隣のクラスの高嶺の花である黒条咲が死のうと俺には関係ないのだが、何故か世界がループするのでついでに助けようと思う
サイレンの音が一つが聞こえる
世界はむなしい。希望なんてものは見せかけの作り物だ。
サイレンの音が二つ聞こえる
幸せは一過性のものに過ぎないし、感情なんてものは余分だ。
サイレンの音が三つ聞こえる
ただ時間だけが残酷にも過ぎ去っていく。
それに抗う事なんて誰だってできやしない。
そんな意味のない世界、人生、どうだっていい。
そうこれが高校二年の秋を迎える白石優斗の中にあるものだった。
複数のパトカーや救急車が通学路を通り過ぎる。
いつもなら引き返すことなく、俺はそのまま帰宅したはずだ。
だがなぜか、あの時のあの瞬間の彼女の表情が脳裏をよぎったんだ。
「案の定、俺の学校か」
やじ馬たちが集まってできた人だかりをかけ分けて、救急車に運ばれる彼女を見た。いや見てしまった。全てが思い出される。今日、俺は放課後一人屋上へと向かった彼女を見た。あの時、隣のクラスの高嶺の花と呼ばれている『黒条咲』に、声をかけていればなにかは変わったのか。
「ねぇ飛び降りたんでしょ彼女」
「ああ、グラウンドの奴らが見たって言ってるから確かだと思うぜ」
「もともと何考えてるか分からなかったけど、思いつめていたのかな」
「もったいないな、こんなことになるなら一度くらい告っておけばよかった」
どこからともなくそんな声が聞こえる。彼女のことを何も知らない人たちが、何も知らない彼女に対して、言葉を吐き続ける。
俺は怒りも悲しみも抱いてはいない。ただ少しの嫌悪感が残った。終わりゆく世界で彼女は人より早く先にその生涯を終えただけだ。それを止める権利は誰にもないはずだ。なのに、どうしても屋上に向かった彼女の顔が忘れられない。
「帰ろう...」
黒条咲はなんで自殺をしたのか、要らない考えが浮かんでは消えない。それを知ったところでもう遅い、彼女はこの世にいないのだから。それにその原因を知っていたところで俺は彼女に対して、何もしてあげられないし、するつもりはない。
人生で初めて死体を見たんだ。今日くらいはこんな気分になってもいいか。
そう思い、日課の日記を取った。
・・・・・【2023年11月13日 月曜日】
黒条咲が死んだ。
屋上から飛び降りて死んだ。
部活動も終わっていない、そんな時間に彼女は死んだ。
誰かに直ぐに見つかりたかったのか。
それとも誰かに見てもらいたかったのか俺にはわからない。
明日はきっと騒がしくなる。
だから今日この日記を持って彼女について考えるのは終わりにしよう。
以上
そうしていつもより長く感じた一日目が終わった。
夢を見た、明晰夢ってやつか。屋上に向かう彼女に手を伸ばすそんな夢。繋いだ手を放さず、そのまま彼女を見つめていた。俺の深層心理がこの夢に現れているのだとしたらお笑い草だな。
だんだんと光が明るくなっていく、その光に繋いだ手を伸ばそうとして...
* * * * *
スマホのアラームがけたたましく鳴る。いつものようにアラームを解除して洗面所に行く。洗顔を終えて階段を下りて一階のリビングに行くと、着替えを済ませて家を出ようとしている母と目が合う。
「おはよう、母さん」
「おはよう、今日は朝時間が無くて、弁当は作ってあげれないから、購買でパンでも買いなさい。テーブルにお金は置いてあるから」
「昨日もそんなこと言ってたっけ、今日も長谷川さんの所の商談?」
「昨日?優斗に長谷川さんのところの商談について話したっけ?まあそうよ、だから朝食もパン自分で焼いて食べてね!それじゃあ、お母さん行ってくるわね」
「あ...ああ、いってらっしゃい...」
何だろう、違和感の感じる会話だったが、まあ寝ぼけているだけかもな。
テレビに電源を入れる、月曜日の7時半......
「.....は?げ、月曜日ってなんだ...」
スマホを改めてみても表示は月曜日。寝ぼけているでは済まされない、だって月曜日は昨日、なら今日が火曜日でないとおかしい。
「そうだ、日記を俺は昨日確かに書いたはずだ」
急いで階段をのぼり部屋の戸棚に手を伸ばす。
パラパラとめくると最新のページが目に入る。
・・・・・【2023年11月12日 日曜日】
特になし。
以上
「ない、ない....昨日俺が書いた黒条咲に関する記録が....」
朝食もそこそこに俺は学校へと向かっていた。向かう途中で見た光景は全てデジャブのようで頭を重くする。
下駄箱に靴を乱雑に脱ぎ捨て、自分のクラスではなく隣のクラスに向かった。普段なら隣のクラスに入るなんてことは絶対にしない。だがどうしても気になってしまった。高嶺の花である黒条咲の安否が。
教室の扉を開けると、窓際に、昨日確かに頭から落ちて真っ赤になって、死んだはずの黒条咲がいた。
昨日と全く同じ内容の授業だからなのか、黒条咲が生きていたからなのか、分からないが俺は確かに恐怖を感じていた。
もしあれが正夢の類なら、時計の長針が一周もしないうちに彼女は死ぬ。昨日、屋上の扉からこぼれた日差しで朱く染まった顔の彼女を俺は見ている。
だからってなんだ、俺は彼女が高嶺の花であり、成績優秀者であること以外に、なに一つだって知らない。関わる理由なんてないはずだ。だが俺の足は目的地を決めていた。
放課後、彼女が現れた時間より少し前に俺は屋上前の階段にいた。足音が近づいてくる。コツコツと音を大きくしていき、それはちょうど目の前で止まった。
「白石くん....?」
やはり黒条咲は現れた。
「黒条さん、こんにちは、こんなところで偶然ですね」
「う...うん、そうだね、ちょっと屋上に用事があって、通ってもいいかな?」
「放課後に理由もなく屋上に行くことは学校の校則で禁止されているはずです。だから今日はやめた方が良い。成績優秀者であり優等生の黒条さんが校則を破ったなんて知られたら、新聞部が黙っちゃいない」
「それは脅しと受け取っていいのかな」
「それで屋上を諦めてくれるのなら」
そうして10秒ほどの静寂が訪れて
「わかった、うん。今日は屋上にはいかないよ。白石くんって面白い人だね」
彼女が学校を出ていくところを二階から見送り帰路へと付いた。
・・・・・【2023年11月13日 月曜日】
特になし。
以上
まただ、夢を見た。夢を見ている自覚のある夢。彼女と俺は屋上にいた。飛び降りようとしている彼女に手を伸ばして引き留める。そうして掴んだ手を光に伸ばして.....
