10-バットエンド
意を決して上を目指したマーガレットら一向だったが、魔物はすでに狩り尽くされてしまっているのか、あまり数を見かけなかった。入り組んだ迷宮の行き止まりに、数匹のゴブリンが群れている程度だ。
マーガレットを除く3人は、相変わらずゴブリンに苦戦を強いられていたが、ディアタリスマンのおかげで大きなダメージを受けることはなかった。それでも疲れは溜まるもので、目的のボスがいる階層に到着すると二度目の休息を取ることなる。
「あの───私まだ元気だから。ちょっと先の様子見てくるね」
ほぼ満身創痍の3人を尻目に、余裕のあるマーガレットは索敵を申し出る。残される3人は信じられないといった面持ちだったが、これまでの孤軍奮闘の戦いぶりを見てきたこともあり、マーガレットを止める者は誰一人いなかった。
「で、言われた通りみんなから離れたけど、これでよかったの?」
マーガレットは周りを見回しながら歩く。別に一人が怖いという訳ではなかった。ダンジョンを一人で歩くことなど、明日香の鬼周回で慣れている。
この階層の光景が今までのダンジョンと違うことに、興味を引かれたのだ。広い一本道に天井は家よりも高い。複雑な下層の迷宮と打って変わり、整然としたこの道なら迷うことはないだろう。
などと思っていたところで、エクリプスが神妙な声で返事があった。
「ご苦労様、、、これで最後のフラグが成立しましたわ」
明日香は心苦しそうに胸元を握る。幽霊状態で痛みを感じることはないはずなのに、これからの出来事を考えると胸が痛く感じた。
「エクリプス、朝からなんか変だよ?」
「な!?そんなこと………ありません!」
「本当かなぁ、工房から帰ってきてから妙に優しいし。リタさんに何かされたとか」
「私が優しいですって?」
明日香は首を傾げる。
確かに昨日リタ工房で放り出された不安と寂しさは、自身が態度を改めるキッカケになった。それでも優しいと称されるほど、マーガレットへ情を掛けた覚えもない。やったことといえば、フラグがご破算にならないように、リスクケアをしたぐらいなのだが。
「もしかして、ディアタリスマンを譲るように指示したから?」
「そうそう、あれのおかげであんまり3人を守らなくて良くなったから」
「ふん、あれは苦肉の策ですわ。おかげでこの先で運任せのところが増えました。ディアタリスマンを装備しないで、あなたがどこまでやれることやら」
「運試しなら任せてよ!こう見えても私、夜店のクジ引きで3等以下を取ったことがないの」
満面の笑みで答えるマーガレットに、明日香は頭を押さえるしかない。
ディアタリスマンを譲ったのはあくまでも、アリエンヌの破滅する未来を変えるために必要だと思ったからで、決して他3人に忖度したわけでも、マーガレットに恩を売ったわけでもない。
ただの損得勘定による打算的な判断。でも底抜けに明るいマーガレットはそうは思わない。
明日香の行いを都合の良い方向に解釈し、ダンジョンの攻略に手を貸してくれているのだと本気で思っている。その子供のような純粋さが、明日香の胸を一層強く締め付けた。
いっそのこと全てを吐露して楽になってしまいたい。そんな弱音が明日香の頭を過ぎる。
「ふっ、いまさら何を弱気になっているのやら」
「え?」
明日香は自嘲するように笑みを浮かべた。
「マーガレット・ルシエール、私を恨みたいなら恨みなさい。お人好しのあなたを利用することしかできない愚かな私を………だから倒しなさい。彼女を完膚なきまで徹底的に」
「それって一体、」
「きゃー!!!」
耳を劈くような甲高い悲鳴が響き渡る。
「この声………ノエル!?」
聞き覚えのある親友の声にマーガレットは即座に身を翻す。だが、すぐさま足を踏み出すことはできなかった。
