第88話 新たなグリモワール
――夕方、智優の部屋
緊急避難宣言が解除された後、日常生活が戻るまで1週間の時間を要した。小学校が再開するまでの間、在校生は自宅待機となり山のような宿題が出され、皆んな半泣きになりながら苦役をこなす1週間となった。
一部、花田透のような悪ガキは宿題を無視して外出して休暇を満喫したようだが、休暇の最終日に見回りの教師に見つかり手酷いお灸を据えられる。だが、それはまた別の話。
鈴偶智優はボーッと窓の外を眺めながら今まで起きた事を反芻していた。
烏丸山から帰った後、神埼栞にLIMEで連絡を取り、状況を確認した。
不思議なことに緊急避難が始まった後の事は覚えておらず、気付いたら避難所にいたそうだ。更に不思議なことは何故か花田透、そして辻村拓人と3人で手を繋いでいたのだが、3人とも一緒に避難所に移動した記憶は無く首を傾げるばかりだった。
智優の父は赤城少佐に嗜められ、智優の兄 駆と本気の殴り合い喧嘩をした後、態度を軟化させる気配を見せた。だが目を合わせても口をきかないくらい冷めた関係が溶けるにはもう少し時間が掛るだろう。少しだけ大人に近づき思春期を迎えつつある娘と、上手く子離れできない父親だが、致命的に関係破綻をしているわけではない。ゆっくりと理解を深め、新しい関係を築けば良いのだろう。
智優は鉛筆を回しながら鼻の下に乗せて口を突き出す。苦手な勉強ばかりで集中力が切れたようだ。階下からは煮物の香りが漂ってくる。前は夕飯の準備時に祖父と相撲を観ていたが、祖父が他界してからは相撲を観る習慣はない。電脳の海の果てで大好きだった祖父に会えたのは幻だったのだろうか?今となっては分からないが、そこで見た祖父の笑顔を思い出すと優しい気持ちになった。
明日から小学校が再開する。
また野伊間詩芙音、安蘭未流、有栖川藍銅と遊べることに胸を膨らませながら宿題の続きを頑張るのだった。
(あれから詩芙音ちゃんは反応ないし、きっと私の知らないところで元の身体に戻ったんだよね。もー、詩芙音ちゃんってば水くさいんだから。ロムもロムで烏丸山で別れたっきりだけど何処で何をやってるやら)
「智優ー、ご飯よ〜」
「はーい、今行く〜」
詩芙音のことを考えて少しだけ不安を覚えたが、夕飯でお腹がいっぱいになる頃には綺麗さっぱり忘れてしまった。
宿題を終え、時間割を確認して明日の授業の教科書をランドセルに詰めると早めの消灯。布団を被って目を瞑るが興奮のせいでなかなか眠ることができない。ふと窓の外を確認したが、そこにはロムの姿は無かった。
(この前はカタパルトで窓ガラスを割られる前に気付いて良かったな。この前?この前っていつだっけ?ふあ〜、眠くなってきたぞ)
22時を過ぎた頃には深い眠りの底に落ちていた。週明けの舞金小学校に詩芙音の姿は無いことも知らずに……
――魔女機関『モーダル』の会議室
『アイオニアン』第1階位に君臨する『原初の魔女』ロム卿は厳かに報告を行っている。重鎮の魔女たちはロム卿の言葉を一言一句聞き逃さないように食い入るように耳を立てている。ある者は腕を組み、目を閉じ、ある者は放心状態で空を見つめながら。ある時は喜び、ある時は怒り、そして悲しみ、笑っている。
「……以上が『ロジックの魔女』シフォンが創生したグリモワールの全容だ。如何かな?」
重鎮たちは全員席から立ち上がると拍手で新たなグリモワールを讃えた。
「若い魔女だがなかなかどうして。上手くやったではないか」
「ふん、嫌味か。お前のところの小娘が場を乱すたびにハラハラしたぞ」
「ちょ!な!ぐ!うちのミルは活躍したではないか!?」
「活躍するたびに……。まあ良いわ!」
『フリジアン』第1階位の魔女、メム卿は娘の活躍を否定されて気に入らない様子だ。だがロムも譲る気配がない。
「まあまあ、親馬鹿はそれくらいにして」
「お、親馬鹿だと!?キサマ!!」
『ドリアン』第1階位の魔女、バイオス卿はひらひらと手を振りロムとメムの話題を逸らす。
「いやいや素晴らしいグリモワールに感無量ですな〜。ところでロム卿、質問してもよろしいかな?」
「……よろしくない」
「『英霊』の誕生を無かったことにしたくだりが飛躍していたので分かりづらかったですな。良ければ仔細を教えて頂けませんか?」
「……頂けない」
ロムは食わせ物のバイオス卿の質問から逃げようと無愛想に応える。だが「そこを何とか!」と食い下がるバイオス卿から逃れることができずに思わず真実を呟いてしまう。
「……を書き換えた」
「今、何とおっしゃいました?」
「……レコード……」
「はい??」
「アカシックレコードを書き換えたと申しておる!!」
「はいいい!!??」
衝撃の告白を耳にし、新しいグリモワールの完成にご満悦だった重鎮たちの顔色が一気に青ざめる!
「え?それって因果律が狂うんじゃ??」
「だの」
「どうするおつもりで……」
「お前ら手を貸せ」
「へ???」
「これから問題ないレベルまでレコード細部を修正するから、お前らも協力せい!というておる!!」
力関係は絶対。修正が終わるまで徹夜を強いられる者たちは絶望に打ち拉がれデスマーチを覚悟するのだった……。
「あっはっは!『ロジックの魔女』はやってくれるね〜。若者はそうでなくっちゃ!」
「笑いごとじゃないぞラム!デスマーチなんて年百年ぶりか!!」
「まあまあ、おたくの可愛い魔女が仕出かしたんだから年寄は快く尻拭いしてやりましょ」
『ロクリアン』を統べる魔女、ラム卿はロムの肩を叩きながら爆笑している。洗練された容貌に似合わず笑い方は豪快なようだ。
他の魔女たちには聞こえないくらい小さな声でロムは呟く。
「ところでラム……。お前の魔法は?」
「うふふふふふ、まだ解いてないよ〜。《《新しいの》》をばら撒けば、あの子たちならまだまだ編めるでしょ??」
「ふっ!」
ラムが青く美しい髪をかき上げ微笑む顔を見て不敵に笑うロムだった……