* * * * *
スマホのアラームがけたたましく鳴る。そこそこに止めて俺は日付を確認する。
2023年11月14日火曜日の6:31分を表示していた。
日付が変わったことを確認して眠りについたとは言え、昨日感じた恐怖は確かに俺の心に残っていた。
日記にも目を通す。
・・・・・【2023年11月13日 月曜日】
特になし。
以上
ちゃんと記録されてる。ただの紙切れに、これほど安心することも珍しい。身支度を整えて、下へ降りた。
「長谷川さんとの商談は上手くいった?」
「何急に?ぼちぼちよ。それよりお弁当よ。カレーだから、傾けないようにね」
「一昨日の残り物じゃないの?」
「カレーは熟成させる方が美味しいのよ?」
「カツが入ってるといいけど」
「じゃあお母さん先に行くわね」
「うん、行ってらっしゃい」
俺もそろそろ出るか。
いつも通りの通学路、昨日と見間違うこともないが、確実に火曜日を迎えているんだ。もっとも、月曜日を2回繰り返した物的証拠はないし、考えたって仕方ない。
ーーしかし何故、火曜日を迎えられたのか。
これは一考の余地があると思う。
超常現象に理由を求めるのは変かもしれないが、何か法則を導き出せれば、現状に対する疑問を潰せるかもしれない。例えば…
彼女が死ななかったから?
我ながら単純な思考だと思う。しかし、1回目と2回目とで比べて、俺はそこにしか干渉していない。何かしらの問題を解決することが、ループ脱却の糸口になる。
確証はないが、次があれば....って何を考えているんだ俺は....
6限目終了のチャイムが鳴った。
「次の授業の初めに小テストやるから、ソ連崩壊からな。忘れないように」
もはや、授業など雑音の一種にしか過ぎない。しかししょうがない、優先順位を間違えてはいけない。
ホームルームが終わり教室から出る。通り際に見た隣のクラスには、黒条咲がいつも通りいた。
孤高にして異端、だからこそ黒条咲は高嶺の花なんだ。
黒条咲が孤高であるのは彼女が1人だから、黒条咲が異端なのは彼女が可憐だから。別に本人が言っていたわけじゃない。
いつしかそうして彼女は独り高嶺の花として、この学校のシンボルの一つとなっていた。もし周りの評価や印象が独り歩きをした結果なら、さぞ生きづらいだろうとそう思ってしまった。
だから救おうというのは、飛躍している。
彼女との関わりは、昨日した約3分間の会話だけ。それで俺が彼女に持つ、一種の神性を弱めたのなら、俺はどこまでもおめでたい奴だ。
彼女がどんな問題を抱えていようが、自分の問題ではないはず。ただ死んだ顔が脳裏に浮かんだから、何も死ぬことはないだろう思ったから。
あくまで自分のためだ。
ほら、こうやって屋上に向かう階段で、張り込んでもすれ違わなかった。今日は大丈夫だ、大丈夫。
夜。
あの後、放課後まで屋上にいた。
・・・・・【2023年11月14日 火曜日】
休み時間の全てを階段で見張ったが、誰も通らず。
黒条咲が帰路に着いたことを確認して帰宅した。
ネットでも、誰かが死んだという記事は見られなかった。
明日この日記を、自分が読んでいることを祈る。
以上
ここは夢か....すごくまぶしい....まばゆい光をはらう。はらってもはらっても諦めるなと言いかけるように光は体に付きまとっては消えなかった。
* * * * *
スマホのアラームがけたたましく鳴る。数秒ぼーっとした後、スマホを覗いた。
「14日....火曜日」
今回は驚かなかった。だけど、疑問が晴れない。
何故またループしたのか。
彼女は死んでいないはずだ。彼女が自殺するのは屋上からと決まっているわけではないが、屋上で飛び降りる人間なら、自分の死を知らしめたいと願う性質があるんじゃないか。いや早計か、別に死体は見つかってないが、昨日一人悲しく自殺した線だってあり得る。だとすると、彼女の家に行って確かめる必要さえ感じる。
「ああ、くそ....」
寝起きだから考えが極端になる。そもそも、ループの原因が彼女だって、誰が決めた。
「話しかけよう」
退屈な日常を何度も繰り返せば、俺も正気で居られなくなる。今最も信頼できる仮説は彼女に関わる事。明日で効果が得られなければ、また他の可能性を考えよう。
洗顔、歯磨き、その他もろもろ整え、早めに家を出ようとしたとき。
「早いわね。今日はお弁当作ったのよ」
「カレーでしょ?」
「よくわかったわね」
「カツ入ってる?」
「入ってない」
「残念。じゃあ行ってくる」
昨日もカツが入ってなかったし、会話の流れは変えられるが、干渉しない事実は変わらないらしい。
今日はいつもより早く出たせいか、人通りは少し控えめ。
早く出た理由は、高嶺の花こと黒条咲より先に学校に着き、彼女と話すためだ。放課後だと人目につくだろうからな。
彼女が登校する時刻は7時30分ごろ。あの新聞部部長の情報筋だ、恐らく正確なはずだ。
現時刻は7時25分、彼女の教室を覗いてみる。まだいないらしい。いや、席にバッグがかけてあることから、既に来てはいるのだろう。
どこにいるんだ。
黒条咲の印象は高嶺の花だが、他を考えればとても曖昧で、物静かという印象しかない。だったら、図書室にいるのではないかと、扉を開けるが…
「流石にいないか」
我ながら安直過ぎた。
「誰か探しているのかい?」
その声に振り返った。声色は高め、だから顔を見た時に少し驚いたのかもしれない。
「黒条咲.....」
「何でフルネーム?」
「ちょうど会いたくなって」
「私に?」
「はい」
