6-準備
丘陵な大地に多数の塔が乱立するここは、剣王ガルセント十五世が治める『ガルセント王国』、人々は魔物を避けるように各地に点々と街を築き、慎ましい日々を過ごしていた。
だがそれも昔の話。
まだガルセント王国が先々代国王によって治められていた時代のこと、あるダンジョンが攻略されたことを皮切りに、この国は飛躍的な発展を遂げる。
そのカギを担ったのが魔晶石と呼ばれる、魔素の結晶体だ。魔物を倒すことで得られる奇跡の石は、火をおこし、清浄な水を作り、風を操った。万能の資源を得ておよそ一世紀が経ち、王国民は史上の繁栄を謳歌していた。
「ここがレタ工房?」
ガルセント王国の首都『リーネ』の繁華街。レンガ造りの家が立ち並ぶ街中で、マーガレットはとある店の看板を見上げていた。
銅色の金属板に『レタ』とシンプルに文字が刻まれたその店は、剣を扱う者であれば誰しもが世話になる。
マーガレットは肩に引っ提げた麻袋を担ぎ直し、ホッと胸を撫で下ろした。この店を見つけるのに、かれこれ数時間リーネの街を彷徨っていたのだ。
「おそらく間違いありません。ほんとゲームと全く同じなのね」
返事をしたのは魔剣エクリプスに宿る伊集院明日香だ。黒髪に気の強そうな釣り上がった目。人前に出るにはラフな格好をしていたが、明日香の姿は誰の目にも映ることはない。
明日香は『レタ工房』を前にして、勝手に上がる口角を必死に我慢していた。青春真っ只中の過敏な時期にどっぷりとハマった恋剣は、明日香にとっていわば聖書、ここはいわば聖地のようなものだ。
聖地巡礼に心が弾まないオタクはいない。
それ故に明日香は幽霊状態の現状を呪った。触感、匂い、まして味なども感じることができない。己の境遇をこれほど口惜しいと感じたのは、明日香には初めての経験だった。
「よかった。やっとこの重い魔晶石ともお別れできる」
「ご苦労様。私の提示したノルマを最後まで投げ出さなかったことは賞賛に値します」
「………てっきり弱音を吐くな、的なことを言われると思ってた」
「わ、私だって鬼ではありません。努力には最大限の賛辞を送りますわ」
明日香は赤く染まって頬を隠すようにそっぽを向いた。誰がどう見ても照れ隠しだが、当の本人は聖地を目の当たりにした興奮のせいだ、と心の中で言い訳を連ねる。自身の姿が誰にも見えないことなどすっかり忘れて。
「ふーん、」
「変に勘繰るのはおやめなさい!私は当たり前のことを言ったまでです」
「当たり前、ね………私はなんだかエクリプスに認められたみたいで嬉しかったな」
「───っ!?そ、そんなことどうでもいいから、早く工房に入りますわよ」
「はいはい」
マーガレットは勝ち誇ったように明日香の照れ隠しをあしらうと、意匠がこった扉に手を掛ける。
「それではお願いしますわ」
マーガレットがドアノブを回す前に、内側から誰かが扉を開く。咄嗟に後退りしたマーガレットは、中から出てきた人物に厳しい顔をしてしまった。
腰まで伸びた真紅の髪に勝気なツリ目、豊満なスタイルをカスタムされた制服が煌びやかに着飾っている。彼女の名前はアリエンヌ・サア・ヴァリアント、恋剣のゲームでは悪役令嬢と呼ばれている大貴族であった。
「げぇ、アリエンヌ………さん」
「貴女は………マーガレット・ルシエール!?」
互いの表情が固く引き攣る。二人は入学式の一件以来、自然と避け合うようになっていた。視線が合えばどちらかが逸らすし、廊下ですれ違うときはあからさまに距離を取る。
そんな関係性なのだから、この出会いは両者にとっても予期せぬ邂逅だった。敵意剥き出しとまではいかないが、自ら道を譲ってあげるつもりもない。見えない火花が二人の間で弾けていた。
「んきゃー!生アリエンヌよ」
空気を読まない歓喜の嬌声。この場で明日香一人だけがテンションを爆上げしていた。
