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ベッドの下

作者: 小金沢

 ――生徒は必ず一つ以上の部活動(生徒会に承認された同好会・サークル・クラブ等含む)に所属しなければならない。


 *


 私立三上塚高等学校は県下でも類を見ないマンモス高校である。

 その正確な生徒数は理事長はもちろん教員の誰も把握していないと言われ、他校の生徒には、卒業式は簡略化されてもなお丸一日かかると噂されている。

 日本でも屈指の生徒数を誇るため、放っておいても最高学府の赤門をくぐってしまう生徒や、スポーツで全国大会を制してしまう生徒も数知れない。が、光あるところ影あり。他校の生徒に「自分の名前が書ければ合格」とささやかれる広き門は、成績・素行を問わず生徒を受け入れ、他校の生徒に「自主退学しなければ卒業」と語られる自由な校風で、多数の生徒を社会に送り出していた。

 そんなさながら一つの生き物のような巨大な校舎に、今年も新入生が足を踏み入れた……。


 *


 「生徒は必ず一つ以上の部活動(生徒会に承認された同好会・サークル・クラブ等含む)に所属しなければならない――だとさ」

 生徒手帳を見ながら弘長隆史ひろながたかしはつぶやいた。

 「ふーん。掛けもちはできるのか」赤城英雄あかぎひでおは天然の赤毛のうしろで手を組み、気のなさそうに聞いた。

 「どんな部活にいくつでも所属していいみたいだね。英雄はまた運動部を掛けもちするんだろ」

 「とりあえず陸上部と、あとサッカーに野球、バスケもやりてえな」

 「高校じゃそろそろバスケは厳しいだろ。英雄の身長じゃ」清家仁せいけひとしがからかった。

 「うるせーよ。バスケは身長でやるもんじゃないんだよ。体のバネと反射神経の勝負なんだよ」

 「でも背が高いにこしたことはないだろ」極度の運動音痴の清家は、ここぞとばかりに口撃する。日ごろ英雄にからかわれている復讐だ。

 「しつけーな。そういう仁は何部に入るんだよ」

 「どうせ生徒会だろ」手帳を読みふけりながら隆史は援護射撃を放った。「塔子ちゃんのために」

 「あ、ああ。そうだよ。悪いか」清家の顔がとたんに赤くなる。中学のころから付き合っている清家の彼女は一年後輩で、二人はともに生徒会に所属していた。

 「来年入学してくる彼女のために、あらかじめ生徒会に入っておくなんて泣かせる話じゃないか」

 「わ、悪いのかよ。いいじゃないか別に。学校のためになるんだぞ。いいじゃないか」あわてると清家の語彙は極端にすくなくなる。ええじゃないかええじゃないかと連呼する彼を横目に、隆史は四階の窓から校庭を見下ろした。


 入学式から一夜明けた今日から一週間かけ、新入生たちは所属する部活動を決めなければならない。迎える先輩たちも今日は部活を休み、勧誘のための準備を校庭で着々と進めている。とはいえ事情通の友人によると、野球や吹奏楽のような黙っていても新入生が入ってくるような大手はあまり勧誘に熱心ではなく、部活動として成立する最低人数である5人の部員しかいないマイナー部や、4人以下の同好会・サークル・クラブら有象無象が、一人でも多くの同志を獲得しようとはりきっているのが現実らしい。

 特に真剣なのは部活動である。なにしろこの一週間で新入りを確保できず、部員数が5人を割ってしまうと、校則により同好会らに格下げされ、部費が下りなくなってしまうのだ。生きるか死ぬかの瀬戸際に追いやられた彼らは、あの手この手で新入生を勧誘するらしい。生徒獲得のため暴力や脅迫の手段にうったえ停学・休学となる生徒が最も多く出るのはこの一週間だとまで言われている。


 僕はどこに入ろうかな……。

 校庭をうごめく無数の諸先輩がたをぼんやりと眺めながら、隆史は思い悩んでいた。


 *


 「新聞部だけはやめたほうがいいよ」

 満面の笑みを保ったまま、チラシを渡してきた先輩はそう言った。

 隆史がなにか聞き返そうとする前に、彼は次の獲物を求めて走っていってしまった。

 『ウルトラ怪獣同好会』と書かれたチラシを丸めながら、隆史は首をかしげる。見るからに運動向けではない体型を誇る隆史に声をかけるのは、もっぱら文科系の部活が多かったが、彼らは去り際にそろって同じ言葉を口にしていた。

