第7話 瀕死のわたし、そして邂逅
偶然の出来事は一瞬だった。
そして一瞬の出来事の少し前。
足を捻り詩芙音ちゃんに支えてもらいながらの下校途中、狭い道の前の方で低学年の男の子たちが巫山戯て騒いでいた。
「今晩の回、敵の新しいメカに負けるんだって絶対!角生えてて片目で足が無いじゃん、ヤバいって!」
「でもよー、ライバルは先週、ニュースキルに覚醒したばっかじゃん!主人公に勝てんのかよー!!」
「強いんだって!新しいメカ、有線式でもオールレンジ攻撃だぜ!!」
「最終回、近いのに一体どうなるんだろな!?」
アニメの話だろうか?男の子たちが興奮気味に騒いでいる。
「つっ!」
「智優ちゃん、大丈夫??」
「痛みで上手く歩けないよ……
ゴメンね、ゆっくりで。家に着くの遅くなっちゃうね」
「いいよー、全然急いでないから。それよりも智優ちゃんがちゃんと家に帰ることの方が大事!」
横を歩く黒猫のロムも同意しているのか、頷いているように見えた。
「足の腫れが引かないようだったら明日、休むかも。もし行けたとしても車で送ってもらうかもしれない……
その時は栞ちゃんに私が一緒に行けないこと、伝えてくれないかな……」
「うん、分かったよ。だから心配しないで、智優ちゃん」
私を支える手に力が入り、笑顔で答えてくれる。
登下校で通る狭い歩道はガードレールに守られていたが、ところどころが途切れていて道路に出てしまう危険性は十分にあった。
友だちに小突かれた男の子が蹌踉めいてガードレールが途切れた場所からスローモーションのように道路に出ていく。そこへ少し速度が早い、そして巨大なダンプカーが道路で倒れた男の子に迫ってくる。
まるで映画のワンシーンのような光景ってあるもんだな〜。あんな大きな車に轢かれたら死んじゃうって。でも、そんな時はヒーローが助けに入って子どもを助けて一件落着なんだよね。
そんなヒーローはいない!!
気付くと私は道路に飛び出し、男の子の背負ったランドセルを掴むと身体ごと歩道に放り投げていた。
そしてカッコよく歩道に戻るはずが足の痛みで転び、そのまま私は……
空は青く、地面は赤く、私は体温を失いつつあった。
本当は叫びたくなるくらい強烈な痛みに襲われているはずなのに何も感じないのだ。前にテレビで見たことがある。人間は許容できる限界を超えた痛みはシグナルを遮断して無いものとして扱うのだそうだ。不確かに思えたテレビの情報が正しかったことを身をもって実感している。
男の子の無事を確かめようと視線を水平にしようとしたら私の足のつま先と目があった。今朝、履いた靴下、白かったはずなのにすっかり汚れてしまった。おまけに履いていたはずの靴は何処へ行ったのか分からない。
呼吸をしようとするとプールで溺れかけた時を思い出すかのように『何か』が肺を満たそうとするのだが吐き出そうとしても一行に『何か』は出ていかないのだ。もちろん、ここはプールではないから『何か』は塩素臭い水ではないのだろう。
がっ、はっ!げぼっ!はっ、はっ、はっ!
それでも最後の力を振り絞って喉の奥に溜まっていた『何か』を吐き出して咳き込むと少しだけ声を発することができた。
「ああ。私の、人生、って、何、だっ、た、んだ、ろう……」
去年、亡くなったおじいちゃんの顔を思い出した。いつも笑って遊んでくれたおじいちゃん。最後は眠るように死んでいった。私は今、おじいちゃんを心底、羨ましいと思った。
薄っすらとした寒気がどんどんと強くなってきて同時に身体が少しも動かなくなってきた。自分の足を見たままでは寂しかったから空に向き直った。
空は綺麗だった。
今日は雲ひとつない晴れ。
透き通るような水色が果てなく続いている。
今日が晴れた日で良かった。
視界の端に泣きわめく男の子と詩芙音ちゃんの冷静な顔が見えた。男の子の無事が確認できると自分の状況には構わず、本当に良かったと思った。でも……
「し、ふ、ぉ、ん、ちゃん、よか、った……
で、も、私、死に、た、く、ない、ょ……」
そう云い終える前に目の前に光のカケラが降り始め、急速に意識は遠退き、別の世界に旅立ち始めていたようだった。
私の手を握り締めて詩芙音ちゃんは云う。
「分かったわ。先ずはあなたの……が……を離れる前に……から分離して『変数』に移すね。
智優ちゃん、良い?気を確かに持って!