大丈夫、不意打ちだったが、表情は崩れていない。
「君はやっぱり面白いね。私に話しかける時は、みんな気を使ったように敬語なんだ。学年が上でも下でもね」
「初対面の人に対して、普通は敬語ですよ?堅苦しくないならやめるけどさ」
「いやいや、好きにしたまえ。それで私に用があるんだったよね?」
「取り立てて用はないんですが、何か問題を抱えてたりしたら、話してもらえませんか?」
その瞬間、彼女こと高嶺の花である黒条咲は大笑いした。
こんなことを真顔で話すんだから、自分でもおかしいとは思っている。考えようがあったかもしれないが、彼女を引き留めるだけのいい理由が思いつかなかった。
「わかったよ。そうだね....君は何で、私に話しかけたんだい?」
「特に理由は....」
「じゃあ何故、私が図書室にいると思ったの?」
「静かそうだったから?」
「凄く単純だね!」
「まああなたのこと、そんな知らないですし」
ここでまた彼女は大笑いしてしまう。しばらくそんなやり取りを繰り返しているとチャイムが鳴った。
「放課後、また来てよ。相談したいことがあるから」
そこで彼女と別れた。
「意外と明るかったな....」
ホームルームが終了、同時に椅子を上げ、足早に図書室に向かった。
授業が終わるまで考えていたことは、彼女に対する関わり方。ループや自分の立ち位置に気を取られていたこともあり、考えてみれば、彼女にどういう形で関わっていくのか、全く考えていなかった。当たり前だが、俺は積極的に人と関わるような人生は送ってきてない。だから変な誤解を与えないためにも、素直に話していこうと思う。
図書室の扉をガラガラといわせ開けると
「まだ来ていないか....」
「ここだよ、白石君。私も今着たところだ」
次は廊下から話しかけられる。
「相談ってなんです?」
「順序を飛ばしていくね」
「流石に早すぎましたね」
素直になり過ぎるのも、問題だな。
「まあ君らしいと言えばそうなのかね。じゃあその相談だけど、私が全校生徒から。気を使われているということは話したよね?」
黒条咲は高嶺の花、だからまるで触れてはいけない高い花瓶のような扱いを受けている。
「君みたいに、フランクに話しかけてもらえたら、私も困らない人生だったのかもしれない」
「えーと、話が分からなくなりました。つまり何に困っているんです?」
「健全な友人関係を構築する方法だよ」
高値の花も安上がりな願いをもっているということで、意外と世間は単純なのかもしれない。
「自慢じゃないですけど、自分も友達は少ないです。なので協力できるかは怪しいですね」
「だけど私よりは多いはずだよ。なんせ、私にそう呼べる人間はいないからね....大丈夫だよ?そんな顔しないで」
自虐しているが、彼女は微笑んでいた。こんな表情も出来るのか。黒条咲の印象が会話を通じてズレていく。
「まあ何です。そんな感じに喋ればいいと思いますよ」
「それができないから、困ってるのだよ」
まあ心理的に楽になればいいはずだから。
「ではシミュレーションをしましょう。自分を同性の友達として見てください。適当に会話をするんで状況に合わせて、返答を考えるように」
「わかったわ」
「じゃあ始めますよ。おはよう!」
「おはよう」
「今日の新刊見た?あの少女漫画なんだけど、彼女の恋敵に恋をしてしまうなんてね」
「今時の女子高生は少女漫画を読むのかしら」
もっともなご指摘だが、まあ一定層はいるだろう。
「元気ない?」
「元気よ」
「スタバの新作飲んだ?イチゴチョコキナコフラペチーノ」
「お腹に溜まるね」
「....いい天気ですね」
「曇りだけど」
「今日歴史?の教科書忘れちゃった」
俺のバックから、彼女に歴史の教科書を引っ張り出される。
「持ってるじゃない」
「....さっきから設定潰すのやめてもらえます?」
「潰される設定が悪いんじゃないのか」
「潰すことに集中は....」
「していない。ちゃんとシミュレーションと仮定して受け答えしたよ」
「なら、絶望的です。現文でよく満点をとれてますね」
「現文は要領、誰でも解けるようになってるのだよ」
得意げに胸を張る彼女。しかし、結局この放課後の会話で収穫があったかは怪しい。
「この相談って不毛ですよね」
「私にとっては有意義だったけど、それもそうだね。それで本当の相談なんだけど....」
口ごもる彼女、少し空気が重くなる。瞬間、真っ赤に染まった彼女の顔がフラッシュバックする。グっと声が漏れそうになるのをこらえ、彼女の言葉を待った。
「これ、運ぶのを手伝ってもらえないかい?」
大小段ボール箱が2箱。
「司書の先生に15分だけ退いてもらう代わりに、これを音楽室に運ぶことを頼まれてしまってね」
「.....はあ、何を言い出すか身構えましたよ」
結局彼女の悩みが何なのかは分からなかったが、とりあえずは目の前の大きな段ボールを持って彼女についていく。
「ちょっと歩いていただけなのに、いつもこんな視線を浴びるもんなんですか?」
周りの視線がやけに鬱陶しい。羨望か嫉妬か、彼ら外野がヒソヒソと話す内容を聞けば、どちらかはすぐにわかる。
「今日は君といるから、私に行く視線は少なかったね」
長かったようで短かった音楽室に着き、段ボール箱をドサッと置いた。
「やはり、高嶺の花は特別天然記念物くらい、学校のみんなに大事にされるんですね」
「皮肉かい?」
「いえ、ただ黒条さんも別に気にしてないでしょう。高嶺の花と呼ばれることについて」
「そうだね。高嶺の花に人は集まらない。でもそれは私から寄ることもないということ。私は人間に興味ないんだよ」
