3-選剣
(こうして二人の因縁が始まるのよね)
明日香は眼下で繰り広げられたマーガレットとアリエンヌの言い争いを、感慨深そうな顔で眺めていた。
時を遡ること数分、明日香は無数の剣が突き刺さった小高い丘の上で意識を取り戻す。どこか見覚えのある風景に、聞き覚えのある老人の話。明日香はすぐにここが恋剣の序盤である事に気がついた。
目を凝らせば眼下には老人と若い男女の集団がいる。その中には恋剣の主人公であるマーガレットを初め、悪役令嬢のアリエンヌやその他の主要人物がずらりと整列していた。
(この状況はいったい………)
明日香は考える。
自身が体験したあの謎の現象はなんだったのかと。夢にしては何かとリアルで、現実にしては冗談めいている。
意識を取り戻してまず驚いたのは、自身の体が宙を浮いていることだ。あまりの違和感に両足がすぐに地面を探し求めたのだが、大地に降り立つという願いは叶わなかった。着地しようにも足先が土の下に潜ってしまうのだ。
さらによく見れば自分の四肢が透けてみえる。物体をすり抜けて、半透明で、さらには空中に浮く。さながら幽霊のようだ。と、明日香は他人事のように思っていた。
空中浮遊は自分の意思で制御ができる。だが、丘を降りてアリエンヌ達に挨拶しに行くことは出来なかった。明日香の移動できる範囲は、ある一点を中心に制限を受けていたからだ。その中心にあるものとは、
(私、剣になってる!?)
中心にあったのは一本の黒い剣。明日香はそれを己自身だと直感的に感じとっていた。
(これも願いの絵馬のおかげかしら?まぁ、剣になってしまったのは想定外でしたけど、これならまだ何とか………)
「では、決められた順番通りに剣を選ぶように」
丘の上で明日香が小さな希望にガッツポーズをしていたその頃、いよいよ選剣の儀が始まろうとしていた。
(ようやくね。この時点でマーガレットが居残ることを予見した者はいないでしょう)
冷静に成り行きを見守る明日香、二人の勝負行く末を知る彼女にとって、この対決で胸が高まる要素は皆無であった。
(だって、互いが初めに手にする剣は決まっていますもの)
明日香は静かにどのような物語だったか思い返す。
マーガレットが手にするのは聖剣『レイ・フラッシュ』、明日香から10mほど離れた位置に差さる白銀の剣だ。そしてアリエンヌが抜くのは魔剣『エクリプス』、最強最悪の剣であり明日香が宿ってしまった剣でもある。
(さあ、早く!早く私のことを抜きなさい、アリエンヌ)
このゲームの剣はただ斬れるだけの一般的な剣とは少し違う。剣自らが意志を持っており、所持者との対話を通して魔法と呼ばれる超常の力をふるうことができる。
そして、剣の格には大まかに分けて4つあった。
誰でも抜ける下位、
そこそこの剣才が求められる中位、
剣才ある物が生涯をかけて努力することで抜ける上位、
そして、天賦の剣才と特異な素質が求められる最上位。
基本的に剣才は生まれながらのもので、努力しても限界があった。もちろん剣との相性もあるので一概には語れないが、この法則が外れることは稀である。
明日香はこの仕様に希望を見出していた。
(アリエンヌの剣になった暁には、いくらでも口出しすることができます。破滅に関係するフラグを全て回避し、私が救いのある未来に導く………でも、本当はアリエンヌと同じ学生の身分として暮らしてみたかったですけど)
そうして、明日香があり得たかもしれない未来の情景を妄想しているうちに、マーガレットとアリエンヌの選剣の儀が始まった。
先手を取ったのアリエンヌ。大貴族の名に恥じぬ高い素養と、何事にも動じない胆力を合わせ持つ彼女のは、今年の入学生の中でも抜きん出た剣才を誇っている。
傲然と歩みを進めたアリエンヌは、何の迷いもなく一直線に頂へと駆け登る。そこにあるのは剣身を漆黒に染めた一本の剣。
その剣の名は魔剣エクリプス、真の力を発揮すれば世界を支配するとも、星をも砕くとも言われている。代償としてエクリプスの持ち主は必ず破滅するとも噂され、最強最悪の剣と呼ばれていた。
位は当然の如く最上位。引き抜くことができれば、アリエンヌの勝利はほぼ決まったようなものだった。
「これがエクリプス………所有者を破滅させると曰く付きの魔剣」
アリエンヌは伸ばしかけた手をピクリと止める。しばらく逡巡した後で、覚悟を決めたように漆黒の柄をしっかりと掴んだ。
「キャー!アリエンヌに握られちゃった」
「は?」
途端に脳内に響いたのは、花もはじらう明日香の嬌声である。
「こ、これがエクリプス!?噂通り、、、なんて禍々しい魔力なの」
「グヘヘ、これもひとえに愛の力よね」
「あ、愛!?」
「そのとおり、愛よ!!アリエンヌのことを思い続けていた私がその剣となる………これが愛の力と呼ばずになんというの!」
「いや、私の思ってのとなんか違う」
「さぁ早く私を抜きなさい。病めるときも、健やかなときも、あなたを愛し敬い慰めることを誓いますわ」
「何なのこの剣!気持ち悪い」
アリエンヌが感じたのは生理的悪寒だ。あまりの気色悪さに耐えられなくなったアリエンヌは、明日香もといエクリプスを手放していた。
選剣の儀では滅多にない持ち主からの拒絶、ありていに言えば明日香はアリエンヌにフラれたことになる。
(うそ!?)
