01
異性に初めて声をかける時、果たしてどういう口上を使えばいいのか?
少女にとって、目下の問題はそれに尽きた。
少女はずっと、その人物を探していた。それこそ年数にすれば十年にも満たないだろう。しかし、少女にとってみればそれは途方もない長い時間だったと言える。ましてや憧憬の一念だけで人口二〇〇万の中から一人を見つけるのは奇跡に近い。
結果として探し人を見つけることに成功したのだから、あらゆる無茶と無謀と智略を尽くして士官学院に入学した価値があるというもの。
問題は、どのような形で接触するか……だが。
――さすがに、そこまでは考えていなかったね。
探すことばかりに意識を向けすぎていた結果、遭遇できたらどうするかまでは考えが至っていなかった自分の不覚さに、思わず呆れてしまいそうになる。
だが、ここで問題とするべきことが一つ。
これは決して、気になる異性に対しての戸惑いではない。
どちらかといえば、これは過去からの妄執である。
しかし、そのことを公言しては距離を取られかねない。そうなっては意味がない。
「これは……意外と難しいね」
そのため迷い続けていた。いきなり面識のない人間に声をかけられることを、果たして彼は容認するだろうか。
でも、このままでは何も変わらない。これまでの努力を無為にするわけにはいかない。
だから、声を――
「――なあ、『無能者』ってアンタのことか?」
何処からともなくそんな無粋な科白が投げ放たれたのは、そのときだった。
◇◇◇
「――なあ、『無能者』ってアンタのことか?」
五人組みの先頭に立つ、少しばかり生意気そうな少年の言った言葉の意味を理解するなり、黒髪の少年――ノエルはうんざりしたように眉を顰めそうになった。が、無論そのようなことはおくびにも出すことはしない。代わりにほんのわずかだけ肩を揺らしてから、取り敢えず振り返り笑ってみることにした。
「えーと……たぶん、そうなんじゃないかなぁ?」
他人事のように応じながら、内心で「またか……」と漏らす。なにせ今日だけですでに四度目なのだ、この展開は。
そんなノエルの心情など露知らぬ少年たちは、小莫迦にするように口の端を吊り上げて、そして先頭に立つ生意気そうな少年が、わざとらしい――まさに芝居がかった仕草で声を高らかにした。
「おいおい! まさか本当にいるとは思わなかった。俺たち栄えある士官学院の生徒の――それも先輩方の中に、響律式が使えない落ちこぼれが紛れ込んでるなんてな!」
彼が言い切ると同時、その取り巻きたちがどっと笑い声を上げる。こちらも随分と芝居がかっていた。どうやら事前に打ち合わせをしていたのだろう。見事なまでの唱和だった。
そんな彼らの風潮に釣られたように、周囲で遠巻きに見ていた観衆の間にも忍び笑いや耳打ちをしている者が見える。「何をいまさら」という態度を取っているのは在校生たち。「信じられない」という空気を醸し出しているのが新入生たちか。
周囲を観察しながら、ノエルは諦観するかのように嘆息する。すると、そんなノエルの態度が気に障ったのか、「おい、なんだよその態度は?」と先ほどの少年が眉を顰めた。
「響律式を扱えない無能者のクセに」
「……それしか言えないのか、君は」
思わず本音が漏れた。しまったなぁと思ったがもう遅い。『口は災いの元』と、昔の人ははよく言ったのだなぁと思わず場違いな現実逃避をするノエルの目の前で、件の少年は額に血管を浮き上がらせながら叫んだ。
「それしか、だと! それだけで充分じゃないか? この世界で誰もが扱える響律式が使えない――それだけでお前がすべての人類に劣る証明だろ! つまり、貴様は人間に劣る、人間以下の存在だということだ。そんなことも判らないとは、流石無能者だな。いいだろう、ならば思い知らせてやるしかないな――」
そう言って、少年は不敵な笑みを浮かべた。その表情から物騒な気配がありありと浮かんでいるのが判る。ノエルは自分の失敗を痛感した。
これはヤバい。
そう感じた時にはもう、新入生である少年はもう行動を起こしていた。
少年が左手を動かす。真新しい制服の袖から覗くのは、これまた真新しい機械仕掛けの小手。響律式を操るための操作端末――指揮甲だ。
少年がその手に備えた指揮甲を突き付けるように翳した。
同時にその掌の先に描かれる幾何学模様の施された円陣が顕現する。
響律式を発現するための術式情報魔法陣――虚空楽譜。
顕現した虚空楽譜に集束される粒子物質――響素が術式に呼応して色彩を放つ。彩色は紫色。つまりは電磁操作系に類する術式を意味するものだ。虚空楽譜の円陣は三重で、そこに刻まれている術式情報も細かいことを見るに、少なくとも下位ではなく中位規模の響律式だ。士官学院とはいえ、新入生が扱うものとしてはかなりのもの。
この至近距離でそんなものを無防備な状態で喰らえば、下手をすれば絶命する可能性すらある。
――そんな術式を平然と人に向けて放つのか!?