「それで何で、健全な友人関係を築きたいみたいな、思ってもないことを言ったんですか?」
「君とのコミュニケーションで、少しでも人間らしさをと思ってだね」
「蛇足ですね」
「でもそのおかげで君のことは、もっと知ってみたいと思った!」
彼女の顔が、眼前まで迫った。即座に自分の手で目を隠し、下を向いた。
「おや?それが照れというやつかい?白石君?一瞬顔が赤くなってたよ」
「....お見事、お見事。情緒が読み取れて大変人間らしいですよ、黒条さん」
やはり人との関わりには想定外のことがつきものだ、この俺をもってしても動揺する。
騒音が少しずつ薄まり、空が暗くなっていた。
「そろそろ帰ろうか、白石君」
「ですね」
「昨日と同様、結局、君の目的がわからなかった」
「正直俺も黒条さんについて分かりませんでしたが、一応、差し当たり問題は?」
「ないよ!何なんだい?君は?」
彼女は少し笑っていた。あなたに話しかけないと、ループが終わらないんですよ。なんて言えないんだから、今は心のうちに秘めておこう。
「明日が水曜日だといいですね」
黒条咲とは音楽室で別れ、俺は念には念を入れて屋上を見張った。結局何の問題もなく、帰るころには日が暮れていた。
特に達成感はない。別に今日何かしたわけじゃないし、当然のこと。
明日になれば、結果が出る。答案不明のテスト、それでいて採点項目は不明、合否はループという結果で答えてくれる。
もし今回もループするようなら、もっと大胆に首を突っ込まざるおえない。
意外かもしれないが、億劫ではなかった。
気恥ずかしいが、俺も楽しんでいたんだ。
心境の変化か、自分に対する嫌悪感も和らいだ気がした。
・・・・・【2023年11月14日 火曜日】
特になし。
以上
部屋の電気を消した。
夢を見た。彼女を助ける夢。どうやらあの光が俺に勇気をくれているらしい。そんな光に感謝を告げるように手を伸ばした。
* * * * *
起きてすぐに日付と昨日付けた日記を確認する。これが今の俺の朝一番の日課となっていた。
電柱にたたずんでいる鳥のさえずりも、もうすぐ冬になるからかさみしいものだった。
「外も随分冷え込んできたな、この寒さだけは繰り返したくないな。まったくトリガーの掴めないループ作品には困ったものだよ」
なんて誰に聞かせるわけでもない言葉を空に投げかけた。
「ただ暴いてみたいとは思わないかい?そんな世界を」
家を出て曲がった十字路の後ろ側から最近やけに聞き馴染んだ声が聞こえた。
「黒条さん.....」
何故ここに彼女はいるんだ。
「ああ、君には言ってなかったね、私が君のことを知っていたのは通学路が一緒だったところが大きいんだ」
「通学路が一緒?」
「私の家はあれだよ」
指の差されたその位置を見上げると、自分の家から200mも離れていないところに大きな一軒家が建っていた。
「あれが黒条さんの家?」
「まあ驚くのは無理もないが、白石君、君は本当に周りの出来事に無頓着なんだね。うぬぼれかもしれないが、二年間同じ通学路を通っていたのだから知られているものだと思っていたよ」
「まあもともと無気力系に分類される人間だと思っていたので。周囲に目が向けられていなかったんですよ」
「今は違う、みたいな言い方だね」
「ええ、そうかもしれません。それよりもさっきの独り言にあの答え。黒条咲さん、あなたは何かを知っているんですか」
どことなく冷静に聞いたつもりだったが、寒さではない震えを感じていた。
「私は答えを持っていない。ただ君が何かを考え、悩んでいることは今ので分かったかな」
はぁとため息を付くと同時に安堵していた。今の彼女の言葉が偽りでないのであれば、彼女がループを知覚しているわけでは無いということになる。だからと言って根本的な解決にはならないが。
「いえ、ただの独り言ですよ。気にしないでください」
「この二年間、君が独り言をつぶやくところなんて見たことが無いのだけど」
「へぇ、黒条さんは随分と俺のことを見てくれていたんですね」
「え、あ....いや....これは断じて違うぞ!たまたま通学路が一緒で前を歩いてる退屈そうな同級生がいたら誰だって目には入る!うん、これはだからおかしいことではないはずだ、うん」
彼女も顔を赤らめることがあるんだな。存外昨日の悩みもブラフではないのかもしれない。もう少しからかってみるか。
「黒条咲さん!」
「は、はいっ!」
「俺で良ければ....」
緊張した顔で次の言葉を待っているのがわかる。
「友達になってくれませんか」
「さすがにそれは順序を飛ばしてるし.....はい?」
「すみません、あんまりにもテンプレな反応をしてくれたので、昨日の仕返しです」
そこからは無言で通学路を歩いた。少しからかい過ぎたかなんて、思いながら下駄箱に靴をしまうところで彼女は言った。
「そういえばさっきの返事がまだだった」
「何がです?」
「ぜひなろうじゃないか。友達に!」
そう笑顔で笑う彼女に俺は初めて意味を感じた。
思えば放課後にこの階段前で待つのも習慣化されたものだ。彼女がクラスにいることを確認してから時間が過ぎるまで、何をするでもなくここで待つ。
今日だって来ないはずだ。ちょうど下校チャイムが鳴り帰ろうと階段を一段降りると、こちらに近づいてくる足元が聞こえた。
「なぜ.....黒条さんがここに....」
どうして彼女は屋上に来ているんだ。あの夢が思い出される。屋上から飛び降りようとする彼女を.....