曰く付きの魔剣としては面目躍如といったところだったが、フラれた明日香としてはたまったものではない。さっきまでの余裕はどこに行ったのやら、ゲームと違う展開に明日香は動揺を隠しきれないでいた。
(ちょ、待って!その剣は!!!)
動揺する明日香に追い打ちをかけるように、アリエンヌは次にとんでもない剣を引き抜こうとする。
アリエンヌが手にしたのは聖剣レイ・フラッシュ、かつては救国の英雄が携えたと呼ばれる伝説の聖剣。位はエクリプスと同様の最上位で、本来の物語なら主人公のマーガレットが引き抜くはずの剣であった。
「くっ、分かったわ。その条件を呑むから私の剣になってちょうだい」
「………」
「ええ、四大貴族の誇りにかけて誓うわ」
「……」
アリエンヌは『レイ・フラッシュ』との対話を終えると、その白銀に輝く剣を引き抜き天高く掲げてみせる。今ここに、悪役令嬢アリエンヌとレイ・フラッシュの剣士が誕生した。
「「「おぉぉ!!!」」」
入学生達の大歓声が大気を震わす。
それを祝福と受け取ったアリエンヌは腰につけた特注の鞘の中に剣を納めると、意気揚々と剣の丘を降って行くのだった。
一方、マーガレットは顔を蒼白にして項垂れていた。アリエンヌが最上位を抜いたのであれば、こちらも同位の剣を抜かなければ負けとなってしまう。そしてマーガレットは、己の剣才でそれを達成することが、どれだけ絶望的なことなのかを理解していた。
マーガレットはアリエンヌの勝ち誇った視線に耐えながら、すれ違うように剣の丘を登って行く。こうなってしまっては彼女に選ぶという権利は残されていない。一段と重い足取りで頂に登った彼女の目の前には、闇より黒い漆黒の剣が突き刺さる。
「ほ、ほんとはこんな怖い剣いやだけど」
「でしたら他の剣にしたらどうです?」
「ひぃ!?」
「まぁ、無理でしょうけど」
柄を握られたエクリプスこと明日香は、アリエンヌにフラれたショックをまだ引きずっていた。不機嫌の八つ当たり先に選ばれたマーガレットは、あまりの塩対応に目尻に涙が浮かべている。
「お願い!もうあなたしかいないの」
「………」
明日香はこの場でマーガレットを拒絶した場合、物語にどんな影響を及ぼすか考える。
本来の物語なら互いに同じ最上位を抜くことで、勝負の結果は有耶無耶となる。だが、剣の丘にレイ・フラッシュに匹敵する剣は自身の他になく、同位以上を引き抜けなかったマーガレットは、十中八九、田舎に追い返されてしまうことだろう。
主人公不在の恋剣、仮にそんな事になってしまえば、物語は大きく変わってしまうことだろう。そうなれば、明日香は物語の展開を知っているというアドバンテージを失うことになる。
最悪、一生ここに一人ぼっちで取り残される可能性すら、、、
「分かりました。あなたの剣になって差し上げます」
やれやれといった感じで首を振った明日香は、マーガレットの剣となることを承諾した。ここで大きく物語を変えるより、少しでも自身の知っている物語を準える方が理に適っていると、心の天秤が傾いたのだ。
決してひとりぼっちが怖くなったからでも、泣きだしそうなマーガレットに絆されたわけでもない。あくまでも明日香の推しはアリエンヌなのだから。
「ですが、あなたが有利になるようなネタバレしませんし、私のことは誰にも───」
「やったぁ!!!」
エクリプスは錠前を外されたように、するりと地面から引き抜かれる。明日香の言葉が途切れたのは、マーガレットがその場でエクリプスを振り回したからだ。
「お、おえ………ちょっと、待って」
「うーん、ちょっとバランス取るのが難しいな」
マーガレットは明日香のことなど意にも返さずに、ひたすら素振りを繰り返す。目まぐるしく変わる剣さばきは、さながら舞踏を演じているように美しく優雅であったが、エクリプスから一定以上離れることの出来ない明日香に取っては地獄である。
「もう無理、、、誰か助けて」
「よし!慣れてきたかも」
「い、いや───」
気をよくしたマーガレットは、さらに早い動作でエクリプスで空を裂く。この時、明日香は諦めと同時にある事を思いだしていた。
主人公のマーガレットがどんな剣でも手足ように扱える、超絶剣技の持ち主だということを。
こうして、明日香の苦難の日々が始まりを告げるのだった。