 新聞部だけはやめておけと。

 もとより隆史は新聞部に興味はない。中学の頃は文芸部と将棋部を掛けもちし、登下校と体育以外で校内にそそぐ陽光を浴びない日々を送ってきた。額に汗してスクープを求め走り回るイメージの新聞部になど、関わりたいとも思わなかった。

 だがそう何度もやめておけと念を押されると、逆に興味がわいてしまう。足を止めて考えにふけっていると、女生徒が鼻先にチラシを差し出してきた。

 「裁縫とかに興味ありませんか!」

 「いえ、あんまり」

 「裁縫は楽しいですよ!男の子だからって遠慮しないでくださいね!」

 黒縁メガネの彼女は弾むような口調で言いつのったが、隆史はチラシだけ受け取って足早に去っていく。その背中に、

 「残念だね!でも新聞部だけには入っちゃだめだよ!」

 隆史は糸で引かれたヨーヨーのようにきびすを返し、裁縫部の彼女に突進した。

 「考え直してくれたんだね!入部希望の子はここにサインを――」

 「違います違います違います。ちょっとお聞きしたいんですが、どうして新聞部に入っちゃだめなんですか」

 裁縫部の彼女は、急におびえたような顔をした。さっきまでの元気はどこへやら、顔をうつむけ小声でつぶやく。

 「わ、私はなにも……」

 「どうしてなんですか。新聞部になにかあるんですか」

 「ホウジョウ……」

 「えっ」

 裁縫部の彼女は、裁縫部にさせておくのがもったいないような華麗なフォームで走り去った。そのあとを陸上部の勧誘が追っていく。隆史はあっけにとられて口を半開きにした。

 「ホウジョウ……?」豊穣?方丈?褒状?歴史好きの頭に様々な単語が浮かんだが、それがどう新聞部と結びつくのか解らない。

 「こんにちは!UFO研究サークルにようこそ!」

 「三上塚乗馬クラブに入会しませんか?」

 「西洋拷問研究会です。ふふ……あなた拷問とか好きでしょ」

 呆然としている隆史を勧誘たちが一斉に取り囲んでいた。包囲網を突破したころには、隆史の制服のポケットすべてにチラシが突っ込まれていた。


 *


 その夜、A子さんはひさびさに会った友人を自宅に招きました。

 積もる話で時間も忘れ、気がつくともう真夜中。友人は泊まっていくことになりました。

 A子さんはいつものようにベッドで、友人は床に布団を敷いて眠りました。

 しゃべり疲れて、すぐに眠気がやってきます。

 ――と。

 「起きて。のど渇いちゃった。ジュース買いに行こう」

 友人がA子さんをゆさぶり起こします。

 ジュースなら冷蔵庫にあると言ったのに、友人はコンビニまで買いに行こうと、強引にA子さんをつれだしてしまいました。

 ところが家を出ると、友人はコンビニとは逆方向に歩いていきます。

 いったいどうしたのとA子さんが尋ねると、友人は青ざめた顔でこう言いました。


 「交番に行くのよ。あなたのベッドの下に、斧を持った男が潜んでいたの」


 *


 ――で、その斧男の話がどうしたんだと清家仁は冷たく言った。

 「他愛もない都市伝説だろ。どこかで聞いたことがある」

 「出るんだよ」

 「は?」

 「だから出るんだよ」赤城英雄は妙に気迫のこもった顔でくりかえした。

 「この三上塚高校に。斧男が」

 「なんだそりゃ」清家はのけぞって苦笑する。

 「学校の七不思議ってやつか。ベッドの下の斧男なんてどこに出るんだよ」

 「保健室だ。俺の友達が先輩に聞いたんだ」英雄はこの手の話に目がない。どこからか怪談話を仕入れてきては、清家や隆史に教えるのが常だった。

 「友達の友達ねえ」

 「違う。友達の先輩だ」

 「同じだよ。都市伝説なんて信用できるもんか」

 「でもよ、被害にあったヤツの名前まで広まってるんだぜ。3年生の相沢ってヤツらしいんだけど――」

 その相沢君は体が弱いらしく、よく授業を抜け出しては保健室で休んでいたという。それがある日、腹をおさえて倒れている姿で見つかった。さいわい軽傷で済んだが、彼の腹部は切り裂かれており、寝ていたベッドは血まみれになっていたそうだ。