「どうしたんだい、そんな死人を見たような顔をして。ちょっと呼ばれたんだ今日は通してもらえるかい?」
「いや、俺はずっとここにいました。他に屋上に入っていった生徒は見なかった、だから」
「いつ頃からいたの?」
「ちょうど今から15分前くらい前です」
「なら、それより先に来てる可能性は考えられる。それにこの手の呼び出しは一度行ってちゃんと断る必要があるんだ」
「という事は....」
「告白だよ。まったく面倒なものだよ、高嶺の花って言うくらいなら、そっとしていて欲しいものだよ」
「じゃあ終わるまで俺はここで待っています」
「私がこういう事を言うのもあれなんだが、茶化したくはないんだ。だから下駄箱で待っていてくれるか。帰りながら話したいこともあるしね」
高嶺の花である黒条咲にまっすぐ見つめられる。大丈夫だ、安心しろ、そう目から伝わってきた。
「.....分かりました、でも何かあったらこれ使って下さい」
そういって鞄からブザーを取り出し彼女に渡した。
「これは?」
「母さんが昔から持たせてる物です、もういらないとは思いつつも癖でカバンの中に入れて置いてるんです」
「まったく、犯罪者に会うわけじゃないんだぞ私は。まあその心意気は、うん、ありがとう。一応ポケットに入れておくよ」
少し照れ笑いをした彼女を見届け下駄箱で待つ。そろそろ告白とやらも終わるころだろと思い時計を見る。
瞬間、秒針の針が止まる。頭がぐらぐら揺れる、今立っている場所がうねっているような感覚。マズいと思ったその時、時計の針は再び動き始めた。
「....あ、今のはなんだったんだ.....」
時刻は変わらず進んでいる。何か嫌な予感を感じたがきっと勘違いだ。そう思い携帯に目を落とした瞬間、ドスッと鈍い音が校庭の方から聞こえた。
走る、走る、校庭にはすでに人だかりが出来ていた。辺りには鮮血と雑音がちりばめられていた。
「.......黒条咲!」
来た道を急いで戻り土足のまま俺は屋上へと駆け上がった。彼女は確かに告白と言っていた。なら屋上には待ち人がいたはずだ。まだ間に合うはずだ、誰かがいるはずなんだ.....
乱雑にドアを開けて彼女が飛び降りたであろうフェンスにかけつける。そこには壊されたブザーが落ちていた。
「踏まれた跡....だが人影なんてどこにも.....」
わからない、定まらない思考で扉へ戻ろうと振り返るとドンっと音が.....瞬間、世界が反転した。落下していくのを感じる、鈍くなった頭で屋上を見上げると長い髪をなびかせた女が......
* * * * *
「うわぁあああああ!」
背筋がびくっとした。膝が机の足にあたり、大きな音を立てた。
大きな声で立ち上がるとそこはいつもの教室だった。
「ど、どうしたんだ白石!何かあったのか?」
先生に問われて我に返る。周りのクラスメイトから好奇な視線を、向けられているのを感じ、
「すみません....体調がすぐれないので保健室に行かせてください....」
黒板の日付は15日の水曜日.....時刻は12時前.....
トリガーは寝ることですらなくなった。あのとき俺は確実に誰かに、頭をたたかれ、そのまま押され屋上から地面へと落ちた。だれが何のために。そもそも黒条咲も自殺などではなく、他殺....?
「ははっ....何一つわからないってことじゃないか....」
「保健室のベッドで何を楽しそうにつぶやいているんだい?」
「黒条咲.....!」
「白石君はフルネームで呼ぶのが好きなのかい」
彼女は生きている、俺も生きている。時間軸はどうなっている...あの屋上前での会話は無くなっているはずだが、今ここは安全なのか....そもそも彼女が何で保健室にいるんだ、とりあえず、今は何かを話さないと...
「無視は酷いじゃないか、ずいぶんと焦った顔をしているけど
何か嫌な夢でも見たのかい」
「黒条さん、なんで保健室にいるんですか?」
「私の会話に返答する余裕もないみたいだね。いやなに単純な事だよ、突然授業中に大きな声を上げた人がいると聞いてみれば、君の事だったから友達として心配しにきたのさ」
「....それは、どうも」
「さて、君のその行動や表情は今朝の独り言と何か関係があるのかな?」
「........」
「君にとっての友達は悩みの一つも話せないような関係なのかな」
「.....わかりました、その前に一つ聞かせて下さい。黒条さんは今日屋上に行く用事はありますか?」
「それは一昨日の君の行動に関係がある、みたいだね。うん、そうだね、私は屋上に用事があるよ」
「そうですか.....告白ですか?」
「そうだね、今朝下駄箱にこの手紙が入っていてね」
「中を見させていただいても?」
「放課後屋上で告白したいから来てくれという内容さ、差出人は不明だがね」
そう言いながら彼女はこちらに手紙を見せてきた。
「差出人が不明....?」
「一昨日も似たような手紙が下駄箱に入っていたのさ、退屈しのぎにはなるだろうと思い行こうとしていたが....君のその表情....辞めたほうが良さそうだね」
俺はこの時、彼女が自殺をしていたわけではないと真に確信をした。この不可解な出来事が始まった初日と今日、明確に悪意を持った人に殺されている。
それなら先延ばししたところでだめだ。今日全てを終わらせる必要がある。だから.....