明日香は姿が見えないことをいいことに、至近距離でまじまじとアリエンヌ観察しては、推しの造形を楽しんでいる。
「ちょっとエクリプス!あなたは私の剣なんだから、アリエンヌさんに目移りしないでよ」
「は!?これは失礼。私としたことが我を忘れてました」
「もしかして………今日ここに来たのって」
「た、偶々ですわ。私だって全てを見通せるわけではありませんもの」
明日香の言っていることは、半分嘘で半分は本当である。実際に記憶にある本来の物語と、今の物語では若干のズレが生じていた。
ゲームではマーガレット達が特別授業を受けるのはもっと後のイベントであったし、そもそもエクリプスとレイ・フラッシュの所有者が違っている。明日香の知っている恋剣と全く同じ物語のはずがないのだ。
なので明日香には物語の先を正確に予測することはできない。分かるのは物語の因果のみ、明日香はそれをフラグと呼んでいた。
だが今日に関しては少し違っていた。
特別授業の前日、この日は必ずリタの工房をアリエンヌは訪れる。理由は知らなかったが明日香はそのルーティンをだけは覚えていた。とはいえこの世界でも同じという保証もない。明日香としては会えたらいいな程度の、外れても痛くもない博打だった。
「本当かなぁ」
「私のことを疑うのかしら?でしたら金輪際、エクリプスが力を貸すことはなくなるでしょう」
「な!?」
疑いの眼差しに耐えかねた明日香は、少々強引な言い訳をする。本人的には敗北宣言だったが、マーガレットは気がつけない。
「ぐぬぬ、」
「………。」
人目も気にせず言い争う一人と一本に、アリエンヌは冷ややな視線を送っていた。
「あなた、よくその気色の悪い剣と一緒にいれますわね」
静かな物言いだったが、言葉の端々から侮蔑と嫌悪が滲み出ている。アリエンヌは選剣の儀で明日香から受けた仕打ちを、未だに引きずっていた。
「まぁ、ちょっと変な剣だなとは思うけど………気色悪いは言い過ぎだよ」
「(ちょっと!変な剣とは聞き捨てなりませんわ。私はそもそもアリエンヌと、)」
「でも、すっごく嫌な剣かも」
「………これは貴族としての忠告です。あなたはその剣を捨てて、お友達と田舎に帰りなさい」
マーガレットは目を細めた。
「それはどうして?」
「これだから平民は察しが悪い。明日の特別授業は例年通りダンジョンでの実戦ですわ。名門貴族の剣士でも命を落とすことのある危険な授業………平民出のあなたが無事でいられるはずがありません」
「余計なお世話!脅したって無駄なんだから」
「はぁ、これだから平民は困りますわ。我々貴族がどれだけ心身を削って、魔晶石の回収をしているか分かってないのですから」
アリエンヌは心底呆れた。といった様子で首を振る。高貴なるものとして表には出していなかったが、内心はマグマのように煮えくりかえっていた。
「ふん、四大貴族だかなんだか知らないけど、私が平民だからってバカにしないでよ!」
「な、生意気な。私はあなたのことを思って忠告して差し上げているというのに!」
「だから、それが余計なお世話だって言ってるの!!!」
「っ!?」
マーガレットの剣幕に、アリエンヌは思わず後退りしてしまう。とはいえすぐ後ろはレタ工房の出入口である。半歩と下がることも叶わずに、アリエンヌの背中が扉にくっついた。
ガチャリ、
不意にアリエンヌの背中の抵抗が無くなる。
「ふぎゅ」
突如開かれた店の扉。
扉を背にしていたアリエンヌはバランスを崩し、可愛い声を上げて尻餅を着いた。不意の痛みに涙を堪えていると、中からスキンヘッドの偉丈夫が顔を覗かせる。
「あんたら、いい加減店の前で立ち話をするはやめてくれないか?」
その顔はとても不機嫌そうで、鋭い眼光は二人のことを捉えようとする捕食者のようだった。
「「す、すいません(ですわ)!?」」
額に青筋を立てたスキンヘッドの迫力に気圧され、二人は険悪だったことも忘れて仲良く頭を下げるのだった。