間に入ると、長方形のテーブルの先にリーシャが座っていた。
部屋はシンプルながらも細部まで高級感があり、片側の壁には大きな窓がつけられ開放的な空間となっていた。
「二人の女の子はいいのかい?」
「ちょっと人見知りみたいで、部屋で待ってるらしいです。」
「そうか。では後で彼女たちの料理は部屋まで運んでおこう。」
リーシャが後ろにいたメイドに目配せすると、了承したとばかりにメイドが一礼したのち退出した。
そうして朝食が始まった。礼儀も作法も分からなかったが、リーシャは気にならない様子で会話がはずんでいた。窓から覗く庭園の緑を堪能しながら、運ばれてくる料理を楽しむ、おそらくこれは貴族だからこそできることなのだろう。
そんなことを考えているとリーシャが再び口をひらいた。
「改めて、昨日の一件での礼を言わせてもらいたい。奴隷商会だけでも取り押さえられたのはとても大きい。そこで、君が討ち取った奴隷商頭のガラムにかけられていた賞金を上乗せさせてもらった。」
「本当にそんな大したことしてないのに申し訳ないです」というものの、首を横に振ってリーシャが続ける。
「すでに君の名前で完遂したと報告済みだ。是非この後にでもギルドに顔を出してほしい。」
「ギルド、っていうと依頼の報酬としていただくんですか?」
「ああ、だがただの依頼じゃない。国からの正式依頼なんだ。これは公式ギルドでしか受注できないゆえ、私も同行しよう。」
どこか嬉しそうにそういうと美味しそうに再び朝食を食べ始めた。
―――――――
――――
公式ギルド〈レイブンフォール〉。
一般的なギルドとの一番の違いは、やはり国に認められた組織団体だということのようだ。そして驚くべきは、公認元はここアルデシア王国だけでなく、七大国すべてであることだろう。
各国の王都に一つずつ、計七つの本拠地を構えており、言ってしまえば領土をもたない八つ目の国のような存在なのだ。
さらにこのギルド、入団試験はあるもののその門は狭く、実力と信頼を兼ね備えた超エリート集団によって組織されているらしい。誰しもが憧れ、羨望の眼差しを向けるような人材があふれているのだ。
そして中でも有名なのがやはりその組織のトップ、ギルドマスターと呼ばれる存在のようだ。
そう、そんな人がなぜ、
「なぜ目の前にいるんだ...」
「さて、君がB級を倒したという少年かい?」
穏やか落ち着いた雰囲気をまとった灰色髪の男が指を組みながらそう問いかける。30代前後に見える威厳のあるその姿は、カリスマという言葉がぴったりと当てはまりそうだった。
朝食を終え、リーシャとギルドまで赴いたところまではよかったのだが、その後受付の女性に部屋の奥まで一人案内され、この状況に至る。
豪邸の書斎にも似た部屋は本棚で囲まれ、ドアとは真反対に設置された机の両サイドには書類が山積みになっていた。
「私はギルドマスターをしているユリウス=セインクリッドだ。」
「はじめまして、カケルと言います...えと、姓は持っていません。」
自己紹介をし合う。ここで名字を名乗らなかったのは朝食時にもらったリーシャの助言によるものだ。どうやら「ミツキ」とはあまり良い言葉として認識されていないらしい。
亡くなった人の魂が現世に留まってしまうことを「魅憑き」というのだとか...。
まあ漢字は違うのだけれど、素直にリーシャの言葉を受け入れた結果なのだ。
「ふむ、姓がないのかい?」
「幼い頃に孤児院の前で捨てられていたらしく、両親の顔も分からないまま育てられました。」
ここまでが事前に用意したテンプレである。嘘をつくのは忍びないが、「異世界から来ました!」といっても信じてはもらえないだろうし今後はこの設定で統一しておこう。と思った矢先、
「な、なんて可哀想な子なんだ.....!」
「......え?」
うるうると涙を滲ませながら手をとるユリウス。返答までに数秒かかってしまったのは無理もないことだと許容したい、がユリウスは言葉を続ける。
「ああ、そんなつらい人生をおくって、さぞ一人で寂しかっただろうね...!」
「あ、いや、それほどでも」
それか数秒程度「なんて世界は残酷なんだ!」と叫ぶ姿にカケルは茫然とする。
「...けどだからこそ、気になるものだ」
表情を落ち着かせてユリウスがポツリと言葉を繋ぐ。
「君みたいな少年がどうやってB級を討ったのか...」
その言葉の直後、二人のいた書斎の景色がぐにゃりと歪む。言葉を発する間もなく、次の瞬間には拓けた屋外へと情景が移り変わっていた。
何が起こったんだ?と、一瞬の出来事に辺りをキョロキョロと見渡す。先ほどの書類まみれの部屋とは打って代わり、拓けた空間が視界に広がっていた。
地面は固く鋪装され、500m四方ほどの平地は壁に囲まれており、ドーム状に段々に席が置かれている。
これは..
