第72話 私、力になるからね!
――永遠と続く無人の屋台群
神埼栞は金魚柄の浴衣を身に着け、ヒーローのお面を被った少女を必死で追い掛けている。追い掛けても追い掛けても少女との距離は縮まらず、焦りとイライラが募るばかりだった。
先ほどから下駄の鼻緒が食い込んだ指の付け根がジンジンと痛くなっている。走れば走るほどに痛みは強くなるのだが駆け足は止められない。
何故ならば今、お面の少女を捕まえなければ遠くに行ってしまう予感がするからだ。息が切れても、足の指が千切れそうになっても、ひたすら腕を振って走り続ける。
ふっと横を見ると一緒に走り出したはずの花田透と辻村拓人の姿が見えない。だが、今はそんなことに構ってはいられない。男子がヘタレでも私は追いついてみせる!追いつかなければいけないんだ!そんな根拠の無い自信が栞を動かし続けた。
連なる屋台が視界の隅を流れていく。
赤い屋台、青い屋台、黄色、橙、紫、緑……
白、そして黒……
屋台に飾られた風車が回る。
風が吹き、一斉に、くるくる回る。
ふふふ。あはは。
おーい、こっちだよー。
「痛っ!」
堪えていた痛みは限界を迎えてしまった。鼻緒で擦れた皮が剥けてしまったのだ。激しい痛みに襲われた栞は立ち止まって蹲り、足の指を押さえる。
絶対に止まってはいけないのに止まってしまった自分が許せなくて、情けなくて涙が一杯に溢れてくる。だがこんな些事で咽び泣くほど栞は弱い子ではない。痛みを堪えて何とか立ち上がろうと面を上げると……
お面の少女が手を差し伸べて微笑んでいた。
少女からは石鹸シャンプーと太陽の香りが漂ってきて栞は懐かしさのあまり気を失いそうになった。
「痛い!智優ちゃん、置いてけぼりにするから嫌い!!」
――走り過ぎちゃった?ごめんね
「許さない。ぷんぷん!」
――ふふ、参りましたね。、姫さま
そう云うとお面の少女は中腰になって丸くなった背を向ける。両手の平は背後の栞の方に向けられている。
――ささ!特等席。いや姫さま専用席ですよ
(私、専用席……。ふーん、専用席か。ふんふーん)
栞は簡単に怒った表情を崩さない。だがまんざらでもない様子。
「お、怒ってるんだからね。ぷんぷんなんだよ。これだけじゃダメだからね!」
言葉とは裏腹に、そそくさとお面の少女に背中に身体を預ける。鼻孔をくすぐる刺激に目眩を覚えると足の痛みは消え失せてしまい、少女の温もりを感じていた。
栞を支えるとお面の少女は「よいしょっと」と勢いをつけて立ち上がる。
「もー、重いものを持ち上げるような掛け声ださないの!失礼だな〜」
――あははは。これは失礼しました、姫さま
果て無く連なっていると思えた屋台は無くなっていた。代わりに大きな鳥居がそびえ立ち石段があった。神社の名前を確認しようとしても学校で習っていない漢字なのか、栞には読めない。栞にとってココが何処であるかは最早、些細なことのように思えた。
お面の少女は栞をおんぶしながらゆっくりとした足取りで一歩一歩、石段を登り始めた。栞は石段の上を眺めるが果ては見えず際限なく続くように思われた。
だが登る。一歩、また一歩。
揺れる背中にしがみつきながら、栞は次の言葉に戸惑っている。
「ねえ、智優ちゃん?的外れだったらゴメンね。何か悩んで抱え込んでたりしないかな?」
沈黙。お面の少女は黙々と石段を登る。
「私ね、いつも智優ちゃんに助けられてるの。出会った時からずっと。幼稚園の頃のこと、ポシェット取り返してくれたの、覚えてる?私は絶対忘れないわ!私の王子様、爆誕の瞬間を」
栞は思わず少女の肩を掴む手に力を入れてしまう。だがお面の少女は何も云わない。背中からは表情も見えない。
「だからね。智優ちゃんが困ってたら、私は全力で助けるから。全てを捨て、この身が朽ちようとも。全人類を敵に回しても、私は智優ちゃんの味方だから!」
お面の少女は黙して語らない。だが僅かに震えている。
「うっそ!やだ、重すぎって思ったでしょ?例えばですよ、例えば〜。ふふ」
何分、登ったのだろうか?いや何時間というべきなのか?永遠に続くと思われた石段にも終りがあるようだ。栞が少女の肩越しに石段の先を確かめると境内に近付いているようだった。
「智優ちゃん、悩まないで。困った時は私がいるじゃない。そして透くんも拓人くんも。ハッキリ云って男の子は頼りないけど、いないよりマシって感じ?二人が聞いたら怒られるかな」
ちりーーーん
風鈴の透き通った音色が聞こえてくる
「だからさ。帰ろうよ、智優ちゃん!」
石段の終わりに立つ鳥居をくぐると光に包まれていた。あまりの眩しさに栞は目を瞑り、少女の背中にしがみつく。
――ありがとう、栞ちゃん!私、がんばる!
栞にはそんな言葉が聞こえたような気がしたが声の主を確認する前に強い眠気に襲われて意識を失っていた……
「……ざき!起きろよ、神埼!!」
次に意識が戻った時、栞の耳元には花田透の大声がキンキンと響いていた。微睡む目を全開に開くとガバっと上体を起こして透の頬めがけてグーパンを繰り出す!
「どさくさに紛れてどこ触ってんのよ!!」
「ぐはっ!!鈴偶以外にも強敵がいるとは……」
「だから触らぬ神に祟りなしって警告したんだよ……。あ、神埼さん、おはよう」
会心の一撃を食らって吹っ飛んだ透を横目に澄ました顔の拓人がおはようの挨拶をする。怒りの収まらない栞は返す刀で拓人にも一撃を加える。
「ぐぅ……、何で俺まで……」
「普通、止めるよね!?ほんと馬鹿じゃないの、あんたたち!これだから男子は、きぃーーーーー!!!」
「ごめんなひゃい……」
「あははははは!まあまあ栞ちゃん」
「まあまあ。じゃないよ、智優ちゃん!女の子の大事なトコ触るなんて、後で濡れタオルの刑なんだから!!って、あれ……。ち、ゆ、ちゃん??」
栞がハッとして声のする方に向くと、そこには……
野伊間詩芙音ちゃんが微笑んでいた。
ソコは何度も遊びに行った記憶のある鈴偶宅のリビング。ソファから起き上がった栞。床に転がった透と拓人。
そしてテーブルには亡くなったはずの智優の祖父がニコニコしながら子どもたちのやり取りを見守るのだった。




