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アパートメンと、初対面

作者: mosuco

 春。暖かい日差しを浴びて、ウトウトする私は今、バスに運ばれている。

 向かう先は私の新居のアパートだ。


 春。それは始まりの季節。

 そして別れの季節でもある。


 父との別れは、二年前。

「災難だったねぇ…杏子ちゃん」

 父の仕事は海外を転々とするもので、その先で大きな事故に巻き込まれて亡くなったらしい。

「これから辛いだろうけど、お母さんを支えて行くのよ」

 私が物心つく前から海外にいた父の存在は、今、私に言葉を投げかける親戚と名乗る人々と同じ『知らない人』だ。

 生前の写真を見ても、ピンとこない…私に面影はあるらしいんだけど、ずっと会ってないその人は私より小さくなって、箱に入った状態で初めて会ったんだから、分かる方が難しい。

 母はずっと父を膝に置いたまま、どこか遠くを見ている。

 ボンヤリとした母は、私の知っている快活さがなく、まるで魂が抜けてしまったみたいだ。

 ああ、本当に私が支えてあげないと…もうお母さんは私と二人きりの家族になってしまったんだ。

「お母さん、体冷えるし休んだらどう?お母さんが倒れたらお父さんも悲しむよ?」

「…お母さん、お父さん?」

「うん、どうしたの?」

「…アナタ、ダレ?」


 母との別れも二年前だった。


 父を失ったショックとこれからの不安に、母の頭はパンクして、記憶障害を起こした。

 母の記憶は15年間ごっそり抜けて、当時13歳の私の事を忘れてしまった。

 それから母は入院して、毎日お見舞いに行く私の事を、最初は父の親戚の子として受け入れてくれた。

 それでも、母の記憶は戻ることなく、一ヶ月、一週間、三日、昨日と、記憶は保たなくなってしまった。

「はじめまして、白銀杏子です。叔父さんの代わりにお見舞いに来ました」

 15年前。

 母は結婚前のその頃の記憶までしか維持できなくなった。

「そう、杏子ちゃんは中学三年生なんだ。じゃあ高校はどこに行くの?」

「私、上京して美術の高校に進学するんです」 上京を決めたのは私の意思と、おばあちゃんからの言葉だった。

「杏子、辛いなら無理に来なくてもいいんだよ。おばあちゃんもおじいちゃんも、ちゃんと杏子のこと覚えているんだからね」

 おばあちゃんもおじいちゃんも辛かったんだ。

 実の娘とその娘が血が繋がっているのに、他人のように接する光景を見ることが。

「上京するの!?」

「はい。絵を描くの好きだし、奨学金の援助もありますし…」

 近くにいれば、辛くても絶対会いに行ってしまう。

「でも高校生ってまだ子供じゃない…それに」

 いっそ遠くに離れて、自分の好きな事に集中して、必死に生活すればきっと…

「きっと、お母さんは心配するんじゃない?」

「大丈夫ですよ。一人暮らしは慣れてますから」

 お母さんの事、忘れられるから。



「終点、水木坂ー水木坂ー」

「あ、降ります!」

 バスから慌てて降りれば、プシューと音をたててドアが閉まって発車した。

 目の前は穏やかな陽射しに、自然いっぱいの坂道が見える。

 この坂道、水木坂の途中にアパート、メゾン・ド・水木があるはずなのよね。

「それにしても…最低限必要の家具完備、家賃が三食プラスおやつ提供って本当なのかな」

 携帯で探し当てたこのメゾン・ド・水木の賃貸情報は、私にしてはありがたいものの、普通であれば怪しい話だ。

 メゾン・ド・水木、101号室。風呂トイレ付き、最低限必要の家具完備。敷金礼金、金銭関係は一切無し。ただし、条件としてルームシェアで、家賃は毎日三食プラスおやつの提供。