「───っ!アリエンヌさん!?」
「ようやくこの時が来ました」
口角を釣り上げたアリエンヌが、マーガレットの行き先を塞いでいた。すでに臨戦体制を整えたアリエンヌは、片手に白銀に煌めく一本の剣を握っている。薄暗いダンジョンの中で、その剣は欠けた月のようだった。
むき出しの殺意をヒシヒシと感じたマーガレットは、即座に己の剣を抜く。闇よりもさらに深い濡羽色の剣身は、暗闇の中でもその存在感を失いはしない。
睨み合う二人の間には、目に見えない火花が散っていた。
「それは出来ない相談です。これからあなたは私に叩きのめされるのですから」
「ノエル達に一体何をしたの!」
「さあ?そいえば、先ほど何匹か魔物を見かけましたけど………ふふ、気のせいだったかしら」
「ちょっと、エクリプス!まさかあなたノエル達が襲われることを知ってて………」
「はぁ、この後に及んでまだその剣と戯れられるとは………でも残念、今日は私の矜持に付き合ってもらいますわよ。マーガレット・ルシエール!」
高らかに宣言するアリエンヌを無視して、マーガレットは自身の剣を睨みつける。だが漆黒の剣は濡れたように光を反射するばかりで何の返答もない。
「そう、これがあなたが黙っていた未来なんだ」
「………」
「最期の最後までダンマリか………どういうつもりか知らないけど、アリエンヌさんと戦えばいいんだよね?」
「………ええ」
「分かった。終わったら詳しく話を聞かせてもらうから!」
言うが早いか、マーガレットは目にも止まらぬ速さで剣を突き出した。敵の無力化を狙った肩口への一撃、空を切る音すら置き去りにした神速の剣がアリエンヌへと迫る。
キン、と金属同士をぶつける音が上がした。
寸前のところでエクリプスの切先をレイ・フラッシュが弾いたのだ。交差する黒と白。交わることのない二つの色は鋭い光を放ち、薄暗い塔の中を一瞬だけ明るく照らす。
「くっ、今の反応されるなんて………この人、速い!?」
「あなたが遅いのですわ。所詮は平民、最上位の剣を使ってもこの程度ですか」
初撃を外され体勢を崩したマーガレットに、アリエンヌは膝蹴りをお見舞いする。
「───っ!」
内臓を圧迫されたせいで、息が勝手に漏れる。
「ケホケホッ、、、油断した」
「平民の浅はかな考えなどお見通しですわ。でもまあ悪くはありません。次はもっと楽しませてちょうだい」
「簡単には勝たせてくれないか」
そうでしょうね。と、それから何度も切り結ぶ二人を眺めながら明日香は思う。本来の物語であったのなら、この戦いはいわゆる負けイベントだった。普通にプレイしていては、何をどう足掻こうがアリエンヌには勝てない。ゲームではそのように設計されていた。
本人のズバ抜けた剣才に加え、身につけた国宝級のレジェンドアイテムと、戦術級の魔法を唱えることが許された最上位の剣がそれを支える。装具にも裏付けられた、圧倒的な強さをアリエンヌは誇っていた。
一部ステータスはラスボスをも凌ぐと言われていて、普通にプレイしていればこの時点のアリエンヌに勝ち目はない。だが………
「あらまあ、平民にしてはなかなかやるようね」
「それはどうも!」
一度は反撃を受けたものの、マーガレットは必死に攻勢を続けていた。
「ですが、所詮は平民ですわ」
怒涛の連続攻撃を何食わぬ顔で全てをいなしたアリエンヌは、カウンター気味にレイ・フラッシュの一閃を放つ。
当たれば必死の一撃だと悟ったマーガレットは、エクリプスに魔力を注ぎ防御魔法を展開する。
バチィ、と静電気が流れた何倍も大きな音が鳴り、透明な何かと干渉したレイ・フラッシュが弾かれる。感心したように眉を吊り上げたアリエンヌは、後方に一歩退き体制を立て直す。
「そうやって平民、平民ってバカにして!貴族だからって何がそんなに偉いの」
