緋牡丹に口付けを
朝露と共に贈られる花は、ただ叶わぬ貴方への想いを募らせるだけで。
知っているのです。
貴方には、心を寄せる大切な方が居ることを。
この胸の恋蕾。
綻ばぬ想いでも、只貴方を想うだけならこの私にでも許されるでしょう。
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(今日も、ですね)
障子に映る人の陰。
入口近くで右往左往をし、少しだけ躊躇いながら手に持つ“何か”を置く姿。
体が弱く外にはあまり出れぬ私の為にと、私が目を覚ます前にそっと寝所に贈られる一輪の花。
名を告げずに立ち去る優しく不器用な送り主を思い浮かべ、口許に笑みを浮かべてるのがわかった。
明け方前の出来事、私だけが知っている事。
日に日に募る想いは、自分の立場では許されない想い。
私は紅国の姫。
父の信頼厚い将だとは言え、姫と臣下。
何時かは紅国の為に知らぬ者の元へ嫁ぎ子を成せばならぬ姫としての立場は分かっていた。
(いや、知っていただけで理解はしていなかったのだとは思うが。)
けど、“恋しい”“愛しい”と思う気持ちは立場とは関係ない。
真赭と言う只の一人の女としての想い。
自分のこの行き場の無い想いは『蘇芳』と何時もは声をかけれず見送る影に呼びかける。
寝て居るだろうと思った人からの突然の呼びかけに、ビクリと立ちすくむ姿。
『あぁ、彼らしい 』と思うと密やかに笑みが溢れた。
「あ、真赭様!起きておられてーーー」
「えぇ、何時も花をありがとう蘇芳。
今日はどんな花を持って来てくれましたの?」
驚き戸惑う陰に室内に入るように促すと、そろりと足音を潜ませて室内に入る一人の青年。
鮮やかな赤を纏い、幼さを少し残しつつも精悍な面持ちの父を師と仰ぎ戦場では目覚ましい戦歴をあげる紅国の若武者。
枕元に控えるように座るが、二人だけと言う気恥ずかしさかお互いに何も話そうとはせずに、二人の間に流れる沈黙。
流れる緩やかな時間。
「私が今から話すのは、只の戯言です」
沈黙を破るかの様に口を開き、一つの…誰にも問うことが出来なかった問いを溢す。
「蘇芳は…叶わぬ想いと知って居ながらも想い慕い続ける事は愚かと思いますか?」
そう、これは只の戯言。
私の想いなどは堅く封じなければならぬものだから。
でも、少しだけ…少しだけ気付いて下さい、愚かな私の恋心を。
「そ、その…真赭様には…誰か好いた男子がおられるのか」
真剣な眼差しで詰め寄る蘇芳からの問いに、あえて答えること無く曖昧な笑みを浮かべ『蘇芳の答えを聞かせて下さいませ』と再び尋ねた。
何も言わず蘇芳を見つめる漆黒の瞳は、
『話さねば、私は答えない』と静かに告げるていた。
訴える視線の意味を理解したのか、緊張故掠れた声でただ一言『そ、某は愚かとは思わぬ』と。
――想うだけで良い、
―――傍に居れるだけで良い。と、
うっすらと目元を朱に染め告げる蘇芳が落とした視線の先は美しき緋紅の花。
それは、艶やかな緋を纏った牡丹。
これ以上何も言わず手元の花を見つめる瞳に見えるは、優しい…誰かを想い慕う光。
(私はこの瞳を知って…)
不思議な既視感。
ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せ、何時か見た光景を思い出す。
何時かは忘れたが、それは誰もがまだ眠りについている頃。
眠れぬからと何気無く覗いた庭先に、蘇芳が一人佇む姿を―――
父が外に出れぬせめてもの慰めにと、私の部屋の前に作られた四季を通し様々な花が咲き乱れる自慢の庭。
今は初夏、咲くのは牡丹。
白、薄桃、橙…
その中でも見事に咲いた、貴方の様に紅くで鮮やかに咲き誇る牡丹を一枝手折り、その花弁に恋しい方へとするような口付けを落とす姿を。
「…ッ」
脳内に焼き付いた光景をこれ以上直視出来ず、薄く開いた障子に凭れ掛かるようにズルリと崩れ落ちた。
(その紅き華に唇を寄せて、貴方が想うのは誰なのですか…)
初めて気付いてしまった、今まで目を逸らし続けた己の想いに。
いえ、恐らく幼き日よりずっと側に居た故に気付かなかっただけなのかもしれない。
戦場を離れれば武人とは思えぬ位に優しい貴方が、紅蓮の鬼と言われ戦場を駆けると言う貴方が、何時の間にか…これほどに恋しい。
(私は…、)
閉じた目から一筋の涙。
報われぬ想いにただどうしようもなく涙が溢れた。
気付いてしまえば深淵に落ちていくのと同じで、あの夜から蘇芳が、胸を締め付けるほどの存在となり。
もう気付いてしまったこの想いに私はどうすれば良いかと、切なさに胸を焦がすばかりだった。
「幸せですね…蘇芳に、そのように想い慕われる方は。」
離れ無い記憶。
今日差し出された花はあの夜と同じ色した牡丹。
蘇芳にはこの花を差し出した事に他意は無いのでしょう。
いつもの朝と同じ様に、敬愛する主の娘へ見舞いの花を贈っているの筈なのだから。
だけど、少しだけ期待したいと思うのは浅はかな女心。
一人悶々と落ちていく思考から浮き上がらせる蘇芳の一言『真赭様は幸せと思って頂けるのですか?』と。
「そうですね、女は殿方からの思いは嬉しいものです。
まして、自分にだけという一途な想いならひとしおに」
(そんな事言わなくとも、私は貴方に想われるなら幸せだと思えるのです)
私を見つめる蘇芳は『そうでございますか』と、少し嬉しそうな笑みを浮かべていて。
大切な方に思いを馳せたのでしょう。
とても綺麗な笑み。
――蘇芳の大切な人
その人は私では引き出すことが出来ないであろう、笑みを引き出すことの出来る人。
(妬ましくもあり、羨ましくもあり)
その方には敵わないと思ってしまった。
直視するには眩しすぎて。
(私は…上手く笑えているのでしょうか―――)
「知っておりますか真赭様、牡丹は百花の王、花の王者と」
「いえ、それがどう致しましたか?」
そんな中、唐突に告げられた言葉。
一体、何の意味があるのか…
その真意を測りかねている間にも言葉を紡ぎ続ける。
「花の色は紅国と同じ名を持つ紅緋、百花の王と呼ぶに相応しき品のある花。某が誰かを想うとすれば、後にも先にもこの花の如き方のみと。紅国の華である真赭様ただ一人のみです」
逸らせない瞳。
身に纏う赤と同じ炎の熱を含んだ、強い強い眼差し。
「幼き日より御慕い申しておりました。臣下の身分でこのような思いを抱くのは畏れ多いことと存じております。忠誠は御館様に捧げておりますが、某…いえ、私の心は真赭様に」
それは、たった一人の為に直向きに向けられた想い。
向けられたのは凪いだ心を現したかのような、柔らかい笑顔。
あの日の眼差しも、笑みも全て私の為に。
ならば私がその心に返すべきものは、隠さない私の心。
「私も蘇芳、貴方が―――」
今綻び始めた恋蕾。
艶やかに咲き始めた、紅き花びらに口付けを。