「いえ、屋上に放課後行って下さい。ただ今から俺が言うことを信じて従って下さい」
「言う前からかい?」
「だって、友達でしょう?」
「ふふっ、そうだね、じゃあ聞かせてもらおうか」
俺は屋上に待っている人が黒条咲に殺意を持っている可能性を説明し、授業中にその正夢みたいなものを見たと説明した。また待ち人は男ではなく長い髪をした女であることに、心当たりがあるかを聞いた。
「長い髪の女か....それは私も当てはまるが、一人強烈に視線を感じる存在はいるね」
「その心当たりは?」
「彼女、テストでいつも下にいるんだよね、嫉妬じゃないかな?」
「黒条さん、あなたはテストで勝てない相手を嫉妬で人を殺しますか?」
「まあ.....実のところ、彼女が私を高嶺の花にしたみたいなんだ」
「それはどういうことですか?」
「私自身一部でそう呼ばれている事は何となく知っていた。それを理由に他者との関りを絶てるならそれもいいかと受け入れていた部分もある。だがあくまでその認識を持っていたのは、私のことを知る人間に限った話だったんだ」
「それをこの箱庭全土に広めたのが彼女、椎名明里という人間だ」
椎名明里、聞いた事はある。才女、成績優秀、品行方正、文武両道と肩書だけなら黒条咲に劣らない人物だ。それが何故、そんな必要のない事をしたのだろうか.....分からないことだらけだ.....
「つまり椎名さんは黒条さんに執着をしている可能性があるということですね。わかりました、じゃあ作戦通り行きましょう」
放課後先に屋上に来たのは、黒条咲ではなかった。
.....そう椎名明里だった。
俺が屋上にいることは気付かれていない。ただ彼女の手に持っているのは.....スタンガン...?
そうか...!叫ぶ暇も無くスタンガンをあびせて、気絶しそうな彼女をそのまま屋上から突き落としたんだ.....
俺は今、怒っているのか......黒条咲と関わってきたこの3日間。
日付と時間の感覚がズレたこの時の中で、彼女の人となりを知った。
どこかで俺と同じように憂いでいるそんな表情を見せる彼女に惹かれていたのかもしれない。決して関わることがないと思っていたが、運命のいたずらによって引き合わされたそんな関係。その初めの原因となったこの屋上で彼女は死んだ。だけど俺は彼女を死なせはしない。そう強い想いを持って、屋上にいる女を見据えていた。
扉が音を立てて開く。黒条咲が来た。
「さて、この手紙を出したのはきみかい?椎名明里くん」
「今日は来てくれましたね。一昨日は来てくださらなかったので、来ないのかと思っていましたよ」
「私は基本的に呼ばれたら行きはするさ、ただ一昨日はどこぞの誰かさんに呼び止められてね」
「黒条さんにも仲の良い人がいるんですね」
「仲の良い人と、明里くんはそう思ったか、まあそういうことにしておこう。それで二回も呼び出した理由を聞かせてもらおうか」
「.....ええ、黒条さん、あなたのことが私は好きです」
「......好き.......それはどういった意味でなのかな」
「私はずっとあなたに憧れていました。いつだって自分一人で物事を解決して、他人なんてどうでもいいと言うような、孤高なあなたが.....」
「好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きです、だからどうか私と付き合ってはいただけないでしょうか....」
二人の会話を聞いていて、思うことが合った。
黒条咲は椎名明里に嫌われていると思っていた。
ただ椎名明里は黒条咲を好きでいる。
あまりに二人の中での認識に齟齬がある。
ただ椎名明里の表情は先程から暗い。屋上に来たときからだ.....
「明里くん、それは本心かい?」
「はい.....ただ私、知っているんです。最近黒条さんと仲の良い男がいることを....」
「それは.....」
「やっぱり、黒条さんはもう孤高で居てくれないんですね.....」
「君はどういった理由で私を呼び出したのかな?告白をしたかったと受け取って良いのかい」
「ええ、ただ黒条さんもいつかは孤高であり、高嶺の花じゃ無くなる。それが私は許せないんです.....矛盾していますよね、黒条さんのことを好きな反面、孤高でいてほしいと強く願う私もいるんです。それで私わかっちゃいました.....こうすれば.....黒条さんは孤高になれます.....」
そうして彼女は懐からスタンガンを出す。
「それは、才女である明里くんが出した答えとは思えないほど短絡的な行動と言わざる終えない。それでどうするつもりかな」
「私の思い出になって下さい!黒条咲さんっ!」
一気に間合いを詰めてフェンスまで追い詰めた椎名明里がスタンガンを突き出す。
それをすんでのところで止めに入る。
「椎名明里さん、君の行動は破滅的だ....自分の思いを他人に押し付けることは決して美徳とは言えないだろう」
「あなた......!いつから居たんですか」
「君が来る前から屋上に居させてもらっていた。大人しく君が諦めるなら、まだ....」
いや、待て。俺が彼女に落とされた時は、確か.....
「いいえ、だってあなた邪魔だもの.....消えて下さい」
もう片方に隠していた鈍器で思いっきり頭を叩かれる.....
「ぐっ.....!」
視界がぼやけて意識が保て.....
「白石くん!!!」
「黒条さん、あなたは自分の心配をした方がいいですよ....!」
「ぐあっ!....」
あれは....スタンガンか....まずい、このままじゃ.....
「黒条さん、孤高ではいられないあなたはここで死んで下さい。
さようなら.....」
フェンスを超えて彼女が落とされる.....
だめだ、また俺は彼女を死なせるのか.....
もう死なせないと決めたばかりじゃないか!