 「ちょっと調べてきたんだが、たしかに3年D組の相沢ってヤツが、2ヶ月前からずっと休学しているらしい」

 「お前のその行動力には恐れ入るが……ただのうわさだろ」

 「うわさじゃない。都市伝説だ」

 「同じじゃないか」

 ぜんぜん違うと激昂した英雄は清家と論戦を始めた。口をはさまないでいた隆史は、黙って席を立つと教室を抜けだした。入学3日目にして早くも本領を発揮しつつある英雄の話は面白かったが、隆史にはやるべきことがあった。もちろん部活決めである。英雄は5つの運動部に、清家は生徒会と天文部に早々と入部していたが、隆史は依然として無職もとい無部である。小・中学校と夏休みの宿題を7月中に終える性格だった彼は、早めに部活を決めないと落ち着かないのだ。

 今日の放課後も、校庭や校内のそこかしこで勧誘の生徒が群れをなしている。星の数ほどある怪しげな部活を眺めているだけでも楽しかった。

 と。隆史は気がつくと新校舎一階の片隅で足を止めていた。英雄の話が頭に残っていたのだろうか、そこは保健室の目の前だった。

 不思議とその一角には生徒の姿はなく、廊下の奥から勧誘の声が盛り場の喧噪のように響いてくる。ノックをしようと上げた手を止め、隆史は静かにドアを開いた。


 ベッドの下に男がいた。


 隆史は硬直し、皿のようにした目で男を凝視する。男はどうやって狭いスペースに押し込んでいたんだろうと悩むほど長い手足をうごめかせ、ベッドの下からはい出てきた。学校指定の制服を着ている。斧は持っていなかった。

 男は隆史に目を向け、不審そうに瞬きをした。隆史がドアを開けた時から気づいていたが、いまようやく意識を向けたようだった。

 「やあ」男は気さくに手を上げてあいさつした。隆史はとりあえず会釈した。ちらりと男の上履きを確認すると2年生を示す赤いラインが入っていた。

 身長こそ180を超える体格だが、筋肉質ではない。顔もとりたてて美男子というわけでなく、癖っ毛も特徴的というほどでもない。容貌は印象に残らないが、しかし雰囲気があるというのだろうか。妙な存在感を全身から醸し出していて、一目見ただけで忘れられない相手だった。

 「弘長君かい」男は隆史の胸につけられた名札を見る。男は名札をしていなかった。「いいところに来たね。ちょっと手伝ってくれないか」

 「あ、あの」

 呼びかけようとしたが彼の名前をまだ聞いていない。だが学生には年上の他人を呼ぶための便利な呼称がある。

 「あの、先輩」

 「なんだい弘長君、先輩だなんて仰々しい。遠慮なく名字で呼びたまえ。君と僕の仲じゃないか」

 「…………」その名字が解らないから困っているのだ。

 「だが君が後輩の分をわきまえ先輩を敬う気持ちが強い人間ならば、僕のことを好きに呼ぶといいよ。名前なんてただの記号だからね」

 「はあ」

 男は保健医の座るイスに腰をおろした。隆史は手近のベッドに腰掛ける。

 「それで先輩、僕はなにを手伝うんですか」手伝う義理もなにもなかったが、隆史は好奇心に任せて首を突っ込むことにした。この男の素性が妙に気になる。

 「ベッドの下の斧男の話は知っているだろう。その謎を解く手伝いだ」

 男は物好きにも自ら実地調査をしていた。その話だろうと隆史も見当をつけていた。

 「なにも難しいことはない。僕と話してくれればいいんだ。人間は会話で物事をまとめるものだからね。かの聖徳太子も十七条憲法の第十七でこう言っている。お前らちゃんと相談して物事決めろよ、と」