「平民はこれだから………偉いに決まってるでしょ?王より剣士になることを許された高貴な血筋、それが貴族なのですから。あなたのような平民が繁栄を享受できるのも、私たち貴族が日夜努力し剣の腕を磨いているから、」
「私だって剣士だ!」
隙を見逃すまいと大きく踏み込んだマーガレット
は、頭上高く振りかぶったエクリプスを、渾身の力を込めて振り下ろした。躱せないと判断したアリエンヌは、白銀の剣身で漆黒の凶刃を迎え撃つ。
「違います!あなたが剣士を名乗れるのは、そのヘンテコな剣のせいですわ」
「ヘンテコでも剣は剣だもん。剣を使えれば剣士でしょ?それに死ぬほど努力もしたし、実際に死にかけた!」
「平民のくせに生意気な!!!」
鍔迫り合いも束の間、二人は再び剣を切り結ぶ。
「(誠に遺憾ですけど、口は摘んでおきましょう)」
明日香はエクリプスにつられて過度に振り回されないように、適切な距離で決闘の行方を見守っていた。
彼我の戦力差は今のところ五分、二人の実力は伯仲している。あとすこし何かがマーガレット側に傾けば、勝利は揺るがぬものとなるだろう。
「(やはり恋無しブーストだけでは足りませんか………多少不自然でも、3人からアイテムを回収しておくべきでした)」
恋剣の隠された仕様で、主人公に恋愛をさせないと能力が飛躍的に向上する。恋愛ゲームの主旨を無視する暴挙でもあるこの仕様を使えば、負けイベントのアリエンヌにも勝利を収めることができた。
だがそれだけでは運任せの要素が多く、アリエンヌ戦は安定しない。なので明日香は追加のプランでは、ディアタリスマンによる防御力up効果の重ね掛でゴリ押しする戦法を取る予定だった。
これは明日香の知識の中で、アリエンヌを一番確実に撃破できる方法なのだが、現実そう甘くない。
アリエンヌが襲ってくる上階層に到達するには、ディアタリスマンを他のパーティメンバーに装備させなければならなかったし、ゲームと違いボス討伐の直前で3人にアイテムを返せと要求するのはあまりに不自然だ。
流石の明日香も空気ぐらいは読む。
とはいえ、このまま勝負の行く末を他人任せの運任せにする明日香ではない。何か出来ることはないかと、常に考えを巡らせていた。
だが常人離れした二人の剣技の応酬に、シロウトが口を挟めるはずもなく。できることといえば、時折弾ける魔力の光彩の数を数えるくらいだ。
ゲームをやってる時は気にとめたことはなかったが、この演出はなかなかに綺麗である。飛び散った魔力は粉雪のように舞い散り、淡い光は不明瞭な濃淡を描く。
「あ、あれは───理沙?」
懐かしい面影に思わず声が出る。見間違いかとも考えたが、魔力の光が照らし出したのは間違いなく伊集院家が雇っていた従僕の姿だ。
明日香は無意識に腕を伸ばしていたが、その手は虚しく空を切ってしまう。理沙に触れる前に光は霧散して消えてしまったのだ。
「フフ、何がお久しぶりですって。まさか理沙までこの世界にやってきていたなんて………」
言葉は交わせなかったが、最後に見えた理沙の表情は朗らかに微笑んでいた。長い付き合いだ。それだけで理沙が何と伝えたかったか、明日香は何となく理解できる。
「どうやら運命はこちらの味方みたいね………聞きなさい、マーガレット!」
「こ、こんな時になに!?」
二人の攻防はアリエンヌが距離を取ったこともあり、魔法戦の様相を呈していた。お互いに剣では決定力に欠けると悟ったのだ。
「天翔ける神の雷よ───」
アリエンヌはすでに魔法の詠唱を始めている。ここは広いとはいえ一本道だ。下手に小細工を弄するより、最大火力を叩き込むのが有効だと判断したのだろう。