「くっそぉ!!!」
最後の力を振り絞って落ちていく彼女に向かって俺も落ちる。届いてくれ!もう少しで彼女の手に届く!
掴んだ!そのまま彼女を抱きかかえるように、俺は背中から草木に向かって落ちていった。
そこで完全に俺の意識は途切れた。
* * * * *
突然だが私、黒条咲は高嶺の花である。
とはいってもこの小さなコミュニティ内で不特定多数の人たちが勝手にそう呼んでいるにすぎないのだが。
容姿がいい、成績が良い、他を寄せ付けないオーラがある、家系が良い、品がある....など様々なうわさや事実が掛け合わされて、孤高にして異端であるそんな高嶺の花は完成した。
私としてはどっちでも良い。そもそも人より他者に関心が薄いことなどはとうに気付いていた。人との付き合いには疲れるものがある。喋らずとも嫉妬や妬み悪意を感じる世の中で、喋るという行為は、それらを助長させるだけだといつしか悟った。
悟りとたくなどなかった。人と関わりたかった。世界はキレイで楽しくて未知なるものにあふれていて、知れば知るほど愛せずにはいられない、そのような幻想を抱いていたかった。だが諦めてしまった私は、ただ皆の当てはめた形になる事を選んだ。選んで過ごしてきた。
登下校の際に同じように幻想を、裏切られたようなそんな顔をして生きている青年を見つけた。
はじめはどうだってよかった。私には高嶺の花であること以外に、この箱庭での生活の仕方が分からなかった。
また彼を見つけた。どうやら彼もこの箱庭で生活をしているらしい。隣のクラスでつまらなそうに頬杖をついてる彼を見た。
また彼を捕捉した。同じ通学路なのか。自分の無頓着さに呆れつつ、やはり彼を見てしまった。彼は何を諦めたのだろうか。私はそんなことを考えるのが一種の楽しみになっていた。
二年の秋が終わりをつげ冬を迎えようとするそんな季節。告白シーズンでもないのに下駄箱には手紙が入っていた。
「ラブレターとはね、こういうのは女性がするものだと思っていたが、認識を改める必要がありそうだ」
なんて独り言を誰もいない下駄箱で呟き、封を開ける。端麗な文字で放課後、屋上で待っている事が書かれていた。
思えばこの手紙から物語は始まったのかもしれない。放課後、屋上へと向かおうとすると、彼がいた。
一瞬、彼が差出人かと思ってしまったが表情を見るに、どうやら違うらしい。残念だ.....と自分は何を考えているのだろうか。
「白石くん....?」
「黒条さん、こんにちは、こんなところで偶然ですね」
偶然ではありえない場所、屋上前の階段で彼はそんなことを言った。
「う...うん、そうだね、ちょっと屋上に用事があって通ってもいいかな?」
「放課後に理由もなく屋上に行くことは学校の校則で禁止されているはずです。だから今日はやめた方が良い。成績優秀者であり優等生の黒条さんが校則を破ったなんて知られたら、新聞部が黙っちゃいない」
意外と男らしい声だなとか、演技のような会話の仕方だなとか、色々と考えが浮かんだが、どうやら彼は屋上には通したくないらしい。
「それは脅しと受け取っていいのかな」
「それで屋上を諦めてくれるのなら」
しばらく考えたが、屋上に行く好奇心よりも彼と関りを持ったことへの喜びの方が勝っていた。
「わかった、うん。今日は屋上にはいかないよ。白石くんって面白い人だね」
そう言い残すようにして私は帰路へと付いた。
その日を境に彼は私と関りを持つようになっていった。
一日ごとに彼の表情からは諦観の色が消えていった。
しかし私に向けられる表情は決して良い物だけではなかった。
どんな表情にも疑念の二文字が入っていた。
彼と関り初めて三日目にあたる水曜日、その日の様子は特におかしかった。通学路で意味深な独り言を
呟いたかと思えば授業中に叫んだりと....さすがに心配になる。
保健室に彼がいることを知った私は気休め程度に買ったパンを持って向かった。扉を開けるとベッドに彼らしき人物がいた。こちらには気がづいていないようだ。またもや一人で何かをつぶやいている。
「ははっ....何一つわからないってことじゃないか....」
「保健室のベッドで何を楽しそうにつぶやいているんだい?」
そう声をかけると彼はすごく驚いた表情を見せたあと、フルネームで私の事を呼んだ。
そこからは彼が見たという夢の話をしてくれた。どうもリアリティのある夢は彼が実際に体験してきた話なんだと、何となく根拠もないのにそう思った。
その夢が本当だとすれば彼はこの三日間、私を助けるために動いてくれたことになる。私はそんな彼を見てもう一度幻想を抱きたいとそんな風に思ってしまう。
でも世界が、箱庭が、そうはさせないと言いたげに私に形を押し付けてくる。やっぱり幻想はどこまで行っても幻想のままなんだ.....そう諦めながら朦朧とする意識で落ちる。意識が途切れる寸前に、手を強く握られ、全身を包むように彼は同じく私の所に落ちてきた。
「死なせない....」
そう満足そうな顔で抱きかかえる彼の温かしさに私は安心して意識を閉じた。
* * * * *
誰かが呼んでいる声がする。
なんだか最近良く聴いているそんな難しさを含んだ、けど温かい声。
「......く.....」
何が悲しいのだろうか。温かいはずの声が震えていた。
大丈夫だよと手を握る。手はとても暖かかった。まるでずっと繋いでいたようなそんな温かさ。
「しら....く.....」
優しい陽だまりが夜明けを告げていた。白く輝く光に向かって手を伸ばした。いつだって届かなかったそれにようやく手が届いた。
「白石くん....!」
目を開くとそこは白い部屋だった。頭が痛い....頭だけではなく体のあちこちから痛さを感じた。首も回らないから仕方がなく目だけを動かす。
ここはどこかの病室....?そうしてぼんやりと最後の記憶が思い起こされる。
そうだあの時、俺は落ちていく黒条咲を覆うようにして落ちたんだ、細い木の枝が突き刺さるとともに大きな衝撃が身体に走って俺は....