『緑の光』を見つけたら意識を集中して来て。絶対に『あちら』を彷徨っちゃダメよ!じゃあ、煩雑な手続きは『あちら』で会ってからにしましょう」
私は詩芙音ちゃんが何を云っているか分からず腹を立てたけど伝わったかな?
ああ、詩芙音ちゃんの手、温かいな……
「詩芙音、すぐに『変数』の準備をするぞ!」
「分かったわ。頼んだよ、ロム」
あれ?おかしいな。猫なのにロムがしゃべっている気がするぞ。
そしてブツンという静かな音を最後に完全に意識を失った。
――まだ私が低学年の頃っぽい風景
「……ちーちゃん、おかえりー」
小学校から帰ると、おじいちゃんがおかえりなさいと云ってくれる。用意されたおやつを食べながら、おじいちゃんと一緒に時代劇を観るのが日課だった
「おじいちゃん。ただいまー。
今日ねー、新しい友だちができたんだよ」
「ほー、そりゃ良かったね。仲良くできそうかい?」
「うーん。見た目は変わってるけど話しやすいから仲良くできるかな」
「うんうん。ちーちゃんは優しいからきっと好きになるよ」
「えへへ」
おじいちゃんの笑顔は優しく、そんな笑顔に憧れていた。おじいちゃんの横に座り、おやつのどら焼きを食べながら時代劇を観始める。
「ねー、じいちゃん。ちゆね。ラブレターをもらったの」
「そりゃめでたい!良かったじゃないか!」
「うん。でもね、ちゆ、どーしていいか分からないんだ〜」
「お返事のことかな?」
「うん」
「ラブレターをくれた子のこと、好きなのかな?」
「ちゆ、まだそーゆーの分からなくて」
「じゃあ、分からないって答えなくちゃイケナイよ」
「それで良いのかな〜」
「少なくともラブレターを送った子はちーちゃんの返事を待っていると思うよ。だからちーちゃんは誠意を持って返事をする義務があると思うよ」
「じいちゃん、ぎむって何?」
「ははは、すまんすまん。とにかくちーちゃんの素直な気持ちを伝えなさい」
「分かった!」
「おじいちゃん、私どうなるんだろ?やっぱり死ぬのかな?」
――気付くと6年生の私に変わっている。
「智優ちゃん、セカイは表と裏が在って繋がっているんだよ」
「表と裏?繋がっている?」
「表のセカイに在る存在が消えたとしても、完全に消えてしまうことは無くて裏のセカイでは存在し続けていると云えば分かるかな?」
「うーん、分かりづらいけど……」
おじいちゃんは理解に困っている私にニコニコ笑いながら優しく説明してくれる。
「死ぬという概念は表のセカイから消えることだけど、決して存在は無くならないんだよ。簡単にはね」
「だとしても表のセカイからは消えるんだよね?」
「そうだね。でもまた機会を得て裏のセカイから表のセカイに移ったりするよ。それがセカイの本質さ」
「ふーん。話は難しいけど今のセカイから死んでしまうことは変わりなさそうだね……」
おじいちゃんはお茶を飲みながら頷いている。たぶん、私の理解は間違っているのだろう。でも理解を急かすことをせずにゆっくり待っていてくれる。焦らずに話すことができる、そんな存在だった。
「……智優ちゃん、お友達が待ってるよ」
「え?おじいちゃん、なんて云ったの?」
「さあ、『緑の光』が見えてくるよ」
気付くと私とおじいちゃんの前に大きなトビラが立っていた。木製で鉄線が菱形を型取り、幾重にも重なるような文様が描かれている。真鍮のような色をした丸い形のノブが付いているが、鍵穴は無いようだ。
それはいつもおじいちゃんと時代劇を観ていたリビングのトビラでは無いものだった。
「そのトビラを開けたら外に飛び出しなさい。しばらく空間を泳げばお友達のところに辿り着くからね」
「うん」
「じいちゃんは当分、こっちにいるから困ったらまた遊びに来なさい」
私は溢れる涙を拭い、おじいちゃんにハグした。おじいちゃんから線香と整髪料とタバコの混じった懐かしい匂いがした。そして頭を撫でてくれる大きな手のことを思い出した。
「ありがとう、じいちゃん!またね!」
「ああ、困ったらまたおいで。ばあちゃんによろしくな」
おじいちゃんに背を向けトビラのノブを回すと吸い込まれるように電脳の海に放り出されていた。後ろを振り返るといつもの笑顔で手を振るおじいちゃんがどんどん遠ざかっていくのが見えた。