 …やっぱり、今思い返しても怪しい。

 それでも、決め手になったのは、この条件。

「ルームシェア、か…人と暮らすの、二年ぶりだなぁ」


 ボストンバックとカートをひいて、坂道を登る。

 景色は自然豊かで綺麗だけど、この坂道は見た目に比べて結構キツイ。

 まっすぐならまだしも…登って、右曲がって、登って、左曲がって、登っての左右交互の繰り返しに、息があがる。

 その繰り返しが終われば、次は真っすぐに伸びた長い坂道を登る。

 登りきった先で、ようやく見えてきた白いアパート。

「あった…」

 フラフラと近づいて、鳥の囀りが響く中、マジマジと眺める。


 メゾン・ド・水木は白く染まった2階建てのアパート。

 木造ではなく、鉄骨を使って造られていて、およそ築20年になる。

 確かに古い外観だけど、味があって素敵なアパートだと思う。 自然の多い道のりだったけど…このアパートの周りもまた違った緑が多い。

 誰かが手入れしてるのかな…?可愛い花が多いし、あれは…ええと、ロッキングチェアだっけ?実物、初めて見た。

 アパートも庭も可愛い感じだし、住民の方も女性なのかな。だったら私も嬉しいんだけど…。

「こんにちは」

 ビクン!と体が跳ねて、反射的に声をかけてきた後方に振り返る。

 そこにはニコニコと微笑むお婆さんがカートを持って腰を曲げながらも立っていた。

「アナタ、旅行の方かしら?水木を見に来たの?」

「いえ、違います…水木?」

 鈴の音の様な可愛い声のお婆さんはカートを押しながら、こちらに向かってきた。

 私の大荷物を見て、旅行客と勘違いしてるみたいだけど…水木ってなんだろう。観光スポットでもあるのかな、この辺。

「水木はね、まだ見頃じゃないのよ。もう二月経てば見れるわね」

 見頃…植物か何かかな。

「旅行客じゃないのなら、どうしてココに?」

「あ、あの私…コチラに入居することになった白銀杏子です」

 頭を下げて名乗ると、お婆さんは目を丸くしてゆっくりと首を傾げた。

「入居?部屋は全部埋まってたはずだけれど…」

「一人暮らしではないんです、ルームシェアって条件で…ええと、101号室なんですが」

「あらまぁ、アナタが…金木さんの」

 説明すれば、お婆さんは更に目を丸くして、すぐにニッコリと微笑んだ。

「カナギさん?」

「101号室の方よ。ここの大家をやってらしてね、愉快な方なの」

「はぁ…」

 大家さん、なんだ。しっかりしてる人なのかな…でも普通、人を説明するときに愉快なんて滅多に言わないよね。

「ふふ、じゃあお隣りさんになるのね。私は102号室に住む八重 桜子。これからよろしくね、白銀さん」

「はい。よろしくお願いします八重さん」


「金木さんとまだ会ってないのよね。引き止めちゃってごめんなさいね」

「いえ、色々ありがとうございます。あの、わからない事とかあると思うんで、また色々教えてもらってもいいですか?」

 八重さんと並んでゆっくりアパートへと向かいながら、会話を交わす。

「私でよければ喜んで。今から金木さんのトコロに向かうのよね?」

「あ、はい。今日の昼13時からの契約だと不動産屋さんから言われたので…」

 だから迎えてくれるのかな、と期待してたんだけど…さすがに留守じゃないはず。

「金木さんは滅多にお外に出ることがないから、今もお部屋の中じゃないかしら」

「そうなんですか」

 へぇインドアなのか。愉快な方らしいから気難しかったり、暗かったりとかじゃないよね?

 まぁ確実に居るみたいで、よかった。いくら暖かくなってきたからって初日から野宿は辛すぎる。

「ここよ。101号室は」

 たどり着いた扉は真っ白で、ドアノブの銀色がポツンとあり、覗き穴があるべき場所には何もないが、首を伸ばせば、101と彫られた文字が見えた。

 インターホンを押そうと、人差し指を宙に上げ、ドアの右側を見れば、白い壁しかない。

 チラリと左を見てもインターホンらしきものはなくて、空振りの人差し指を仕方なく下ろした。

「それにしても静かね…寝てるのかしら」

 ノックに切り替えようと拳を作ったその時、首を傾げた八重さんは呟いた。

「金木さん、金木さーん」

 次にほんの少し大きな声をあげて、家主の名前を呼びかけてくれた。

 それでも返事は返ってこない。

 眉を垂らして苦笑する八重さんに、私もヘラリと苦笑を交わして、握った拳を扉へと叩いた。


 ピュゥゥゥウン!!