「白石くん!気が付いたのか!」
何故か黒条咲が隣にいた。そうか彼女は無事だったのか。
「....無事で.....よかった.....」
「今お医者さんを呼んでくるから待っていてくれ!」
どうやら三日間ほど眠りこけていたらしい。そのせいで色んな人に迷惑をかけた。
黒条咲に関しては軽い検査のみで問題は無かったそうなのだが、憔悴しきった形で俺のそばを離れたがらなかったそうだ。
その間の警察の取り調べも厳しいと判断されたらしく、当人に対する事情聴取も後回しになったそうだ。
それからすぐして色んな人たちが病室を訪れた。お医者さんや警察、両親、親戚、彼女の両親、その間も黒条咲は病室の端で看病をしていてくれた。
警察に関しては、フェンスの経年劣化を理由に事故であることを一貫して伝えた。理由に関しては椎名明里の存在だ。彼女は確かに狂った側面を持っているが、聞きたいことがまだあった。それまでは彼女の動向を注意しようというところで話はまとまった。
そしてうちの両親だ。はじめは泣かれ、次に怒られて、でも最後には勇敢さを褒められた。
彼女の両親も当然病室に訪れた。最大限の感謝を受けて、謝礼まで渡されそうだったので丁重に断った。
そうやって過ごしていると、意外にも椎名明里が病室を訪れてきた。
「なぜ、警察に話さなかったんですか.....」
「...........」
今、黒条咲はありがたいことに買い出しに行ってくれている。つまり病室には俺一人。部屋にはカメラが付いているから下手なまねをしたら、手は付くはずだが、相手は平気で屋上から人を突き落とせるような奴だ。
だが、病室に訪れた椎名明里は憔悴しきっていた。だからだろうか、ぽつぽつと理由を喋ることにした。
「まあまずはどっちも生きているからってところが一点。あとはこうして直接話し合う必要があると思ったからだな」
「私は......」
「一回彼女、黒条咲を手紙で呼び出していたそうだが、その時も彼女を殺すつもりがあったのか?」
「いえ.....でも万が一あり得ないのですが、私の告白を受け取った場合はわかりません.....」
つまり始まりの日、黒条咲が死んだのは告白を受けたという事か?いや、まだそれだけでは確証には至れない。
「いつから黒条咲を好きになった?そもそも君は本当に彼女の事が好きなのか?」
「最初は嫉妬でした。私がテストの結果で一喜一憂している中、彼女はそんなものに関心が無いといった風で、いつもすまし顔でした。でも時折見せる寂しそう顔、それなのに人を頼らないところ、気づいたら
ずっと黒条さんを目で追っていました」
「その中で気づいたんです。彼女は高嶺の花であろうとしている事に。高嶺の花だったからそう呼ばれるようになったのではなく、そう呼ばれるようになったから高嶺の花になり切ったんです。それからは私は彼女が高嶺の花でいられるように裏でサポートをしました。やがて彼女は完全な高嶺の花になったんです。私を除いて」
「つまり....」
「はい、この計画は私を振って完成する予定でした。もちろん白石君の事も知っていましたよ。でもあなたは黒条咲にもこの学校に対しても関心なんて無かった。だから特に気にもしていなかったんです。でもあなたは急に彼女に近づいた。それも私が手を打つ前に」
「屋上に来なかった日、あなたが黒条さんを見送っているのを見ました。その次の日には朝から彼女と話をしたかと思えば、放課後は周りの目を気にせずに一緒に行動をしていましたね。あなたは彼女を高嶺の花で無くさせたんです。だから私は最終手段に出ました。次の手紙で彼女が屋上に来たら私の手で....」
偏愛か....
「結局私は彼女の印象に残りたかったんだと思います。突き落とした時、とても後悔をしました。後追いも考えました。でもあなたのおかげで黒条さんは助かりました。だからせめて罪を償おうと思ったんです。今更かもしれませんが....だから警察に本当のことを話してください」
「それを決めるのは俺じゃない」
そうして病室の扉が開く。
「!.....黒条さん......」
「明里くんも元気そうで何よりだよ。さて何から話したものか.....まずは一つ。ごめんね、君の期待通り高嶺の花で居続けてあげられない」
「それは.....」
「人は変わっていくものだ。前までの私ならそうは思わなかったがね....だから明里くんにも変わって欲しい。私なんて言うちっぽけな存在に固執するのはもったいない。私たちはひもなしバンジージャンプをしただけなんだよ」
「でも私はとんでもないことをしたんですよ!許されちゃいけないんです」
「私も白石くんも君のことを許すよ。許されちゃいけない人物なんて、この世には存在しないんだ。それを私は証明していきたいんだ」
「でも....私は.....」
「なら一つだけお願いをしてもいいかな」
「え.....はい、なんでも言ってください」
そうして黒条さんは照れくさそうにでもまっすぐにこう言ったんだ。
「友達になってくれませんか」
* * * * *
そうして一件の騒動は幕を閉じた。
結局あのタイムリープ体験が何だったのかはわからない。
でも今なら何となく分かるかもしれない。
世界はむなしいかもしれない。
希望なんてものは見せかけの作り物かもしれない。
幸せは一過性のもので、感情は余分だとそう感じる時もあるだろう。
時間はみな平等に過ぎ去っていく。
それに抗う事は難しいかもしれない。
でも、そんな世界であっても意味はあるんだ。
そう俺、私に教えてくれたんだ。
だから昨日よりも今日をかみしめて生きよう。
そうすれば時間に抗わなくてもだれかを、自分を助けることは出来るのだから。
以上