少年の暴挙に思わず戦慄するが、そんなことを考えている暇すらない。咄嗟に飛び退いて距離を開き、術の射線から逃れようとするが、
「もう遅ぇよっ!」
怒号と共に、一際強く虚空楽譜が明滅した。
術式の発動。顕現するのは電磁操作響律式《紫電の大蛇》。極太の高熱プラズマが無数の大蛇のようにうねり迫る広範囲攻撃用の響律式。
巨大な電熱の鞭が六本。すべてが異なる軌道でノエルへと迫る。
舗装された正面門の大通りを、紫電が地面を打つたびに大きく抉れ、弾け飛ぶ。恐怖を伝播させるような響律式の使い方に絶句しそうになるのを必死に抑え、ノエルは迫る六本の蛇を掻い潜る。
右から迫る初撃を後退して回避し、続く二撃目と三撃目の交差を屈んでやり過ごす。そうして正面から襲い掛かる四撃目を後方宙返りで凌ぎ、そして着地を狙った五撃目を空中で身体を捻ることでタイミングをずらす。
これには響律式を行使した少年も驚愕を隠せずにいた。自分の一手を『無能者』と蔑んだ相手がこうも容易く躱すことが信じられないと言い表すかのような表情。
周囲がざわめいているのが判った。ところどころで「なんだあれ!?」「無能者のはずだろ?」という困惑にも似た声もしている。
だが、別段驚くことではない。此処は士官学院だ。一年以上この学院にいれば、これくらいのことは出来て当たり前になる。
五撃目を躱して着地する。此処までは良い。だが、まだ攻撃は続く。着地と同時に六撃目が来た。これを躱せば――そう考えて動こうとしたときだ。
「調子に乗んなよ、無能者!」
視界の先で、不敵にほほ笑む少年の姿。その背後に居並ぶ彼の連れが、揃って左手を構えているのが見えた。
(嘘だろう!?)
そう思った時にはもう、彼らの術式は完成していた。
響律式の一斉掃射。赤光を放つ虚空楽譜から繰り出されたのは、燃焼操作響律式《火弓矢》だ。虚空楽譜の中央から。高熱の炎を圧縮して生成した三つ弾丸が撃ち出される。単純計算で三発を四人分。合計にして十二の炎が一斉にノエルへと迫る。
《火弓矢》は燃焼操作系の響律式では基本中の基本的響律式だが、其処から繰り出される火弾の温度は摂氏三〇〇〇度にも及ぶ高温である。当然ながら、かすりでもすればその炎と熱量は瞬時に標的を呑み込む。人を殺すには十分な威力と言えるだろう。
その《火弓矢》が合計十二発。しかもこれほどの至近距離では躱すのは至難だし、見物人のほうに飛んで行った場合最悪の事態になる可能性が高い。
――仕方ない!
思考が巡ると同時に、ノエルの両手が反射的に左腰へと延びた。そして左手が鞘を、右手が柄を握――ろうとした、その時だった。
ノエルと、ノエルへと迫る火弾の間に割り入るように現れた光の奔流に、誰もが一瞬息を呑んだ。
そしてノエルを始め、ノエルと対峙していた少年たちが忘我する只中に、
「――双方、それまでだ」
そう、言葉が投げ込まれた。
何が起きたのか訳が判らない――と言った表情を浮かべる少年たちが、揃って闖入者を見据えている。だが、ノエルとしてはそうはいかなかった。
思わず鞘を握る手に力を込め、油断なく身構える。当然だ。
先ほどのノエルたちの間を突き抜けるように奔った光。あれはノエルの見間違えでなければ、空間干渉響律式《遮断境界》。軍事用に開発され、現在ユグド王国騎士団――通称〈シュヴァリエ〉が正式採用している高位の防御術式である。
そんなものを扱える人間が、どうしてこんな場所にいる?
警戒するな、というほうが無理な相談だ。
しかし、そんなノエルの心境とは裏腹に、
「君たちはもしかしなくともあれかい――莫迦、というやつなのかい?」
そう不遜な言葉を口にし、翡翠の双眸で冷ややかに睥睨し、思わず息を呑むような凛然とした態度で立っていたのは、二つ括りの銀髪を揺らした一人の少女だった。