8-親友
お昼過ぎの穏やかな雰囲気の中を、マーガレットは早足で駆けていた。何でこんなにイライラしているのか、彼女自身も分かっていない。
分からないからこそ今は一人になりたかった。そうなると向かう先も自ずと定まってくる。マーガレットは不機嫌を顔に貼り付けたまま、寮にある自分の部屋に向かっていた。
マーガレットの鬼気迫る行進に、廊下で談笑に花を咲かせていた他の生徒らは気圧されて、怖い先輩に道を譲るように自然と隅へと避ける。
「今のはもしかして?」
俯いていたマーガレットは気がつかない。すれ違った人の中に心配そうに見つめる、親友の蒼い瞳があったことを。
バタンッ
マーガレットは寮の自室に帰ってきた。無駄にひろいわりに最低限の小さな寝床しか用意されてない彼女の部屋は、人が住んでいるのか疑われるレベルで質素である。
学生の寮とはいえ、剣蘭学園は貴族の学び場だ。外観はちょっとしたお城のように造り込まれているし、内装にも職人の意匠が所々に施されている。もちろん、この部屋にも当初は一流の家具が揃えられていた。
だが、貴族の令息令嬢というのは実に勝手なもので、あれやこれやと好き勝手に部屋を改造するものだから、途中から何も設置しない方針に変更されたのだ。
とはいえ、平民のマーガレットに家具を工面するなど到底不可能だった。唯一ある寝具ですら、ノエルのお下がりを貰ってきたに過ぎない。
「はぁ、何やってんだろ私、」
マーガレットは靴も脱がずにベッドの上に寝転がると、制服がしわくちゃになる事も気にせずに、頭の上から毛布を被ってしまう。
コンコンッ
ドアをノックする音が空っぽの部屋に響く。少しの間があって、鍵がかかってないドアはゆっくりと開かれた。
「うわ!やっぱりいじけてる」
わざとらしく口に手を当て、驚くフリをしたのはマーガレットの親友であるノエル・テレストルだった。肩にかかる若葉色の髪はサイドテールに結ばれて、歩く姿はピンッと筋が通っている。
貴族とはこうあるものだ。と、一目で分かる模範的な立ち振る舞いは、幼少期から叩き込まれた賜物であり、他の貴族に舐められないための処世術でもある。
そのおかげか、入学式に大貴族のアリエンヌに目をつけられたにも関わらず、特に虐めなどの被害を被ることもなく。今ではクラスの人気者となっていた。当の本人にその自覚があるかどうかは定かではないのだが。
無機質な部屋に入ったノエルは、何も言わずに不貞寝するマーガレットのベットに腰掛けた。
「今日のマーガレットちゃんは閉店してます。また日を改めて来てください」
毛布に包まった状態でマーガレットが言う。
「さっきすれ違った時、あ、これは何かあるなって思ってたけど………あーあ、残念。せっかく婆やにお茶を用意するように言ったのに。仕方ないから、私一人で飲んじゃおうかな」
「!??」
「今日のお茶請けは何で言ってたかなあ。確かチョコレートショコラのケーキ、それもリーネでも指折りのお菓子屋さんのやつ、マーガレットが食べないのなら、私が二つとも頂いちゃおう」
「そんなのずるい!」
マーガレットの築き上げたハリボテの牙城はあっという間に崩される。バッと勢いよく毛布を跳ね除けたマーガレットは、久しぶりに口にできる甘味に目を輝かせていた。
「ぷ、冗談だよ。いつまで経っても食い意地だけは凄いんだから」
「そんなこと………甘い物は別腹ってよく言うでしょ!」
こうして親友とくだらない話をするのも、マーガレットには久しぶりだった。ついこの間まで待ち望んでいた学生生活も、エクリプスにこき使われて目まぐるしい日々が続く。
もし選剣の儀で違う剣を抜いていれば、ノエルや新しい友達と楽しい学園生活を送れていたのだろうか。そんなありもしない作り話を妄想してしまうほど、マーガレットは疲れを溜めていた。
それでもノエルとの他愛のない昔話は楽しい。むすっとしたマーガレットの表情も、自ずと綻びが生じて、気がつけばいつもの女の子に戻っていた。
「ところで、魔剣エクリプスとは上手くやれてるの?」
ノエルは区切りのいいところで本題を切り出す。至ってそっけない問いかけ方だが、マーガレットがこうなった原因と当たりをつけているのは明白だった。
「え!まぁそれなりに………」
いかにも何かありましたといった反応に、ノエルは察したように目を細める。だが当の本人は、なんでこんなにも心がモヤモヤしているのか分かっていなかった。
「ふふん、このノエルちゃんに話して見なさい。マーガレットの悩みなんてズバッと解決してみせるんだから」
「いや、ほんとになんでもないの。というか言葉にできない。心はモヤモヤしてるけど、理由は分からないっていうか」
マーガレットが必死に取り繕うのも無理はない。エクリプスからダンジョン周回や、未来を知っていることは他言無用と言いつけられていた。
それは無二の親友であるノエルであっても例外ではない。未来を予見するエクリプスのことだ。他言しようものなら途端に見抜かれてしまう。と、マーガレットは考えていた。