 「そこはちゃんと漢文で言ったほうが決まったんじゃないでしょうか」

 「決まるも決まらないもないよ。意味が伝わらなきゃ名言なんて無駄さ。そんなことより弘長君、さっきドアを開けてベッドの下の僕を見たときどう思ったかい」

 「変な人がいる」

 「そういう意味じゃない。すぐに気がついただろう、ベッドの下に誰かがいると。一目瞭然さ。あんなところに人が隠れるなんて不可能なんだ」

 男は立ち上がった。そうして隆史を見下ろすとやはり上背がある。

 「つまり、こういうことだ。ベッドの下に斧男なんていなかったのさ」

 「そういう……ことでしょうか」

 「そういうことなんだよ」男はイスに座り直す。立ち上がった意味はあるのだろうか。

 「ベッドの下に誰もいなかった。だが相沢君はたしかに腹を切り裂かれた。なぜ、誰が、どうやって彼の腹を裂いたのだろう」

 「うわさが根も葉もない嘘だったということはありませんか」

 「それはない。なぜなら僕は見ている。事件が起こった当日にその場にいたんだ。無論、相沢君のことも知っている」

 男の話によると、当時は大騒ぎだったらしい。事件は昼前に起こり、一階の化学実験室で授業を受けていた男らはすぐに保健室に駆けつけ、相沢君の姿も、血塗られたベッドも目撃したという。

 「間違いなく彼の腹は裂けていた。それほど深い傷ではなかったようだが、血がどくどく出ていてね。貧血を起こす女生徒もいたよ」

 相沢君は病弱というわけではないがうわさ通り、ちょくちょく授業を休んでは保健室で横になっていたという。保健医の証言によると、当時、保健室にいたのは相沢君と保健医だけで、事務仕事をしていた保健医が、うめき声に気づき様子を見に行くと、相沢君の腹がざっくり裂けていたという。室内には他に誰の姿もなく、腹を裂いた凶器はどこからも見つからなかった。

 「それは……」隆史はうなる。単なる都市伝説だと信じ込み、そこまで具体的な話だとは思っていなかった。いやそれよりも。

 「いわゆる密室、というやつですよね」

 「そうなるみたいだね」男はうなずいた。

 保健室の中には相沢君と保健医だけ。しかし相沢君は何者かによって腹を裂かれた。当然のことながら、もし保健医が犯人ならばこんなうわさにはなっていないだろう。事件は単純ではない。

 「だが現場は密室だったということこそが、斧男の存在を否定している。現場に第三者はいなかったんだ。もし第三者が犯人ならとっくに逮捕されている」

 「それは保健医が犯人の場合でも同じですね」

 「そのとおり。もともと斧男の存在がうわさされ出したのは、事件から1月も経ってからさ」

 誰かが有名な都市伝説と結びつけたのだろう。相沢君は事件後、一度も登校せず、真実を知る者は誰もいない。そしてまた新入生といううわさを広める絶好の相手を迎えた、口さがない生徒たちが斧男のうわさを再燃させているのだ。

 「だけどね弘長君、うわさなんて他愛もないものさ。そしてうわさ好きな人間というのは、えてして自分の目で確認しようとしない。自分の目で見れば、こんな事件なんの謎もないのにね」

