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未完成  作者: 春灯ゆかし
3/7

■第3章|現在軸:ひび割れ

朝から、事務所の電話がひっきりなしに鳴っていた。

派遣先からのシフト追加依頼。

スタッフからの欠勤連絡。

担当者が不在だから折り返してほしいという連絡。

そのどれも、彼女の机に積み上がっていく。


「すみません、今日休みます」

「シフト増やせませんか?」

「担当者さん、今日は何時に来ますか?」


電話の向こうの声と、彼女の早口で冷静な返答が交互に重なる。

彼女は“強気”の化身のようだった。

メモをとり、パソコンに打ち込み、次の電話を取り、状況を把握し、それをまた次の担当者に伝え——

その繰り返しで、午前の時間がごっそり消えた。

昼すぎ、ようやく一息ついたタイミングで、彼女の携帯が震えた。

画面を見た瞬間、彼女の肩がわずかに固まった。


「……ああ、またか」


そう小さく呟くと、席を立って廊下に出ていった。

気になったが、追いかけるのは違うと思った。

彼女は自分から助けを求めるタイプじゃない。

それは嫌というほど分かっている。

数分後、戻ってきた彼女の表情には、わずかな強張りが残っていた。


「どうした?」


何気なく聞いたつもりだった。


「いえ。なんでもないです」


強気に切り捨てるような声。

でも、電話前より動きがぎこちなくなっていた。

そんな彼女の机に、更に悪い知らせが届いた。


「例の派遣先、今日の夜勤に入る予定だったスタッフ、辞めるって連絡来ました」


隣の席の同僚がそう言うと、彼女は表情ひとつ変えずに答えた。


「わかりました。代わりの人探します」


(夜勤当日で代わり探すのはほぼ無理だろ)

誰も口にしなかったが、全員の頭に同じ言葉が浮かんだはずだ。

スタッフが突然辞めるなんて、派遣業では珍しくない。

でも、それが大型契約先となれば話は別だ。

現場が混乱すれば、支店全体の信用問題に直結する。


「私、現場行ってきます」


彼女は立ち上がった。

書類を片手でまとめ、地図と現場カルテを鞄に押し込む。


「俺も行く」


思わず口にしていた。


「いえ、いいです。私の担当なんで」

「そういう問題じゃない」

「……じゃあ、後で来てください。まずは私が話します」


彼女の声は、普段よりほんの少し早かった。

強気な人間の“焦り”は、速度に出る。

現場に向かったあと、事務所の空気は重くなった。

同僚たちは気遣うように雑談を控え、時計の針だけがやけに大きく聞こえた。


夕方、彼女が戻ってきた。

いつものように姿勢はまっすぐ。

歩幅もぶれない。

声も落ち着いている。

ただ、目の奥だけが、どこか空っぽだった。


「どうだった?」


俺が尋ねると、彼女は淡々と答えた。


「なんとかなりました。……いや、なんとかしました、のほうが近いか」


声は強い。

でもその“強さ”は、薄い膜で覆われたように弱かった。

一瞬だけ、彼女の拳が震えているのが見えた。

それは恐怖ではなく、怒りでもなく、疲労に近い震えだった。


「お前、一人で抱えすぎだ」


言うつもりじゃなかった言葉が、口から漏れた。

彼女は一瞬だけ俺を見た。

すぐに逸らすと思ったら、逸らさなかった。

珍しいことだった。


「……そうしないと、回らないんで」


静かで、どこか遠い声。


「回らないことはない。回さなきゃいいんだ」

「そんなの、仕事じゃないですよ」


言い返しながら、彼女はペンを握り直した。

その指先が揺れていた。

こぼれそうな弱さを隠すみたいに。

俺はそれを見た瞬間、胸の奥にじわりとした痛みが広がった。

彼女の強気は、ただの性格じゃない。

“生きるための姿勢”なのだと、はっきり分かってしまったから。


何か言いたかった。

でも、言葉にすれば崩れてしまいそうで、俺は何も言えなかった。

事務所の蛍光灯が、彼女の横顔を薄く照らしている。

その光のなかで、彼女の強気はゆっくりひび割れていた。

誰にも気づかれないように。

自分でも気づかないふりをしながら。

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