迎え打つのも一興ではあったが、それで勝てる保証はどこにもない。アリエンヌの持つレイ・フラッシュもまた、エクリプスと同等の魔力を秘めた最高位の剣なのだから。
「やばい、あれ完全詠唱の魔法だ。防御魔法でも防げないよ」
「大丈夫、心配いりません。あの魔法は必ず失敗します」
「え、なんで!?」
「詳しいことは後で説明します。いいからあなたはその隙をつくことだけを考えなさい、チャンスは一度、これを逃したら次の勝機が来るか分かりません」
「………分かった。色々と言いたいことはあるけど、私はエクリプスを信じるよ」
マーガレットは額から垂れてきた汗を拭うと、大きく深呼吸をする。精神を極限まで研ぎ澄ませているのが、エクリプスを介して明日香にも伝わっていた。
「行きなさいマーガレット、あなたならできる!」
「うん!」
地面が抉れるほど強く駆け出したマーガレットの体は、あっという間に最高速度に到達する。
「天帝の名の下に、空虚な世界に開闢を示せ───な!?」
アリエンヌは目を見開いた。マーガレットの奇襲に驚いたわけではない。そんなものアリエンヌには予測できて当然の事柄である。彼女が真に戸惑ったのは、己の剣から突然の裏切りにあったせいだ。
八割かた詠唱の終えていた魔法は無へと消え去り、アリエンヌは決定的な隙を曝け出すことになる。その隙をマーガレットは見逃さない。懐に潜り込んだ彼女はエクリプスを逆手に持ち、無防備なみぞおちに柄を激しく打ちつけた。
「───がっ」
ゴリッ、と肉がめり込む感覚の後、アリエンヌは経験をしたことのない痛みに襲われる。空気を押し出された肺は息をすることも忘れ、エサを求める金魚のように口を動かす事しかできない。
膝をつき倒れるアリエンヌをマーガレットは蹴り上げ、返す足の踵落としを肩に打ち下ろす。僅かな細い糸で繋がっていたアリエンヌの意識は、それでプツリと切れる。
「それまで!」
アリエンヌがレイ・フラッシュを落としたあたりで、明日香から待ったが入る。徹底的にと言った試し、そんな権利が自身にあるとは明日香も思っていなかったが、推しがこれ以上傷つけられる姿を見てはいられなかった。
「いいの?まだ半死半生ってところだけど」
「いいのよ。状況が少し変わりましたから………そのかわり、レイ・フラッシュを持っていきなさい」
「え!?それって校則違反に、」
「それを言うなら、襲ってきたアリエンヌに100%非があります。何か言われても正当防衛と言い張りなさい」
「う、うん」
予期せぬ助っ人の介入があったにせよ、本来の物語では負けイベントだったアリエンヌ戦に、マーガレットは見事に勝利を収めた。
これは初期装備でラスボスを倒すほどの偉業である。明日香が珍しくマーガレットの肩を持つのも、そういった理由があった。
「とにかく、これで終わりましたわ」
そう呟いた明日香は浮かない表情をしていた。物憂げな眼差しでマーガレットを眺める姿は、とても目的を達成した人間のものとは思えない。
「ごめんなさい。先に謝罪を述べておきます」
「藪から棒になに?」
明日香が感じていた痛みは罪悪感と呼ばれるものだ。
全ては自身を中心に、成功も失敗も全てを糧に前に進むのが、伊集院明日香の生き方であった。だから他人の人生がどうなろうと、知ったことではない。どんな不幸も自身の能力不足が招いたことで、努力が足りないせいだと決めつけていた。
だが今回ばかりは違う。
思ったように動けない明日香は、普段は使わない知略と策謀を用いて、他人を誘導し目的の成果を得た。生まれて初めての経験は苦く、悔恨の念を抱くには十分な味であった。
「あなたはよくやりました。これは私の心からの賞賛………ですがその結果、あなたの人生はバッドエンドになることが確定しました」
「えーーー!!!」
マーガレットの絶叫がダンジョンの中を虚しく響き渡った。