「ふーん、乙女心は複雑と」
「もう!そんなんじゃないから!それよりノエルの方こそどうなの?」
「どうって?」
「剣のこと!もう、いつも自分のことになるとそうやって誤魔化すんだから」
変に探られてボロを出したくなかったマーガレットは、強引に話題を逸らすことにした。
「冗談、冗談。はい、これが私の剣『水剣アルトワ』よ」
ノエルは寂しそうに顔を伏せたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。そして自身の剣に手を置くとカチャりと音を鳴らした。腰の裏に吊るされた鞘は美しく弧を描き、よく磨かれた柄がキラリと光を反射する。
「面白い形してるよね。こういう形の剣をシミターって言うんだっけ?」
「そうよ。確かエクリプスは直剣だったよね」
「うん、形はよくある普通のやつ。でも重心を見極めるのが難しくって、慣れるのに時間がかかっちゃった」
「マーガレットが手こずるなんて相当難しいだね」
マーガレットはリタ工房に預けてきた自身の剣のことを思う。
無茶苦茶なことを要求してくるけど、意外に優しいところもあるので憎みきれない最強の剣。持ち主を破滅させるなんて逸話もあるけど、そんな酷いことをするようには今のところ思えない。
「でね。両親が上位に変えろってうるさいの」
「え!」
「あ、マーガレットったら私の話聞いてなかったでしょ………」
聞いていないつもりはなかったのだが、つい投げ捨てるように預けた自身の剣がのことが気になってしまった。
「ごめんごめん。なんの話かな」
「もう!両親が中位のアルトワじゃなくて、上位の剣に変えろってうるさいのよ」
「おばさまとおじさまが?まぁ、私もノエルなら上位を抜くと思ってたけど」
「皆んな私のことを買い被りすぎだよ。テレストルは田舎の下級貴族なんだから、都会の上級貴族様が持つような上位の剣なんて抜けないの」
マーガレットは本当に抜けると思っていたが、あっけらかんと言ってのけるノエルはどこか清々しさすらある。
持ち手にそれなりの剣才を要求される高位の剣は、所持するだけで貴族の中では良ステータスだ。上位の剣を扱える剣才を持ったノエルが、何故中位の剣に留めたのかマーガレットには皆目見当もつかない。
それでも親友が自分の意思で選んだことに、文句をつけるつもりもない。おそらくそれもお互いさまなのだろうけど。
エクリプスの事を深くを語ろうとしないのに、親友はただ寄り添って話を聞いてくれた。
「(こんなにも信用できる友達が、ちゃんと私のことを見てくれてるのに………私は何をいじけてたんだろ………)」
確かな信頼を感じ取ったマーガレットは、自身の心のもやもやの正体の輪郭を、何とか捉えることができてきた。
「ノエル、ありがと」
「え!何を藪から棒に」
「上手く説明できないけど、多分、不安だったんだと思う。周囲の人達が、私じゃなくて私の剣ばかりを見てるようで………でも、ノエルみたいに私のことを気にかけてくれる人もいるんだって分かったから、もうちょっと頑張ろうと思うの!」
「そう───よかった。いつものマーガレットに戻ったのね」
ノエルはどこか困ったように笑う。
「あーあ、本当はもっと落ち込んでて、グズグスに泣きじゃくるマーガレットを期待してたのに、いつのまにか強くなっちゃって」
「いつまでもノエルを頼ってられないからね」
「でも、特別授業のお誘いはする。しかも残りのメンバーがアイン様とビル様なんて」
「だ、だって断れそうに無かったんだもん!今回で最後にするから許して」
仰々しく手を合わせるマーガレット。初めから本気でなかったノエルは、手をひらひらとさせて了承の意を示した。
そうして、次の日。
決意を新たにしたマーガレットは、リタ工房にエクリプスを受け取りに行った。ここ数週間で集めた魔晶石を全て吸収したエクリプスは、いっそう禍々しさを増しており思わず生唾を飲み込んでしまう。
「昨日は心配しましたわ」
「ごめんねエクリプス、もう大丈夫だから」
「いえ、過ちを犯したのは私のほうで、」
「ううん、あなたは何も悪くない。私がエクリプスに決めたんだから、」
マーガレットはエクリプスを固く握りしめる。まるで己の覚悟の強さを表すかのように。
「周りの目なんて気にする必要なんてなかったの。私はあなたと共に目的を果たすんだから」
「………私と最強を目指すおつもり?」
マーガレットはハッとしたが、明日香が未来を知っていることを思い出し、そして小さく頷いた。
「やはり杞憂でしたか。それでこそ私の───」
続けようとした言葉を明日香はひっそりと胸に仕まう。悪い予感が外れた今、私情で余計なことを言う必要はないと考えたのだ。
「なんか言った?」
「いいえ、何でもありません。では気持ちを改めて、特別授業『イカロスの塔』攻略に励むとしましょう」
幸か不幸か、幽霊状態を継続する明日香は、安堵で緩みきった表情を誰にも見られることはなかった。