 「…………え」

 隆史は目をむいた。男の長広舌にうんざりしかけたところに、突然の解決宣言だ。

 「ひょっとして先輩は事件の謎を解いたんですか」

 「当然さ。僕を誰だと思ってるんだい」

 まだ名前すら知らない。むやみに自信満々の男はイスから勢いよく立ちあがると、窓際に歩いていき隆史に背を向けた。

 「弘長君も見れば一目で解るさ。相沢君が誰に、なぜ、どうやって、腹を裂かれたのかね」

 「な、なにを見れば解るんですか」

 「それは――」男がなにか言いかけたとき、保健室のドアが開いた。白衣の若い女性。初めて見るが彼女が保健医なのだろう。

 「あら」彼女は眼鏡のつるに手をやり、男と隆史を交互に見やる。

 「珍しいわね。あなたが新聞部じゃない子と一緒にいるなんて。――君は新入生ね」澄んだ瞳に見つめられ、隆史は柄にもなくどぎまぎした。とても綺麗な人だった。

 「ご愁傷さま。つかまっちゃったのね」

 「は?」

 「ひどいなあ飯村いいむら先生」意味も解らず目を白黒させる隆史の肩を、男は叩いた。

 「でも彼は有望株ですよ。期待のホープになりそうだ」

 「へえ、それは楽しみね。あ、また名札忘れてる」飯村保健医は細い指を男の胸に突きつけた。

 「飯村先生はあいかわらず細かいなあ」

 「校則くらい守りなさいな」

 男はズボンのポケットから名札を取り出した。赤いラインの上には、

 北条丈文ほうじょうたけふみ

 と書かれていた。

 「ホウジョウ…………」

 「さあ弘長君。これでもう解っただろう」男――北条丈文は言葉を失った隆史の肩に手をまわした。

 「どうもお邪魔しました」

 隆史を引きずるようにして、北条は保健室を出ていってしまう。

 「そうだ、飯村先生」北条は首を伸ばし、保健室をのぞきこむようにして言った。

 「疑問なんですけど、僕に名札なんて、必要なんですかね」


 *


 「あ、あの北条先輩?なにが解ったんですか?新聞部って?」

 「先生の薬指は見たかい」

 「薬指?」

 「ほらほら、いつまで僕につかまってるんだい。自分で歩きたまえ。聞き返してばかりでオウムじゃあるまいし」

 北条は恐ろしい握力でつかんでいた隆史の肩をはなした。つかまえられていて逃げられなかったのだ。

 ずきずき痛む肩をさすりながら、隆史は北条を見上げる。いつの間にか二階の渡り廊下まで来ていた。

 北条は答えず旧校舎に向かって歩きだした。やむなく隆史もついていく。

 「指輪をはめていただろう」前を向いたまま北条は言った。ひどく大股なので隆史はついていくだけで精一杯である。

 「飯村先生は今年の2月に婚約したのさ」

 「はあ、それはおめでたいですね」

 「それが答えさ」すれ違う生徒たちをたくみにかわしながら北条は言う。そういえば彼と一緒に歩いていると、不思議と誰からも勧誘されなかった。

 「君も案外鈍いんだね。これだけヒントをあげても解らないなんて。いや、もう答えを言っているようなものだよ」

 「……すみません」

 「相沢君の腹はひとりでに裂けたのさ」

 「え」

 「正確には相沢君が自分で自分の腹を裂いたのさ」

 「でも、現場には凶器はなかったって」

 「凶器なんて必要ないよ。そんなもの使わなくても、相沢君はただ悲しめばよかったのさ。彼はひそかに思っていた飯村先生が婚約したことを知って、胸が張り裂けそうな悲しみに襲われたんだよ」

 隆史はようやく北条の言葉を理解した。

 病弱でもないのに保健室に通い詰めていた男子生徒。婚約した美人保健医。謎は初めから明白だったのだ。ただ誰も、現場を確かめなかった。いや、意識しなかったと、結びつけて考えなかったと、言うべきか。

 「相沢君、来週から登校してくるそうだよ」

 「そ、そうなんですか」

 「ようやく吹っ切れたみたいだね。なに、心配はいらないさ。相沢君もあれでけっこう男前なんだ。わざわざ教師と道ならぬ恋に落ちなくても、もっといい相手がすぐに見つかるさ」

 北条はうれしそうに笑った。皮肉屋で口も悪いが、そうして歯を見せると彼もなかなかの男前、いや好人物に映った。

 「ところで君は、どうして保健室に行ったんだい」北条は不意に足を止めた。広い背中にぶつかりそうになった隆史はあわてて立ち止まる。

 「真相を確かめようと現場に行ったのかな」北条は隆史に向き直り、しげしげと顔を見つめる。

 「それともただの好奇心かい」

 「いや、なんとなく足が向いただけです。気がついたら保健室の前に立っていただけで」

 「合格だ」

 「はあ?」

 「やっぱり君には素質がある。歓迎するよ、弘長君」

 北条は背後にあごをしゃくった。旧校舎の4階。廊下の一番奥の、昼なお暗いひっそりとした一角に息をひそめるようにしてたたずむ木造のドア。そこには『新聞部室』と書かれていた。

 「ようこそ、新聞部へ」


 隆史の返事は決まっていた。

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