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1 -願いの行方

日本のとある閑静な住宅街を、黄昏時の静けさが包み込んでいた。立ち並んだ建築物はどれも立派で、住民のヒエラルキーが高いことが伺える。


「理不尽、理不尽ですわぁぁぁあ」


寒空の下、乙女の甲高い叫び声が鳴り響く。隣人からクレームが入るレベルの大声であったが、広い敷地と防音構造の家に助けられた。


絶叫の乙女は、住宅街でもとりわけ大きな豪邸の一室で、キングサイズはあるベットの上を転げ回る。毛布をグルグルと巻きつけた姿はさながら芋虫のようだ。


芋虫に蹂躙されたベットシーツはシワだらけで、メイキングした人間はさぞ胸を痛めることだろう。ぐちゃぐちゃにされたベットの上にタブレットが一つ、happy endの文字がピンク色に映し出されていた。


明日香(あすか)お嬢様、その声量は犯罪的かと」


部屋に入ってきたメイド服の女性は、わざとらしく耳を押さえながら芋虫に語りかける。すると毛布の塊はモゾモゾと蠢き、隙間からのっそりと少女の顔が生えてきた。


長い黒髪に、気の強い印象を受けるツリ目気味の目をした芋虫人間………ではなく。彼女は世界でも有数の財閥を率いる伊集院家の一人娘、伊集院明日香その人だった。

 

理沙(りさ)には分かりません。推しを失った私の気持ちなんて」


理沙と呼ばれたメイド服の女性は、亜麻色の髪を綺麗なお団子状にまとめ上げ、ホワイトブリムで着飾っていた。


理沙は主の小言に眉一つ動かす様子はない。代わりに、また始まった、と言わんばかりに小さなため息を吐くのだった。


「はぁ、確かに芋虫の気持ちは分かりかねますが」

「ち・が・い・ま・す。高貴で孤高のアリエンヌが悪役令嬢と蔑まれる苦しみをです。ゲームをクリアするのにどれだけ私が心を砕いたことか」

「ああ、ゲームの話でしたか」


コツコツと歩みを進めるた理沙は、ベットの上のタブレットを手に取った。画面はすでにエンディングもスタッフロールも終わり、ゲームのタイトルへと移り変わっている。

 

「『恋剣』ですか。面白いものをやってますね」

「理沙もやったことありますの!?」

「ま、まぁ、淑女の嗜み程度には、」


理沙は視線を泳がせる。模範的なメイドを演じてきた彼女にとって、この手の乙女ゲームをプレイしていることがバレるのは面白くないのだ。


「なら分かるでしょう!アリエンヌの扱いがどれだけ酷いのか」

「確か主人公のマーガレットと敵対する悪役令嬢でしたよね。どのルートも、報いを受けて当然だった気がしますけど」

「理沙の鬼!悪魔!人でなし!アリエンヌは(ワル)に見えるだけで、きっと本当はいい子でカッコいいんです」


アリエンヌとは恋剣の主人公マーガレットに敵対するキャラの名前だ。幾度となくプレイヤーの前に立ちはだかっては物語を盛り上げる重要な悪役で、基本的にどのルートでも破滅してしまう。


自業自得な部分が目立つものの、一本筋の通った生き様のおかげか、キャラクター人気は存外に高い。明日香はそんなアリエンヌが大好きだった。


「悪に見えたらもうそれは悪なのでは?」

「そんなことありません!にわかは黙ってて」


理沙はもっともな事を言ってのけるが、明日香の心情は少しも揺らがない。推しのためなら何でもやってやる。そんな気迫に満ちていた。


「こうなったら、あれを使うとしましょう」


そう言うと明日香は毛布を跳ね除け、乱雑に物が散らばって部屋の中を器用に進む。そして己の机に辿り着くと、引き出しから『大願成就』と達筆な字で書かれた絵札を取りだした。


「クックック、これは子供のときに買ってもらった。書いた願いがなんでも叶う絵馬よ!」

「ご説明ありがとうございます。それで具体的に何をお願いするつもりですか?」

「もちろん、アリエンヌの幸せな未来です。願わくはアリエンヌの側に私がいたいのだけど………おファック!スペースが全然足りません」


明日香は悪態をつきながらも、絵馬の狭いスペースに入るだけの願いを書き連ねる。そして鬼気迫る勢いで筆を走らした明日香は、ドヤ顔で絵馬を理沙に向かって突きつけた。


しょうもないとは思いながら、主人のことを無視する訳にもいかず。理沙はなけなしの優しさで内容だけは確認することにした。

案の定と言うか何と言うか。とても一端の女子高生が書いたとは思えない内容に、理沙はつい本音を口にしてしまう。


「はぁ、世界一くだらない使い道ですね」

「だまらっしゃい!とにかく、理沙はこの絵馬を今すぐ神社に奉納して来なさい」

「え!!?こんな遅くにですか」

「まだ勤務時間のはずですけど?」

「………分かりました。かわりに身の回りのことはちゃんとやってて下さいね」

「ええもちろん。お母様に怒られない程度には、整理整頓しておくと約束します」

 

理沙は一抹の不安を覚えたが、主人にそこまで豪語されては雇われメイドの身に抗う術はない。気乗りしない様子で絵馬を受け取ると、そそくさと明日香の部屋を後にする。


理沙は最寄りの神社の場所を思い浮かべながら、ふと左手首の腕時計を確認した。内側に付けられた時計の短針は、ちょうど20時を回ったところである。


「あと一時間か………絵馬を持っていくついでに直帰しよ。ご主人様の命令ですもの仕方がありませんよね」


明日香のいいつけは理沙の脳内で都合よく処理される。しごできメイドである理沙は残業をしないタイプのメイドなのだ。


その日の深夜、


ゲームをクリアした余韻に浸りながら、ベットの中でまどろんでいた明日香は、16年の人生で一度も経験したことのない不思議な体験をすることになる。


瞼を閉じて眠りについていると、目の前が突然ゲームのロード画面のように暗転を始めたのだ。


夢でも見ているのかと思ったのも束の間、気がつくと程よい浮遊感が明日香を包んでいた。浮いているようで沈んでいるようでもある。そんな曖昧な感覚を楽しんでいた矢先、唐突に明日香の耳に謎の音声が飛び込んできた。


【遥か昔、魔族との戦いにより人類は存亡の危機に陥っていた。人の世もここまでかと思われたその時、一人の剣士が立ち上がる。後に光の剣士と呼ばれたその剣士は、仲間と共に見事に魔族を討ち果たし、世界を覆った暗雲を晴らしてみせた】


明日香のよく知るフレーズ、これは『恋剣』のプロローグで流れるセリフとまったく同じだった。これだけで願いが叶ったのだと理解した明日香は、さも当然のようにこの現象を受け入れることにする。


これが伊集院明日香という人間の対応力のなせる技なのか、明日香は興奮する自身を抑えながらプロローグに耳を傾けた。


【再び訪れた人類の危機、あなた誰と世界を救う?】


「世界なんてどうでもいい。私はアリエンヌただ一人を、」


皆まで言う前に、明日香の世界は一瞬にして真っ白に塗りつぶされてしまう。あまりの白さに目を閉じた明日香だったが、瞼の裏までも真っ白だったのでまったく意味をなさない。


そうして目が眩んだのも束の間、明日香の意識はロウソクの火が消えるように失われてしまった。

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