「ここは闘技場兼演習場だ。年に一度開かれる武闘会の会場なんだが、それ以外では我々の実践演習場所として利用しているんだ。」
「いきなり場所が変わったと思うのですが...!」
一番聞きたかった解答がもらえずカケルが期待に満ちた表情で問いかける。
「ああ、見るのは初めてかい?これは転移という移動魔法だよ。」
聞きなれた言葉が耳に響く。これが噂にきく超便利魔法...!
そう。転移とは一般的に、現在地から別の場所に瞬時に移動できる魔法を指す。大抵は事前に用意した魔法陣から魔法陣にしか飛べない制約がかかっていることが多いが、なるほど実体験するとこれはかなり便利だ。
「おーいカケルくん?」
キラキラと目を輝かせながら考察しているとキョトンとした顔でユリウスが首をかしげる。
「あ、すみません。それでどうしてここに?」
「いやちょっとね、君の実力を確かめたくなったんだ。 少し相手してもらってもいいかい?」
そういうとユリウスを中心に風が巻き起こる。
「なに、殺しはしないさ。」
〈聖スキル:マナ感知を獲得しました。〉
〈闇スキル:殺気感知を獲得しました。〉
一日ぶりの脳内アナウンスが響いた直後、カケルは咄嗟に距離をとった。魔力が増幅しているのが分かる。それにこの背筋が凍るような感覚...これが殺気なのだとしたら...
「良い判断だ。だが。」
「まっ...!」
ユリウスは一瞬で距離をつめ、光の粒子から瞬時に形成された剣を片手に斬りかかる。
刃が首元を一閃する寸前、金属同士がぶつかるような不協和音が演習場に響き、ユリウスが数歩のけぞる。
「これは驚いた...」
攻撃が弾かれたことにユリウスが目を見開く。
「それなら...」と、カケルが何かをいうより先に後ろに距離をとりながら数十発の魔法弾を一斉に放つ。攻撃に備え反射的に防御姿勢をとるも、またしてもそれらはカケルの目前で歪曲し、大きく弧を描きながら放ったユリウスに牙を向く。その現象を観察しながら、洗練された動きで跳ね返ってきた光の球体を素早く両断し続け魔法弾を霧散させた。
「ゆ、ユリウスさん!落ち着いてください!」
「なるほど、これならガラムが返り討ちになるのも頷けるね。だが...」
カケルの後方の地面が抉れているのを目を細めて観察する。世界最大のギルドの長は、魔法弾の1つが跳ね返らずにカケルの横を霞めていったことを見逃してはいなかった。
「完全に防げるわけではないみたいだね」
そう言い終わったユリウスの魔力が、まるで封を切ったように爆発的に上昇する。同時に辺りを突風が巻き起こり、思わず顔を片腕で覆う。
「ハァアア!!!」
特大の光線が轟音とともにカケルに向けて放たれた。
まって、これはほんとに死...。
直後、爆発音と同時に闘技場を爆風が吹き荒れる。光線が放たれた先で土煙があがっている様子を見ていたユリウスが「そんなバカな...」と驚きを口にする。
数秒が経過し、土煙が徐々に晴れて視界が鮮明になる。そこには大人びた人影が二人、カケルの前に立ち、片腕を前につきだした状態で魔法による防御壁を展開していた。
「ご無事ですか!主様!」
「マスターをいじめる奴、好きじゃない。」
成人したての顔立ちをした彼女達の手の平からは、片側では透明なガラスのような、片側では吸い込まれそうな暗闇のような障壁が生成されている。
一人は純白の両翼に背中まで金髪を伸ばし、もう一人は漆黒の両翼に透き通るような銀髪を片側で結んだその姿はまるで...
「マーリとリリス、なのか?」
後ろから見たその姿は、白翼の天使と黒翼の悪魔そのものだった。
神々しい雰囲気を漂わせた二人にカケルが戸惑いながらも問いかける。二人が口を開いた瞬間、数m前方にいたユリウスが瞬時にカケルの背後に現れた。
「なっ...!」
転移...!!気付いたときにはすでに何をするにも手遅れだった。
降りおろされる右腕を避けることは叶わず、反射的にカケルが目をつぶる。
............ん?
頭をくしゃくしゃと撫でられる感覚にそっと片目を開ける。
「ごうかーーく!!!」
ニコッとカケルの頭に手を乗せていたユリウスが笑う。
「はい...?」
「合格だよカケルくん。君は確かに凄腕のよう」
「ギィ、ルゥ、ドォ、マスタァァア?」
ハッハッハと笑っていたユリウスが後ろから聞こえてきた呼び声をきいて「ひっ」と短く身を震わす。
「書斎にいないと思ったら...仕事を放り投げてこーんなところでなにしてるんですか?」
深蒼の長髪を腰まで伸ばした女性が細長い太刀を片手にユラユラと近づいてきていた。
「カ、カケルくん、紹介しよう。彼女はこのギルドのサブマスターで名前はシノンだ。ほら挨拶をしないとダ」
「ダメダメなのは貴方でしょうがー!」
そのままシノンと紹介された女性がユリウスの右顎にストレートを叩き込んだ。
「あっ、刀は使わないんだ」と思いながら宙を舞うユリウスをスローモーションで見送った。
そうこうして、爆発音をききつけたリーシャやギルドの団員達によって演習場は少しばかりの騒ぎになったのだった。