第46話 少年のソレは恋なのだろうか?
――午後、屋上扉前の踊り場
俺こと、辻村拓人は悩んでいる。
5時間目の授業をサボって階段に目立たないように座り、鈴偶智優のことを考えていた。
階下からは6年生が授業を受ける教室から先生の声や発表者の大声、ときたま笑い声が響いてくる。完全な無音世界とはいかないが逃げ場所の無い校舎の中で、この屋上階の踊り場は一人になるにはベストな場所だった。
鈴偶の笑顔を思い出すと熱い感情が溢れ出して胸がいっぱいになる。だけど俺はその感情の正体を知らない。
俺は鈴偶のことをどうしたいのだろう?
俺は鈴偶とどうなりたいのだろう?
守りたい?いや、彼女は俺よりも強いぞ。
一緒にいたい?学校に行けば会えるぞ。
ずっと話したい?少しでも十分だ。
自分の中の感情はきっと物語の主人公がヒロインに抱く感情、「好き」ってやつだろうと思い込んでいた。でも考えれば考えるほど俺には「好き」が分からない。
教科書を読んでも分からない問題に答えが出せない自分の不甲斐なさに悔しくなり唇を噛むが、口の中に広がる鉄のような味は惨めさを増幅させるだけだった。
四六時中も頭の中を離れない彼女の笑顔。コレが恋じゃないのなら一体、何が恋なのか?もしかしたら自分の感情に向き合っていないだけなのだろうか?いや、しかし……
祈るように組んでいた指を解き、後ろの床に手をついて仰け反って天井を見る。天井には一本だけ蛍光灯が付いていて、よく見ると蜘蛛の巣が張っているのが分かった。天井は掃除当番の掃除範囲に含まれないから誰にも掃除されずにきたのだろう。
仮に鈴偶と一緒の掃除当番でココを掃除したとして、天井の掃除ができていないのに気付いたら彼女はなんて云うかな?
「拓人、椅子持って来なよ!蜘蛛の巣、払ったら電気が明るくなるよ!!」
「電気が明るくなって誰が喜ぶんだよ、マッタク。それに椅子だけじゃ天井まで届かないよ」
「箒が長ければ届くでしょ!?それでもダメなら……、そうだ!拓人が私を肩車して椅子に登ってよ!」
「うわ、危険。超危険。――何でそこまでして頑張るかな」
「えっ?だって明るくて綺麗だと皆んな嬉しいでしょ?」
想像の中の鈴偶が「何、当たり前のこと聞いてるの?」って微笑んでる。
そんな彼女の明るさが根暗なコミュ障の自分には眩しくて、憧れ、そして彼女の存在に肖ってしまうのだった。
俺は学校で小説ばかり読んでいる。小説を読んでいると大抵の級友は敬遠して話し掛けてこないから無理にコミュニケーションを取る必要がなく、楽に学校生活を過ごせる。コミュ障の俺が身に付けた処世術の一つだ。
話し相手の感情が読み取れない不安の中、感情を害さないように手探りで言葉を選んで話すのは非常に疲れる。また、家庭の方針で自分が知ることができないテレビや音楽やゲームの話題に合わせようとして焦燥を覚えない方が、気持ちが安らかでいられる。
ディスコミュニケーションしか取れない自分にとってコミュニケーションが取れる鈴偶の存在は救いだった。
彼女なら俺の読んだ小説の話を聞いてくれる。そしてオススメの小説を読んでくれて《《一緒に感動を共有してくれる》》。
不思議と俺は彼女の感情が手に取るように分かる。彼女の喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、それらが生き生きと感じ取れるのだ。だから彼女と一緒の時間を過ごして感情を分かち合いたいと思ってしまう。
だが、自分にとって神埼栞はどんな存在なのだろうか?俺が鈴偶を好きであると見抜き、応援すると云ってコミュニケーションを取るようになった残念美少女。彼女もまた鈴偶と同じように話しやすい女の子だ。じゃあ、神埼に淡い気持ちを抱くことなんてあるのだろうか?恐らく今も、未来も、この先ずっと無いと思う。
鈴偶と神埼の違いは?
鈴偶には恋するけど、神埼には間違っても恋しないだろう。
何で??
いけない。もう少しで5時間目の終わるチャイムが鳴ってしまう。黙って教室から消えた状況説明が厄介だな。このまま保健室へ行って適当な理由を付けて休んでいればサボったことにならないかな?保健室の安藤先生、悩んだ生徒の相談に乗ってくれるし変に体調不良なんて嘘を付くよりも悩み相談をした方が自然かもしれない。でも保険の先生って恋の相談、というか正体の分からない感情の相談にも乗ってくれるのだろうか?
先ほどまで得体の知れない感情に悩んでいたのも何処吹く風、頭の切り替えが早いのだ。
椅子代わりに座っていた階段から立ち上がりホコリのついたお尻を叩いていると妙な違和感に気付く。
階段に向かって座っていたために座ったポジションからは屋上へ出る扉はよく見えなかった。そして見て確認する必要もないと思っていた。それはそうだ。普段、屋上扉は施錠がしてあり、鍵は職員室で管理してあるから5時間目の授業が行われている最中に開いているはずはない。だったら閉まっているであろう屋上扉なんて注意して見る必要もない、そんな意識でロクに確認もせずに座り込んでしまったのだ。
よく見ると屋上扉が二つある。
片方の屋上扉はいつもの位置にあり、扉の向こうは屋上に続いているはず。だが、反対側にある方の屋上扉は何処へ続いているのだ?俺がいるこの場所は校舎の一番、端っこ。片側は屋上に続いているなら、もう片側は空中?緊急避難用の扉なんてあっただろうか?
少し息苦しくなり階段を降りて逃げ出したいと思うが、身体の自由が利かない。
緊急避難用の屋上扉の向こう側からオペラ歌手ような高音の歌声が鳴り響いてくる。初めて聴くはずなのに懐かしい気分がしてきて、どんどん思考が纏まらなくなってくる。
気が付くと俺は不気味な扉の目の前に立って、ノブを掴んでいた。ゆっくり回して扉を引くと、抵抗なく動く。扉の隙間が広がっていくのに比例して歌声の大きさは増していく。
扉を全開放し、意識が途切れる瞬間、鈴偶智優が笑顔で俺の手を引っ張っていくような気がして、俺は照れ笑いしながら「引っ張るなよ」と云おうとしたが、上手く声が出せなかった……