「な、何ですか今の音」

 ノックした瞬間、大きな高温が鳴り響いて心臓はバクバクしている。

 中から…ううん、アパートの裏側の外から聞こえた。

「裏庭の方からだわ!」

 八重さんも慌てたように叫ぶ。

「わ、私見てきます」

「あっ、白銀さん!」

 八重さんの制止を促す呼びかけを振り切り、私は裏へと回った。


 広めの裏庭にたどり着き、走りから歩みに変えて息を整える。

 裏庭は所々に雑草は生えられているものの、歩きにくい事はない。

「たぁまやー!いやぁ飛んだ飛んだ。しかし月には向かえなかったのは残念だ」

 白のトレーナーに薄茶色のチノパンといった格好の男の人が空を見上げて声高らかに言った。

 男の人の足元には、懐かしい装置があった。

 小学生の頃、理科の実験で作ったペットボトルロケットの装置、あれだ。

 …そういやさっきの音も、ペットボトルロケットの発射の音だった…ような?

 って、今はそういう事考えてる場合じゃない!勝手に私有地でペットボトルロケットを発射するなんて…もしかしたら、金木さんはこの人の行動に怯えて引きこもってるのかもしれない。

「あ、あの!」

「ん?」

「何、やってるんですか?いきなり大きな音だして…近所迷惑ですよ」

 声をかけたものの、強くはいえずにキョロキョロと目を動かしながら、たどたどしいものになる。

「何、だって?聞いて驚くがいい!僕は偉大なるアポロのように月へ向かう大作戦を計画し、実行していたのさ!どうだ驚いただろう?」

 驚いた…。初対面でこんなこと思うのは悪いけど…この人、変な人だ。

「ふふーん驚いて声も出ないか」

「いや、そうじゃなくて…とにかく、こんな静かでいいところなのに騒音騒ぎを起こすのはどうかと思います。住民の方々にも迷惑だと」

 勘違いして得意げに体を反らす姿に、改めて注意する。

「住民?まぁ今の時間は僕一人だし…迷惑ではないだろう」

「は?」

 なんでそんな事分かるんだろう?というか、この人…ここの住民なの?

「白銀さん大丈夫?…あら」

 振り返るとカートを押しながら、八重さんがこちらに向かっていた。

「八重さ…「桜子さんおはよう!」

「え」

 私の声を遮った彼の口から出た桜子さんという名前は八重さんの名前だ。

 どうして八重さんを…やっぱり住民だから?

「おはようございます。金木さん」

 唖然とする私には何も気にとめず、八重さんはニッコリと微笑んだ。

「よかった。白銀さん、金木さんに会えたのね」

「え、えぇぇ!?」

 ニコニコしながら八重さんはとんだ爆弾を落とした。

 この人が…金木さん…私の、ルームシェアする相手…。

 自分でも分かる程に引きつった顔で変な男の人、金木さんに振り返る。

 金木さんはコッチに興味を無くしたのか、しゃがみこんで装置をいじってる。

 素敵な場所で、いい人に囲まれて、素晴らしい私の高校生活が始まるはずだったのに…。

「これでよし!さっきの反省を活かし改良したニューアポロ11号だ!歴史的瞬間を桜子さんも是非立ち会ってくれ」

「えぇ。…ね、愉快な方でしょう?」

 年上のはずの金木さんはフンフンと鼻息荒く、はしゃいでいるようで、そんな彼に頷く八重さんは、満面の笑みを浮かべて私に肯定を促すように問いかける。

「ゆ、愉快にも程がありませんか?」

 ひくつく口元を隠し切れずに答えた私は、大人げなくはしゃぐ彼とのこれからの同居生活に頭をおさえたくなった。



 春。それは別れの季節。

 そして始まりの季節でもある。



アパートメンと、初対面。




 最後までお読み頂きありがとうございます。

 この物語はアパートメンと、シリーズの導入部分にあたるお話です。

 タイトルのアパートメンとは、主人公の杏子との同居人となるアパートの大家、金木のことです。

 アパートでの暮らしに憧れる思いから書いたこのお話は、今までの話と違って、ほのぼので暖かい内容になる予定です。

 変わり者の金木と、不幸を体験した杏子の二人を中心に、アパートの住民たちとの交流を書いていけたらいいな、と思います。

 元々、現在短編連載中の所長と助手が終わってから掲載する予定でしたが…今回、導入部分のみ先行して執筆し、公開いたしました。

続きの更新は不定期となりますが、よかったらお読み下さい。現在は短編形式ですが、もしかしたら今後連載形式に変更するかもしれません。よろしくお願いします。

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